旅立ち[5]
トバルカインは万騎将として、勅使を迎える式典に参列していた。
マハナイム城の大広間には、領主エフラムを始め、後継者のサウル、宰相シメオン、書記官たち、そして軍を代表する万騎将各位が勢揃いしていた。
左右に整列するその間を、勅使の一行は靴音高く、壇上の椅子に身を預けるエフラムに向かい進んだ。
エフラムは壇上へ勅使を迎え、自分は椅子を降り勅使にひざまずいた。……その時、ぐらりとよろけてサウルに支えられるが、必要ないとばかりにその手を振り払った。
勅使は声高く、一同に向かって勅書を読み上げた。
「グシュナサフに謀反の動きあり。領主カリオテを『悪魔』と認定し、教皇カルティール十三世の名において、聖なる志を持つ忠実なるしもべ達に討伐を命ずる」
その言葉に、エフラムは深く頭を下げた。
勅使は勅書を畳みながら続けた。
「なお、カリオテに武器を提供した、武器商人シェオルも悪魔認定され、カリオテと共に多額の懸賞金が懸けられている。
諸君の大いなる活躍に期待する」
……トバルカインは思わず顔を伏せた。――その武器商人が今、トバルカインの自宅で酔い潰れているのだが……。
いくら懸賞金が懸かっていようとも、友を売るような真似をするつもりはないが、果たしてその事実を知った時、義父シメオンはどう思うだろう……か?
トバルカインはチラリとシメオンに目をやったが、厳しい表情で壇上を見つめるのみだった。
式典が終わり、一旦帰宅するが、武器商人シェオルことヨシュアは、未だトバルカインのベッドを占領していた。
昨夜はくだらない話をしながらしこたま飲んだのだが、それにしても、いい加減酔いも冷めただろうに。
「おい、起きろ!おまえに懸賞金が懸かってるぞ。のんきに寝てる場合か?」
「……いくらなんだ?その懸賞金とやらは」
ヨシュアは布団をかぶったまま、寝ぼけたような声を出した。
「百万金貨だ!」
「それは大したモンだ。庭付きの豪邸に住んで、十年は遊び暮らせる。……いや待て。ムーサーの航海士時代の懸賞金も取り下げられていないはずだ。二十年はいけるかもしれんな」
そう言いながら、寝返りしただけで全く起きようとしない。トバルカインは布団を引き剥がした。
「おまえ、これからどうするつもりだ?……万一、宰相に知られたら……」
「心配するな。シェオルの素性を知ってるのはおまえだけだ。おまえが黙っていれば、バレることはない」
ヨシュアに布団を取り返されそうになり、トバルカインは布団を抱え上げた。ヨシュアは恨めしそうに、細い目でトバルカインを見上げた。
「……旅に次ぐ旅で、ベッドで寝るのなんて久しぶりなんだ。ゆっくり寝させてくれ」
「おまえが宿賃をケチってるだけだろう!俺も、明日からの出征準備に備えて休んでおきたい。いい加減出て行ってくれ」
そこまで言われて、ようやくヨシュアは機嫌悪そうに起き上がった。
「分かったよ。……帰る」
ボサボサの銀髪を掻きむしりながら、ヨシュアは扉へ向かった。トバルカインはふと気になり、その背中に尋ねた。
「帰るって、……どこへ?」
ヨシュアはチラッと振り返った。
「俺の家だ」
扉の向こうに友の背を見送ってからも、トバルカインはしばらく扉を見つめていた。
――「俺の家」とは、どこを指している?
ヨシュアが向かったのはシメオン邸だった。しかし、住居に上がりこむつもりは全くなかった。……ヨシュアは十年前から、ここの住人ではなくなっている。
ヨシュアは再び納屋へ向かい、地下の図書室へ入った。
ひんやりと籠った空気を感じ、自分が最も居心地の良い場所はここだと、改めて感じた。――自分の原点。言わば、「我が家」だ。
古びたテーブルにランタンを置き、とある一角に足を向けた。そこには、見覚えのある背表紙が並んでいた。――歴史書のコーナーだ。
ヨシュアは、これらの本を何度も読み返した。一字一句、丸暗記するほどの勢いで読み耽った。
懐かしい気持ちで一冊の本を手に取る。これは、太古の昔、この大陸の東の外れにあった国の、王朝の変遷の歴史が書かれているものだ。並び立つ二人の英雄の武勇伝もさることながら、底辺から将軍に上り詰めた男の知略を、心躍らせながら読んだものだ。
ヨシュアは、昔の友人に再会したような気持ちでその表紙を開いた。……すると、ページが止まらなくなり、つい時間を忘れて物語に没頭していた。
すると、入り口の辺りで物音がした。ハッと顔を上げ、見ると……。
薄明かりの中に立っていたのは、ここの主、シメオンだった。
続く