7.「解放」
勇者カンジは出征から帰った直後いつもそうしていたように、そのまま昏々と眠り続けました。その間、支援隊の男衆に交代で背負われて運ばれていたわけですが、このときの顔はまったく普段の勇者カンジとは思えぬほどにいかにも無防備な様子なのでございました。
「お姫様は、こいつのこういう顔ははじめてみるんだっけ?」
そのように声をかけてきたのは、女衆の中の一人、バボルでございます。
魔族が攻めてくる以前から娼婦をしていたという彼女は勇者の部隊の中でもジュレヘムと並ぶ最古参でもあり、率先して女衆のとりまとめ役をしているのでございました。
「従順な風をして計算高く、口では意地の悪いことをいいながらも結局は自分が一番損するような選択をあえてする。
勇者とかなんとかいわれてはいるが、こいつの中身はあのときのガキのまんまだ」
勇者とのつきあいが長い彼女は、まだ少年といってもいい年頃の勇者カンジをおぼえている者のひとりなのでございました。
「こいつが魔族を倒しに行くとき、そりゃ、人間ではないなにかになるってことだ。何度も何度も繰り返し死ぬような目にあい、実際に死んでは生き返るとわかっていても、行かなけりゃならない。
そんな境遇に十年以上も身を置き続ければ、普通なら人間らしい感情なんてとうの昔にすり減ってなくなっちまうさ」
「でも……勇者カンジは、まだ、人間……ですよね?」
「わたしらがいたからね」
わたくしの疑問を、バボルは一笑に付します。
「あいつが帰ってきたとき、なにをするか?
食らい、眠り、そしてわたしらと交わる。
そうすることでようやく、あいつは自分は勇者ではなく人間だったことを思い出すんだ。
そうしていなけりゃ、あいつの中身なんざとっくの昔にぶち壊れている。外側は不死身でも中身は普通の男。そこが、あいつの最大の弱点なんだろうね。
あいつがもう少し自分の利に聡い人間だったら、こんな国が魔族に占領されようがどうしようがほったらかしてひたすら逃げまわってそれなりにおいしい暮らしが出来ただろうに……」
「なぜ……勇者カンジは、そうはしなかったのでしょうか?」
彼は、そもそも自分の意志でここに来て勇者として名乗りを上げたわけではございません。
幼い自分のわたくしの、浅薄な願望に引かれて無理矢理連れてこられたのでございます。
「自分の利を度外視する傾向はあるけど、あれもそれなりの計算は出来る男だからね。
放置すれば魔族はこの国だけではなく、いずれもっと広範な地域を制圧していき、最終的にはこの地上すべてを埋め尽くす……ということがわかっていたのだろうよ。
動く者が自分自身と魔族だけ……というそんな世界で、永遠に生き続けたくはなかったのたんじゃないのか?」
「彼は……死ねないのですか?」
「突いても駄目。斬っても駄目。そういう破損なら、時間がありさえすれば自然に回復……いや、再生する。毒なんかも効かないそうだ。そうそう。餓えるのも駄目だったな。魔族の巣の中に突っ込んでいくとき、あいつはいつも十日や二十日、飲まず食わずで戦い続けるわけだが、それで体調を崩したってはなしはまるで聞いたことがない。餓えや乾きは人並みに感じるようだが、ただそれだけだそうだ。
あるいはなにか奥別な手順に従えば、死ぬ方法自体はあるのかも知れないが、具体的にそれがなにかはあいつ自身も知らない」
「それでは……まるで、呪いではないですか?」
「実際、呪いなんんだろうよ。
勇者になるということは……あれは、魔族と戦い駆逐するための便利な機械になるっていうことにすぎないじゃないか?
その勇者という名の呪いを解くために、あいつは戦っている。
魔族をすべて倒せば勇者ではなくなるっていう保証はどこにもないが、なんらかの変化はあるんじゃないかって希望は持っている。
根拠なんか、どこにもなんだけどね」
そして、そのような呪いをカンジの身にかけた元凶は、他ならぬこのわたくしなのでございました。
「あいつに女を教えたのは、このわたしさ。
もちろん、魔族の襲撃にいきあって危ないところ救われた恩を返す……って思いもあったが、それ以上に好奇心の方が勝っていたね。
次々と魔族の巣を破壊して国土を取り戻し続ける英雄様とはどんなお方かと見に行けば……実物は、寒さと空腹に震える細っこいガキでしかなかった。とてもではないが、はなしに聞いていたような華々しい活躍をした武人には見えない」
十年くらい前のこと……なのでございましょうか? だとすれば、今ではすっかり日に焼けて逞しくなったこのバボルも、ちょうど今のわたくしくらいの年格好だったことになります。
「店も町もすっかり壊されて商売を再開できる目処もまるで立っていなかったし、勇者の部隊に拾われてからは、しばらく、炊事とか洗濯とか、そんなような雑用をしていたんだけどね。
いつだったか、いつものようにふらふらになって魔族の巣から帰ってきたあいつの体をきれいに清めていたとき、ふと見たらあいつの男がしっかり使える状態になっていてね。
それでまあ、わたしみたいなのが相手でもよければって誘ってみたら、これがもう絶倫で。こっちが一人で相手をしていたんじゃとてもではないけど身が保たない。
その頃にはわたしみたいに部隊に身を寄せていた女衆も何人かいたから、あくまで本人が望むのなら……って、はなしをつけていったら、結局はほぼ全員があいつのお手つきのような形になっちまった。
こんだけ長い間一緒にいるわけだから、当然、女衆も多少の入れ替わりがあるわけだけど、不思議なもので誰もあいつの子を孕むことはなかったね。
お姫様を相手にいうことでもないんだろうが……世間的には外聞をはばかるんだろうが、わたしらはわたしらなりの方法でどうにかしてあいつを元気づけ、あいつが人間であり続けることを助けてきた。
そのことは、後悔していないよ」
わたくしたちは何日もかけて歩いてきた往路を同じ時間をかけて引き返し、その間勇者カンジは寝ているか食べているかのどちらかといった有様でございました。食料も水も日に日に乏しくなっていく行程でございましたので、勇者カンジに十分な量を与えられなかった点に忸怩たる思いを感ぜずにはいられませんでしたが、残してきた仲間たちとの合流地点まで急ぐことこそがまずは当面の目的でございます。
数日後にようやく元いた部隊が駐留している場所まで引き返したとき、わたくしたち支援隊の者は口々に喜びの声をあげ、そのあと順番にお湯をたっぷり満たした樽のお風呂につかるという贅沢を嗜んだのでございます。
そしてその翌日には、われら勇者の部隊一同は次の目的地へと出立するのでございました。
そうしたことを何度か繰り返すうちに、先行する勇者カンジとそれを追う支援隊との距離は徐々に近づいていきました。われわれ支援隊の面々が慣れ、同時に、勇者カンジの方も徐々にわれわれ支援隊をあてにするようになって来たのでございます。
とはいえ、魔族を相手にした立ち回りに関しては、勇者カンジただひとりが頼りであることは、以前とまるで変わりがありませんでした。
ただ、わたくしたち支援隊も慣れるに従って人数や一度に運べる物資の量を増やしていき、勇者カンジに対して十分な支援を行えるような体制を徐々に整えていったのでございます。
また、勇者カンジの方も、一度満身創痍の有様を目撃されて以降は、下手に自分の苦境を隠そうとはしませんでした。深手を負いすぎたと判断したときは自発的に支援隊がいる位置まで下がり、そこでしかるべき手当を受けてから再度出撃するようになったのでございます。
それまでは殺されて生き返るまで、為す術もなく長時間ひとつの場所に転がっていることも珍しくはなかったということですので、結局、これは魔族の巣を壊滅に追い込むまでの時間を短縮することに繋がりました。
こうした次第で、勇者の部隊と勇者カンジとの連携が徐々にうまく噛み合いはじめ、魔族の領域を殲滅し押し返していく勢いに拍車がかかって来ました。
王国の民はこの動きを大いに歓迎し、次々と国土を取り戻す勇者カンジの一行を解放者と褒めたたえるようになりました。
その道中で、何度か、わたくしは勇者カンジの戦いぶりを直接その目で目撃する機会を得ることが出来ました。
あるとき、勇者カンジは雄叫びをあげて、人馬型と称される高速度で移動する魔族の群に突撃していきました。
勇者カンジの攻撃魔法と魔剣バハムにより、人馬型の群はいくらもしないうちに蹴散らされ、灰燼と化していきます。
またあるときは、空を黒く覆うほど、大量の鳥型の魔族により行く手を阻まれることもありました。
勇者カンジは暴風を呼ぶ攻撃魔法により鳥型の魔族を一カ所に集め、握りに縄を結びつけた魔剣バハムを振り回してこれを撃退いたしました。
離島に鎮座するボスキャラを攻略するために、海魔の群を相手にする必要があったこともございます。
勇者カンジは海面を凍らせてその足で離島へと向かい、水上に躍り出てきた海魔のみを倒しつつ目的を果たしました。
その他、この頃の勇者カンジの快進撃ぶりについては、快挙にいとまがございません。多くの民は勇者カンジの一挙手一投足を見守り声援を送り、それを見守るより他なかった各地の領主や王宮の人々は複雑な心持ちを隠しているより他、なす術がございませんでした。
そしてもう一人、この勢いに乗ることなく、日々鬱々と言葉少なくなっていく者がございました。
他ならぬ、勇者カンジその人でございます。
快進撃が続き、多くの魔族を屠り続ける勇者カンジは、国土奪還の勢いとは裏腹に仲間の前で笑顔を見せることが少なくなってまいりました。
これが、お父様が「気鬱の質」、バボルが「人間に戻れなくなる」といった症状なのでございましょうか?
もともと、勇者カンジは軽口をたたき冗談をいいながらも部隊の者たちとは一線を画し、どこか胸襟を開いていない風情を持っておりました。それは、幾度となく臥所をともにし、気安い間からであったはずの女衆であっても同じであったのでございます。
飲食をし、色に溺れれば、確かに生物としての欲求はおおむね満たされ、満足感を得ることが出来たのでございましょう。
しかし、それだけではどうにも満たされない「なにか」を、勇者カンジは心中に抱えているようでございました。
「……なんだ、お姫様か?」
そんなある晩のこと。
移動中の野営地で、ふと目をさましたわたくしは天幕の外に出て、そこでひとり、草地の上に寝そべっている勇者カンジの姿を認めたのでございます。
「勇者こそ、どうしたのですか?
こんなところで」
「どうしたってこともないんだけどな……。
こっちでは、その、空の形……星の配置も向こうとは違うんだなー……とか、そんなことを思っていた。
第一、こちらには月がない」
「月……とは、なんなのでございましょう?」
「明るく、大きい天体……衛星とかいっても、わからないか。
まあ、向こうにはあってこっちにはないもののひとつだな」
「はぁ……つまり、カンジがいたとかいう世界のモノなわけでございますね?」
「そ。
今さらだが……こうして夜空を見上げていると、まったく別の世界に来ちまったんだなーと思っちまうわけよ」
「カンジは……元いた場所へ、帰りたいと思っているのでございますか?」
「ああ。そりゃ、ないな。
こっちに来て、もう十二……いや、十三年になるのか。
一日の長さはほぼ同じ、暦法は微妙に違うので年により一定ではないが、一年は三百六十数日前後。
幼少期で記憶がない期間も何年分かあるから、今となっては向こうで過ごした期間よりもこっちで過ごした期間の方が長いくらいだ。
それに、こっちに来てからの日々はかなり衝撃的だったからな。それだけ、印象も強い。
今になって向こうに戻っても居場所があるかどうかもかなり微妙だし……第一、心底戻りたいと思っていたら、今頃おれはもっと苦悩にのたうち回る日々を送っているはずだ」
「つまり……こちらで過ごしてきた日々のことを、カンジは後悔はなさっていらっしゃらないのでございますね?」
「後悔……っていうのは、ないなあ。
何度も殺されたり痛い思いをしてきたけど、それなりにおいしい思いもしてきたし。
もう一度まるっきり同じ事をやり直したいかっていわれたら速攻パスするけど、それなりに充実した日々ではあったと思う。
第一……おれが苦労したおかげで助かった人が大勢いるっていうことは、どうあがいたって確かなわけだしな。
そういう人たちのためにも、おれはこれまでの日々を否定しちゃいけないと思う」
「おそらくは……そのような性格だからこそ、カンジはこちらに召喚されたのでございましょうね」
「誰が召喚したのだか、知らないけどな。
お姫様は、どうやら自分がやったと思っているようだけど……」
「違うの……ですか?」
「さあなあ。
おれは、こちらの魔法については詳しく知らないから。
ただ……そういうお姫様だって、特にこんなに小さかった当時は、魔法の達人ってわけでもなかったわけだ。
それで、その他に、色々な原因が考えられるわけだけど……」
「色々な原因……で、ございますか?」
「んー……。
一番アリガチなのが、こっちの世界そのものか、この世界を管理する神様みたいなのが蔓延する魔族を排除するためにおれを召喚したって線かな?
見ての通り、あの魔族ってやつらはどういたってこちらの世界とは相容れない異物だ。
あんな異物を放置しておいたんじゃ、本来あるべきバランスがあっけなく崩れてしまう。
それをよしとしないこの世界そのものないしはこの世界の神様が、異物である魔族を駆逐する道具としておれに白羽の矢を立てたって線。
この仮説は、世界に意志があったりこの世界を管理する神様が存在するっていう前提を認めなければならないってことで……そういう存在を否定する意見が大勢を占めていた向こうの世界では、トンデモ扱いかフィクションの中でのみ成立する理屈であるってのが難点になるな」
「……はぁ。
カンジがいた場所では、神様はいなかったのですか?」
「神様がいると信じる人はうじゃうじゃといっぱいいたけど、それを証明することに成功した人はいなかったな。
向こうでは、計測結果を並べて法則性を導き出し、仮説を証明する科学ってやつが、世界の成り立ちを説明するのに一番理性的な方法であるとされていた」
「……こちらも、同じようなものですね。
神様もそれを信仰する人もたくさんいらっしゃいますが、その信仰や神様が飢えを駆逐し病人を癒すということはございません。
過去にそのような例もあったと主張する信徒も数多くいらっしゃいますが、再現性のない奇跡になんの価値がございましょう」
「王族だけあって、お姫様はドライな考え方をするんだな」
「ドライ……で、ございますか?」
「褒め言葉だとでも思っておいてくれ。
ところでお姫様。
ひとつ、前々から疑問に思っていたことがあるんだが?」
「……なんでございましょう?」
「向こうでもそうだったが……こっちでは、王侯貴族の子弟といえば、政略結婚やらなんやらで総じて早婚だと聞く。
でも……お姫様、なんでそんな年齢まで独り身で、しかも、こんなところに飛ばされているの?」
「……ひとつは、これまではたいそう国が荒れた状態でしたので、縁組みをしようとしても相手方に断られることの方が多くなかなか成立しなかった、ということ。
もうひとつは、そんなわけで、わたくしの上にいる兄様や姉様たちが片づかないとわたくしの縁談も進めようがございません。
ましてや、わたくしは正妃の娘ではございませんので、優先順位はなおさら低くなります」
「はぁー……なるほど。
こっちも、色々な事情があるんだなぁ」
「……ええ。まあ」
「お姫様。
もうひとつ、質問」
「今度は……なんでございましょうか?」
「行かず後家って呼んでいい?」
「いいわけがありません!」
勇者が世界を救うべき存在であるとするのであれば、その勇者はいったい誰が救えばよいのでございましょうか?
〔次回: 「救済」〕