5.「同行」
「おーい!
勇者だ!
勇者が帰ってきたぞーっ!」
その朝、わたくしはジュレヘムのあたりはばからぬ胴間声で叩き起こされたのでございます。
みれば、ジュレヘムが指し示す方向から、確かに頼りなげな人影がこちらに向かってくるとこっろでございました。
ですが、あれが……本当に、勇者カンジの姿なのでございましょうか?
勇者カンジはおおよそ勇者らしからぬよたよたとした覚束ない足取りで部隊の野営地に現れました。
勇者らしからぬのは覚束ない足取りばかりではなく、かろうじて衣服として機能しているボロ切れ、汚れきり、きれいな部分がまるで見あたらない全身、乱れきった髪……。
見覚えのある剣を杖代わりにして地面をついていなかった、そこいらの浮浪者とまるで見分けがつかない有様でございました。
あまりの風体に呆然とするわたくしとは違って、部隊の者たちは勇者の格好にはまるで頓着をする様子がなく、歓声をあげて勇者に群がります。
「勝ったか? 今回も全部退治してきたのか?」
「……ああ。
なんとか。
たぶん、あえで全部だと思う。
あとで確認を頼む」
「よくやったな! 勇者!
さあ、今日は戦勝祝いだ!
はでにぱーっとやろう!」
「食い物。
それに、酒。
どうせ酔えないけど、あれはカロリーがあるから。
あと、喉も乾いているし」
「いいともいいとも!
どんどん飲め! 食え!
お前にやるために遠い場所からわざわざ運んできたんだ!」
「ほら、勇者!
足下ふらついてるよ!
肩貸して!」
「あ。
汚れているし、臭いし……。
今回は、ちょっと、予想以上に長引いたんで……」
「気にしない気にしない!
ほら、みんな!
勇者を胴上げ!」
「おおー!」
汚れきり、疲れ切った、ボロ切れのようになった男を担ぎ上げてお祭りのような騒ぎが発生していました。
わたくしは、どのように反応すべきなのかわからず、戸惑って立ち尽くすばかりでございます。
少なくともわたくしは、このような再会を想像してはいませんでした。
「ほら、勇者!
酒だ!」
「食い物だ!」
どこからともなく持ち寄られた供物が大勢に抱えられたままの勇者カイジの元へと届けられます。
「いい加減、降ろしてよ!
もう!」
駄々をこねる幼児のような口調で勇者カイジが叫びました。
そうしてようやく、勇者を担ぎ上げていた部隊の者たちが勇者カイジを地面に降ろします。
地上に降り立った勇者カイジはまず酒瓶の封を切るとそのまま直に口をつけてラッパ飲みし、ごくごくと何度か喉を鳴らしてからようやく口を離して、おおきなゲップをいたしました。
「……効くなあ……。
まともなものを口にするのは、ええっと……何日ぶりだったっけ?」
「今日は、ここを出発してから十七日になるな」
「そうか。ではこれが、十七日目ぶりに摂取する栄養素だ。
アルコールはすぐに分解するが、空きっ腹にはカロリーだけで酔える。
なんでもいいから、食べ物どんどん持て来てよ」
しゃべりながら、勇者カンジは火をおこしている場所まで足早に歩いていきます。
このときには、最初に見つけたときよりは、格段にしっかりとした足取りになっておりました。歩きながらも勇者カンジは、四方から寄せられたパンや塩漬け肉などを手にとっては片っ端から口の中に放り込んでは咀嚼し、大急ぎで嚥下していきます。
そして焚き火の前にどかっとあぐらをかき、ものすごい勢いで本格的に飲食をしはじめました。
勇者カンジの前に集められた膨大な量の料理やお酒が、あっという間に勇者カンジの胃の中に納められていきました。
「少しは人心地ついたか、カンジ」
頃合いをみて、ジュレヘムが勇者カンジに声をかけました。
「少しはな。
だが、まだまだ足りねー」
「食い物はまだまだあるから、いくらでもゆっくり食え。
今日はだな、珍しいお客さんがここに来ているんだが……」
「客? 誰?」
ジュレヘムに肩を掴まれ、わたくしの体は勇者カンジの目前に差し出されます。
勇者カンジと目が合ったわたくしは、無言のまま軽く頭を下げました。
「この人、誰だと思う? カンジ」
「……こんなところで、ずいぶんと上等なお召し物の、べっぴんさん……。
上流階級の人とは、ほとんどつきあいはないんだけどな。紹介されることはあっても、ほとんど顔も名前もおぼえてねーし。
でも……不思議だな。
この顔には、どことなくみおぼえが、あるような、ないような……」
ひどいいわれようでございました。
「まだわからないか? カンジ」
「……うーん。
ちょっと……引っかかるものが、あるようなないような……。
ヒント! ヒントをくれ!」
わたくしは覚悟を決め、深々と息を吸い込んでから、勇者カンジに語りかけます。
「……しばらくみない間に、ずいぶんと薄汚れたものでございますね。
勇者カンジ」
「……………………ひょっとして………お姫様?」
「正解でございます」
「はぁ。
しばらくみないうちに、こんなに育っちゃって、まぁ……」
これが、わたくしたちの十二年ぶりに再会した男女の会話なのでございます。
火の前にどっかと座り込んでひとしきり盛大に飲食した後、勇者カンジは背をそらしてそのまま寝そべりました。
「……ああ、食ったな。
まだまだ足りないが……今度は眠気が……ふぁ……」
「待て待て。
寝るのはせめて汚れを落としてからにしろ。
そのまま寝てても構わないが、お前の女たちによってすぐに湯の中に放り込まれるぞ」
勇者カンジにそのように声をかけたのは、壮年の衛生兵ジュレヘムでございました。
「……あー。湯、かぁ……。
いいね、風呂。
こっちでは風呂は贅沢品だもんなぁ。水汲んできて、燃料を盛大に燃やしてぇーの……って、貧乏人には真似出来ないとかいってたな。
日本ほど湿度がないからって、水浴びや濡らした布で体拭って終わりってーのも、慣れるまでに抵抗があったもんだが……。
はは。
ヨーロッパで香水が発達するわけだ」
「だから、その贅沢なフロをいま用意している。
寝るのはせめて、体を清めてからにせよ」
「……ああ。
それまで、おれの意志が保ったらな。
保たなかったら……そのまま、湯の中にでも放り込んでくれ」
答えながらも勇者カンジは白河夜船の態で瞼を閉じかけておりました。
「……ったく。
お客人の前だというのに……」
「……いつも、こんな様子なのですか?」
わたくしは、ジュレヘムに問いかけました。
「だいたい、こんなもんだな。
こやつは、いつも一人だけで戦おうとする。
一人で付近一帯の魔族を殲滅しようとすれば、どうしたって時間がかかる。その間、まるで気が抜けない。飲食や睡眠に当てる余裕も時間もない。
それで、この有様だ。
他人より多少無理が利く体だとはいっても、こんな無茶をいつまでも続けていても本人にとって良い道理がない。
今ではこのカンジも国中の者から勇者だのなんだのと讃辞を集めている身だが、なに、わしにいわせれば、無理を承知でごり押ししようとしている小僧子に過ぎぬ。
この無理がたたっていよいよカンジが壊れたとき、そのときこそがこの王国が魔族に押し負ける兆しとなろう」
このジュレヘムという人は、一見快活なようでいて、それなりに深い考えを持つ方のようでした。
「お姫様がこの男を変える、よい契機となってくれれば良いのだがな」
わたくしたちがそんな会話をしていると、背後から「お風呂の用意が出来ましたー」という声がかかり、勇者カンジは女衆の手によってずるずると引きずられるようにして連れ去られました。
「……お風呂、ですよね?」
「いかにも」
「普通、同性の方がお世話をするものなのではございませんか?」
「あの女たちは、すべてカンジにより命を救われてきた者たちばかりなのだ。それで、どうしてもカンジの世話を焼きたいといいはってこの部隊に随行している。
とはいっても、先ほど説明したように、戦いの場ではわれら普通の人間では勇者の足手まといになるばかり。
それで、あやつの身の回りの世話はすべて女衆の仕事となっておる」
「お風呂や……その、閨の中でのお世話も含めて……で、ございますか?」
「……いや、その……。
未婚の貴婦人の前でこのような話題を取り上げるのも、いささか気が退けるのであるが……」
「どうか、お気になさらず」
「……ではいうが、その、閨の中での世話も含めて、まるごと……だな」
「とっかえひっかえくんずほぐれず、でございますか?」
「……どこでそんな言葉をおぼえたのでございますか? 姫様」
「淑女の嗜みでございます」
「その、とっかえひっかえくんずほぐれず、さらにいうならば、一度に何人もの女衆を相手にすることも日常茶飯事でございまして、その、まあカンジのやつも勇者だけあって精力絶倫、おまけに若いからそっちの意欲も有り余っており、戦場にいないときはだいたい誰かしらと臥所の中にいる有様でございまして。はい」
「……よく、理解できました」
勇者カンジを蝕む病理は、予想以上に根が深いようでした。
これは一刻も早くわたくしがなんとかいたしませんと、すぐに取り返しのつかないことになりそうでございます。
そのように思い定め、わたくしは今のカンジになにが必要であるのかということについて思いを巡らしはじめるのでございました。
しばらく思案した後、わたくしは意を決して勇者カンジの元へ訪れました。
「……はぁー……。
生き返るな……」
カンジは首だけを樽の上から出し、まだぬるま湯につかっているところでございました。周囲には半裸の女衆が数名侍っており、樽の中に湯を足したりカンジの髪を手櫛で梳いたりしております。
「あれ? お姫様。
君も風呂に入りたいのか?」
「そんなことはありません。いえ、後でなら喜んでちょうだいしないこともありませんが、少なくとも今ここで貴方と一緒に入るつもりは毛頭ありません」
どうも、この人とはなしはじめると、いつも調子が狂わされるような気がします。
「勇者カンジにおはなしがあって参りました」
「それ、今すぐじゃなくちゃ駄目?」
「この後になると、勇者カンジはこちらの女性たちとともに非常にいかがわしいことをはじめるか寝ていると聞きましたが?」
「……そういわれりゃ、そうだな。
戦っているか、食っているか、寝ているか、性的な意味で寝ているか……。
はは。
いつのまにやら、おれってば、かなり極端な生活が身について……」
どことなく皮肉な物言いは、十二年前、はじめて会ったときのカンジそのままのようでした。
「もう少し、その……身を慎んでいただけませんでしょうか?
貴方は……勇者カンジは、今ではこの国全体の希望なのですから……」
「だから、品行方正にしろ、だって?
何度も、それこそ数え切れないほど死ぬような目にあって、実際に死んで生き返って、それでも戦ってた戦って戦って戦い続けたのは、その国ってやつを救うためだぞ。
いや、おれ自身の意識としては、目の前で困っている人たちをどうにかしたいから出来ることをやっていただけで、国を救うとかそっちのことはあくまで結果的にそうなったってことなんだけどさ。
でも、たとえ結果としてそうなっただけであっても、あんたたちはおれのおかげでそれなりの利益を受けているわけでしょう?
おれは魔族と戦って目の前の困っている人を救う。
その結果、あんたたちは国土を取り戻す。
今までのところ、おれたちがやっているのははそういう取引だ。
それ意外のことについて、うるさいことをとやかくいわれる筋合いはないね」
勇者の戦働きのおかげで、現在の王国がある。
それは反論ようとしてもしきれない事実なのでございました。
「勇者カンジの働きには感謝しております。
王国としても、わたくし個人としましても」
「だったら……野暮な文句はいってくれるなよ、お姫様。
この人たちだって、なにも無理矢理拐かしてきたわけではないし。
むしろその逆で、激戦区ばかりを選んで進むこの部隊に居続けることは危険だから、一刻も早く離れた方がいいって、何度も言い聞かせて、それでも離れていってくれないんだ」
「それは本当のことでございます。お姫様」
「わたしたちは勇者カンジに命を救われた者ばかりなのです」
「ここより他にいくべき場所がないのでございます」
「貧しいこの国で頼る身内もなく、女一人で生きようとすれば春を売るより他に方法がありません」
「ここにいる誰もが、みな、自分の意志で勇者カンジに仕えているのでございます」
ここぞとばかりに、周囲にいた女衆がわたくしに対して勇者カンジに対する想いを訴えはじめました。
「……正直、おれとしてはもっと静かに休みたいって気持ちもある。
だけど、断っても断っても、この人たちが離してくれないんだもんなあ。
勇者のおれが力ずくで抵抗したら、それはそれで大惨事になるし……」
勇者カンジには勇者カンジなりの事情というものが、いろいろとあるようでした。
……まったく、同情する気にはなりませんでしたが。
「……わかりました」
わたくしは深呼吸して目を瞑り、心の中で三秒ほど数えてからゆっくりと勇者カンジに語りかけます。
「こちらの女性たちを言い含めて勇者カンジから引き離すことが出来れば、勇者カンジとしても異論はない。むしろ喜んでいただける。
そのように理解してもよろしいのですね?」
「お……おう。
出来るもんならな」
若干いぶかしがりながらも、勇者カンジはわたくしの問いかけを首肯します。
「少々、時間をいただくことになりますが……この問題に関しては、わたくしが仕切らせていただきます」
初手としては、わたくしがこの件についての主導権を握ることに同意させただけでも上等でございましょう。
わたくしとしましては、今の勇者カンジがそうであるように、目が死んだ勇者を欲していないのでございます。いくら魔族を退ける能力を持ちましょうとも、今の勇者はとうてい歓迎できません。そうした偉業は、生きている人間の手で成されるべきものであるとも思います。
今の勇者は、決まりきった手順に従ってなにも考えずに魔族の討伐を行う、まるで自動人形のごとき存在となり果てています。そして、その仕事を行うたびに勇者は、その心身に多大な傷を負っているのでございます。体の傷は勇者の力によってすぐに癒えるのかも知れませんが、心の傷の方はそういうわけにもいきません。積もり積もって勇者カンジから人間らしい感情を奪っていきます。
だから、今の勇者カンジは、死んだ目をしているのでございます。わたくしは、そんな勇者カンジをみたくはありませんでした。そこで、一計を案じることにいたしました。
「……勇者カンジを支援する人材を作る……ですか?」
わたくしの思案を打ち明けたとき、ジュレヘムはかなり間の抜けた声を出しました。
「あの……お姫様。
こういってはなんですが、われら普通の人間では足手まといにしかならないから、この部隊も現在のような形態で活動をしているわけでして……」
「そのことについては、理解しました。
だったらわたくしたちの側が、せめて、勇者カンジの足手まといにならない程度まで練度を上げて追いつけばいいだけのはなしです」
「……そうは、おっしゃいますが……」
「それともジュレヘムは、このまま勇者カンジの心が死んでいくに任せておいてもかまわないと、そのように申すのですか?」
「……せっかくの申し出ですから、はなしだけでも聞くことにいたしましょう」
こうしてわたくしは、まずジュレヘムを説得することに成功いたしました。
それから数ヶ月、わたくしは勇者の部隊に随行しながら志願者を募り、古参兵であるジュレヘムの監督の元、わたくし自身を含む志願者たちを徹底的に鍛えることに専念いたしました。部隊を移動させる日を除いて、朝早くから夜遅くまで、来る日も来る日も、走り、素振りをし、乱取りをします。もともと勇者カンジが単独行動をする日数が長めであったこともあり、部隊の者が自由に出来る時間も意外に多いのでした。
修練の厳しさに志願者たちはひとり、またひとりと脱落していき、最終的には十数名にまで絞ることができました。
そうした動きを目の当たりにしながら、勇者カンジはなにもいわず、それどころか冷笑的なまなざしで無視し続けておりました。
最後まで残った志願者であり、同時に勇者に侍っている女衆のひとりでもあるオリアスがなにかの折りに勇者に問いただしたところ、勇者カンジはそっけない口調でこのように答えたそうでございます。
「生半可な修練なんて、現実の魔族を目の当たりにすれば、あっという間に吹き飛ぶよ」
「ま、好きにしてくれ」
そしてついに、わたくしたちの支援隊が勇者カンジと同行する日がやってきました。わたくしとジュレヘム、オリアスを含む十六名を前にして、勇者カンジは冷然とした口調でこのように言い放ちました。
「ただし、ここから先は魔族の領域。危険を承知で自分の意志によってついてくる以上、おれは君たちを待たないし、助けもしない。
この先にあるのが、君たちの世界をとりまく現実だ。
立ち向かって犬死にするのもよし、逃げて今まで通りのぬるま湯につかり続けるのもよし。
君たちがどのような選択をしようが、おれは行って自分の仕事を完遂するだけだ」
こうしてわたくしたち支援隊と勇者カンジとは、魔族が支配する領域へと入っていったのでございます。
〔次回: 「現実」〕