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 何度剣を振るっただろう。何度剣を振るわれただろう。もはや腕の感覚はない。熱と疲労で思考も回らない。ただ生き残るため、必死に鉛の身体を動かし続けていた。耳を裂く絶叫。鼻を刺す土と血の匂い。何かが焼け焦げる異臭。

 前方から矢が飛来する。隣で戦っていた仲間が左手をかざし、淡い光の障壁で矢を弾いた。魔術の初歩。戦場に出る者ならば誰もが使える戦闘魔法だ。合わせるようにアゲイトスもまた左手を突き出す。しかし彼の掌からは光の粒一つ生まれることはない。代わりに分厚い鉄の盾を構え、必死に矢の衝撃を受け止めた。守り損ねれば致命傷だ。自然と手が震える。


そう。アゲイトスは、魔法が使えない。


 その事実を埋めるために磨き上げた剣技。村一番とうたわれた腕力。無駄だったとは思わない。現にこうして生き残っている。しかし、少し才能のある魔法使いと相対すれば、なすすべなく負けるだろう。その確信が、アゲイトスの心を澱ませた。

 戦場の中心部では、兵士と魔物たちの間で壮絶な魔法戦が行われている。その結果次第で戦場の趨勢は決まる。ゆえに戦場の只中にあっても、定期的に中心部を確認するのがセオリーだ。だが、アゲイトスは中心部を見なかった。見てしまえば、命を懸けて戦う気力を保てる自信がなかったからだ。

 幻のような数十分が過ぎる。目の前の敵と必死に戦い続けていたアゲイトスは、突如として響いた怒声に現実へと引き戻された。


「撤退だ!中央の防衛線が崩れたぞ!」

分隊長の絶叫がこだました。

 死ぬのは怖い。だがそれ以上に、どれだけ足掻いても「才能」の前では無力なのだと改めて突きつけられた絶望が、泥水のように心を浸していく。

(…今は、考えるな)

 アゲイトスは奥歯を強く噛みしめ、仲間たちが逃げていく濁流の中へただ生き延びるためだけにその身を投じた。


 鬱蒼とした森へ逃げ込む。誰もが我先にと仲間を突き飛ばし駆けていく。気を付けていても、無遠慮な衝撃は避けられない。肩に走る鈍痛に、アゲイトスは思わず舌打ちを漏らした。突き飛ばしてきた男に目を向ける。その必死の形相に、アゲイトスは苦い記憶を呼び覚まされた。この表情には見覚えがある。帰らなければならない場所がある人間の顔だ。

 以前の戦場で共に戦った男を思い出す。家に二人の子を残してきたと語っていた男。あの時も戦況は最悪だった。男はアゲイトスをおとりに使い、悲痛な表情で逃げていった。その記憶は、今でも脳裏に焼き付いている。大変な目に遭わされたが、不思議と彼を憎む気持ちは湧かなかった。

 それでも、やはり。敵の刃が与える鋭い痛みより、仲間から向けられる無遠慮な衝撃の方が、どうしようもなく彼の心を苛んだ。


 もう完全に戦線は崩壊したらしい。勝つために戦っていたはずの兵士たちは今ではただ逃げまどっている。アゲイトスもそのうちの一人だった。ああすればよかった、いやどうしようもなかった、と益体もない考えが脳裏をかすめる。しまいには、子供の頃からやり直せれば、とすら思ってしまう。

(…とにかく、生きよう)

ひたすら脚を動かす。人の群れはかえって危険だ。アゲイトスは本隊から少しだけ逸れ、獣道へと駆け込んだ。


 事前に想定していた逃走ルートの一つ。だが、そこへ一歩足を踏み入れた瞬間、彼は奇妙な違和感に気づいた。

(……静かすぎる)

ついさっきまで耳を劈いていた怒号や金属音が嘘のように遠のく。それだけではない。風の音、木々のざわめき、虫の声さえもが不自然に途絶え、まるで分厚い壁の内側にいるかのような不気味な静寂が満ちていた。事前に想定していたルートのはずなのに、誰も使った形跡がない。本能が警鐘を鳴らす。


……とはいえ、追手の恐怖とこの静寂、どちらがマシか。答えは決まっていた。アゲイトスは奥歯を噛みしめ、その異様な静けさの中を駆け抜けた。





「はあっ、はあっ、はあっ…!」

 どれだけ走ったか。あたりは異様なほどの静寂に包まれていた。おそらく1分も走っていないはずで、遠目には敵味方の姿がまだ見える。それなのにこの静けさは不気味ではあったが、しかし、少なくともいきなり矢が飛んでくることはなさそうだった。


「近くには誰もいないのか……敵も……」

 そう思うと急に喉が渇きだした。当たり前だ、全力で戦い通しだったので水を飲む暇もなかった。

 身体も限界に近かったので、とにかく安全な場所に移動することにした。折よく丘のふもとに洞窟の入口が見えた。追手の気配もない。アゲイトスは、ようやく訪れた安息に、思わずその場に座り込みそうになるのを堪えた。洞窟に一歩足を踏み入れると、ひやりとした空気が火照った肌を撫でる。外の喧騒とは切り離された、耳が痛くなるほどの静寂。そして、奥から漏れる淡い光。


(…なんだ、この光は? 松明の暖色ではない…もっと冷たい光だ。誰かいるのか?)

 敵か。その可能性に、アゲイトスの心臓が跳ねる。正直もう戦いたくない。彼は壁に背を預け、息を殺して慎重に奥を覗き込んだ。光の中心にある、巨大な影。その影が、人の手によるものではない、異質な何かであることを悟った時、彼は恐る恐るその姿を完全に視界に入れた。


「……は?」

 敵とか味方とか、そういった考えが一瞬にして吹っ飛んでしまった。

 洞窟の中央にそれはあった。優に人の背丈はある巨大な水晶が横たわっていた。美しいと思った、神聖だとも思った。しかし、それと相反する思考も脳裏にかすめた。まるで棺桶だ、と。

 一瞬、幻覚を観てしまったのかと思った。だが近づき手に触れるとひんやりとした確かな感触がある。まぎれもなく本物であった。手で触っていると、水晶が、それこそ棺のように蓋と身に分かれていることに気づいた。開けてみようか、とふと手を伸ばそうとしたところ、どこからか声がした。いや声ではない。直接頭の中に響いてくる幻惑的な声。まるで独り思考にふけっている時や、文章を読んでいる時に自然と聞こえてくるような声が、自分の意識とは無関係に聞こえてきた。

 それはどこか楽しげで、落ち着いた声だった。


(あらあら、お客様なんて本当に久しぶり。歓迎しないといけませんわね)

 と、まるで早朝のお茶会を楽しむ貴婦人のような、平和きわまる口ぶりだった。

 しかし、ここは戦場(一応)。アゲイトスは瞬時に剣を構え、声の主を探して辺りを見まわした。

 その警戒を見透かしたように声は悪戯っぽく続ける。

(そんなに怖がらないで。今の私にあなたをどうこうする力なんてないのだから)

 その言葉と共に中央の巨大な水晶がふわりと光を放つ。光の中から半透明の美しい女性が姿を現した。彼女は宙に静かに浮かんでいる。その姿を見てアゲイトスは息をのんだ。


「ゆ、幽霊!?」

「うふふ、そうよ。私、幽霊さんなの。正確に言えば魂だけの存在。だから安心して、あなたに害を及ぼそうとしても殆どできないの」

「あ、ああ…そうなのか…はは」

あははは、と乾いた笑いをあげてしまった。

(いよいよ幻覚まで観てしまったのだろうか…そういえば、めまいが…)

 そう、これは疲労による幻覚だ、水を飲もう。そう思い、腰にかけてある緊急用の水筒を飲み干した。前を見る。依然として彼女の姿はそこにあった。喉だけが潤っている。

 アゲイトスが奇妙な行動を取っている最中、まるで心を読んだかのように、彼女は

「まだ信じていないみたいね? いいわ、目を醒まさせてあげる」

 と言い、次の瞬間、アゲイトスの身体は温かい光に包まれた。戦いの疲労が嘘のように消えていく。

「回復魔法か…? 」


しかも、かなり高度らしい。疲労感まで消える回復魔法は今までかけてもらったことがなかった。

しかし、よく見ると、魔法を使ったクリステラの身体が、ほんの一瞬だけ、さらに薄くなったような気がした。彼女を包む光が、心なしか弱々しくなったようにも見えた。が、それもすぐに元に戻った。


何もかも不思議ではあるが、助けてもらったのは事実だ。

「だいぶ楽になった。ありがとう。俺はアゲイトスだ。君の名前は?」

「私の名前? クリステラよ。覚えておいてくれるかしら」

 クリステラと名乗った彼女はにこやかに微笑む。ようやくまともに話しあえた気がした。しかし、次の瞬間その表情からふっと笑みが消えた。その瞳の奥に、哀しみがよぎったような気がした。

「それでアゲイトス。あなた、魔法が一切使えないでしょう?」

「!? …ああ、そうだ。よくわかったな」

「ここに来られた時点でそうに違いないわ。よく頑張ってきたのね…… それでね、一つ提案なんだけど、あなたこの武器を使ってみない?」

 彼女、つまりクリステラが指し示した先。そこには一本の美しい剣が安置されていた。さりげない装飾、気品のある仕上がり。柄の部分には炎のように赤く輝く透明な水晶が埋め込まれている。


 アゲイトスはこの剣を観ていると、ふと不思議な感情が湧き上がってきた。

(……持ちたい)

 先ほどまで散々剣を振ってきた。正直今はもう武器は観たくない気分だったが、何故かあの剣から目が離せなくなっていた。

 アゲイトスは魔法が使えない代わりに、ありとあらゆる武器を握り、鍛錬を重ねてきた。剣に弓に、斧に槍。自慢ではないが、誰よりも武器を握ってきた自信はある。そのアゲイトスがこれほど強く惹かれた武器は初めてだった。


「その武器はね」

 彼が神聖な輝きを放つ魔剣から目を離せないでいると、クリステラはどこか楽しげな声で語り始めた。

「観て、水晶がはめ込まれているでしょう。この水晶は魔水晶と言って、私の魔力が結晶になったものなのよ。だから剣からは私の魔力で溢れているの」

 そう言ってクリステラはアゲイトスの手を優しく取り、震える指を剣の柄へと導いた。アゲイトスは驚いた。そのあまりの握りやすさに。まるで何年も使い込んできた自分の手足の一部のようにしっくりと馴染む。そして何よりアゲイトスが驚いたのは

「なんだ……この感覚は……?」

 魔力を持たない空っぽな身体の中に温かい力が流れ込んでくる。それは、生命の神秘、魔力であった。

 今まで甘みという味を感じたことのなかった人間が、初めて甘みを知ったら、同じような感動を味わうのではないだろうかと、ふと思った。それほど甘美な心地よさだった。


その温かい力が、心臓から全身の血管へと駆け巡る。体の中から、カッと何かが燃え上がるような熱。アゲイトスは思わず息をのんだ。中央の巨大な水晶に、自分の姿がぼんやりと映っている。そこにいたのは、見慣れた自分ではなかった。彼の黒かった髪が、まるで夕日の最後の輝きを吸い込んだかのように、その色を鮮やかな赤へと変えていた。瞳はまさに夕日そのものであった。


「これが……俺……?」

それは、彼がずっと焦がれてきた「才能」の色。あまりに突然手に入れたその輝きに、彼は喜びよりも先に、戸惑いを覚えていた。

「うふふ、それが魔力の手触りよ。言ってしまえばあなたは今までずっと片腕で戦ってきたようなもの。じゃあ試しにそのもう一方の腕を振ってみなさいな」

 クリステラの声に促されアゲイトスはおそるおそる剣を構える。

 その切っ先を洞窟の外に広がる影に向けた。向こう側には、魔王軍がいる。

「使っていいのか…?」

「ええ、もちろん。使ってごらんなさい」

 クリステラは優雅に微笑む。

「でもその代わり、一つだけ私のささやかなお願いを聞いてくれるかしら?」

「…なんだ?」

 クリステラはいう。

「私の無くし物を取り返してほしいの」

「無くし物…?」

「ええ…… 私の身体よ」

「え……? 身体? いや、君は幽霊なんだろう。盗まれたもなにも、君の身体なら、そこの水晶の中にあるんじゃないのか?」

アゲイトスはもっともな疑問を口にする。彼の常識では、魂の主の亡骸は、棺にあるのが当然だった。

「あら、違うわ。空っぽよ。私の大事な身体は、もうここにはないの。……盗まれてしまったのよ」

「盗まれた…?墓荒らしか何かの仕業か」

アゲイトスの声に、同情と、そして許せないという怒りの色が混じる。

「分かった。探そう。墓荒らしなんて許せないからな。ちゃんと身体を取り返して、心置きなく君を神の御許に送ってあげよう」

そう言ったら、クリステラはふふっと笑い、


「あら、この水晶はただのベットよ。それに、私はまだ死んでないわよ。ほら、この通りピンピンしてるわ」

と言って、その場でくるりと一回転してみせた。半透明のドレスがふわりと舞った。

「私も詳しく覚えてないんだけど、身体から魂を分離させる魔法をかけられてしまってね…… あくまで一時的に身体と魂が別々になってしまっただけ。だから、身体を取り戻せばまた生き返れるはずよ」

「ほう……?」


 生き返る? 魂を分離させる魔法? 魔術の才能がないアゲイトスにとって、理解しがたい話ではあった。しかし、嘘を付いている様子もなかった。幽霊にしてはピンピンしているというのも本当だった。幽霊になった人間は、死に際の生気を失った姿であることが多い。彼女の健康的な姿を観るに、それこそ健康に生きていたのに突然身体を奪われたというのは本当だろう。


そう合点がいくと、ふとクリステラが可哀想に思えてきた。彼女は死者ではない。生きているのだ。それなのに、肉体を奪われ、この薄暗い洞窟の水晶に、魂だけで囚われている。それは、仕方のない安らかな死よりも、ずっと過酷な罰のようにアゲイトスには思えた。

「…そうか。すまない、勘違いしていた。君は生きているのに、身体を盗まれたんだな。

分かった。その身体、俺が取り返してやる。墓荒らしよりずっと悪質だ。許せない」


アゲイトスの声には、先ほどまでの同情とは違う、強い決意の色が混じっていた。

「ふふ、話が早くて助かるわ。きっと、私の美貌が羨ましかったのね。私の身体を盗んだ人は、今頃私の身体で好き勝手うごきまわってるんじゃないかしら。ああ嫌だ嫌だ」

 と、クリステラは一人嘆いていた。


「それはそれとして、一つ聞くが……」 アゲイトスは疑念の目を、目の前の美しい幽霊に向ける。

「この剣を使う代償はあるのか? 魂をすり減らしてるとか、そういう話じゃないだろうな」

彼の率直な問いに、クリステラは悪戯っぽく微笑んだだけだった。

「心外ね。私はそんな悪趣味じゃないわ。あなたに求めるのは、私の身体を取り返してくれること。ただそれだけよ」


彼女はそう言ってのける。嘘は言ってないように思える。本当に他意はないのか。

(…今は、この力に乗るしかない)

疑念は残る。だが、この手の中にある力が本物であることも確かだった。そして何より、今はこの力が必要だった。


「…分かった。その頼み、引き受けよう。その代わり、早速だがこの剣を使わせてくれ。助けたい奴らがいる」

「ふふ、ありがとう。あなたなら、きっとこの子を使いこなせるわ。いえ、あなたこそきっと、その子の力を一番引き出してくれるって信じてる」


 そういって、契約は成立した。 この剣の名前はモルフォリアと言うらしい。素敵な名前だと、素直に思った。

 アゲイトスがモルフォリアを握り直し、洞窟の外へと一歩踏み出した、その時だった。 遠く、森の奥から、聞き慣れた絶叫と、魔物の咆哮が響いてきた。先ほど、自分を突き飛ばし、我先にと逃げていった仲間たちの声だ。どうやら、魔王軍の追手に捕まってしまったらしい。

(助けよう)

「あらあらあの人たちはさっき貴方を…… でも助けるのね。お人好しなのねえ、貴方は。いいわ、存分に使いなさい。」

 と、見透かしたようにクリステラは語った。

 助かる、とそう言い残して、アゲイトスは、声がした方向へ、森の中を駆け抜けていった。





開けた場所に出ると、そこには数体の魔物に囲まれ、絶体絶命の仲間たちの姿があった。

「ちっ、もうおしまいか…!」

 仲間の一人が、諦めたように武器を取り落とす。その彼の前には、巨大な爪を振り上げる一体の魔物がいた。


 間に合え…! アゲイトスは地を蹴った。 戦場では幾度となく繰り返してきた踏み込みである。剣を振るう基礎の基礎。違うのはただ一つ。 身体の奥底から温かい力が満ち溢れ、かつてない力がほとばしる感覚だ。

「はっ…!」

 アゲイトスの振り抜いた剣は、ただの刃ではなかった。 太刀筋に沿って、剣先から淡い赤色の光が迸り、魔物の腕を薙ぎ払う。突然のことに、魔物はひどく驚き、声にもならない叫び声を上げた。

「な……!?」 「誰だ……!?」 突然の助けに仲間たちも驚いた。アゲイトス自身も、自らの放った一撃に驚きながら、しかし今は目の前の仲間を救うことだけに集中した。この敵はやっかいだ。戦場中心部にいた敵だろう、明らかに格が違った。

 彼は地を蹴った。 前方から魔物の攻撃が来る。だが、もう盾はいらない。 敵の攻撃は最小限の動きで躱し、剣で弾く。 そして、振るう剣は全てが魔法の刃となって、魔物の全身を次々と切り裂いていった。

 再生した腕を、アゲイトスの光の刃が瞬く間に切断する。何度傷を癒そうとも、それ以上の速度で切り刻む。圧倒的な力の差を前に、ついに魔物の瞳に恐怖の色が浮かんだ。魔物は、こちらに歯向かおうとする気概を失い、ただ地面を転がりながら何とか逃げようとしていた。


ふと、攻撃の手を止めてしまった。魔物と言えど生きている。そして、恐れという感情もあるらしい。

……だが、見逃すわけにはいかない。ここで止めなければ、もっと後悔することになる。それほど、魔王軍の魔物は恐ろしいの一言に尽きる。一体、何十何百の村が魔王軍に潰されたのか、今となってはもう分からない。


だから、アゲイトスは一言、

「ごめんな」

 と言い、最後の剣を振り下ろした。

 あたりには、再び静寂が戻る。 助けられた仲間たちは、目の前の光景と、名も知らぬ英雄の姿をただ呆然と見つめていた。 そしてしばらくすると、安堵の声が賞賛に代わり、「英雄だ!」「誰だか知らないが助かった、本当にありがとう!」と、感謝の声が沸き起こった。誰もこの英雄が、魔力の使えないアゲイトスだとは思わなかった。


仲間たちの賞賛をどこか遠くに聞きながら、アゲイトスは自らの掌を見つめていた。まだ力が痺れるように残っている。これが、魔力。これが、俺のしたこと。


(英雄なんかじゃない。俺はただ…)

と、言葉にならない感情に戸惑っていると、不意にクリステラの楽しげな声が頭に響いた。


(すごいじゃない、アゲイトス。初めてにしては上出来よ)

彼の内なる葛藤を見透かしたようなタイミングだった。


「ああ、見ていたのか。助かった、ありがとう。この魔剣、本当に凄いな」

  (ふふふ、凄いでしょう。でも貴方も凄いわよ。モルフォリアちゃんのこと、本当に丁寧に扱ってくれて私も嬉しい。きっとその子を一番輝かせてあげられるのは貴方だって確信したわ)

 とクリステラは悪戯っぽく笑った。 アゲイトスは、彼女の言葉の意味をまだ知らない。 だが、確かな手応えだけが、彼の掌に残っていた。



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毎週金曜日の7時に更新予定です。

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