表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/51

旅立ち[4]

 エフラムの言葉に、サウルは硬直した。

 かねてよりの野望を実現する絶好のチャンスを、父の一言が打ち砕いた。

 心が一気に凍りついたサウルに、エフラムはさらに氷の楔のような言葉を突き刺した。

「サウルのような未熟者に、とても軍を任せることなどできん。這いつくばってでもわしが行く。サウル、おまえは留守を守れ」


 エフラムの背を支えながら、サウルは腕の震えを抑えるのに精一杯だった。絶望は怒りに変わり、それは事態を飲み込むほど激しさを増し、殺意に近いものになっていった。

 すぐ目の前にある、弱々しく痩せ細った首を、この腕でへし折ってやろうか。そんな衝動にも駆られたが、シメオンの前で取り乱すことはできないと、必死で抑え込んだ。

「しかし、ご無理はお身体に障ります。ここは、サウル様をご信用なさって……」

 シメオンが言うが、エフラムは聞く耳を持たなかった。

「この出来損ないに、マハナイムの命運を託せと申すか。そなたの申したような一大事なら尚のこと。三十万の民の命が懸かっておるのだ。わしが片を付ける。それまでは死なぬから安心せよ」

 サウルは目を伏せた。肩が細かく震えているが、どうにもできない。無感情を決め込むにも限界があった。

 シメオンは、サウルの様子を心配するように顔を向けたが、それ以上は何も言わず、深く礼をして部屋を去った。


 その場に残されたサウルは、何も考えられず、父の背中を支えていた。

「……いつまでそうしておるのだ。わしは休む。そのくらい気が利かぬのか」

「………はい」

 サウルはゆっくりと、父をベッドへ寝かせた。

 必死で抑え込んだ激しい怒りは、いつの間にか虚無感に変わっていた。

 ――俺は、この男の隷属から、一生逃れられないのだろう――。

 サウルは力のない目で、父の浮き出た鎖骨を眺めた。

 すると、エフラムはサウルに光のない目を向けた。

「休むと言っておろう。さっさと自分の部屋へ戻らぬか。それとも、何か言いたいことでもあるのか」

「………いえ」

 サウルは操り人形のような動きで、一礼を残し部屋を後にした。


 扉の外には、シメオンが待っていた。

「……サウル様、少々お時間をよろしいでしょうか」


 シメオンはサウルをテラスへ続く廊下へ導いた。

 霧のため窓は開けないが、ガラス越しに、霧に曇りながらも朝日を浴びて白く輝く街並みが一望できた。

「サウル様。改めて申し上げますが、父上様を誤解されませんよう」

 サウルは、そのガーネットの瞳をシメオンに向けた。力のないその色を見て、彼は優しく微笑んだ。

「エフラム様は、サウル様を心より愛しておられます。サウル様を心配されるあまり、ご自分で戦火へ向かおうとなされているのです。

 口では厳しい言い方をされますが、それもサウル様のご成長を願ってのこと。長くお付き合いをさせていただいておりますが、昔からそういう御方なのです」

 サウルは黙って聞いていた。

「しかし、あのご様子では、長くの遠征は難しいでしょう。

 私より、もう一度、説得をさせていただきますので、サウル様はお心づもりをお願いいたします」

「……分かった」

 彼にとってうれしい申し出のはずだったが、この時のサウルは何も感じない様子で、その場を立ち去ろうとした。

 そして、ふと足を止めた。

「………ヨナが羨ましい」

「……は?」

 唐突なサウルの言葉に、シメオンは戸惑った。しかしサウルは、そんなシメオンの様子すら見ていなかった。

「あんなに仲の良い兄がいて、自分を信じてくれる父がいて」

 サウルはシメオンを振り返った。その顔には全く表情がなく、シメオンは背筋が寒くなるのを感じた。

「……俺も、あなたみたいな人の子供に生まれたかった」

 サウルはそう言い、廊下を奥へと消えていった。

 シメオンは何も言えず、ただその後ろ姿を見送るしかなかった。


 聖都からの勅使がマハナイム城へ到着したのは、その三日後だった。

続く

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ