第一章 はじまり
ジリジリ、と夏の日差しが照り付ける中、一人の青年が早々に農作業をすっぽかし、村一番の大木の日陰に退散していた。
彼の名前はクサル・レイズ。肩書は村人、ピチピチ十八才の落ちこぼれ農夫だ。
落ちこぼれ具合には定評があり、愛犬の散歩中にあぜ道を踏み外し、川の堰を壊してクサルの住む、ライ
オット村の特産品である、オチムギの苗を盛大に水没させたり、王国へ納める食料物資の荷を積んだ馬車に、道中で逃げられ、大目玉をくらったりとざっと上げただけでもキリがない。
いつしか、まじめに仕事をしよう、おいしいものを作って大勢の人を幸せにしたいとかいった気持ちも、水を与えられなかった作物のように枯れてしまった。
だから今日もわが身可愛さに、オチムギの苗が暑い日差しに負けじと穂を伸ばす中、代わりにクサルは、体を丸くして寝そべっているのだ。
本当に夏の日中は冷たい湧水を飲みながら、日陰で寝そべているのに限る。
「ワン!ワンワン!」
近くでクサルの愛犬のランが吠える声が聞こえる。
めったに吠えることがないランだが、ネズミを見た時と、彼の畑にだれか人が入ってきた時だけは吠えるのだ。
この時期あまりの暑さに野ネズミは出歩かないから大方誰かが畑に近づいてきたのだろう。
……ん?
畑にだれか近づいてきた…?
クサルは今一度状況を整理してみた。
今、自分は農作業をしていない。
六時に朝ご飯を食べ、八時に作業を開始。オチムギの水田に足を踏み入れ、悪い虫がついていないかを調べていたけど、九時半には音を上げて、絶賛小休止中だ。
ちなみに昼休憩は十二時、今、太陽は東にやや傾いたところにいるから十時を回ったころだろう。
要するに、さぼっている。
マズい…!この状況誰かに見られでもしたら…!
そんなことがあろうものなら、また僕の落ちこぼれエピソードが一つ増えてしまうじゃないか!
クサルは慌てて、鎌やハサミの収まったポーチをひっつかみ、戻ろうとしたが、その侵入者と目が合ってしまった。
「そ、村長…」
大柄で、丸太ほどあるんじゃないかと思うほどの腕。
その腕よりさらに倍ほど太い脚。
岩肌のようなゴツゴツ隆起した上半身の筋肉が生身でさらされている。
ライオット村の村長、レオナルドその人だ。
「クサール!まーた、お前はさぼりやがってぇ!」
耳をふさぎたくなる怒声。
こうも体の大きさと声量は比例するものなのだろうか。
「お前はどうしてこうも根気がないのだ!えぇ?聞いてるのか!?」
だんだんと巨木を叩きながら、その大きな体を震わせるレオナルドは三十歳の若さで村の長となったいわゆ
る、できる男だ。
彼の父は去年まで村長をしていたが他界してしまった。三人兄弟の末っ子でありながら、二人の兄を差し置いて村長の椅子にどっかりと座っている。
そんなことを考えているクサルを見て圧倒されたと思ったのか、大きく気を吐き、気を取り直したようだった。
「クサル、村の広場について来い。王国からの急使がお越しだ。何やら大事な話があるらしい」
そう告げるとレオナルドは踵を返して裏の中心部へと戻っていった。
王国からの急使に関して言えるのは、こんな辺鄙な村ではほぼ確実に一生の間お目にかかれない者だ。
クサル達の住んでいるこのベルガンディ大陸は、多数の種族、多数の国家で形成されている。
多数といっても種族に関しては大まかに三分割でき、体力、体格など普通の人、「新人種」。
魔力が高く魔法を使いこなす耳長族、屈強な土人、水中で呼吸が可能な水生族などの「亜人種」。
そして魔王の統治する『闇の地域』で生まれた強力な魔力と肉体再生能力のある種もいる、魔王の眷属と闇の瘴気に当てられ、魔物とかした動植物の総称、「魔人種」。
ちなみにクサルは亜人も魔物も見たことはなく、と、いうのもこの三種族とにかく折り合いが悪い。亜人は僕らと関わろうとせず、魔物は見境なく動くものなら何でも襲う。
目下新人種と魔物、亜人と魔物は戦争状態で、戦況はあまり芳しくない。魔王率いる魔物の軍勢は、死を恐れない狂戦士の軍団だ。
それに対抗すべく王国中から選りすぐりの戦士たちを迎え、その中でも力の突出しのは「勇者」と呼ばれ、国中の戦士に限らず、少年少女までが憧れる存在なのである。
「急使って、あの胸の紋章…伯爵家の方じゃないか?」
「本当だ、高位の方がわざわざこんな片田舎に急使に?」
確かに、その急使と見受けられる男が羽織る、外套の胸元には、翼を広げた鷲のような絵柄の紋章が縫い付けられている。
「ライオット村の皆様、お初にお目にかかります。私王国ゆかりの伯爵家、センドバート家伯爵、ロビンスタインと申します」
その言葉を聞いてクサルのとなりで、レオナルドが目を見開く。
「ロ、ロビンスタイン様!?センドバート家と言ったら王国で二番目に大きい伯爵家ではないか!」
どことなく興奮しているレオナルドを横目に、クサルはぼーっと胸元の紋章と、ロビンスタインの顔を交互に見た。
なるほど、確かに中性的な端正な顔立ちで、優しそうな目。
体は細身で、長めの金髪が胸元まで垂れている。
いかにも高貴そうなオーラが感じられた。
「ふうん、そんなにすごい人なの?」
「馬鹿!世間知らずにも程があるぞクサル!センドバート家のロビンスタイン様と言えば大国騎士団の騎士団長もされているほどのお方だ!本来ならこんなところまで足を運ばれるようなお方ではない!」
クサルの問いにぎょっとし、今の発言があわや伯爵様に聞こえでもしたらどうするんだ!と言わんばかりにレオナルドはクサルをにらみつけたが、明らかにレオナルドの怒鳴り声のほうがよく通るに決まっていた。
「いやいや、私はここに始めてまいりましたがライオット村の雰囲気はなかなかに気に入っていますよ。畑に茂オチムギの苗が穂をつけ黄金色に水田を染める季節が待ち遠しく思えます」
優しい声音で目を細めるロビンスタイン。
どうやら、本心から言っているようだ。
「あ、ありがたきお言葉で…!」
感極まって男泣きのレオナルドは袖で鼻水をグジュグジュの拭いながら、何度もペコペコと頭を下げてはまた大粒の涙を零している。
「そろそろ本題に入りましょう…実は先日魔人族の領域にようやく勇者達とわが軍の精鋭が踏み込んだのです」
「ほ、本当ですか!つ、ついに」
小さく頷くとロビンスタインが続ける。
「長年我々と亜人族は魔人族と相対していました。しかし戦力は五分五分。国境付近で一進一退の攻防を繰り広げていたのですがついにその均衡を破った……と、思っていたのです」
「思っていた…?」
ロビンスタインは重苦しい表情でクサル達のほうを見つめる。
暫くの沈黙のうち、重々しく口を開いた。
「はい…わが王国軍の精鋭と勇者達は魔族の領域に踏み入れたが最後、夥しい数の魔物と魔人に囲まれ…この事態を報せた物見を残して全滅しました」