8.「救済」
思えば、初対面のときからとても不器用な方ではございました。
異なる世界から来た……そうでございますが、つまるところ、勇者カンジにとってこちらの事情など、まるっきりの他人事なのでございます。
いつだったかバボルが指摘したように、勇者としての使命をすべてなげうってどこまでも遠くに逃げ出し、この国なぞ滅びるに任せておのれの生を全うするという選択もあったはずなのでございます。
ですがカンジはそうせず、愚直なまでに勇者であり続けようとしている。
そんなことをしても……カンジ自身は、相応の報酬を受け取るわけでもないと分かり切っているのに。
「あの……」
わたくしは、重ねて問いかけます。
「カンジも、痛みを感じるのですよね?」
「まあ、普通にな。
ただ、あんまり酷いと逆に麻痺してなにも感じなくなったりするんだよな。
あ。
それから、痛みを感じるまもなく頭蓋を潰されたことも何度かあったな。
あのときは、次に起きあがれるようになるまで、丸二日くらいの時間が必要になったっけか……」
「では……そんな痛い思いをして……どうしてカンジは、それでも勇者であろうとするのですか?」
「……あー……改めて正面から尋ねられると、大変に答えにくい質問だな。
それは」
カンジは軽く顔をしかめました。
「勇者というのはだな。
そもそも、おれの世界での作り事の中の役割を意味する名称だ」
「はい。
初対面のときに、そのように説明を受けました」
「役割を演じる遊戯、というのがあってな。
勇者とは他にも様々、語源なりなんなりがあるはずなんだけど……一般的なことをいえば、勇者という言葉を普通の人が耳にすれば、まず真っ先にその種の遊戯のことを思い浮かべる。
ここまでは、わかる?」
「はい。
……なんとか」
「うん。
とりあえず、だいたいのニュアンスでわかって貰えばいい。
その遊戯というのは、基本的にごっこ遊びだ。
与えられた役割を演じることこそが、一番の目的となる。
だから、おれもこの世界で勇者という役割を演じている」
「……は?」
思わず、わたくしは聞き返してしまいました。
「なんですか、それは?
最後の一行が、まったく理解できません!」
「いや。だから、さ。
死ぬに死ねないおれにとって、この世界での生活はどこか現実離れした遊戯の中にいるようなもんだってこと。
どんなに痛い思いをしても、いまいち真剣になれないってぇか……」
「……カンジ。
わたくし、これ以上はないくらいに真剣に質問をしたつもりなのですが……」
この世が遊戯にも等しいとは……どういう了見なのでございましょうか?
王国の荒廃も、それをもたらした魔族の存在も、カンジ自身の苦痛やこれまでにこちらで過ごしてきた年月も……すべて遊戯、の一言で片づけてしまうつもりなのでございましょうか?
「例え、カンジのいう通り、この世のすべてが遊戯の場であったとしても……その遊戯の中にとらわれている間は、すべて現実にも等しいのではありませんか?
何度も殺され、痛い目にあい続けているのに、カンジにとってはその痛みさえも絵空事なのですか!」
「ちょ。
そこでなんでお姫様がキレるんだよ」
「……すいません。
ですが、カンジはご自分の境遇について、今ひとつ真剣味が足りないと思います」
「いや……そういう風にいいたい気持ちも、わからないでもないけど……。
所詮、おれの気持ちや都合でしかないわけだしなぁ。
細々と説明をして理解をして貰ったところでなんになるのか……ってはなしにもなるわけだし……。
……うーん。
なあ、お姫様。
あんたは、王様がどこそこに嫁げと命令をしさえすれば、自分の気持ちとかはひとまず置いてどこの誰ともわからない相手に諄々と輿入れなさるわけだろう?」
「王家の者として、そうするのが当然のつとめでございます」
「お姫様がそこのとについてまったく疑問に思わないのと同じ事さ。
王侯貴族には王侯貴族なりの、悩みや事情があるし、そうでない人々にもそれ相応の都合や思惑ってものがあるだろう。男には男の、女には女の事情がそれぞれにあって、自分とは違う立場の人たちにはその事情がすっかりすべて共感を得られるわけではない。
家畜や野生動物だって、好きで人間の食料になっているわけではないだろうし、さらにいえばこの国に蔓延している魔族にだって、それなりの言い分ってものがあるのかも知れない。たまたまやつらが、おれたちに理解できる方法で意志を伝達する方法を持たないからこっちにしてみればやつらの事情なんて知ったことではないわけだけどな。
それと、同じだよ」
「なにが……同じなのですか?」
「お姫様が王家の人間として生まれたのはお姫様自身の意志によって選択したことではない。だけど、お姫様はごく自然にお姫様としての責務を果たそうとしている。
おれだって別に勇者をやりたくてこっちに召喚されたわけではないけど、実際に召喚されちまった以上、うだうだ文句をいい続けたり無駄に抵抗したりするより、与えられた役割をまっとうした方周囲に状況を悪化させないで済む。
仮に、おれを召喚したやつが最初から威猛高な態度で命令してきたら、おれの方も反発して逃亡やら反撃やらをしていた可能性も十分にあったわけだが……。
お姫様、あんた、自分の国の窮状をなんとかしようとしか考えていなかったろ?」
「あのときは……わたくしもまだまだ幼く、思慮が足りていませんでしたから……」
「だから、かえってよかったんだよ。
もっと計算づくでおれをこき使ってやろうという態度が見え透いたやつだったら、おれの方だってここまで素直に勇者をやってなかったと思うし。
……まあ、おれやお姫様がそれぞれ勇者やお姫様としての役割を納得づくで演じているように、人にはそれぞれ分限やら事情、葛藤があるんだろうが、結局は自分に与えられた役回りを素直にこなしていった方が周囲と余計な軋轢を生まずに済むってはなしさ」
「カンジのおなはしは、ときおり、わたくしには難しすぎます。
それに、なんだかいいようにいいくるめられて誤魔化されているようにも感じます」
「まあ……そのうち、いやでも理解できるようになると思うよ。
うん」
わたくしの疑問はすっかり解消されたというわけではなかったのですが、最後にカンジはそうそっけなくいいはなってわたくしを突き放すのでございました。
こことはまったく様子の異なる世界からやってきたこの男のことをわたくしが幾分かでも理解できるようになるまで、まだまだ時間を必要としたのでございます。
支援する部隊との連携が徐々に噛み合ってきたこともあり、勇者カンジが魔族に占拠された国土を取り戻す速度は次第次第にあがっていきました。奪還するのに以前なら二十日以上を要した土地も、今では十五日から十日で取り戻してしまえます。魔族に対する攻撃は勇者カンジひとりに任せ、わたくしたち支援部隊は負傷したカンジの手当や食事の用意など、後方支援に専念することにいたしました。部隊の中にはジュレヘムやわたくし自身のように治癒魔法の使い手が何名もおりましたし、重傷を負った勇者カンジを手当するだけでも場合によっては数日分の時間を短縮することが可能だったのでございます。
わたくしたち支援部隊は勇者カンジによって魔族が一掃された安全な場所からは決して出ようとはしませんでしたし、勇者カンジも自力で動けなくなるほどの重傷を負う前に支援部隊の野営地に戻ってくるようになりました。相変わらず、実際に魔族と戦うのは勇者カンジ一人でしたが、以前は、ボスキャラとかいう地域を制圧した魔族の要となる魔族を倒すまで、何十日でも姿を見せなかったことのですから、大きな変化でありました。勇者カンジも、以前よりは戦闘時の消耗が軽減したように見受けられました。
そのような次第で次々と魔族から国土が再奪還されるようになりますと、国の民も俄然勢いづき、行く先々でわたくしたち勇者の一行は手厚いもてなしを受けるようになったのでございます。
移動のさなかに村々や大きな宿場町、領主の館などを通りかかることがあれば必ず呼び止められ、歓待されるのが常でありました。そうした場所では道中に必要な水や食料などの物資を差し出されることも多く、そうなればこちらとしても無碍に扱うわけにもいきません。よほど急ぐ事情でもない限りは一晩の宿をいただいて、乞われるままに魔族討伐の際の勇ましい挿話などを披露することになります。
わたくしたち部隊の者は饗応を受ける立場であり、また、おおむねの者は野宿の際の不自由な生活にげんなりしておりましたから、そうした歓待ぶりを素直に受け止める事が出来ました。しかし、肝心の勇者カンジはそうしたとき、必ずしも自分の立場を楽しんでいるようには見えず、むしろ憮然とした表情を崩さずに事務的に対応するのが常でした。
「どうやら勇者殿は、美酒や美女にも興味をそそられないようだ。
こちらで用意することが出来るような田舎の産物は、口に合わぬと見える」
多くの領主たちが、そうした勇者カンジの態度を不遜であると謗りましたことか。
「そういうわけでも、ないんですがね」
そうしたとき、勇者カンジはいかにもつまらなそうに呟くのでございます。
「本心から歓迎されるのならともかく、お義理で接待されても愛想良くしてなっくちゃならない、ってのは、勇者業のうちには含まれていないでしょう。
こちらの領土にそんな余力があるとおっしゃるのであれば地元の人たちに施すか、それともうちの部隊に渡す物資を割り増しにしてくれた方がよっぽど有意義ってもんだ。
どっちらもまだまだ魔族によって与えられた打撃の影響を脱しきれていない。この場にいる限られた人たちが不必要な贅沢をするよりも、いまだに生死の境にいる人たちがいくらでもいる。そっちを支援するのが先なんじゃないか?」
勇者カンジのこうした態度について、ジュレヘムをはじめとした部隊の者たちもわたくし自身も、何度も繰り返しお諫めしたところなのでございます。ですが、勇者カンジは、一向にそうした態度を改めようとはしませんでした。これでは、行く先々で喧嘩を売って回っているようなものでございます。
こうした勇者カンジの傲慢な態度に接した領主たちの態度は大きく二つに別れました。
勇者カンジの言葉を虚心に受け止めて、「道理である」と認め、以降、地元の民の厚遇を約束した者。こちらに属する領主は断然少数派で、実際には数えるほどしか存在しませんでした。
圧倒的多数であるもう一派は勇者カンジを無礼者と決めつけ激昂し、果ては、私兵や暗殺者などを勇者カンジに差し向けたり決闘を申し込まれたりするのでございました。もちろん、どのような屈強な者であろうともただの人間に遅れを取る勇者カンジではございません。そうした具体的な反発が例外なく勇者カンジにより返り討ちにあうことで事態は収拾するわけでございますが、そんなことを繰り返すうちに、王国の上流階級の間では、勇者カンジの名声はすっかり地に落ちてしまったのでございます。
「戦うことしか能がない野蛮人」
というのが、そうした人々によって広められた勇者カンジの評判となったのでございます。
「そういいたくなるお前の気持ちも、わからんでもないんだが……」
このことについて、勇者カンジとつき合いの長いジュレヘムなどは苦言を呈します。
「……馬鹿正直に不満を表明したってお前の気持ちが晴れるだけで、なんの役にも立たないだろう?
そんなことを繰り返しているとお前、そのうちこの王国から追放されるぞ」
「やれるもんならやってみるがいいさ。
そうしたら困るのはおれではない。この王国のやつらだ」
「今はそれでもいいとして……すべての魔族を討ち果たしてしまったら、お前、その後はいったいどうするつもりだ?
そのときになって行き場がなくなったら、お前だって困るだろう?」
「そのときは、そのときのことだ。
今からそんなに遠い将来のことまで考えてないられるか。
とにかく、今のところは魔族がいるから本気でおれを敵に回せるやつはいない。なにしろ魔族には、おれしか対抗できないんだからな。
やつらがどんなにおれを気にくわなくても、完全におれを排除するのは自殺行為だ。
だったら、好きなようにいいたいことくらいいわせてくれや」
そうした問答は何度も繰り返されたものです。勇者カンジを諫めるわたくしたも、本音のところでは勇者カンジの反発心に共感をおぼえずにはいられませんでしたので、真剣に咎めようとする気にもならず、結局はうやむやにして次に同様の騒ぎが起こるまでの小康状態に戻るのが常でございました。
処世というものを度外視した勇者カンジのこうした態度は、直情的すぎて、一見、いかにも子どもっぽく見えます。ですが……本当に、それだけだったのでしょうか? 今になって振り返ってみれば、この頃から勇者カンジは、自分の使命をまっとうした後のことを考えていたような節がございます。
こうした子どもっぽい態度は、あえて、この世で生きにくいような環境を整えようとしていた、将来に対する布石のように思えてならないのでございます。
この世で勇者という役回りをまっとうすることを選択した勇者カンジは、勇者以外の自分がこの世界で生きにくくなるように、意図的に仕組んでいたのではないでしょうか?
わたくしが知る勇者カンジとは、とても不器用な方でした。自分から遠い事物に関しては妙に理路整然とした語り口で説明してくださるのに、自身の存念については韜晦して多くを語ることがございません。それどころか、わざとはなし相手を怒らせるような冗談をいって煙に巻くような傾向も伺えます。
思い返してみれば、そもそも初対面のときからそんな風でございました。
不器用といういい方が適切でないのなら、本心を開示することを必要以上に恐れていた、といいましょうか。
あえて誤解を招くようないい方が許されるのであれば、豪放磊落に見える勇者カンジの裏側に、とても小心で傷つくことを過度に恐れているように見える、もう一人のカンジが見え隠れしているように感じていたのでございます。
それは、勇者カンジの……いいえ。
カンジ個人が本来持っていた気質なのか、それともこちらに召喚され、異常な環境に身を置くうちに自然と培った気質であるのか、わたくしに判断できるところではございませんでした。
とにかく、わたくしたちは、この異常な戦闘能力を所有するカンジという一個人に王国の命運を預けざるを得ないのです。
わたくしとしても、この男の動向をつぶさに観察するより他、警戒のしようがないのでございました。
なにかの気まぐれで、あるいは契機があって、これまで一貫して国土の奪還のための働いてくれたカンジが王国に反旗を翻したとしたら……王国側は、抵抗する術がないのでございます。
お父様がわたくしをあてがってカンジの元に送り込んだ理由には、そのような含みもあったのでございましょう。
カンジを観察し、もし必要であったら、慰撫してでもカンジを王国のために働くよう、し向ける。
それが自分の役割であると、カンジの元に送り届けられた当初からわたくしはそのように心得ておりました。
そうして王国の各地を転々として短くはない年月を過ごすうちに、解放された土地は多くなり、勇者カンジの一党に対する民の評判はあがり続け、有力領主諸侯の反感もましていきました。
今では王国も魔族に奪われた領土の半分以上を取り戻し、わたくしたちの部隊の連携もさらに連度を上げていきました。
攻撃魔法を使う兵たちが徐々に配属されるようになりました。そうした魔法兵たちもあくまで勇者カンジの動きの補助に徹して単独で魔族に対することはありませんでしたが、奪還の効率が以前よりも増していったことは確かなのでございます。長く経験を積むうちに、わたくしたちの部隊は勇者カンジを主力とし、その活動を補助するための機関として、さらなる効率を求めて創意工夫を凝らすようになりました。目が飛び出るほど高額なアイテムを買い集めて勇者カンジに与えたり、門外不出の魔法の知識を求めたりして勇者カンジの戦闘能力をさらに底上げしようと勤めました。
そうして、ひとつひとつ、行く先々に根を張る魔族の巣を潰していき、国土を奪還していくうちに、数年の年月が瞬く間に過ぎていきました。そのひとつひとつに対して詳細に述べることはいたしません。時期により多少の異動はあれ、基本的には同じ事の繰り返しでございます。
多少の支援が可能になったとはいえ、わたくした部隊の者に出来ることはそう多くはありません。勇者カンジを気持ちよく送り出し、彼が帰還したら手当をし、食事を与え、眠らせる。ひとつの巣を潰し終えたら、次の土地に移動しながら、勇者カンジの憂さ晴らしを手伝う。
その繰り返しでしか、ありませんでした。
憂さ晴らし、といえば、勇者カンジには趣味らしい趣味がないようでした。時間があるときは、食べているか、寝ているか。
それとも、女性たちの相手をしているのか。
何年経っても、勇者カンジの周りには女性たちが集まっておりました。天幕や馬車の荷台で男女が為すべきことをしているのも、珍しいことではございません。以前に勇者カンジ自身が述べたように、どちらかといえば女性たちの方が積極的に勇者カンジを求めているように見えました。少なくとも、勇者カンジの方から特定の誰かに執着するようなそぶりは見たことがございません。
「だって、断ると相手が傷つくでしょう?」
いつだったか、そうした話題に触れたとき、勇者カンジはあっけらかんとした口調でそういい放ちました。
「その分、おれだっていい思いはするわけだけど、おれから求めることってのは、ないなあ。
いわれてみれば」
「ボバルは、戦闘を経て殺伐としたカンジの心を慰撫するために体を捧げているといっていましたが」
「あいつが? そんなことを?
はは。
そいつは、口実っていうか、屁理屈っていうか。
あいつもやりはじめるとしつこいから、どう見ても自分がやりたがっているとしか思えないんだけど」
「それ、ボバル本人の前でいえますか?」
「いえるいえる。
なんなら、今からボバルのところにいいにいってくるか?」
「おやめください。
洗濯の邪魔です」
炊事や洗濯は、基本的には部隊の女衆の仕事なのでした。
「いや。
お姫様がそういうのなら、いいんだけどな」
「では……カンジは、度重なる戦闘で心が荒むことはないのですか?」
「荒む……というより、疲れが溜まるのが、なあ。
精神面の疲弊よりも、肉体面での疲労の方が深刻だよ。
一度やりはじめると、巣を完全に潰すまで、何日間もぶっとうしでやり続けなけりゃならないわけだし。
それに、その疲労も何日か食っちゃ寝すれば完全に回復するから、そんなに深刻でもない」
「では……本当にカンジは、いくら戦っても失うものがないのですね?」
「失うもの……かあ。
うーん……いきなりそんなことをいわれても、すぐには思いつかないけど……。
強いていえば、時間、かな」
「時間……で、ございますか?」
「もう十五年以上も、こんなことを繰り返しているわけだし。
これって、決して短くはない時間だと思うんだけど……」
わたくしが勇者カンジの部隊と行動を共にするようになって、いつの間にか三年以上の月日が流れていたのでございます。
〔次回: 「流転」〕