最終話 私と彼女のこれからの話
季節は冬。琴声の大学卒業を目前にしたある日。
私は琴声の家で、彼女と同じコタツに潜りながら、肩を並べて一緒にとある動画を眺めていた。
『飲んでなくな~い? わっしょい! わっしょい!』
スマホで流している動画から、アホみたいなコールが聞こえてくる。
どうやら、私が通う白崎大学の、テニスサークルの飲み会風景らしい。
飲食店のテーブルの上に立って、お酒を浴びるように口へ流し込んでいる男の顔には、見覚えがあった。
「これ、琴声の知り合いだよね? 凄いことになってるんだけど……」
「いや本当に……私が居た頃は、ここまで馬鹿なことしてなかったはずなんだけど……」
SNSに投稿された飲み会の動画が拡散され、そのあまりのマナーの悪さから動画は大炎上していた。
ニュースにも取り上げられて、大学からは学生全体へ注意喚起するメールまで届いている。
飲み会メンバーとテニスサークルには何かしらの処分が下されることだろう。
「この飲み会の参加者、二十歳になっていない学生も居たんだとかで、もう収拾がつかないくらい問題になってるみたい」
「琴声……サークル辞めておいて良かったね……」
「就職先が決まってるこの時期に、自分が所属しているサークルでこんな問題が起こったらって考えると、生きた心地しないよ。現場に居たなんてことになったら……内定取り消し間違いなしだもん」
「うわぁ」
琴声は首をふるふると小さく振って、苦い顔をしていた。
私は見ていた動画をそっと閉じて、彼女の方に向き直る。
「お酒って怖いわ」
「透は、お酒が飲めるようになっても、飲み会で調子に乗って変な事をしちゃダメだよ」
私はあと数週間で誕生日を向かて、ついに二十歳になる。
とはいえ、飲み会なんてものは、私にはほとんど無縁なものだ。
元からサークルに所属していない私には、一緒に飲みに行くような人が居ないし、何よりもそれ以前の問題がある。
「大丈夫。私、そもそもお酒飲めないから」
「え、なんでそんなの分かるの? まだ飲んだことないでしょ?」
「両親共にお酒が合わない体質なんだよ。一口で顔が真っ赤になるタイプ。だから、私も無理だと思う」
「そーなんだ……まったく飲めないっていうのは、それはそれでちょっと残念かも」
「あれ、もしかして琴声、私と飲めるの楽しみにしてた?」
「……ちょっとくらいはね」
残念そうな琴声を見ると、なんだか悪いことをしてしまった気分になる。
生まれついての体質の問題なんていうのは、私にはどうにもならない話なのだけれど。
「一口舐めるくらいなら試してみても……」
「ダメダメ! それで透が倒れたら私、心臓止まっちゃうよ!」
「アハハ! そっか、じゃあやめておこうかな」
「笑い事じゃないよ……もう……」
話はすぐにテニスサークルの話題から逸れていった。琴声にとっては、もうあのサークルのことは、他人の話でしかないらしい。彼女が気にしていないというなら、私から語ることなどもう何もない。
テニスサークルと琴声の問題は、誰かが何をするでもなく、過去の出来事として記憶から薄れていくのだろう。
「それにしても、琴声の部屋で寛げるのも、あと一月だけなんだね」
「そうだね……あ~嫌だなぁ。やっぱり引っ越しやめようかな」
「ダメに決まってるでしょ? ここから琴声の職場まで、どれだけ時間かかると思ってるのさ」
「1時間34分……」
「やけに具体的な時間が出て来た……」
子どもみたいに不貞腐れた顔になる琴声の頭を軽く撫でて慰める。
すると、琴声は私の掌に自ら頭をぐりぐりと押し付けて来た。まるで大型犬だ。
1年前は琴声のことを、綺麗で頼りになる大人っぽいお姉さんだと思っていたものだけど、化けの皮はすっかり剥がれ落ちていた。
今となっては、琴声が私より2つ年上とは思えない。何かと甘えてくる彼女を愛でるのが、日常と化していた。
しかし、そんな彼女との隣人関係も、もう終わりを迎えようとしている。私は、口で言う事とは裏腹に、寂しさを覚えていた。
「往復3時間なんて……毎日やってたら大変すぎるでしょ? 大人しく引っ越しなさい」
「でも、透の食事面も心配だし……」
「そ、それは……頑張る」
「この前も、私が夕飯を作ってあげられなかった日は、カップ麺だったけど?」
「いや……それは…………」
相変わらず、食事面では琴声に頼りきりの私は、自炊という物ができていない。
この1年ですっかり琴声の料理に胃を掴まれてしまっている。いや、それは出会った数日目からそうだったけど。
琴声が私の食生活を心配する気持ちもわかる。生活力に関してはこの1年で全く成長していない。自分の不徳の致すところなので、これに関しては素直に情けないと思う。
「1人だけなら、何食べても変わんないなって思っちゃうんだよ……自分のためだけに自炊っていうのは、ハードル高くて」
「うわ~、その気持ちは、凄い分かる」
呆れた顔をされるかと思ったけれど、琴声はウンウンと何度も頷いた。
「私も透が隣に越してくる前は、同じようなこと考えてたんだよね」
「え? じゃあ、琴声も私が来る前はコンビニ弁当とか食べてたの?」
「ううん。ちゃんと自炊はしてたよ」
「あ、はい……」
やはり生活力という面では、競うまでもなくコールド負けしている。
琴声には何かと頼ってもらえるようにはなったけど、これに関しては私の方が寄りかかり過ぎている。
しかし言い訳をするなら、琴声は私が料理を手伝おうとすると断固として拒否するのだ。一度、自分でも自炊ができるようになりたいから、料理を教えて欲しいと言ったら、子どもみたいにヤダヤダ言って教えてもらえなかった。
『透が料理までするようになったら、私のお姉さんとしての威厳がなくなっちゃうよ!』
とかなんとか……。何かと落ち込む度、私に抱き着いてめそめそしているのに、今さらだろうとは言えなかった。
「まあ、1年くらいはなんとかするよ。最近は冷凍食品もしっかりした奴が多いしね」
「冷凍食品か……まあ、カップ麺よりは……」
唇を尖らせてそんな事を言う琴子に私はキスをしてやる。
「んっ……んんっ」
軽いキスのはずが、琴声に捕まって何度も繰り返された。ようやく離してもらえた時には、息も絶え絶えだ。
「ぜ、全然そんな雰囲気じゃなかったのに……」
「透からしてきたんじゃない」
「私のは軽いスキンシップだよ……」
艶っぽい琴声の瞳が、まだ私の唇を物欲しそうに見ていた。
これ以上はダメだ……退廃的な1日が始まってしまう……。
彼女の胸の中に吸い込まれそうな自分を理性で抑えこんで、私は「ゴホンゴホン」とわざとらしく咳払いをした。
「それより、私が4年生になったら本当に琴声の家にお邪魔していいの?」
「全然大丈夫。私は社宅に住むわけじゃないし、会社に何か言われたりはしないよ。むしろ、透の方こそ大丈夫?」
「このまま何事もなく順調に行けば、4年時はたまにゼミへ通うだけだからね。大学から離れても何とかなるよ。むしろ、就活のことを考えるなら楽になることの方が多い」
「そっか……じゃあ、一緒に暮らそう」
それは、しばらく前から琴声と相談していた同棲の計画。アパートの隣人関係が終わり、私たちは一時的に離れ離れになる。けれど、1年したら、一緒に生活しようという話になっていた。
「でも、その前に、さすがに親には何かしら説明しないといけないよね……」
「私の家族は何も言ってこないと思うよ。昔から放任だから。透の家は厳しいんだっけ?」
「ウチはどうかな……真面目な人たちだから……。猛反対されたりはしない気がするけど、間違いなく吃驚はされると思う」
「なら、私の頑張りどころだね」
「娘さんを襲った責任を取らせてくださいって?」
「ご、合意の上だから!」
下らない話をして、私は思わず吹き出してしまう。琴声もつられてカラカラと楽しそうに笑い声を上げた。
彼女との時間が、少しずつ過ぎ去っていく。
時間が後ろに戻ることはなく、ただひたすらに変化の連続が繰り返される。
私たちのこの関係もどこかでまた変化を迎えるのだろう。
そして、いつか終わりがやってくる。
その終わりは、きっと小さな幸せが降り積もった山の上で迎えるのだと、私はそう信じている。
【了】
ここまでお付き合いいただいた皆さん、本当にありがとうございます。
これにて本作『私の先輩が優しすぎる!』は完結になります。
作者は今後も気の赴くままに作品を執筆していく予定です。
よろしければ『ブックマーク』、『作品を評価』していただけると今後の作者のモチベーションになります。
よろしくお願いいたします!