【工学系女子シリーズ⑤】建築家志望の女子学生ですが、可愛い年下助手が大人教師に宣戦布告しました
シリーズ③ノエラ編の続編です。
「ノエラは、渡しません」
王立工学学院で一番人気の教師に、可愛い年下助手が宣戦布告した――
王立工学学院の講義は、噂以上だった。
専門の基礎科目も、一年生から高度な理論が飛び交い、設計は感覚ではなく数式で裏付けられる。だが、教師の説明は簡潔で、分かりやすい。そして、目から鱗が落ちるような、興味深い話しをしてくれる。
今日は、建築構造学・基礎の授業。ノエラは最前列でノートを取りながら、ひとつの式に眉を寄せた。
(……ここだけどうしても、腑に落ちない)
鐘が鳴る。
教室がざわめく中、ノエラは迷わず席を立ち、教壇へ向かった。
まだ、授業は始まったばかり。分からないところは、そのままにしないでおきたい。
教壇に立つのは、ルーカス・ヴァルトハイム。建築構造学や設計理論を担当する人気の教師。三十前後位と思われ、若いが、説明が上手い。が、人気の原因は、それだけではない。
金髪でやや長めの髪を後ろに流し、整った顔立ち。
そして——無駄に距離が近い。
「質問かな?」
周りを囲む生徒の後ろで待っていると、低い穏やかな声で話しかけてくれた。
ノエラはノートの図面を指差した。
「この補正係数ですが、ここで誤差が出る理由が分からなくて」
「いい質問だ」
さらさらと、黒板に、式を書き足す。
ノエラの疑問点をすぐ把握していると分かる、的確な答えで、すぐに理解できた。
「なるほど。分かりました」
ヴァルトハイム先生は一瞬だけ目を細めた。
「……君、首席入学だった子だね」
「はい」
頷くと、先生は柔らかく笑った。
「分からないところがあったら、いつでも研究室においで」
周囲の女子がざわつく。
ノエラは無難に答えた。
「ありがとうございます」
ノエラがヴァルトハイム先生の授業を受けた理由は、建築系に進みたい場合は選択した方が良い授業だと、ゼインが勧めてくれたから。
人気だろうが、ゼイン以外に興味はない。
◇ ◇ ◇
放課後。
ノエラがうきうきと向かったのは、アリシアの研究室。学院を受ける際に、家を半ば絶縁状態で飛び出してから、今も憧れの建築家であり、学院の教師でもある、アリシアの家でお世話になっている。
扉の前に立って、中の様子をそっと伺う。
(……ゼイン、まだ戻ってない)
ゼインは二年の生徒でもあるが、母親のアリシアの助手として研究室を手伝っている。講義が終わった後も、いつも研究室へ寄ってから帰る。待ち合わせはしていないが、ノエラも終わるとここに寄り、毎日二人で一緒に帰る。
ノエラは壁に背を預けた。
静かな廊下。
足音だけが遠く響く。
(早く、ゼインに会いたい。でも、待っている時間も、悪くない――)
その時。
「君」
声をかけられた。
振り向く。
さきほどの授業の、ヴァルトハイム先生だった。
「僕の研究室に来たのかい?」
「いえ、違います」
どうやら、彼の研究室がたまたま隣だったらしい。
「遠慮しなくていい」
「質問しにきたわけではありません」
「そう?」
まだこちらから目を離さない。近づきながら、さらに何か、話しかけようとしているか、と思われた。
その瞬間。
「……ノエラ」
呼ばれた。
ゼインだった。
彼は迷いなく、ノエラの手を掴んだ。
「帰るよ」
そのまま歩き出す。
「ちょ、失礼します」
教師に一礼だけして、その場を離れた。
◇ ◇ ◇
学院の門を出るまで、ゼインは何も言わなかった。
馬車に、向かい合わせに乗り込む。
扉が閉まる。
沈黙が、続く……。
やっと彼が口を開いた。
「……あの人に聞きに来たの?」
「違う」
「ほんとに?」
「ゼインを待ってただけ」
一瞬、ゼインの視線が揺れた。
「あの先生、女子に人気だよね……女の人って、大人の男の方がいいの?」
真剣で、ちょっと不安げな顔をしていた。
ノエラは少しだけ考えた。
「人による」
それだけ答えた。
「ふうん……」
ゼインはそう言って、窓の外を見ていた。
馬車の振動が、いつもより大きく感じた。
◇ ◇ ◇
夜、家の書斎の灯りがついている。
ノエラがそっと、扉を開けると、ゼインが本を広げていた。
いつものように、隣に座る。受験の時と同じように、未だに毎日ゼインに勉強を教わりながら勉強している。勉強をする気も起るし、何より、ゼインに近づけるから。
ゼインは母アリシアの授業の助手として、建築模型の展示指導を担当し、年上の学生に助言する役目だ。
夜は関連書を読み漁り、どう言えば納得してもらえるかを研究する。
ノエラはその姿を見るたびに思う。
(私も、もっと上に行きたい)
置いて行かれずに、この先もずっとついていけるように。
◇ ◇ ◇
翌日。
講義の後、ノエラはレポートに必要な資料を借りるため、図書館へ寄ってから、研究室に向かった。
(ゼイン、待ってるかな)
走らないよう気を付けながら、早足で廊下の角を曲がる。
すると、声が聞こえた。
「君は、助手をしているのか」
低音の、落ち着いた声。ヴァルトハイム先生だ。
ノエラは足を止める。角の向こうで会話が続く。
「はい」
相手は、ゼイン。
「彼女と仲がいいみたいだね……ノエラ・リーヴェ」
(なんで、私の名前? ……それよりゼイン、なんて答える??)
「普通です」
(おいっ!)
「君の方が年下だよね。弟みたいに面倒見てもらってるのかな?」
沈黙。
「恋愛するなら、普通は大人の男性だよね」
空気が止まる。気になって、少しのぞく。
ゼインが、自信を失うように、うつむいていくのが見えた。
ノエラはたまらず、飛び出していた。
「やめてください!」
二人が振り向いた。
彼女は迷わずゼインの隣へ行き、その腕を掴み、
そして――
ぎゅっと引き寄せた。
「彼をいじっていいのは私だけです!!」
廊下が静まり返る。
「いくら、可愛いからって……」
睨んでしまった。教師を。
ゼインの体が固まった。
顔が、みるみる赤くなる。
肩がわずかに震え、鼓動が速くなる。
長い沈黙が続いた。
(あ、やっちゃった! 先生に嫌われたら、成績落とされる??)
流石のノエラも、動揺し始めた。
やがて。
ヴァルトハイム先生が吹き出した。
「……はは」
お腹を抱え、肩を揺らす。
「なるほど。そういう関係か」
「違います」
ゼインが即答で、否定する。
(何が?!)
ヴァルトハイム先生はくっくっと笑いながら去っていった。
◇ ◇ ◇
数日後。
ゼインはルーカス・ヴァルトハイムの建築構造学・中級の授業を受けていた。構造評価の質問を終え、他の生徒が出た後、図面を片付けて、教室をやっと出ようとしたときだった。
「理論は悪くない」
ルーカスは椅子にもたれかかりながら言う。
「だが、君は真面目すぎる」
「……真面目なのは悪いことですか?」
「悪くない。だが面白くない」
ゼインは眉を寄せる。
「遊びが足りない。本だけから、学んでいるんじゃないか?」
「……」
「遊べ」
「……遊ぶ?」
ルーカスはふっと笑う。
「建築は使うものだ。体験しろ。歩け。感じろ。彼女とデートでもすればいい」
ゼインの動きが止まる。
「……彼女?」
「ノエラ・リーヴェ」
「彼女ではありません」
「じゃあ彼女にすればいい」
さらりと言う。
ゼインは真顔のまま固まる。
「どこに連れて行きたい?」
「……え?」
ルーカスは机を軽く叩く。
「どの建物に、何故、連れて行きたい?」
ゼインは考える。
思い浮かんだのは、小さな聖堂。
◇ ◇ ◇
その日の夜。
ゼインが書斎へ行くと、ノエラが本を読んでいた。
ゼインは隣に座り、しばらく黙ってから、緊張しながら言った。
「こ、今度、街に出ない?」
「……どうして?」
「建物を見たい」
「勉強?」
「半分」
ノエラは目を細める。
「もう半分は?」
ゼインは少し迷う。
「……デート」
沈黙。
ノエラの心臓が跳ねる。でも、ここは、できるだけ冷静を装う。
「いいわよ」
ゼインは、耳まで赤い。いつもよりも、さらに。
◇ ◇ ◇
週末。
ゼインはノエラを連れ出した。
街の外れにある、こぢんまりとした聖堂。
「商売で成功した貴族が、自費で作ったらしい」
「へえ……。知らなかった」
その貴族が好きな物を集めたのか、小さな礼拝堂には華やか過ぎないステンドグラスがついており、壁には静かな雰囲気の絵が、何枚も飾られていた。
聖堂には珍しく、人や神様ではなく、風景画が多い。特に、海に船が浮かぶ絵。
二人はゆっくり、絵や装飾を楽しみながら歩いていく。
中庭のような空間に、小さな噴水があり、その周囲に緑が植えられて、高い窓から光が差し込む。
いくつかあるベンチには、座って休んでいる人や、本を読んでいる人がいた。
ベンチに並んで座る。
パイプオルガンの音が流れ始めた。
「運がいいね」
「いい音……」
静かな時間。
「ゼインは、どんな建物を作りたいの?」
「僕は」
ゼインが視線を巡らせる。
「こういう聖堂とか、美術館とか、図書館とか……人が集まる場所。
人の時間が重なる空間を作りたい」
ノエラが微笑む。
「ゼインらしい」
「ノエラは?」
ノエラは少し考える。
「私は……人が住む所かな」
光を見上げる。
「安心できる、あったかい、場所」
少し笑う。
「私、建築コンテストで受賞して、ここに来られた。
建築が、私をここまで連れてきてくれたと思うと、何だか、不思議」
ゼインはその横顔を見る。
「僕も、建築でここにいる。
きっと、これからも、建築が僕たちを、いろんな場所へ連れて行ってくれるね」
ノエラが横を見る。
「ところで、なんで私を誘ったの?」
突然、逃げ場を与えない視線が飛んできた。
「実は、ヴァルトハイム先生に、授業の後で、言われた。
『君には遊びが足りない』『建築は使うものだ。体験しろ』って。
もっともだな、と思って……」
「……私は、遊びですか?」
ノエラが顔をのぞきこみながら、詰める。
「か、『彼女とデートすればいい』とも、言われて……」
「彼女?」
「僕は、彼女ではないと言ったんだけど」
「ふうん」
「『じゃあ彼女にすればいい』って……」
一瞬、視線が絡む。
ゼインは深く息を吸う。
「ノエラ、好きだ。だいぶ前から。付き合ってほしい」
真っ直ぐ。
逃げない。
「君が、隣にいる空間を作りたい」
音楽が遠のく。
ノエラの鼓動が跳ねる。
ノエラは少し目を伏せてから、顔を上げる。
「うん」
ゼインの呼吸が止まる。
「これからも、ノエラと建築デートしたい」
ノエラが少し笑う。
「建築限定かあ……じゃあ、まずはお互いの好きな建築巡りからで」
ゼインはそっと手を差し出す。
ノエラは迷わず重ねる。
指が絡む。
(ゼインなのに、甘すぎる……)
◇ ◇ ◇
「折角だから、このまま少し歩いてから帰らない?」
二人が聖堂を出て街の方へ向かうと、ルーカスが一人、こちらへ歩いてくるところだった。
「デートは勉強になった?」
余裕の笑み。
ゼインは一歩前に出る。
「ありがとうございます」
ルーカスが眉を上げる。
「何が?」
「遊びが足りないって言ってくれたこと」
ゼインは真っ直ぐ見る。
「でも、ノエラは、もう、僕の彼女です。
先生がどれだけ大人でも、渡しません」
空気が止まる。
流石のノエラも、顔が真っ赤になる。
ルーカスは数秒沈黙し、ふっと笑う。
「宣戦布告か?」
「はい。負けません」
「若いな」
「承知の上です」
ノエラが割り込む。
「先生、ゼインにデートを勧めていただいたことは、ありがとうございます。
でも、私、年がどうかより、ゼインが好きなので」
ルーカスが肩をすくめる。
「……何、その、僕が振られた感じ。
大丈夫。こう見えて、僕の本命は年上だから」
「え……?」
ゼインも、ノエラも、一瞬で力が抜けた。
「これからも、二人の幸せを願っているよ。
二人とは、もっと仲良くなりたいからね。じゃあ、また」
ルーカスはそう言って去って行った。
「先生に、宣戦布告って、誰の許可取ってるの?」
「君の」
「……取れてる。それに、ちょっと嬉しかった」
どうやら、今時点では、ノエラ以外に本命がいるらしい。
でも、安心はできない。ノエラが成長したら、魅力に気付くかもしれない。
ゼインの心が静かに燃える。
(知識も経験も、まだ届かない)
でも。
(成長して、追い越す)
この先も、彼女の隣は、譲らない。
お読みいただきありがとうございます。
今回はシリーズ③続編でしたが、次はシリーズ⑦でこちらの続編も準備中です。
引き続きお楽しみください。




