村の日常2
島の大半は森で覆われている。
長年人の脅威から免れたそれは、どこまでも自由に伸び伸びと育っており、真っ昼間だというのに、夜明け前のような薄暗さと静けさであった。
しかし、ここは魔王城がそびえる最果ての地。森の中も世界で最も危険な弱肉強食の世界。魔物と魔物は隙あらば相手の命を喰らおうと、繁みに身を潜め虎視眈々と機会を伺っている。
自分以外に信じられるものなどいない、全てが敵、それがこの森に住む魔物の常識。
そんな森の中を一人の少女が、鼻歌を歌いながら歩いている。
「るんららー、るんららー、るらるらー♪」
バスケットを片手にご機嫌なスキップを披露しているのは、つい先日7歳になったばかりの少女。
新調したばかりの花柄刺繍が施されたグリーンのワンピース。ご機嫌になるのもうなずける。何らおかしいことはない。
ここが、魔物の跋扈する森でなければ、だ。
普通の人間の大人ですら、この森に足を踏み入れれば5分と持たず肉片となり、骨まで美味しくしゃぶり尽くされるだろう。人間という種族はこの森において底辺の更に底辺。
だと言うのに、魔物たちは一匹たりとも少女に喰らいつこうとしない。
それどころか、進路を邪魔しないように道をあけているではないか。
「おはよう、狼さん♪ 今日もいい天気だね!」
「ガ、ガウ」
話しかけられたら狼は気まずそうに返事をする。見た目は大きな狼だが、彼は人間以上に高い知能を持つ伝説の狼フェンリル。少女の話す言葉も理解できている。
もちろん頭が良いだけではない。その力は一国の軍隊にも勝ると言われている。すべての属性の魔法を使いこなし、如何なる武器をも弾く剛毛。
仮に人里に現れたとなると、フェンリル一匹を滅ぼすために周辺諸国らは弾頭魔道爆弾をありったけつぎ込むことだろう。例えその国が滅びることになったとしても。
そんな伝説の狼が、一秒たりとも関わりたくないと言わんばかりに、そそくさと少女の元から逃げ去っていく。
その後ろ姿に伝説の魔獣の威厳はなかった。
そんな事は気にもとめず、少女は勝手知ったる森の中を、迷うことなく進んでいく。
やがて着いたのは、島に唯一ある湖。
ここだけは森も途切れ太陽の光がさんさんと降り注ぐ。もうおなかいっぱいですと云わんばかりに光を浴びた地面には、多くの種類の植物が花を咲かしている。
ここは彼女の遊び場。
お花を摘んで、お弁当を食べて、お昼寝する。それが彼女の日課。
「今日はなにを作ろうかな。う~ん、あっ、このお花とってもきれい!」
そういって彼女が摘んだのは秘草エリクサー。花を包み込むように二つに大きく開いた葉は如何なる病もなおすレアアイテム。
市場では滅多に出回ることなく、出たとしても王族くらいしか買うことのできない金額である。
ちなみに、花に特別な価値はない。
「髪飾りにしよう!」
ぶちぶちと二枚の葉を捨て、花を髪にまとわせる。
川面に映る着飾った自分の姿を見ると、再びご機嫌になり少女は湖畔をうろちょろとし、良さげな花を見つけては髪飾りに追加し、また花を探すということをしばらく続けた。
しばらくして飽きたのか、腰を下ろしバスケットの中からお昼ごはんを取り出す。
歪な形と大きさのおにぎり。
母が父のお弁当を作る際に少女が一緒に握ったものだ。
粘土のようにペタペタと握り固められたそれは、お世辞にもおいしそうとは言えない。
だが自分で作った満足感からか、おにぎりを見つめては「にへっ」と笑って、中々食べようとしない。
やがて空腹が勝り、口を大きく開けおにぎりを頬張ろうとした。
その時、目の前の湖面が大きく盛り上がり、一匹の魔獣が現れた。
全長がどのくらいかも想像がつかない、ぬるりとした鱗が水を滴らせ、2mはあるだろう首回りを大きくくねらせ、目いっぱい開いた口の中には真っ赤な舌がチロチロと蠢いている。
死と再生を司る蛇神ウロボロス。
もはや、なんで地上にいるの?というレベルの魔獣。
『やぁ、ちーちゃん。ごきげんよう』
「ウロちゃん、ごきげんよう」
顔なじみだった。
『素敵な花飾りね、どこぞの王様が見たら卒倒しそうなものよ』
「えへへー、ありがとう。帰ったらお母さんに見せるんだ」
他愛無い会話を2、30分繰り広げ、3個あったおにぎりもなくなったところで(1個はウロボロスにあげた)、少女ことちーちゃんは、立ち上がりお尻をパンパンと叩き、バスケットを手に取る。
「そろそろお父さんも帰ってくることだし、わたしも帰るね」
『あぁ、またおいで、気を付けて帰るんだよ』
帰り道、ちーちゃんは一匹の魔獣に襲われる。
それはまだ発生して間もない魔獣。
この森の常識を知らない、若き魔獣。
村人には関わるな。
『ぎゃぅぅんんっ!!』
「もう、噛み付くのは悪い子なんだからね、めっだよ!」
少女にげんこつを貰って、悶絶うっているのはまだ小さな三つ頭の魔獣。
ケルベロス。
例にもれず伝説的な魔獣なのだが、
まあ、ここらへんでは毎日畑に出没するほどありふれた魔獣である。
悲しいかな、伝説の魔獣といえど、ここでは犬畜生以下の扱いであった。