1.「召喚」
国は、わたくしが生まれる前から徐々に蝕まれている状態でございました。わたくしの物心がついたころにはその浸食は決定的なものとなり、故郷の村を追われ余所に移動することを余儀なくされた民が少なからず出始めておりました。そうした難民の多くは元の生業を続けることも難しく、移動した先での治安は大いに乱れることになります。
しかも、その浸食は留まることを知らず、人が住めなくなる場所は年々拡大の一途をたどるのでございました。
このような有様ですから、国は全体が大いに乱れました。
王は幾度も軍を起こし、国を浸食する異形の者どもの討伐を試みたものでございます。
ですが、いっこうに成果はあがらず、いたずらに兵を消耗するのみ。
百名の兵が一斉に挑んでようやく一体の異形を倒せればよい方、という有様でございましたので、仕舞いにはとうとう王が決起の号令をかけても応じる者がまったくいなくなってしましました。
勇敢な者は率先して異形に挑んで戦死し、あとに残ったのは計算高い匹夫ばかりだったのでございます。
いつしか、人々は、一方的に国を浸食する異形の群を、魔族と呼び習わすようになりました。
わたくしは、そうした荒廃した時勢の中で王の娘として生を受け、成長したのでございます。
国の荒廃は、しかし王宮の中にまでは届いてきませんでした。特にまだ幼かったわたくしの耳には。
王宮の中にあるのは何十年も前から続く、贅を凝らした遊びに食事、優雅な振る舞いと遊興の数々。
国の荒廃や民の苦境とは縁がない、閉ざされた別の世界でございました。その別世界である王宮の中にも、ときおりなにかの拍子で国の様子が漏れ伝わるようになってまいりました。
それほど、国土の疲弊は深く民があげる怨嗟の声は高くなっていったのでございます。
わたくしも、当時はまだまだいとけない時分でございましたが、物心つく頃より王家の一員であれと聞かされながら育てられましたものですから、そうした悲報を耳にするたびに密かに心を痛めておりましたものでございます。
しかし、無力で年端もいかない小娘が一人、国の荒廃を救う手だてなぞ、そうそう思いつくものではございません。
幼い頃のわたくしは、よく周囲の大人たちに聞いて回ったものでございます。
どうすれば、民を苦しむから救うことができるのか。
「それはな、魔族と呼ばれる異形の者どもが国を侵しているからだ」
その魔族とやらを、追い払う術はないのか。
「それが簡単になせるものならば、当の昔に追い払っておる」
しょせんは子どものいうこと侮ったのか、大人たちは軽く皮相的な返答を繰り返すばかりでいっこうに根本的な解決策を提示しては貰えませんでした。
華やかなドレスにも甘い菓子にもあまり関心を示さず、そうしたことを繰り返し大人たちに聞いて回る当時のわたくしは、さぞかし奇異な目で見られたことでありましょう。
何度軽くあしらわれても、当時のわたくしは繰り返し繰り返し、会う大人にすべてに同じ問いを繰り返しました。
どうすれば、今の国を救えるのかと。
「国を救う手だて、か」
ようやく役に立ちそうな答えを返してくれたのは、ひどく年老いた老婆でした。
王宮に出入りをしていたのですから、相応の身分の方であったはずでございます。あるいは、当の昔に隠居した王族の方であったのかも知れません。
しかし、当時のわたくしには、その方の相貌に深く刻まれた皺がひどく禍々しいものに感じられました。
「ないことも、ない。
しかし、それをなすためには……姫よ。
おぬしは相応の代償を支払わねばならぬ」
……だいしょう?
と、幼いわたくしは聞き返しました。
言葉の意味が汲み取れなかったのでございます。
「おぬしに、おおきな災いを呼び寄せる結果になるやもしれん」
老婆は、別の言葉に置き換えてくださいました。
「あるいは、危険はまるでないのかも知れん。
喚び出した者の気質に、大きく左右されることになる」
……どなたかを、おまねきすればよろしいのでしょうか?
幼いわたしは、国の窮状を救うためには、解決法を知る誰かをこの国に連れてくることが必要なのだ、と、老婆の言葉を、そのように理解いたしました。
「そう。招く。
招く術が、王家の者には使える。
姫よ。
そういえばおぬしも、王家の一員であったな」
……はい!
と、わたくしは勢いよく返事をいたしましいた。そのことだけは、確信を持って首肯出来たのでございます。
「満月の晩に、魔剣バハムを携えてデュデスレフの神殿に詣でる。
これを、最低三度は繰り返す。
さすれば、幾度目かには異界に通じる門が開いて、魔剣バハムが選んだ者が召喚される。
ただし、彼の者が神か魔神かは知れず。
この世に益をもたらすか、それとも害をもたらすかは、さて、半分半分といったところかの。
しかし、魔剣バハムが選ぶ者が、人ならざる力を持つのも、また、確かなこと。
そのような者であれば、魔族を一掃することも出来よう」
そのときの老婆の声は、今も耳の奥に残っております。
当時のわたくしには、老婆の言葉のすべてを飲み込めたわけではございませんでした。
しかし、重要な部分は聞き分けておりました。
満月の晩。
三度以上。
魔剣バハムを携えて。
デュデスレフの神殿に詣でる。
忘れないように幾度か頭の中で反芻し、ふと顔をあげるとその老婆の姿はどこにも見えないのでございました。
今に至るまで、その老婆の素性は判然としておりません。
魔剣バハムは、確かに王家に伝わっているはずのものでした。しかし、その魔剣を実際にその目でみた人は、絶えていませんでした。
何代か前の王様が征服した民の王から略奪した宝剣だというのが定説でございましたが、その剣は元の持ち主である被征服者たちの呪いを集め、王家に仇なすと考えられていたのでございます。その魔剣を略奪した王はほどなくして急死し、以来、王宮のどこかにしまわれたままで行方知れずとなったおりました。
呪いを恐れた人たちが魔剣を忌避して目の前から遠ざけようとした結果、ついにはどこへいったのかわからなくなってしまっていたのでございます。また、そのようないわくのある魔剣の所在をわざわざ求めようとする方もいらっしゃいませんでした。
つまり、わたくしが現れるまでは。
魔剣バハムがそのような縁起の悪い剣であることは知っておりましたから、わたくしは周囲の大人たちにその所在地を尋ねるという愚を犯さずにすみました。
そのかわりにわたくしは、自由になる時間のすべてを費やして宝物蔵の中を探索しはじめました。宝物蔵の鍵は隠居したおじいさまの部屋があることを知っていたからでございます。
おじいさまは何年も前から寝たきりになってお世話をされる一方で、まともな会話も成り立たないようになっておりました。おじいさまの部屋から蔵の鍵を持ち出すのは簡単でした。そのようなおじいさまに鍵を預けているくらいですから、その宝物蔵には価値のあるものはほとんど置いてなかったのございましょう。
そこにあるのは、今となってはなんの役にも立たないガラクタや、それに、魔剣バハムのような誰からも忌避されるいわくの品々。
わたくしの予想が正鵠を射ているのが証明されたのは、わたくしが宝物蔵の中を捜索しはじめて三ヶ月後のことでございました。
デュデスレフの神殿は、森の奥にある、今となっては誰も通わぬ廃墟然とした場所でございました。デュデスレフ神を信仰する者は絶えてなく、かなり前から打ち捨てられるままになっていた場所でございます。
それでも盗賊や浮浪者の巣となっていなかったのは、神殿のすぐ近くに練兵所があり、一年を通じて大勢の兵士がすぐ近くを行き来していたという、ただそれだけの理由だったのでございましょう。
子どもの足でも小一時間も歩けば到着する、当時のわたくしの目にはひどく大きな建物に思えたものでございます。
後年になって訪れてみると、朽ちかけ苔むした、神殿というよりは祠と呼んだ方がふさわしいような、みすぼらしい建物があるだけでございました。あまりのみすぼらしさに、わたくしはこっそりとため息をついたものでございます。
とはいえ、当時のわたくしの目にはデュデスレフの神殿は荘厳に写りました。満月の夜にしか足を運ばなかったことにも原因があるのでございましょう。
天窓から差し込む月光は、埃にまみれた神殿の内部をたいそう神秘的に見せたものでございます。
わたくしは月に一度、満月の夜に王宮を抜け出し、魔剣バハムを携えてこっそりとその廃墟をおとないました。
詣でる、といいましても、デュデスレフ神の信徒の正式な作法を心得ておるはずもありません。
だから、鞘に収まった魔剣バハムを抱いて、天窓から月光が差し込む場所に膝まずいたまま、にじんまりともせず明け方まで所在なげに侍しておりました。
信仰する者も絶えた大昔の神様に、いったいなにをお祈りすればよかったのでございましょうか?
このときには、わたくしは国を救うという当初の目的を半ば忘れ、あの老婆の言葉を実行すれば、実際にはなにが起こるのか、それをこの目で確かめたいという気持ちの方が強くなっていたのでございます。
あるいは……実際には、なにも起こるわけがない、と、幼いながらに高をくくっていた、というべきでございましょうか。
老婆の言葉に従うのは、国を救うという名分のためでございました。しかし、このときは、すでにその名分自体が目的と化していたのでございます。
当時のわたくしのような幼子がたびたび抜け出しながらもそれに気づきもしない王宮の大人たちへの不甲斐なさについても、憤りを感じておりました。
あと何回、満月の夜に王宮を抜け出せば、わたくしの奇行に気づくのか……という意地の悪い疑問も、実地に確認したいと思いはじめておりました。
だから、まさか、三度目の満月の晩に、本当に何者かが召喚されてくるなどとは、夢にも思いませんでした。
魔剣バハムを抱いてうとうととしていたわたくしは、ふと人の気配を感じて顔を上げたのでございます。
すると。
少年が、そこに、いました。
服装こそ奇妙ではございましたが、神でも魔神でもございませんでした。
華奢な体つきの少年が、あっけにとられた表情で周囲を見渡しております。
数秒観察をして、わたくしは、その少年がこの周辺の人間にしては珍しい、黒い髪の持ち主であることを認めました。よくよく見れば、肌色にも、違和感をおぼえます。
呆然と少年を見守るわたくしの目線と、周囲を見回す少年の目線とが、ふと、合いました。
「ごめんなさい」
反射的に、わたくしは少年にお詫びをしていたのでございます。
こんなはずがない。なにかの間違いだ……という思いで、胸がいっぱいでした。
老婆の言葉によれば……神とか魔神とか、とにかく、魔剣バハムが選んでここに運び込むのは、魔族を一掃できるほどに強力な「何者」かであったはずでございます。
どう考えてましても、か細いこの少年がそのような何者かであるようには見えませんでした。
それとも、この少年には、わたくしの関知できないところで、大いなる力を秘めているのでございましょうか?
魔剣バハムが、こんな、いかにも非力そうな少年を選んでくるのは……当時のわたくしには、まるで想定外の事態なのでした。
にも、かかわらず……。
そのときのわたくしは、思考が半ば麻痺し、通常の判断力を失っていたに違いありません。
……こんなはずはない、という失望とは別に……。
間違いで、このような異相の少年がここに送られてくることはない……とも、確信しておりました。
矛盾する想念が頭の中を駆けめぐっている状態で、わたくしは……。
「縁もゆかりもない貴方に、こんな苦難を押しつけてしまって……」
自然と、そんな言葉を口にしておりました。
現にこの少年がここにいるのであるなら……この少年なら、魔族を一掃できるはずだ。
そういう奇妙な確信が、わたくしの中に育ちつつありました。
これが、勇者カンジとわたくしとの、なれそめなのでございます。
〔次号: 「勇者」〕