1000時間の投資───注がれた命の金
ティックから通帳を受け取った帰り道、幸雄とユノは異様な光景に出くわした。
轟々と燃える運送ギルドの前で、暴徒に立ちふさがり倉庫を守る男と、叫び声を上げる群衆の姿があったのだ。
「従業員かな」
ユノは幸雄にそう言いながら、見物客としてそのやり取りの中に入って行く。
「強欲ギルドめ!」「小麦を出せ!」
過激になる群衆は一種のお祭りのように、『悪者』を攻撃している。その中でも特定の個人が扇動している人物がいるか幸雄は観察すると、数人、悪い笑みを浮かべながら「やれー!」と扇動している人間を見つけた。
筋肉のつき方や、日焼けの仕方といい、運送ギルドの人間と似たような職種の人間に幸雄は見える。
(運送ギルドはココだけじゃないだろう。なのにココだけ矢面に立つのはどう考えても……)
裏工作の上手い人間がいたと考えるのが妥当だろう。
群衆は大きな声に惑わされ常識を見失いがち、それを彼は知っていた。
彼らのパニックを飯のタネにする幸雄だけが、この群衆の中で黒幕の正体に気づいていたのは、なんとも皮肉な話だ。
「幸雄さん? どうしたんですか」
「いやちょっと金の匂いがするんでね。顔を出そうかと」
全員がガレオを「悪党」だと罵る中で、幸雄だけが近づいていく。
気が立っている運送ギルドの代表の前に近づくと男は、幸雄を睨みつけた。
「そう睨むなよ。運送ギルド『疾風』のギルド長、ガレオさん」
「お前……見ない顔だな。どこの誰さんだい」
警戒を続ける男に、幸雄は的確な言葉を探す。
「波止場幸雄だ。海洋新報で働いてる」
海洋新報と聞いてガレオは幸雄が出版ギルドの回し者だということを理解する。
「けッ、なんだ? 株価は暴落とでも書くつもりかい」
「いいや。俺ならダブルにこちゃん、絶好調だって投資家に教えてやるね」
燃える運送ギルドの前で、幸雄はガレオに臆面もなくそう言った。
「カッカッカッ! お前新人か? いいか教えてやろう。このギルドはもうお終いだ。潰れるんだよ」
横に立って笑っていた男が幸雄に親切心で教えてやる。しかし、そこに彼らの狙いがあることは彼も見通していた。
「潰れる、か。……おいアンタ、このギルドの貸借対照表を見たことはあるか?」
「あぁ? バランス……なんだって?」
「ないなら黙っててくれ。俺は今、計算をしてるんだ」
幸雄は扇動する男を視線だけで黙らせると、再びガレオと、その背後にいる従業員たちへ視線を向けた。
燃え盛る倉庫。灰になる荷馬車。
素人目には「資産価値ゼロ」の焼け野原。しかし、幸雄の眼は、炎の向こうにあるものに視線が釘付けになっていた。
(……従業員が、逃げていない)
それが最大の違和感であり、答えだった。
通常の倒産寸前の企業なら、給料の未払いを恐れて従業員は我先に逃げ出す。「沈む船から逃げるネズミ」のように。
けれど、ここの従業員たちは違った。
顔を煤だらけにし、火傷を負いながらも、必死にバケツリレーを続け、ガレオの背中を守ろうと踏み止まっている。
(求心力、統率力、そして組織への忠誠心……。これだけの『人的資本』を育てるのに、どれだけの金と時間がかかると思ってるんだ)
次に幸雄は、焼け残った馬車の残骸に目を向けた。
昨日見た特殊なサスペンション。あの技術は燃えても、彼らの頭の中にある設計図までは燃えていない。
(ハードは燃えたが、ソフトは無傷。……典型的な『過小評価』だ)
幸雄の中で、電卓を叩く音が鳴り止む。
はじき出された答えは──「買い」一択。
「……ガレオさん、だったな」
「あ、ああ……悪いが兄ちゃん、冷やかしなら帰ってくれ。俺たちはこれから、借金の整理と……こいつらの再就職先を探さなきゃならねえ」
ガレオは悔しさに唇を噛み切りながら、背後の部下たちを見た。自分のことよりも部下を心配する、その器量。幸雄はニヤリと口角を上げた。
「いくらだ?」
「……は?」
「このギルドの借金、従業員の給与、そして再建費用。……全部まとめていくらあれば足りる」
「ざ、ざっと金貨三千枚……いや、もっとか……って、そんなこと聞いてどうする! 逆立ちしたって払える額じゃ……」
「買った」
幸雄は懐から、先ほどティックから受け取ったばかりの『フジツボ信用金庫』の通帳(または小切手帳)を取り出した。
「は……?」
「金貨三千枚だ。これで文句はないな?」
ユノは驚く。カラ売り分を足したとしても、金貨千枚は足りない。波止場幸雄にそんな大金はなかったはずだ。
「さ、さんぜんっ!? 幸雄さん、そんな大金どこに……!?」
「あるさ。俺の『命』を削ればな」
幸雄は小声でそう呟き、紙切れにサラサラと数字を書き込むと、扇動者ではなく、呆然とするガレオの胸にパシッと押し付けた。
「な、なんだこれは……」
「契約金だ。商談成立だな、ガレオ社長。……いや、今は『支店長』と呼ぶべきか」
「お、お前……正気か……!? こんな燃えちまったゴミを買ってどうする気だ!」
「ゴミ? 笑わせるな」
幸雄は扇動者たちを、そして燃えるギルドを指さした。
「建物は燃えた。馬車も壊れた。だがな、『一番高い資産』が残ってるだろうが」
「……あ?」
「『人』だよ。給料も払われるか分からない状況で、社長を信じて火の中に飛び込む従業員がこれだけいる。……その『信頼』はお金じゃ買えない。それを一から作るコストを考えれば、金貨三千枚なんて安い買い物だ」
幸雄の言葉に、ガレオが、そして煤だらけの従業員たちが目を見開く。
価値がないと罵られ続けた彼らにとって、それは初めて「価値がある」と認められた瞬間だった。
「それに、あの特殊な馬車の技術も残ってる。……俺の計算じゃ、半年で黒字転換、一年で元が取れる。俺は投資家だ。勝てる勝負にしか金は出さねえよ」
幸雄は扇動者たちを鋭く睨みつけた。その瞳は、獲物を前にした肉食獣よりも遥かに獰猛な光を宿していた。
「さあ、消火活動を始めるぞ! お前達、燃料は入れてやっただろう。後は走るだけだぞ」
幸雄はニヤリと笑い、呆然とする扇動者たちへ言い放った。
「そこにいる野次馬ども。俺の『資産』に手を出した落とし前、キッチリ払ってもらうからな。お前らの評価は最低評価だ。次のコラムは期待していろ」
幸雄はそう言って消火活動にかかる。
尻ポケットに入ったシルバーカードには『1775』の数字。
正真正銘1000時間分の寿命を対価に金貨を引っ張ってきた幸雄の命の金が運搬ギルド疾風に血となって流れた。




