入社試験は決算書!? ──異世界四季報とニコちゃんマーク
五秒か十秒、あるいはもっと長い時間だったかもしれない。
波止場幸雄は、今晩の宿を手に入れるため、懇切丁寧かつ完璧なフォームの土下座を彼女の玄関前で披露し続けていた。
それもこれも、彼女がどこの馬の骨とも知れぬ男を部屋に上げることを躊躇っているせいだ。いや、警戒するのは至極当然なのだが。
「そんなの当たり前でしょ。なんで私が加害者みたいになってるのよ」
指を額に当て、目の前で平伏する幸雄に銀髪の女性は呆れたように唸った。
「そこを何とか。なにとぞ。皿洗いでも掃除でも、手伝いますんで。脱げと言われたら脱ぎます」
「需要はどこ!? そもそも貴方、自分が不審者だって自覚ある?」
「お、需要を理解されておられる? ならば話は早い。株だったら俺は力になれますよ! 」
幸雄の口から出た突飛な単語に、女は街の衛兵を呼ぼうかと本気で悩み、その長い耳をピクリと動かした。
しかし、その狂人のごとき必死さとは別に、幸雄の発言が彼女の琴線に引っ掛かる。
「……株? ……貴方、相場が読めるの? 」
「ええ、それはもう。自分で言うのもなんですが、三度の飯より『数字の裏』を読むのが好きでね。『決算書の嘘を見抜くなら波止場さん』と言われたプロ中のプロでしたから」
幸雄の瞳に宿る光は、狂気じみてはいたが、嘘つきのそれではない。
女は少し考え込むと、「ちょっと、扉の前で待ってて」と言い残して奥へ引っ込んだ。
数分後、彼女は魔導具らしきタイプライターで打ったと思われる、インクの匂いが残る三枚の紙を持って戻ってきた。
「口だけなら何とでも言えるわ。……これだけの情報で、どの銘柄が『買い』か分かる? 」
渡されたのは、この都市に存在する商会やギルドの決算書の写しだった。
試されている。幸雄は商売人の顔つきになり、一枚目を受け取った。
──大手魔石輸入商会のレポート。
売上高は右肩上がり。一見すると飛ぶ鳥を落とす勢いの成長企業に見える。だが、幸雄の目は数字の羅列に潜む "ノイズ" を見逃さなかった。
「……コイツは駄目だ。近いうちに暴落する」
「へぇ。売り上げは過去最高よ? 」
「いいや、臭うね。見てみろ、売り上げは伸びているのに『売掛金』ばかり増えて、手元に入ってくる『営業キャッシュフロー』がマイナスだ」
「えいぎょう、きゃっしゅ……?」
「要するに、商品は出荷したことにして売り上げを計上しているが、代金の回収ができていない。あるいは子会社に無理やり商品を押し込んで、数字を作っているだけだ。帳簿上は黒字でも、現金が尽きれば会社は潰れる。典型的な『黒字倒産』の予兆……次の決算で粉飾がバレて死ぬぞ」
即答だった。女の顔色が変わる。
幸雄は反応を待たず、続けざまに二枚目を見た。
──老舗の武具加工店。
財務は盤石。借金なし。安定した利益。
「……ふーん、じゃあコレは? 」
「配当……いや、分配金か。利回りは悪くないが、成長性がない。無借金経営は立派だが、内部留保を溜め込むだけで設備投資もしていない。典型的な『死に体』だ」
「安定している、とは言わないの?」
「言わないね。夢がない。短期的なリバウンド狙いならアリだが、長期で持つには退屈すぎて欠伸が出る」
紙を突き返し、幸雄は最後の一枚を奪い取るように手にした。
──新興の配送ギルド『疾風』。
赤字続きで、誰が見ても倒産寸前のボロ株に見える。自己資本比率も危険水域だ。
しかし、幸雄はその「赤字の内訳」を見て、口元を歪めた。獰猛な肉食獣の笑みだった。
「ココだ。俺ならココにする……! 」
「……理由は? 」
「赤字の原因が『先行投資』だ。他都市への輸送ルート確保と、高速馬車の開発に莫大な金を突っ込んでいる。見てみろ、売り上げの伸び率は他の比じゃない」
「でも、赤字よ?」
「今はな。だが、損益分岐点を超えた瞬間、利益率は爆発的に跳ね上がる。いわゆる『Jカーブ効果』だ。この輸送ルートが完成すれば、このギルドは市場を独占する。今の株価は底値……いや、ダイヤモンドの原石だ」
幸雄は紙を弾き、バシッと音を立てて女に突きつけた。
「俺なら全財産、ここに『買い』を入れる」
女は目を見開いた。
彼女自身、数日かけて膨大な資料を読み込み、足を使って裏を取り、ようやく辿り着いた結論と完全に一致していたからだ。いや、この男はそれを、ただの紙切れ一枚から数秒で見抜いてみせた。
「……合格よ」
彼女は小さく呟くと、観念したようにドアを大きく開け放った。
「いいわ。事務所に泊めてあげる。でも、タダでとは言わないわよ。貴方にはちょっと、仕事を手伝ってもらうから」
女の提案を飲み、幸雄はようやく部屋に入れて貰えた。
殺風景な事務所だが、雨風を凌げるだけでも彼にとっては天国、いや、先ほどの暗闇に比べれば五つ星ホテルだ。
女はすぐさま別の机に向かい、作業を再開した。幸雄はその手元を後ろから覗き込む。
彼女はタイプライターを叩き、様々な書類から得た情報を一冊の冊子にまとめていた。
企業名、業績推移、財務状況、そして寸評。
そのレイアウトに、幸雄は背筋に電流が走るような既視感を覚えた。
それは、彼のような相場師にとっての聖書。
命の次に大事な情報源。
「四季報……! お前、四季報を書いているのか!? 」
異世界で四季報を書く女。それが彼女だったのだ。
「シキホウ? なにそれ。美味しいの? ……これは『企業調査録』よ。なんでもいいけど、座ってくれる? 締め切り近いのよ。貴方には市場分析の一役買って貰いたいの」
「おいおい、マジかよ……渡りに船だ」
幸雄は言われた通りに席に座ると、黙々と書き綴られていく原稿に目を通した。
自分の世界にあった『会社四季報』よりかなり見にくいし、情報も荒い。しかし、そこに書かれているのは紛れもなく企業分析の魂だ。
興奮冷めやらぬまま、幸雄はプロとしての意見を口にする。
「おい、もっとニコちゃんマークとか付けてみたらどうだ? 」
「……ニコちゃんマーク? 何のために? 」
「ソイツはやっぱ、一発で分かるためだよ。この企業がいいとか、悪いとか、顔文字で表すんだ。“ダブルにこちゃん”で『絶好調』とか“シングルにこちゃん”で『好調』とかな。数字が読めない馬鹿な投資家でも、顔文字なら直感で分かるだろ?」
「……へぇ。面白いわね、それ……そう言えば名前を訊いていなかった。なんていうの? 」
「波止場幸雄だ。アンタは? 」
「アタシはユノ。ユノ・モネータ。見ての通り、冴えない証券分析家よ」
ユノは、初めて幸雄に向けて興味深そうな笑みを向けた。
こうして、異世界初となる『相場師』と『証券分析家』の奇妙な共同生活は、静かに、しかし確実に幕を開けたのだった……?
「それじゃ今日は私、家に帰るから。戸締りよろしくね」
「ココに泊まるんじゃないのか? 」
「まさか。襲われたくないもの」
ユノに言われて、幸雄はきょろきょろと辺りを見渡したが、それらしき人物はいない。まさか自分がそんな強姦紛いのことをするような人間に見えるというのだろうか。いや見えるのだろう。幸雄は眉を顰め、腕を組んだ。
「そんな風に見えるか? 」
「需要がある処には食いつくのが貴方でしょ? 」
「残念だったな。俺は|下落トレンド《見た目で価値を計るような女》に投資する趣味はねえ───」
ゴッ、と鈍い音が響いた。
先ほどまで知的だったユノの拳が、的確に幸雄の鳩尾を捉えた音だった。
悶絶する男を残し、彼女は涼しい顔で事務所を出て行った。
読んで頂きありがとうございます。面白かったでしょうか?
個人的にはそこそこだと思っています。
出てきたヒロインのユノ・モネータさんの元ネタはユーノー・モネータ。
moneyの語源になった女神様らしいです。
wikiで調べました。
同じ元ネタで、ユノってつけた人絶対いると思います(確信)。
それではまた、次のお話でお会いしましょう。(´・ω・)ノシ




