潔癖症の彼となんでも食べるあたし
「はい」
外袋から取り出したメロンパンを、その袋の上に置いて、彼に差し出した。
「あ……、ごめん。最初に言えばよかったね。袋を開けてくれるだけでよかったんだ」
ビニール袋から出した割り箸を持って、待ち構えていた彼が残念そうに笑う。
「え……。食べられなくなっちゃったの? なんで?」
あたしが首をひねって聞くと──
「外袋にばい菌がついてるから。ごめん、潔癖症で……」
彼がそう答えたから
「ああー」と、あたしはようやく納得した。
見た目は綺麗な外袋だった。それが汚いかもなんて思ったこともなかった自分を恥じた。
「でもそんなんじゃ、そのうち食べられるもの、なんにもなくなっちゃうよ? 世界は滅びちゃったんだから……」
あたしたちは元々丘の上公園だった荒地から街を見下ろす。何もかもが崩れ、廃墟と化している。
彼が両手にはめている白い手袋も黒ずんできた。新しい手袋を見つけてあげなくちゃ。きっとどこかの瓦礫の下に、ビニール包装に守られて、綺麗なままの手袋があるはずだ。
手袋が汚れてきたから、彼は自分の手で触ったものを口に入れられない。だからメロンパンを食べるにも割り箸を使う。袋は手袋をしていると開けにくいので、あたしが開けてあげる。もう何日も手を洗っていないのでけっして手袋は取らない。
あたしは心から謝った。
「せっかく消費期限切れてないメロンパン見つけたのに……。ごめんね? 一年も日持ちする商品、珍しいのに」
「いいよ。またどっかから見つかるよ」
彼はちっとも嫌そうな顔や迷惑そうな顔はしない。
内心は相当残念だろうのに、あたしにそんな顔はけっして見せない。
そういうところもきっと正しく潔癖症なのだ。
メロンパンの外袋に触れたところだけちぎって取り除いてあげても無理だろう。早くに気がついてあげればよかった。あたしが手を触れただけで、もうそれは食べられないものになっていたのだ。
「このメロンパン……捨てるね?」
「もったないよ! サキが食べちゃえよ」
「でもユウくんの前で食べるの悪いよ」
「いいって! サキだけでも生き延びてほしいからさ!」
励ますように笑う彼の顔も薄汚れてきた。
綺麗にしてあげたいけど水道は壊れてるし、何よりあたしは彼に触れられない。
子孫を作ろうと提案したことがあるけど、その時、彼にこう言われた。
「ごめん……。僕、他人に触れるの、無理なんだ」
あたしは潔癖症とは正反対。
世界が滅ぶ前から菌に対する抵抗力があった。
消費期限を一ヶ月過ぎたぐらいなら平気で口に入れた。地面に落ちたパンでもぱんぱんと手で叩いて平気で食べた。食べられる草を知っていて、ちぎってそのままむしゃむしゃ食べる。
でもそんな草も今は大抵枯れていて、食べられるものといえば瓦礫の下からたまに見つかる文明の贈り物か、カエルしかない。
カエルは結構いる。もちろん汚染されたカエルだが、あたしは毒に耐性がある。丸焼きにして、内臓までぜんぶ食べる。
彼は寝たふりをしてくれてる。見たらさすがの彼でも嫌そうな顔をするだろう。でも、あたしは食べる。生きるために、食べる。
汚れた水ならあるから、それを飲む。茶色い雨が降るのをペットボトルに溜めて、茶こしで浄化したのを飲む。ユウくんもさすがに喉の渇きを抑えられないのか、何度か浄化を繰り返してあげると、目を瞑ってそれを飲んだ。瓦礫の下から発見したビニール袋入りの紙コップを、同じく掘り出したアルコールスプレーで消毒して、それに入れて飲んだ。
「これからあたしたち、どうなるのかな……」
人影のまばらな街を見下ろしながら、あたしはユウくんに聞いた。
「大丈夫。きっと未来はあるからさ」
彼は励ますように笑い、あたしに言ってくれた。ハンカチをお尻の下に敷いて、座りながら──
「サキはきっと生きていけるよ。僕なんかと違って、逞しいからさ」
そして、光が消えるように、死んでいった。
「何より僕はハッピーエンドしか好きじゃないから」
その笑顔が今でも忘れられない。
あたしはあれからもずっと生きている。カエルを食べながら。どんな悲惨なものを見ても心を壊されることなく、生きている。
街を歩く人たちは既に人間じゃなくなっている。錆だらけのバールで頭を砕き、とどめを刺してあげながら、赤い空の下をあたしは歩き続ける。
冒険者として強いのは、あたしだ。
でも今でも思う。人間として高貴だったのは、ユウくんのほうだったのかもしれないと。彼はじぶんの信念を貫き、人間として生きた。人間として生き続けることが不可能だと知って、笑いながら死んだ。
あたしはみっともなく生き延びている。
あてもなく、目的もなく、ただ生きるためだけに、みっともなく、生き続けている。