4.「王女」
「勇者カンジを喚びよせたのはそなたであるそうだな」
「あれは、喚びよせたのでいうのでしょうか?
廃墟で国の荒廃をなんとかしてくれと小娘の願いを、気まぐれなどこかの神がたまさか聞き届けただけのことでございましょう」
このときには、わたくしとカンジとのなれそめについては広く知られているようになりました。カンジについてのはなしは国のどこにいっても求められ、どんな些細な挿話も歓迎されたからでございます。
カンジの物語においてわたくしは、冒頭にちらりと登場するだけの端役に過ぎませんでした。
「委細構わず。
この場で肝要なのは、そなたがあの勇者と顔なじみであるということだ」
「顔なじみ……というほどに慣れ親しんだおぼえもございませんが。
なにしろ、当時のわたくしは十にもならない幼子。
これだけの年月を経ますれば、面相も変わります」
「賢しきことを。
面識があるだけでも十分だというておる」
父王がこのようないいようをするときは、決まって難事を誰かに押しつけようとしている徴であるとわたくしは心得ておりました。
「それで、だ。
あの、勇者、だがな。
ここだけのはなしであるが……激しい気鬱にとらわれておるらしい」
「気鬱……で、ございますか?」
「ああ。
気鬱だ」
「あの……勇者カンジ様が?」
「いかにも」
「……そのような風評は、はて、いっこうに聞こえてきたおぼえがございませんが」
「やつの動向に関してはわれらの手の者が常に目を光られておる。
やつに関する噂についても、厳重に選択して悪い報せは外に漏れないようにしている。
今や、わが国の命運はやつひとりの動向ひとつに大きく左右されておるのだ。
その程度の用心は当然のことであろう」
いわれてみれば、いかにも父王様がなさりそうな用心の仕方でございました。
「では……勇者様は気鬱の状態に沈み込んでおられて、もはや使い物にならぬと?」
「そうまでは、いっておらん。
ただ……ああまで沈んでおられては、反動が怖くてな。
今、魔族に向けられている刃がこちらに向かってきたらと思うば、怖気も来るというものだ」
父王様にしてみれば、これはかなり率直な心境の吐露なのでございました。
「失礼ながら、父様におかれましては……国王であらせられながらもたった一人の男が怖いと、そのようにおおせでございますか?」
「ああ。怖いな。怖い怖い。
あれは、ただ一人の男であるが、同時に、国中の民に慕われておる。
加えて、背後になんの力もない。必要としていない。
孤立無援ということは、滅多なことではその行動を制限出来ぬということでもある。
やつは、今でこそ魔族からわが国を開放するために働いておるが、それとて確固とした理由があってそうしているわけではない。
いってみれば……たまたま、気まぐれでそうしているのに過ぎぬ」
国王として即位して長い年月を過ごしてきているだけあって、父王様の見立ては……少なくとも、勇者カンジに対する見立ては、わたくしの目から見ましても的確に思われました。
「他に絆がないやつは、孤独であるが故の強さと脆さを持っておる。
使う側からしてみれば、これほど御し難い駒はない。
だから、な」
……おぬし、勇者の絆となれ……と、父王様はおっしゃいましいた。
表向きは、勇者の部隊への慰問。
その実、勇者その人をたぶらかし、気鬱の状態から脱するようにし……可能であるならば、懐柔してこちらの思い道理に動く人形となせ……と、そのような意味合いを込めた命令でございました。
一言でいってしまえば、わたくしは父王様によって勇者への人身御供と見なされてしまったわけでございます。
勇者が現在魔族退治を行っているという村まで、馬車と船とを乗り継いで二十日以上の旅程となってしまいました。
特にわたくしの国が他国と比較して広いということもなく、そこまでの日数を必要とした理由は天候の不順と土地の高低差によるものでございます。通常の馬車で通るには険しすぎる道も通過せねばならず、ときはわたくし自身も馬車を降り、御者や召使いたちに混ざって馬車を押さなければなりませんでした。
魔族によって荒らされた国土はまだまだ十分に荒廃から回復したともいえず、道は十分に整備されているとはいえない状態でありました、わたくしの共の者たちも、十分な人数を揃えられたわけではございません。
王宮も、まだまだ余分な人員を養うだけの豊かさを回復していはいなかったのでございます。ましてや、一応王女とはいえわたくしは妾腹の末子。そこまで丁重に扱われるいわれもないのでございました。
わたくしたちの一団は、ときにまだまだ貧しい村の一角に宿を借り、ときに無人の森や野原に野営をしつつ勇者の部隊へ迫っていきました。
いきあう人々はわたくしたちが王家にゆかりのある者だと知ってもお義理程度に関心を示してくれるだけでしたが、勇者カンジを元気づけるための旅程だと知ると、うって変わって歓待してくれるのでした。
貧しい民の間では、すでに王家の権威よりも勇者の人気の方がはるかに上回っていたのでございます。
……父王様が、勇者カンジの首に鈴をつけたくなるわけだ……。
わたくしは内心で、そのように思わずにはいられませんでした。
「ああ? 勇者だって?
そうさな。
もう十日も向こうに行っているから、ぼちぼち帰ってくる頃合いじゃないかな」
長い旅の末にようやく合流できた軍の兵士は、勇者カンジの居場所を尋ねたわたくしに、ずいぶんとぞんざいな口調で返答いたしました。
「ぼちぼちとか頃合いあいとか、ずいぶんと曖昧なのですね。
ここにいるのは、勇者の部隊なのでしょう?」
「ああ、いかにも。
確かにここにいるのは勇者の部隊だがな。
その勇者が、肝心の魔族退治のときにはおれたちを連れて行ってくれないんだ。
おれたちが是非とも行きたいといっても、がんとして譲らねえ。
今では誰もが割り切って、やつのいうとおりに、おとなしくやつが魔族を退治してくるのを持つことにしている。
おおかた……やつにしてみれば、おれたちなんざ、足手まといにしかならないんだろうよ!」
結局、勇者が実際に帰ってくるまで、それから三日を待たねばなりませんでした。
勇者の帰還をまつ間、わたくしは勇者に与えられた部隊の詳細を自分の目で確かめて回ることにいたしました。
部隊は主として、三種類の人間から構成されておりました。
一番人数が多いのが、食料や飼料などを調達するための輜重兵。ただし、任務の性格上、同じ人間が常にこの部隊につき従っているわけではなく、入れ替わり立ち替わりして必要な物資を届けては空荷の馬車を返しにいきます。
わたくしが初日にはなしかけたのも、この輜重に属する兵士のようでした。
それから、治癒魔法を専門とする衛生兵。これも、輜重兵に負けず劣らず、かなりの大人数となっております。
勇者自身にはほとんど必要がないというはなしでしたが、勇者が赴く土地にはいるのは死人と病人、それに怪我人だけ。
つまり、彼ら衛生兵の出番はかなり多いのだそうです。
事実、そのときも途中で拾ってきてそのまま療養中だという、軍属ではない人たちが少なからず同行しておりました。
何故か、攻撃魔法を専門とする魔法兵は随行していませんでした。
勇者カンジが動向を拒んだという者もいましたし、他の土地でも魔族を相手にしていて、こちらまで人を回す余裕がないのだという者もいます。 魔法兵が同行していない理由は、結局、最後まで判然としないままでございました。
最後に……出自も年齢もまちまちな、女たち。
途中で部隊が拾ってきた者がそのまま居着いたり、他の部隊に所属する兵が勝手に原隊を離脱してついてきたり、果ては、元娼婦なども平然と混ざっていたりするのでした。
この女たちが、わたくしには一番不可解に思えてなりませんでした。
勇者カンジは魔族を求めて動きます。つまりは、勇者カンジと動向をともにするとは、国の中でも危険な激戦区を好んで渡り歩くようなもの。
か弱い女の身でありながら、どうしてそのような無茶な真似をしなければならないのでしょうか?
だって、あの人……彼女たちはわたくしの問いかけに、そのように答えました……放っておけないんだもん。
わたくしがその意味を知るのには、勇者カンジの帰還を待たなければいけませんでした。
「いつもふらふらになって帰ってくるからな、あいつは」
壮年の衛生兵、この部隊では最古参だというジェレヘムがいいます。
秀でた額で赤ら顔のこの大男は、いかつい外見に似合わずなんとも人懐っこい笑顔を常に振りまいて愛想がよいので、部隊の中でも精神的な支柱となっているようでございました。
「若いっていうのもあるんだろうが、なんでもいとりで抱え込もうとするのがやつ一番の欠点だ。
あんなんじゃあ、遠からず、死ぬな。勇者だから肉体的には滅多なことではくたばらないんだろうが、精神的に、死ぬ。
いや、もう、半分以上は死んでるか、あれは。
わはははははは」
やくたいもない、不吉なことをいいきって大声で笑い出しました。
「父からも、勇者は気鬱に沈んでいると聞いていましたが……彼の状態は、そんなに悪いのですか?」
わたくしは、ジュレヘムに問いかけます。
「良いか悪いかっていったら、悪いな。そりゃあもう、悪い。
しかし、あいつの強迫観念によって多数の人間が救われていることも事実だ」
「強迫観念……ですか?」
「ああ。
知っての通り……あいつを召喚したとかいう、あんたにとっては今さらいうまでもないことなんだろうが……。
あいつは、なにかの拍子でこっちの世界に現れた。
しかも、妙な特異体質に変わって、だ。あいつの言葉を信じるのなら、向こうでのあいつは、こっちのおれたちと同じくらい脆弱な、魔族にはとうてい立ち向かえないような無力な人間にすぎなかったそうだ。
で、あいつは、そういう風に変わって自分がこの場にいるは、魔族を一掃するという役割を担っているからだという。少なくとも、対外的にはそう思いこんでいるふりを続けている」
「違うの……ですか?」
「違うのか違わないのか、そんなことはあいつ自身にしかわかりはしないさ。
肝心なのは、あいつがその役目に納得し、その役割を全うしようとしているってことだ。
いくら不死身な体質だとはいえ、痛みは感じるんだぜ?
すべてを承知しているからといって、何度も何度も死んで死ぬような目にあって、一体一体の魔族を討ち取って滅ぼしていって……それで、あいつ自身にはいったいどんな報酬があるっていうんだ?
富? 名声?
はいはい。
望めば、それくらいのものはどっからでも集まってくるだろうな。
でもあいつが、そんなものを本当に欲しがっていると思うが?
そんな表面的なもののために、何度も死ねるやつがいるか?
だが、あいつはやるんだ。現に、やっているんだ。
一体なにがあいつをつき動かしているのか?
おれには、理解できないね。正気の沙汰じゃない。
強迫観念じみた執念としか、思えないね」
勇者カンジが部隊に帰還したのは、わたくしとジュレヘムがそんな会話をした明くる朝のことでございました。
〔次回: 「同行」〕