さようなら、愛した人
へらり、表情筋を精一杯柔らかくして、締りのない笑顔を一つ。
愛らしい子供のような笑顔を見せてあげれば、大きく見開かれた二つの目がそこにはあって、その目には笑顔の私が映っていた。
彼の手首を掴めば、自分の手首とは違う太さに、今更ながら少し驚く。
完全に掴みきれない手首を見下ろして、手の平を上に向けさせた。
だらり、力の抜けた状態の手の平をしっかりと広げさせた私は、ジーパンのポケットを漁る。
硬い素材の中にヒンヤリとした金属の感触。
しっかりとそれを握りしめて取り出せば、目の前の彼は眉間に深いシワを刻んでいた。
怒っているような困っているような、そんな表情。
それでも私は笑顔のままに、その無骨な手の平の上、ころり、金属の塊を転がす。
私の指にピッタリと合っていたそれ。
私の指にうっすらと残る細い日焼けの跡。
彼の指には同じデザインのサイズ違いが、光に当てられてはキラッキラッと反射している。
彼の目を見て、今までで一番の笑顔を作って見せれば、ぐしゃり、歪んだ彼の顔。
今まで見たことのない顔を、最後の最後に見れた。
私は満足だ。
有難う、さようなら、吐き出した言葉に彼は何も返さなかった。
日焼けの跡を撫でる。
僅かに窪んだ皮膚を感じながら、緩やかなカーブを描く私の唇。
身軽になった、そう呟いて、私は彼と別の道を歩き出した。