第12話 私が先輩と百合な関係になるまでの話①
「透、これ、ちょっと味見してみてくれる?」
キッチンのカウンター越しに、琴声さんが小さな豆皿を差し出す。中には、照りよく煮詰められたカボチャが一切れ。ほかほかと甘い湯気が立ち上っていた。
「はい」
促されるままに、私はその一切れを口に運んだ。ほくりとした食感の後、優しい出汁の風味とカボチャ本来の甘みが口いっぱいに広がる。
「……美味しいです。すごく」
「ほんと? よかった。ちょっと醤油、入れすぎちゃったかなって」
「いえ、ちょうどいいです。ご飯が進みそうな味」
私の感想に、琴声さんは満足そうに頷いた。
あの日、涙ながらにお互いの気持ちを確かめ合ってから、私たちの関係は、また少しだけ形を変えた。
表面的には互いを下の名前で呼び合うようになっただけ。けれど、たったそれだけのことで、私は琴声さんと心の深い部分で繋がることができたような気がしてた。
琴声さんが私を、「透」と呼ぶたび、私の全身に幸せの波が押し寄せる。その響きは、世界で一番甘く、私の心を蕩けさせる。
「透は、本当に美味しそうに食べるよね。見てて気持ちいい」
「だって、琴声さんのご飯は本当に美味しいですから。ずっとずっと、毎日だって食べ続けたいです」
「え~、透は自炊が面倒だから、私にやらせたいだけじゃないの?」
「ち、違いますよ! 先輩の料理はそれだけ美味しいってことです!」
琴声さんは「もー、おだてたって何も出ないんだから」と照れくさそうに笑って、キッチンへと戻っていく。その背中を見つめているだけで、胸の奥がぽかぽかと温かくなった。
二人でスーパーへ買い物に行き、夕飯のメニューを相談する。琴声さんが料理を作って、私が食器を片付ける。まるで、ずっと昔からこうしてきたみたいに、私たちの日常は自然に繋がっている――。
そして、私たち2人の時間は、あのデートを境に夕食時だけにとどまらなくなった。
少し前までは大学内で会う事はほとんどなかったけど、木曜日と金曜日は決まって大学で顔を合わせるようになった。理由は、私と琴声さんの講義の時間が被っていたから。講義自体は別々だけど、互いに5限が終わったら家に帰ることになるため、それなら一緒に帰ろうということになった。
「あ、透、お疲れ様」
「あれ、琴声さん。どうしたんですか、それ?」
今日も、私たちは講義終わりに大学の門前で待ち合わせていた。
彼女は、両手にストローの刺さったカップを持っている。なんだか満面の笑みを浮かべた琴声さんが、私に片方を差し出した。
「購買にドリンクバーみたいのが出来ててね。試しにアイスコーヒーを買ってみたのだ」
「のだ……」
「反応するの、そこじゃないでしょ」
自分で言っておいて、琴声さんは若干恥ずかしそうに目を逸らした。可愛いからもうちょっと揶揄ってみたい気持ちと、可哀そうだからこのまま流してあげるべきかという葛藤が、私の脳裏で一瞬にして巻き起こる。結局、私はそれ以上この件について触れることはやめておいた。
「すみません。えっと、幾らでしたか?」
「いやいや。ここは先輩面させてよ」
「でも、ちょっと高そうですし……やっぱり出しますよ」
先輩が持っているアイスコーヒーとやらは、カップからはみ出しそうなサイズのアイスまで乗っている。
見た目からして200円というわけにはいかないだろう。たぶん500円か600円か……なんの理由もなくお金を出してもらうのは気が引けた。
「やだ!」
「やだ⁉」
しかし、たまに見せる先輩の子供っぽい一面が、今日は全開になっていた。
まさか「やだ」の一言で私の反論を全て封殺されるとは思わなんだ。
「わ、分かりました……いただきます」
「はい、どうぞ」
そう言って笑う彼女からカップを受け取ると、私たちはそのまま帰り道を歩き始める。
彼女の隣を歩く帰り道は、一人で歩いていた頃とは見える景色が全く違っていた。道端に咲く小さな花、空を流れる雲の形、夕暮れの街の色。その全てが、特別に輝いて見えた。
こんな幸せな毎日が、当たり前になりつつある。その事実が、たまらなく嬉しくて、同時に少しだけ怖かった――。
その日は、帰る途中、スーパーに寄って一緒に夕飯の買い物をした。メニューは、久しぶりのカレー。
琴声さんに作って貰ったカレーを食べるのは、始めて彼女からお裾分けをして貰ったあの日以来。
琴声さんの部屋で、二人並んでテレビを見ながらゆっくりと食事を楽しんだ。特に面白い番組がやっているわけではない。ただ、同じ画面を眺めて、同じものを食べる。
ただそれだけの時間。ただそれだけで、心地が良かった。
「やっぱり、琴声さんのカレーは美味しいです。毎日でも食べられそうですよ!」
「どうかなぁ。意外とカレーは飽きやすいよ?」
「琴声さんのカレーなら一週間は行けます!」
「そっか……一週間したら、私、飽きられちゃうんだ……ぐすん」
「い、一生食べれます!」
カラカラと笑う琴声さんを見ていると、私も自然と笑顔になれる。
けれど、彼女と分かち合う楽しい時間は、もどかしい。でも、そのもどかしさすら、愛おしい。
今はただ、この甘く切ない時間が、一日でも長く続いてほしい。
形あるものには終わりがやってくるというのなら、せめてそれは、幸せな終わりであってください。
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