密談[3]
深夜までの勤務で腹が空いていたため、トバルカインは香りが強く赤い色をしたその料理を、何ともなしに口に運んだ。
その直後、再び盛大に吹き出し、激しく咳き込んだ。
ヨシュアは心配そうな顔で水を差し出した。トバルカインはそれを奪い取り、一気に飲み干したが到底足らず、立て続けに数杯あおった。そして少し落ち着いたところで、ヨシュアを睨みつけた。
「……殺す気か‼︎」
「殺す気とは、料理の味の感想としては聞いた事がないな。普通、うまいとかまずいとかだろう」
「辛いんだよ!口の中が火を噴きそうに熱くて、舌が痛くて麻痺してるんだよ!これが食い物だとは、俺は断じて認めん!凶器だ!新手の殺戮兵器だ!」
トバルカインはまくし立て、また水を飲んだ。
「おまえの口に合ったら、ヨナにも食べさせてやろうと思ったんだが」
「やめろ!絶対にやめろ!これ以上被害者が出るのを、俺は許さない!」
そして、毒見役をさせられた事にふと気付き、余計腹が立った。
悪かったな、これで機嫌を直せと、ヨシュアは杯に酒を注いで前に置いたが、トバルカインはとても飲む気になれなかった。
「うまいぞ」
散々勧められ、疑心暗鬼ながら舐めるように味を確認すると、確かにうまい。トバルカインは仕方なく、怒りの鉾を収めることにした。
結局、棚に置いてあった炒った豆をツマミに、ふたりで酒を酌み交わすことになった。
「……シメオン様のところには、挨拶に行ってきたのか?」
「ああ」
「どんな用なんだ?おまえがマハナイムに帰って来るとは、よほどの一大事だろう」
「まあな」
「言えよ」
「その前に聞いておきたい」
「何だ?」
ヨシュアは意味深にトバルカインを見た。
「例えば、世界をふたつに分ける戦争が起こるとする。――おまえは、どちらにつく?」
あまりに抽象的な質問で、トバルカインはヨシュアの意図が理解できなかった。少し考え、だがトバルカインはきっぱりと答えた。
「俺は騎士だ。主君に仕え、お守りするのが俺の役目だ。俺は何があっても、主君の意向に従う」
「……模範解答だな」
ヨシュアは杯の酒を一気に飲み干した。
「では、その主君が正しくない道に進もうとした時には、おまえはどうする?」
「その道が正しいか正しくないかなどという判断は、俺ごときがすべきではない。俺は、その道を信じ、お支えするだけだ」
「そうか」
「……何が言いたい?」
「あいにく、俺は商人だ。自分の利にならない奴になびくつもりはない。――その上で話をする」
ヨシュアは酒を注ぎ、ゆっくり口に運んだ。その様子は、重い口を動かすための潤滑油を注いでいるようだった。
「――近々、大陸中を巻き込む戦争が起こる」
トバルカインは一瞬固まった。再び動き出すまでに、大きくふた呼吸するだけの時間が必要だった。
酒瓶を手にし、杯に注ごうとするが、手の震えを押さえるのに必死だった。決して武者震いではない。この動揺の根底にある感情、それは、恐怖以外の何物でもなかった。
トバルカインは、熱心なセント・マグス教の信者ではなかったが、この時代のほとんどの人がそうであるように、皇国が存在する上での歴史しか知らなかった。――大陸中を巻き込む戦争、それが意味するところが、既成概念の範囲外にあり、想像すら難しかった。
それを見越したかのように、ヨシュアはゆっくりと語り出した。
大陸交易路の北の外れにあるグシュナサフは、聖都ラルヴァンダードに次ぐセント・マグス教の聖地として、権勢を極めた街だった。ところが、皇宮内の権力闘争に敗れ、没落の一途をたどった。そんな歴史もあり、グシュナサフは皇国と一線を画している、そんな印象があった。
そのグシュナサフに、裏ルートを通して武器を買い集めているという噂が立った。もちろん、皇国は黙ってはいない。近く、グシュナサフ討伐の勅命が下る。ヨシュアは確かな筋からその情報を得た。
「…それだけなら、何も問題はない。地方都市がどれだけ武装しようとも、今の皇国の武力には到底及びはしない。
――問題は、皇宮の内部分裂だ」
現教皇カルティール十三世は高齢で、近々世代交代がある事は誰の目にも明白である。
カルティール十三世の息子アーサー皇太子は、すでに故人となっており、その皇子ふたりのうちのどちらかが皇位を継ぐことになる。しかし、カルティール十三世は皇太子を指名していなかった。
第一皇子イシュマエルは側室の子、第二皇子イサクは正妻の子であるため、後継争いはイサクの方が優位な立場である。ところが、イサクの母プリスカには、黒い噂が立っていた。
実は、アーサーには皇子がもうひとりいた。側室サラの子で第三皇子シャルムートである。彼はおよそ十五年前、火災により母共々生死不明となったのだが、実はそれはプリスカの指図によるもの、というものである。
プリスカは特権意識が強く、他の側室たちを皇宮から追い出そうと画策するような性格で、その噂は信憑性が高いと思われた。
一方、イシュマエルの母ルデアも負けじと強い人物で、プリスカの黒い噂を流した張本人である。
そのような母に影響を受けた皇子たちは、必然的に、世界の行く末よりも自分の利権を優先させるような人物に成長していた。当然、この異母兄弟は非常に仲が悪く、皇宮内で顔を合わせようものなら一触即発のレベルである。
祖父カルティール十三世はそれを嘆き、敢えて皇太子を選定しなかった。どちらかが改心する事を期待したのだろうが……。
「あのバカ共に期待した教皇もバカだ。さっさと見限って自分でもうひとり子を作り、イチから育てた方がマシだっただろうに」
「おまえ、そんな話を誰かに聞かれたら……」
「この家に、俺とおまえ以外に誰がいる?」
「それはそうだが……」
万が一、教皇もしくは皇国への誹謗が皇国の耳に入ろうものなら、即座に「悪魔」と認定され、死刑となる。
ヨシュアは酌をしつつ続けた。
「一方で、末娘のエステル皇女の評判は格段にいい。セント・マグス教では、女性教皇を禁じているからな。無駄な後継争いに巻き込まれず、真っ直ぐに成長されたのだろう。惜しい限りだ」
そして、その後継争いがグシュナサフの反乱にどう影響するのか…。
続く