2.「勇者」
「……まいったなぁ……」
わたくしがこれまでのいきさつを何とか語り終えますと、その少年はなんとも微妙な表情を形作りました。
「はなしの流れからすると、この国の魔族とやらを一掃しない限り、元の世界へは帰れないわけか……。
どう考えても、入学式までには帰れそうにないよな」
ニュウガクシキというものがなにを意味するのかは理解できませんでしたが、少年が自分の意志によらず半ば無理やりこの場に移送されたことは、言葉に込められた空気により察することが出来ました。
「貴方様は、この国の苦難を救うためにどなたかに遣わされたわけではございませんのね?」
わたくしは、思わずそのように確認してしまいます。
「遣わされたわけでも、自分の意志でここまで赴いたわけでもない」
少年は、憮然とした顔でゆっくりと首を左右に振りました。
「卒業式の帰り道、ふと気がついたらこんな場所にいた。
いつの間にか夜だし、古ぼけた建物の中にいるし、外人の女の子がいるし、その女の子と日本語ではない未知の言葉で会話出来ているし……なにかに巻き込まれたって線は、どうやら確定らしいけど……。
まさか、このパータンとはね」
「ソ、ツギョウシキ? パターン?」
「通じないか。
いや、こっちのこと」
少年はわたくしに向かってぎこちないほほえみを浮かべます。
「とりあえず、君がこの神殿とやらにお詣りしてその結果としておれがここにいる……らしい、ということは、理解した。
その文脈で判断すると、おれはこの国を救うために召喚された勇者様ってわけだ。
は。はは。
柄ではない……どころではないな。
神だか魔神だか知らないが、おれをここに運んだやつは、十五のガキに、いったいどんだけの重荷を背負わせたいんだか……」
「貴方様は、齢十五でいらっしゃいますの?」
やせていることもあって、その少年は、わたくしの目にはもう幾年か幼く映っておりました。
「そうだよ。なんの取り柄もない、ただのガキだ。
少なくとも向こうではそうだった。
あ、それから、おれの名前はカドワキカンジ。 いいにくいならカンジでいい。
カドワキは姓……といってわからなければ、家名だ。こっちではどうなのかしらないが、おれがいたところでは家名の後に名を続ける。
貴方様、なんて呼ばれると、どうにもくすぐったくていけない」
「まあ、家名。
貴方様……カンジ様はやはり有力な氏族の出なのでございますのね」
「あ。いや。
おれがいたところ……向こうでは、有力な氏族とかそういうのは、もうないんだ。
少なくとも、建前上は」
「よくわかりませんが……こうして名乗られましたからには我が名も申し上げねばなりますまい。
我が名はユエミュレム・エリリスタル」
「確か、この国の王女様……ってことで、いいんだよね? さっきのはなしだと」
「はい」
「……素朴な疑問なんだけど……そのお姫様がたった一人でこんな真夜中に外に出てきてもいいもんなの?
おれが知っているお姫様ってのは、もっとこう、箱入りっていうか、窮屈な生活をしている場合のがずっと多かったんだけど……」
「うちの国は、わたくしが生まれる以前から傾いている最中でございますから」
「ああ。魔族」
「ええ。魔族のおかげで。
そのせいで国は乱れ兵はいたずらに磨耗し、王宮の警備も本来ならば考えられるのほどに手薄になっております。
正直、王宮でも最小限の体面を整えるのが手一杯の有様でございまして、末子の姫の動向までいちいち関与している余裕さえありません。
それに……王宮を構えてからかなりの年月を経ておりますので、王族にしか知られていない抜け穴の類も数多あり……」
「それで、満月の夜のたびに城を抜け出て来たってわけか?」
「そうなりますわね」
とんだおてんばだ、とカンジはこれ見よがしにため息をつきました。
「あのねえ。
おれがいうべきことではないのかも知れないけど、こんな小さな子が真夜中に一人で出歩くのは、お姫様だろうがそうでなかろうがかなり不用心というものでしょう」
「神意に沿わなければ断罪されるのは当然のことではございませんか。
仮に、こうした祈願の折り、わたくしがどこぞの無法者の手にかかったとしたのなら、それはわたくしの願いが神意により拒否をされた、というだけのことでございます」
「……そういう考え方をするのか……。
あー。
価値観の違いっていえばそれまでなんだろうだが……どうにも、好きになれないなあ」
「カチカン?」
「うーん……ものの考え方、捉え方……っていうところかな?
おれがいたところとこっちでは、ずいぶんと隔たりがあるらしい。
言葉が通じるのは便利だけど、だからといって完全に意志の疎通が出来ると考えない方が良さそうだな、これは……。
あ、これは、ひとりごと」
「……はぁ」
このときにカンジがいった内容は、半分以上理解できませんでした。
「で、お姫様。
当面、おれはどうすればいいと思う?
お姫様がここに来ていることも、周囲の大人たちには内緒だった……ということになると、大手を振ってお城の中に招待してくれるってわけにもいかないってわけだろ?」
「……あっ!
そ……そうで、ございますね」
正直、国をなんとかして欲しい……あどというあまりにもあやふやな願いが、どのような形であれ聞き届けられるものとは夢にも思っておりませんでしたので、実際にカンジが現れた今、彼をどのように遇すればいいのかという具体的な思案がまるで浮かばないのでございました。
「なにも考えてなかったか……」
カンジは、がっくりとうなだれます。
「まあ、子どもが考えることだもんなあ」
「カンジは末子とはいえエリリスタルの姫を子ども扱いするのですか!」
不意に頬がかっと熱くなって、わたくしは思わず大声をあげておりました。
「お姫様だろうがなんだろうが、子どもは子どもでしょう」
カンジはわたくしの頭に手を置いて、よしよし、と軽くなでました。
「……そういうおれも、一人ではなんも出来ないガキだけどな……」
そのように続けるカンジの声が、思いもかけずに気弱な響きを持っておりましたもので、気軽に頭をなでられるという恥辱に対して一度は頭に昇りかけた血が、すっと引いていきました。
「……しかし、まあ。
国を一つ救えだぁ?
今日ようやく中学を卒業したガキに、いったいなにをやれっていうんだよー……」
「……あの……カンジ、様……」
「カンジでいいよ。
その方が気楽だ」
「その。
……ごめんなさい!
わたくしが祈願をしなければ、このようなことには……」
「いい。
今さらいっても手遅れだし、お姫様だってこうなると知ってやったわけでもないんでしょう?
だったら、不可抗力ってもんだ」
「フカコウリョク……ですか?」
「責任を追求しても誰も得をしないっていうこと」
カンジは、年端もいかない風でありがならも、難しい言葉を自然に使います。
「だけど……マジで、どっからどう手を着けていけばまるでわからんな。
ぱっと出のチューボーに出来ることなんてたかが知れているし、こっちの大人たちだっておれみたいなうろんなののいうことを信用したりはしないだろうし……。
ドラクエみたいに最小限の金だけよこしてあとは全部自腹で勇者しろってのかよ。
どう考えても、無理ゲーだろ。それ……」
「あの……カンジ。
そのユウシャというのは?」
「……あっちのフィクション……作り事の中の、一般的な役割を指す言葉……で、いいのかな?
こっちにも、戯曲とかサガとかくらいはあるでしょう?
それで主役をはるような、勇ましくて強くて正しい人たちの総称……だと思う。
メディアが違うと、他にも細々とした派生条件が加わってくるけど、それはこっちではあんま関係ないしな」
「勇猛果敢な戦士、ということなのでございましょうか?」
「……当たらずとも遠からず。
いや、この場合、そういう理解で正解か。
とにかく、今のおれは、その勇猛な戦士の役割を振られている。らしい。
しかし、おれは……少なくとも、国ひとつの存在を脅かすほど強力な魔族を一掃するほど強いわけではない」
「はい。
当然のことですね」
魔族一体をしとめるのに、兵百人を失うと聞いています。
細身の少年であるカンジは、どうみてもその魔族を一掃する存在には見えませんでした。
「だとしたら……おれはここで、一体なにをすればいいんだ?」
「……さあ?」
しばらく顔を見合わせていると、どちらかのお腹が盛大に鳴り響きました。
「……お姫様。
なにか、食べ物持ってない?」
「持ち合わせておりません」
「……だよなー。
そっか。
勇者になる前に、自分の食い扶持を稼げるようにしなければいけないのか。
そっからスタートですか。はい」
カンジは顔を下に向けてひとしきりぶつくさと独り言をいったあと、わたくしに向きなります。
「お姫様……に、聞いてわかるかな?
こっちでおれみたいなガキでも就ける仕事っていうと、なにを思いつく?
稼ぎの多寡は問わない。
とりあえず、食うところと寝るところを世話してくれればいい」
「魔族の被害を受けた土地から大量の流民が流れ込んでいますので……人の手は、どこでも有り余っているはずです」
それどころか、流民と地元民の対立が急速に激化し、治安も悪化の一途をたどっている時世でありました。
「誰の紹介もなく職に就くのは至難のわざといえるでしょう」
カンジは、盛大にため息をつきました。
「そっちも駄目か……」
「ただ……おそらく、たった一つの例外があって……」
「なに!」
いきなりカンジが身を乗り出したので、わたくしはビクリと肩を震わせて軽くのけぞりました。
「あ。悪い。大声だして。
で……なに? その職場ってのは?」
「兵の徴募は、常に行っております。
年齢などによる制限はなく、その場に赴けば即座に採用され、衣食住は保証されます」
軍も長年、魔族を相手にしていますから、消耗が激しすぎて近頃ではなりふりを構っていられないのでした。
最近では、年端もいかない子どもはおろか、食い詰めた寡婦なども駆け込んでいると聞いております。
「……兵隊さんかあ……。
そうそううまいはなしはない、っていうか……ま、そんなところなんだろうなあ」
カンジは嘆息し、続いて軍の徴募に応ずるのにはどうすればいいのか、詳細にわたくしを問いつめていきました。
わたくしが知っている限りのことをはなし終えるのには、かなりの時間が必要でございました。
「……本当に、軍に入るつもりなのですか?」
「わかっている。
魔族との戦争をやっている今、軍隊に入れば死ぬ確率が高いっていうんだろ?
でも、なにもやらなかったら、確実に飢死だ。
本当におれが勇者って役割を振られていのなら、適当に足掻いていればどっかでなんらかの展開があるさ」
カンジがいうことは、やはり半分も理解できませんでした。
「……カンジが納得づくでその選択をするのであれば、わたくしが口を挟む筋合いではないのかも知れませんが……」
「うん。
納得をしているわけでもないんだけど、どうやらその他に選択肢はないようだ。
だから、まあ。
おれはおれで、こっちで懸命に生きてみるよ。
その上で、魔族を一掃するとかいうお姫様の願いについても、あくまで余裕がある範囲で、前向きに頑張ってみる。
今の状況ではこんな微妙ないい方しか出来ないけど、とりあえずはこれで勘弁してくれ」
いったい、わたくしが、カンジのなにを勘弁しなければならないというのでしょうか?
「知りません」
カンジのいいように、どことなく突き放されたような物言いを感じ取ったわたくしは、少し語気を荒くしてしまいました。
「機嫌を損ねないでくれよ、お姫様。
とりあえず、聞くべきことはだいたい聞き終わったから、城まで送るよ。
あ。
城ではなく、抜け穴だったっけか?」
「結構です。
そもそも、抜け穴の出入り口は、王家の者以外には秘匿せねばなりません」
「かといって、こんな夜更けに……いや、もう明け方か。
お姫様一人で外を出歩かせるわけにもいかないでしょう。
抜け穴の場所が秘密だっていうんなら、差し障りのない場所まで送るから」
そういって、カンジはわたくしの手を取って無理に起きあがらせました。
「ほら。
おれはここいらの地理には不案内なんだから、姫様が先導してくれないと」
「……わかりました」
ようやくわたくしが絞り出した言葉には、我知らずどこか拗ねたような響きを含んでおりました。
「カンジは、わたくしとこれ以上おはなししたくはないのですね?」
「そういうわけではないけど……これで、少なくともしばらくは、お別れになるだろうな。
おれは軍に入って、雑兵の一人になる。お姫様は、お姫様のままだ。
なんかのはずみでおれが生き延びて第出世でもしない限り、もうこれでお別れだ」
カンジの平然とした口調を、なんとも腹立たしく感じたものでございます。
しかし、わたくしは黙ったまま、外へ向かう扉へと歩を進めました。
明け方、とカンジがいったとおり、外の空は早くもしらみはじめております。
建てつけの悪い、重い扉を渾身の力を込めて開いて外に出ますと……そこに、一体の魔族がおりました。
「……なんだ、あれは?」
「魔族、です。
おそらく、たぶん」
背後でのほほんとした口調で問いかけるカンジに、わたくしは掠れた声で答えました。
実際に目にするのははじめてのことでしたが……異形の者、魔族を見間違えるわけがありません。
はなしに聞いたとおり……魔族は、他の「なにもの」にも似ていませんでした。
強いていえば……そのときに遭遇した魔族は、切り株に似ています。
ずんぐりした円柱形の本体から、無数の節くれだった根や枝が伸びておりました。しかも、その根た枝はピクピクと痙攣して蠢いているのです。
いかにも堅そうな表面をしていましたが、いざとなれば「それ」が機敏に動いて見境なく動くものを攻撃して食い荒らす……というはなしを、わたくしはいやというほど聞かされておりました。
「……王宮の、こんなに近くにまで、現れるようになっていたなんて……」
「……危ない!」
呆然とつぶやくわたくしを、いつの間にかカンジが突き飛ばしていました。
わたくしは、先ほどまでいた神殿の内部へと転がり込んでいきます。
そしてわたくしを突き飛ばしたカンジの喉と胸には……魔族の本体から延びた枝の先が、深々と突き刺さっておりました。
あああああああああ。
誰かの叫び声が聞こえます。
カンジの口から、ゴボゴボと音を立てながらおびただしい血液が吹き出して、服の前面を赤く染め上げました。
カンジは目を見開きながら、自分の喉に刺さった枝を両手で掴んで引き抜こうとしているようでした。
しかし、カンジが非力なのか、それとも魔族の枝が強靱に過ぎるのか、ともかくその枝はピクリとも揺らぐことなくカンジの喉に突き刺さったままでした。
あああああああああ。
目を見開いたままのカンジと、目が合いました。
カンジは、目をしばたたいて何事かをわたくしに伝えようとしています。
目をしばたたくと同時に、カンジは両手をわたくしの方に延ばしてなにかを掴む動作を繰り返しました。
カンジの口が開いてさらに多くの血が口の中から噴出しました。
パクパクと口を開閉して、カンジはわたくしになにかを伝えようとしています。
……そこまで見届けて……。
ようやく、わたくしは口を閉じ、際限なく絞り出していた悲鳴を意志の力で抑え、カンジの意図を探ろうと頭を働かせはじめました。
さきほどまで叫んでいた誰かとは、わたくし自身に他ならなかったのでございます。
カンジはしきりに口を開閉して、何事かをわたくしに訴えようとしています。
……け……ん……。
わたくしには、という発音の形を、繰り返しているように見えました。
……剣!
わたくしは、ようやく、両腕で抱え込んでいた魔剣バハムの存在に思い当たりました。
わたくしが自分の手元をのぞき込むと、カンジはうんうんと頷きます。
のろのろとした動作で、わたくしは魔剣バハムをカンジに向かって投げつけました。
今さら、一振りの魔剣になんの意味がありましょう?
すでにカンジの喉と胸は、魔族の枝により突き通されているのです。
今となっては、どうあろうともカンジはもう助かりませんし、わたくしもすぐにその後を追うはずでございました。
そんなことをのろのろと考えながら、わたくしは魔剣バハムを鞘ごと、カンジの胸元に投げつけたのでございます。
いつ息絶えてもおかしくはないはずのカンジは、しかし、以外にしっかりとした挙動で魔剣の鞘を掴み、素早い挙動で剣身を抜き放ちました。
そして、手慣れた動作で自分の身を突き刺していた魔族の枝を斬り払うと、そのままスタスタと魔族の本体に向かって無造作に歩いていきます。
魔族からカンジに向かって無数の枝が伸びていきましたが、カンジは機敏な挙動で剣を振るってそのことごとくを打ち払いました。
どうみても、瀕死の人間の動きではありません。
それどころか……剣を扱いなれた者のごとく、どう動けば効率よく無数の枝を打ち払えるのか熟知しているかのような精妙な動きでございました。
枝による攻撃を意に介することもなく、カンジはそのままスタスタと魔族の本体に近寄り、最後に大きく振りかぶって一刀の元に魔族の本体を唐竹割りにして両断してしまいました。
そのとき、魔剣バハムの刃から、一瞬なにやらどす黒い霧のようなものが発生したのを、わたくしは見逃しませんでした。
カンジによってまっぷたつとなった魔族は、そのまま急速に干からびていき、その場であっという間にぐずぐずと崩れて灰のようなものだけが後に残りました。
魔剣バハムは、エリリスタル王家を呪う。
その魔剣に呼び込まれ、「ここではないどこか」からやって来た、喉や胸を深く突かれても平然と動く少年、カンジ。
彼は、確かにこの先、魔族を一掃してくれるのかも知れません。
しかし、その代償に……。
魔剣バハムは、やはり禍々しい呪われた剣であり……。
あの魔剣は、エリリスタル王家の断絶を狙わんがために、あの勇者を呼び込んだのではないのか……。
言葉にすればそのようなものになる不吉な想念を脳裏に描きつつ……。
わたくしは、体の前面をおのが血で真っ赤に染めながら平然とした顔をして剣を鞘に収めるカンジを、見続けていたのでございました。
〔次回: 「反攻」〕