006 零れる笑顔に癒される
玄関扉は開いたままだったので、「失礼します」と一声かけて部屋に上がる。奏さんの家の中は、ガランとしている。星志君の部屋の床は、黒でシックな雰囲気だったけど、こちらは床も壁も真っ白だ。入ってすぐにあるシューズクロークもガラガラで、必要最低限の靴しか置いていないようだった。
清香は、真っ直ぐな廊下を歩いてリビングへと向かう。扉を開けて中に入ると、「うわー」と驚きの声が出てしまう。
「何もない……」
驚くほど、物が何もない部屋だった。リビングにあるのは壁掛け式の大きなテレビと、その前に真っ白なラグ。ダイニングには、これまた真っ白なダイニングテーブルが置いてあるだけ。生活感が全く感じられず、これでどうやって生活しているのだろう? と疑問が浮かぶ。
どこもかしこも白で統一された部屋は、掃除はこまめにしているのかチリ一つ落ちていない。持っていたトートバッグを、部屋の隅に置くとキッチンへと向かう。キッチンも思った通り白で統一されていて、備え付けのカップボードの中には、必要最低限の食器しか置かれていなかった。
アイランド型の立派なキッチンは、全く使っていないのか新品同様のピカピカだ。クッキングヒーターにも汚れは見当たらない。
「こっこんな綺麗なキッチン……。油断なんてできないな……」
汚すことは許されないと圧を感じ、恐れおののく。そうは言っても、食事を頼まれたのだから家政婦として作るしかない。
やるしかないと、材料を確認するために冷蔵庫を開けさせてもらう。中は、ガランとしていてベーコンと卵、あと缶ビールが入っているだけ。
キッチンの棚も一応全部確認したのだけど、玉ねぎとレンジで温めるパックのご飯が出てきた。
「とりあえず、ご飯があって良かった」
清香は、手を洗いオムライスを作った。本当に簡単で、具が玉ねぎとベーコンだけというシンプルなものだ。牛乳があったら卵に入れたかったのだけど仕方がない。次回は、ちゃんと材料を揃えてから作ろう。救いだったのは、一通りの調味料だけはあったことだ。ケチャップがなかったらオムライスは作れなかった。
出来上がったオムライスをお皿に乗せて、ダイニングテーブルに運ぶ。飲み物は、キッチンにウォーターサーバーがあったのでお水を注いでお皿の横に置いた。
料理ができたのはいいけれど、奏さんはどこだろうか? と視線を階段の上に向けた。
一階にいないということは、恐らく二階で何か作業をしているはずだ。勝手に二階に上るのは気が引けたけれど、下から声を掛けても気づかないと思ったので階段を上った。
上の階には、扉から音が漏れている部屋がある。きっとあの手前の、一番広い部屋にいるのだろうと軽くノックをした。
「はい」
「あの、食事ができあがりました」
ガチャリと扉が開くと、耳全体を覆う形のイヤホンを身につけた奏さんが顔をのぞかせる。その背には、パソコンや何に使うのかわからない電子機器、それにギターやキーボードなどの楽器がたくさん置かれていた。床には、白い紙が散らばっていて他の部屋とは全然違う雰囲気だった。
「早いね。今行く」
「はい」
清香は、先に一階に降りてキッチンに戻る。気合を入れて、後片づけをするつもりだった。使う前のように、ピカピカにしなければいけないと使命のようなものを感じる。きっと、奏さんは綺麗好きなんだろうと片づけをしながら考えていた。
無心でフライパンを洗っていたら、いつのまにか下に降りてきていた奏さんと目が合う。
「美味しい」
奏さんが、オムライスを食べていた手を止めて、へらりと笑ってくれた。美男子の突然の笑顔に、清香はクラクラしてしまう。
だけど、そんな感情を悟られる訳にはいかない清香は、普段通りの表情を心がける。
「ありがとうございます。ごくシンプルなオムライスで申し訳ないんですが……」
「いや、充分、美味しい」
初対面の時の不機嫌さがすっかり消えていて、清香はホッと息をつく。一応、家政婦として合格点をいただけただろうかと安堵する。
奏さんにそっと視線を向けると、止まることなく食べ進めてくれている。今まで、家族以外に自分の作ったものを食べてもらう機会がなかったので、喜んでもらえて素直に嬉しい。
星志くんや奏さんに喜んでもらえて、絶対にここで働きたいと本当の意味で感じていた。
―――「リリリリンーン」
静かだった室内に、スマホの着信が鳴り響く。奏さんの方から聞こえるのだけど、彼は一向に電話に出ない。もちろん奏さんにも聞こえているはずで、それで電話に出ないのだからきっとわざとなのだ。
余計なことは言わない、考えない、見ないと清香は呪文のように自分に言い聞かせる。
奏さんが出なかった電話は鳴りやみ、室内の静けさが戻る。しばらくは、清香がキッチンを片づける音だけが聞こえていた。
「ごちそうさま」
奏さんは、満足そうにコップのお水を飲んでいる。清香は、食器を下げるためにダイニングテーブルの方に向かった。
「明日も来られる?」
「はい。お隣の星志君には、明日の十時に洗濯を頼まれているので、その時間以外なら大丈夫です」
「同じ時間に食事作りに来て。買い物も行って欲しい」
「もちろんです。何か食べたいものありますか?」
「和食」
奏さんはそう言うと、座っていた椅子から立ち上がってクローゼットの方に歩いて行く。何かを出して、こちらの方に戻って来た。
「お金。二、三日分の食材買ってきて」
奏さんの手には、一万円札が握られている。
「かしこまりました。では、正午ちょっと前に伺いますね」
「鍵はポストに入れとくから。番号1212」
清香は一万円を受け取って、「ありがとうございます」と頭を下げる。ポストの暗証番号も覚えやすくて助かる。でも一応、スマホのメモアプリに書き込んだ。
「よろしく」
奏さんは、無表情だったけれど清香に対して普通に接してくれた。星志君との扱いの違いに、ギュッと心を掴まれる。もちろんこれは、人として好感を抱いただけだ。
だって、星志君の最後の態度が余りにも酷かったから。清香に釘を刺したかっただけなのかもしれないけれど……。奏さんは、言葉数少ないし表情にも気持ちが出てないけれど、さっきのご飯を食べた時の笑顔が全てをチャラにする。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
清香は、バッと深く頭を下げた。すると、またしても奏さんのスマホが鳴った。だけど、何事もないかのように、ポケットに入っていたスマホをダイニングテーブルの上に置いて去って行く。
「作業に戻るから。片づけ終わったら帰って」
そう言う間にも、奏さんのスマホからは「リリリリーン」と音が鳴っているのだけど完全に無視している。スマホをそのままにして、奏さんは二階に上がってしまった。
なぜ、電話に出ないのか物凄く気になる清香だけど、大人しく片づけに戻ったのだった。