密談[4]
「恐らく、バカ皇子ふたりは、グシュナサフを平定して自分の力量をアピールしようとするだろう。皇位に近付くためにな。しかし、あのバカたちでは、束になっても反乱を収めるのは無理だろう」
「さっき、武力では皇国に勝てないと言っていたではないか。なぜだ?」
「グシュナサフを契機に、大陸中に反乱が伝播するからだ」
ラルヴァンダードが大陸を統一してはや九百年余り。
皇国内部は腐敗しきっていた。
自分の利しか頭にないのは、ふたりの皇子だけではない。教皇を取り巻く者、貴族階級、官吏、果ては教会の僧侶まで、皇国を支える柱全てが、長い安寧の中で職権という甘い蜜を吸い尽くし、民の信頼という国家の基盤をボロボロにしていた。
「いつかこうなる事は分かり切っていた。皇国もそれを恐れ、力で押さえ込んではいたが、一度沸きだした熱湯は、いくら頑丈な蓋でも押し除ける。そうなれば、皇国と言えどひとたまりもない。
――そうなる前に、焚書でなかった事にした、テラ暦以前の歴史を、皇国は学んでおくべきだったんだ」
「……テラ暦以前の歴史?」
「まさかおまえ、『神の審判』より前に文明は存在していなかったとか、そんなことを信じてはいないだろうな?」
「それはないが、具体的に考えたことがなかった」
ヨシュアは呆れたように目を細め、トバルカインを見た。そして、懐から何やら取り出し、トバルカインに見せた。
それは、掌くらいの長方形の薄い板で、表面がダイヤモンドツリーの樹皮のように滑らかでツヤツヤしていた。その透明な膜の下で、何やら色鮮やかな模様が動いている。
「……何だこれは?」
「亜大陸では、『ハンディーコンピュータ』と呼ばれるものだ。正確な時間や現在位置、風の予報など、様々な情報が手元で簡単に分かる」
「――亜大陸だと⁉︎」
亜大陸。――かつて「アメリカ大陸」と呼ばれた大地は、テラ大陸では封印された存在だった。
セント・マグス教の教典では、テラ大陸が世界の全てであり、人類及び文明の存在する唯一の陸地となっていたからだ。しかし、ごく一部では密やかに、その存在が噂されていた。しかし、海を渡る技術が失われて久しいこの時代では、伝説上の大陸という認識が一般的だった。
「亜大陸に行ってきた」
「………はあ⁉︎」
あまりの話の展開に、トバルカインの頭はついていくのに必死だった。
「闘技会の後だったかな。一年ほど滞在してきた。面白かったぞ」
「ちょ、ちょっと待て。一体どうやって……?」
「焦るな。今から話す。まあ、いつの世も、船乗りというのは冒険家なんだ」
ヨシュアは、今までとはうって変わり、少年のように目を輝かせて語り出した。
亜大陸の存在について、ヨシュアは確信を得ていた。なぜなら、「神の審判」以前の世界地図を手に入れたからだ。
それは、「死海」と呼ばれる場所に眠っていた。
死海は、地表で最も低い場所にある湖で、その湖面は海面よりもはるかに低い。現在は、その落ち窪んだ地形に常に「霧」が溜まり、その湖面を見ることはできない。
……そんな「霧」に覆われた湖畔にある、かつての町の跡から、大量の古書籍が発掘されたのだ。
皇国に知られれば、たちまち炎で焼かれてしまう。元々、盗掘が目的で死海の霧へ飛び込んだ連中だったため、裏の市場へ流し、高く売って儲ける方法を選んだ。
「……で、これがその古地図だ」
ヨシュアはテーブルに古びた紙を広げた。表面は風化して色褪せているが、印字面は非常に色彩豊かで、目を奪うものだった。
「この惑星には、テラ大陸と亜大陸だけでなく、アフリカ大陸、オーストラリア大陸、南極大陸と、五つの大陸があったんだ。だが、他の大陸は残念ながら、霧によって完全に文明が滅び、人すら住んでいないようだ」
ヨシュアはどうしても亜大陸を見たくなり、様々なツテを駆使して、やっと亜大陸へ行ける船を持つ人物を探し当てた。しかし、簡単には渡航を引き受けてくれなかった。
「ベラボウな金をむしり取られたさ」
ヨシュアは苦々しく笑った。
亜大陸への航海は、過酷極まるものだった。長期間、海を移動せねばならず、必然的に「霧」の下を航海することになる。約一ヶ月間、密閉された船内に閉じこもりきりで、換気のためのわずかな上陸以外は、外気に触れることも叶わない。また、船のトラブルは「死」に直結するため、精神的にも不安が大きい。神経の図太いヨシュアでさえ、気を病む寸前にまで追い込まれた。
「換気上陸の時に見た光景は、一生忘れられない」
甲板から周囲を見渡すと、視界一面が薄桃色の霧で、他に何もない。
――世界の終わり。
その光景を言葉にするのなら、この表現しか浮かばない。ヨシュアは遠い目をして杯に口をつけた。
そんな苦難に満ちた航海の末にたどり着いた亜大陸は、想像を絶する光景に満ちていた。
亜大陸も、テラ大陸と同様、「霧の海」の脅威に晒されている事に変わりはない。
霧を防ぐための、見た事もないほど高い塀で囲まれた港の向こうは、しかしテラ大陸とは全く別の世界だった。
天を貫かんばかりの高層建築物が林立し、その間の空中を縫うように道が走り、自動で動く車が行き交っている。
驚くのはそればかりではない。そんな街全体を巨大な透明の屋根が覆い、霧が入るのを完全に防いでいるのだ。
「現在テラ大陸の文明とは、千年、いや、二千年分ほどの差があるだろう。言わば、『異世界』だ」
そんな街が、大陸各地に点在している様子は、テラ大陸と変わりはない。しかし、街と街とを繋ぐものは、砂漠の街道ではなく、これまた透明な構造物でできた長大なトンネルであり、その中を音と同じ速さで走る鉄道だった。
ヨシュアは、各地を転々と巡り、亜大陸の文明のさまざまな様子を見て回った。
「あまりに見るべきものが多すぎて、一年ではとても足りないくらいだった。一生かけても、興味は尽きなかっただろう」
「では、なぜ戻って来たんだ?」
「誰かがやらなきゃならないと思ったんだ」
ヨシュアは杯を置き、まっすぐにトバルカインを見た。
「皇国を、潰さなくてはならない」
続く