6.「現実」
「ほれ、あれが魔族に占拠された場所だ」
憮然とした口調で勇者カンジが異形の者どもによって埋め尽くされた場所をしめしました。
かつては、人が住む村……で、あったのでございましょう。
しかし、今となっては往事の痕跡はかろうじて原型を留めている住居の壁面のみ。その壁面も蔦とも根ともつかない、おそらく魔族の一部なのでございましょう、ゴツゴツした表面を持つ丸太のような太さの物体により網の目状に覆われ、往事の見る影もありません。
建物だけではなく、道もその他の土地もすべて、そうした魔族によって覆われておりました。
この状態を指し示して、その土地が「魔族によって占拠されている」というようでございます。
「今、ここにいる魔族は休眠体だな。
こちらから近寄らない限りは、無害なはずだ。
ただ、こうして少しでもやつらの間合いに入ろうとすると……」
しゅっ、という低い摩擦音がして、ぼとり、となにか硬い固まりが地面に落下しました。
「ほら。この通り。
動物だろうが人間だろうが他のものだろうが、見境なく枝を伸ばして串刺しにしようとする」
勇者カンジがいつの間にか抜いた魔剣バハムにより、自分に延びてきた魔族の枝を斬り落としていたのでございます。
「……というわけで、相手が休眠体の場合、おれは距離を取ってこうすることにしている。
……メラッ!」
ごぉんっ!
と鈍い音を立てて、突如なにもない空中に巨大な火炎が出現いたしました。
それだけではなく、その火炎はいくつにも分裂し、あたり一面を覆う魔族の体に取りついて焼き払っていきます。
勇者カンジの意志により出現した炎は、それ自体がまるで意志を持つかのように動いて執拗に魔族の体を求めました。
勇者カンジが休眠体だと称した魔族たちは、体が半ば焼けた状態になってはじめて戸惑ったような挙動で起きあがり逃げまどいましたが、すでに手遅れです。いまや辺り一面を覆う炎たちは執拗に獲物の姿を求め、蠢き、見落とすことなく魔族の体をことごとく舐めて消失させてしましました。
「……おれはこのまま先に進むけど、まだその気があるのなら勝手についてくるんだな」
炎によって照らされながら、勇者カンジはうっそりとそう言い残して魔族の領域の奥へと歩み去っていきます。
「どうします? 姫様」
ジュレヘムが、確認をするようにわたくしに問いかけます。
「むろん、追いかけます」
わたくしは、当然、そのように返答いたしました。
「……部隊に攻撃魔法兵がいなかったのは、これが理由だったのですね?」
「ええ。
あやつは、最初の数年で攻撃魔法のなんたるかを体得してしまった。
通常の魔法兵では、今の勇者の十分の一ほどの攻撃力しか持てまい」
勇者カンジにとっては、攻撃魔法を専門とする魔法兵でさえもか弱い足手まといに過ぎないようでした。
「でも……先ほど、呪文を詠唱したようにも見えませんでしたが?」
「以前、気合いでどうにかするとかいっていましたな。
さっきの、めら、っていうのも、向こうの世界の気合いをいれるときの合図の言葉だと、以前、あいつから聞いたおぼえがあります」
燃えさかる、あるいはすでに炭化した魔族の体を踏みしめながら、わたくしたち支援部隊の者は進みます。火と炭と化した魔族の体で舗装された道は、どこまで歩いても尽きることはありませんでした。
かつては井戸であった場所、広場であった場所……など、往事が忍ばれる痕跡がなまじ残っているおかげで、わたくしは奇妙な感慨に襲われたものでございます。
この村を廃墟と化したのは魔族ではなく、勇者カンジなのではないか……という錯覚を振り払いながら、わたくしは先行した勇者カンジの姿を求めて先へ先へと進み続けたのございます。
しばらく歩み続けると、すぐに村はずれにたどり着きました。そこから先には、これまでの炭化した魔族の体とは別種の、灰のようなモノが地面に敷き詰められておりました。この奇妙な物体に、わたくしはみおぼえがございます。
「……魔族の……死体、でございますか?」
勇者カンジとはじめて会ったあの早朝、カンジに倒された魔族の体が灰のような物体になってぐずぐずと崩れ落ちた情景は、今でも克明に思い返すことが出来ました。
「よくご存じで。
ここからは、活動体の領域のようですな。
やつらは、動くものをみつけ次第、ものすごい勢いで殺到してきて殺害します。
カンジのやつは、それらをすべて返り討ちにしながら先に進んでいるのでしょう」
「この痕跡をたどっていけば、しばらくは魔族と遭遇しないということでございますね」
活動体の灰のような死骸は、雑木林の中を一直線に貫く道を覆っているようでした。
「そういうことになりますな。
逆にいえば、うかつにこの林の中に入ったら、どこかに潜んでいる休眠体を刺激してこちらが被害を受けることが考えられます。
ここは慎重に、この道をまっすぐに進むことにいたしましょう」
「そうしましょう」
わたくしも、ジュレヘムの言葉にうなずき返しました。
「しかし……勇者カンジとは、圧倒的に強い存在だったのですね」
「あれでも一応、勇者でございますからな」
ジュレヘムは微妙な表情を形作りました。
「強いことは、強い」
「でも……そんな勇者でも、毎回、手こずっているわけなのですね?」
「それは、もう。仮にも相手は、魔族なわけでございますから。
通常の休眠体や活動体では比較にもならないくらいに強いやつらがまだまだごろごろしておるわけです。はい」
魔族の灰を踏みしめ、勇者カンジの後を追いながら、わたくしたちはそんな会話を続けるのでございました。
勇者カンジはすでにかなり先へと進んでいるらしく、進んでも進んでも見つかるのは魔族の死骸である灰のような物体ばかり。その物体も、先に行くに従って分厚く地面に積もるようになっていいきます。奥の方に進むに従って、より多くの魔族がひしめいているということなのでございましょう。その物体が地面に分厚く積もっているということは、それだけ大量の魔族を勇者カンジが倒している、ということを意味します。たとえ強力な攻撃魔法を自由に使いこなせるにしても、たった一人でおこれほど大量の魔族を屠ることが出来る勇者という存在は、やはり異常な者であるとしか思えません。歩みを進めながらわたくしは、今さらながらに勇者カンジの特異性について認識を新たにしたのでございました。
「魔族の討伐とは、いつも、このような感じなのですか?」
雑木林の中の一本道を歩きながら、わたくしはジュレヘムに問いかけました。
「いつも、と申されましても、最近ではすっかりカンジ一人に任せきりになっておりますからなあ。
あやつのはなしによると、魔族の間にも序列というものがあり、占有領域の中にいる強力な一体を倒しさえすれば、周辺の魔族も自然に滅んでしまうとか」
「では、勇者カンジは、その強力な一体目指して進んでいる最中なのですね?」
「おそらくはそういうことに、なるのでございましょうなあ。
あやつめは、周辺一帯の魔族に影響を及ぼす大物を、ぼすきゃらと呼んでいるようですが……」
「ぼすきゃら、ですか?」
聞き覚えがない語感を耳にして、わたくしは思わず聞き返してしまいました。
「なんでも、カンジの郷里の言葉であるとか。
詳しい意味は、教えては貰えませんでした」
わたくしといたしましては、「左様でございますか」と受け流すより他、術がありません。
一日歩き続けても勇者カンジに追いつくことは出来ませんでした。
日も暮れはじめたので、わたくしたち支援隊はあわてて火を起こし野営の準備を整えます。例え魔族の存在を度外視したところで人里離れた場所に宿泊することには相応の危険が伴います。なにが起こっても自分たちの身は自分たち自身で守るより他ないからでございます。
「このまままっすぐに進むとなりますと、アデラデラの山麓に入ることになりますな」
火を囲んで、ジュレヘムは誰にともなくそのように呟きました。
「では、勇者カンジが求めるぼすきゃらとやら、その山中にいると?」
「たぶん、おそらくは」
ジュレヘムは重々しく頷きました。
「アデラデラの山はとても険しく、通常でも余人を寄せつけませぬ。
このまま進み続けるのは、いささか危険が大きすぎるかと」
「険しい?
とても、高いのですか?」
「とても高いし、道もろくに整っておりません。
われらや姫様のような山地に不慣れな者にとっては、とてつもない難所になるかと」
暗に、引き返せといっているようでございました。
「それは、わたくしを諫めるための口実として申しているわけではございませんのね?」
「とんでもない!」
ジュレヘムは、あわてた様子で顔を左右に振りました。
「手前自身の命惜しさからでた懇願でございます!」
「……どうやら、本当のようですね」
わたくしは、しばし考え込むこととなりました。
ジュレヘムの様子からは、とうてい嘘や脅しだとは思えませんでした。
「今夜はここにとどまり……明日以降のことは、もう少し先に進んでから改めて考えます。
こんなところで引き返したのでは、後になって悔恨を残すだけのような気がします。
もう少し進んで、これ以上は無理だと断念せざるを得ない場所まで進んでから、引き返すことにいたしましょう」
そのような次第で、わたくしたちは適当な場所を見つけて野営の準備をはじめます。このころにはわたくしもかなり旅慣れておりましたので、野宿することにはまるで気にかかりませんでした。
「改めて基本的なことを聞きますが……」
天幕を張り、火を起こし、食事の準備を整えると、わたくしは改めて古参兵のジュレヘムに尋ねます。
「……王国を浸食している魔族とは、結局のところなんなのでございましょうか?」
「それがわかれば、苦労はしないのですがね」
ジュレヘムは、ゆっくりと首を左右に振ります。
「動物のように動き、しかし、既知のどの動物にも似ていない。
鉱物のように、硬くて重い。すなわち、ひどく傷つけにくい。
なにかを食い散らかすというわけでもないが、放置すると辺り一面を占有しておのが領土とする。
地獄からやってきた種族だと申す者も多いようですが、わしの目にはあれは、われらとはまるで別の理で動いているように思えまする。
善でもなく悪でなく、われらの理非は通用せず、故に、駆逐するか駆逐されるかの二択しか対処の方策がない……そんなモノでございます」
「兵百名を費やして、ようやくあれ一体を傷つけることが出来ると聞きましたが?」
「手足が鋼で出来た怪物を相手にするようなものです。実際には、われらの刀剣による攻撃は、あれらにはまるで通用しないものと思し召せ」
「……聞いたはなしとは、かなり違いますね」
「民の安寧のため、かなりこちらに有利な噂をわざとばらまいておるのでございましょう。
やつらはわれらの動向など、いっこうに頓着する様子がございません。
われらが逃げようが立ち向かおうがお構いなし士、やつらはやつらの流儀を貫くだけです。
そんなやつらに唯一対抗できるのが……」
「勇者カンジ、というわけですか?」
「そうなりますな。
あれの剣は、どうした加減か魔族を一刀の元に滅ぼすことが出来るらしい」
「他には……魔族に対抗する術はないのでございましょうか?」
「……ないことも、ないのですが……それをするには、かなりの犠牲を伴いまする」
「大勢の兵士で取り囲むのでございますか?」
「まさか!
そんなことをしても、いたずらに兵を損なうだけです。
やつらの上に……こう、でかい岩とかを落として押しつぶすのですな。
大量の土砂でもいい。
何度か罠にかけてそうした方法で魔族を葬ったという報告が来ております。
事前に入念な準備は必要となりますが、生身の人間が立ち向かうよりはよほど勝率がいいし安全でございます」
この返答を耳にしまして……国が勇者カンジ一人に頼るわけだ……と、わたくしは思いました。
そうした罠をかけるためには魔族の行動様式をある程度把握する必要がございますし、そのためには一定期間に渡って物見を行う必要がございます。
時間がかかるし、面倒な準備が必要だし、その割に、得られる成果は一向に華々しくはない。
カンジ一人の働きに頼る方が、はるかに効率がよいのでございます。
勇者カンジの事跡を追うわたくしたちの旅はそれから何日も続きました。想定外に続いたおかげで持参した食料が不足してきたほどでございます。
「カンジと合流できなくっても、いずれにせよ、明日か明後日には引き返さなくてはならないようです」
ジュレヘムが、わたくしに報告します。
「仕方がありませんわね」
勇者カンジが実際のところ、魔物討伐の現場でなにをやっているのか……それを解明するための試みは、まだまだはじまったばかりです。最初から目に見える成果を望むのはわがままというものでございましょう。
「こんななにもない場所で、みなで餓えるわけにもいきませんし」
ジュレヘムの打診を、わたくしはそのように承諾いたしました。
勇者カンジの後を追いはじめてからかなりの時間が経過していましたが、その間、わたくしもまるで収穫がなかったわけではございません。
カンジの戦いようをこの目で見たことこそ、最初の一回だけでしたが、その後にいやというほどカンジが手に掛けた魔族の死骸を目の当たりにいたしました。
ほとんどが灰のようになった残骸でしかありませんでしたが、それでも元はといえば魔族であったものです。数多くの残骸を見て、感じるところがまるでなかったといえば嘘になります。
広範な領土を侵食し、数多くの民をその住処から追い払った魔族。
結局のところ、彼らが何者であるのか……まるでわかっていない、ということがわかりました。
長く勇者カンジと行動を共にしてきたジュレヘムでさえあまり知識がない……ということは、国中の誰に聞いても詳しいことはわからない、ということでございましょう。
正体がまるでわからない魔族という存在。
その魔族をただ一人、滅することが可能な勇者カンジ。
これらは……結局のところ、いったい「ナニ」なのでございましょうか?
「……もしも、勇者カンジがこの国に現れなかったとしたら……今頃、この国は全体に魔族だけが蔓延した廃墟と化していたのでしょうね」
行軍の途上、わたくしがふと漏らした感慨に応じる者はおりませんでした。
「……こんな奥にまで入り込んでいたのか?」
勇者カンジが再びわたくしたちの前に姿を現したのは、食料の都合により、これ以上奥に進んだら引き返す前に遭難してしまう……という、まさにギリギリに刻限でございました。
わたくしたちはその夜、野営をした場所で火を囲み、朝食の準備を整えておりました。
そこにふらりと……無惨な姿となった勇者カンジが現れたのでございます。
「まいった。
とっくに引き返したと思って、油断してたな」
「どどど……どうしたのですか!
カンジ!
その有様は!」
わたくしの喉から、悲鳴にも似た甲高い声が漏れ出ます。
「そんな、傷だらけになって……」
「傷くらい、つくよ。
奥にいくに従って、やつらも強くなるんだから」
いらだちを含んだ声でそういうと、カンジは火の前にどっかと腰を下ろします。
「まったくの無傷であいつらの相手を出来るわけがないだろう?」
「それは……そうかもしれませんが……」
わたくしは持っていた布を水筒で湿らせ、カンジの顔や体についた汚れを清めていきます。多くは土埃が固まったものでございましたが、明らかにカンジ自身の血がかたまった汚れも少なくはありませんでした。
「その目……その腕……」
「しばらくくっつけておけば、二、三日で繋がる。
この目も、あと一日くらいもあれば再生する」
ジュレヘムが手慣れた様子で肩の少し先から千切れた勇者カンジの腕に添え木を当て、細い布を巻いて固定しました。
「お姫様は、おれが死なない……死ねないってことを、知っているはずだろう?」
確かに。
知っている……はず、で、ございました。
わたくしは、あの日、召還したばかりの勇者が喉と胸を突かれても死なず、それどころかすぐに傷を癒している現場を見ているのでございます。
「あ……あのときは、すぐに……傷口がふさがりましたが……」
「今回は……手ひどくやられちまったからな。
起きあがれるようになるまで、二日はかかった。
他の傷が大きすぎて、今見えている傷は後回しになっちまったんだろう」
勇者カンジの声には、あえて平静な調子を取り繕っている様子が感じられました。
「これ以上の重傷……だったのでございますか……」
「……だから、誰も一緒に連れて行きたくなかったんだ」
いかにも、むっとした調子で、勇者カンジは続けます。
「こっちもかなりやられちまったが……その代わり、ここのボスキャラはしっかり倒してきた。
この周辺は、もう心配いらない。
だから……ふぁ……。
今は、寝かせておいてくれ」
勇者カンジは、その場にどっと背を倒してすぐに寝息を立てははじめした。
それから、意識不明となった勇者カンジを男衆が交代で背負って運び、わたくしたちは往路を引き返しはじめたのでございます。
こうしてわたくしは、勇者カンジがこれまでに支払ってきた大きな代償について、ようやく知ることが出来たのでございました。
〔次回: 「解放」〕