005 二軒目の住人
外に出て頭が冷えてくると、なんてものを見させられたのかとちょっと呆れてしまう。星志君は、確かに格好良かったけれど、あくまでも自分のお客様になったのだ。お客様とどうこうなりたいだなんて思わない。
でも、いちさんからの禁止事項に「家主を好きになるな」と記載されていたのは、何でなのかわかった気がする。もしかしたら、あのルックスで家政婦から好意を寄せられて迷惑することがあったのかもしれない。
だから、勘違いするなと見せつけられたのかと推測する。理解したところで、でも自分は違うしとちょっと気に入らない。今さっき出てきた玄関を睨みつけると、清香は絶対に好きになんかなんないです! とあっかんべーをした。
「よし。気持ち切り替えていこう」
清香は、拳を握って気合を入れると星志君の隣の扉に視線を移す。今日中に、あと二人のお客さんに挨拶だけでもしておきたい。自分の腕に嵌る時計を見ると正午過ぎだった。お昼時にご迷惑かもと考えなくはなかったが、顔合わせは早い方がいいと判断する。
102と書かれた表札には、名前の記載がないので、また訊ねるしかなさそうだ。勢いにかまけてインターホンを押す。
今度はどんな方なのか、ドキドキするがなかなか応答がない。もう一度、インターホンを押したけれど残念ながら出てきてくれることはなかった。そのまま、二つ隣のインターホンを押した。やはり誰も出てこない。
よくよく考えてみると、今は平日の昼下がり。普通の社会人なら会社に行っている時間だった。これは出直した方がいいだろうと、今度は103号室の扉の前に立った。
いちさんから、使っていいと言われた部屋番号は103号室。清香は、トートバッグからさっきメモを書いたレシートを出し番号を確認する。
レシートに「5865」と書かれていたので、玄関扉の横にある郵便ポストの暗証番号に、その数字を打ち込む。すると、カチッと鍵が開く音がして、ポストの扉を引いてみるとすんなりと開いてくれた。
中を覗いて見ると、シルバーの家の鍵が二個入っている。その鍵を取り出して、103号室の鍵穴に差し込み回した。鍵が開いた感覚があり、玄関扉を思いっきり開けると、誰も住んでいないから当然なのだが真っ暗だ。
これってもしかしたら、ここも掃除から始めないと住めないのでは? とちょっと思ってしまう。靴を脱いで、玄関の電気を手探りで探すとスイッチらしきものに触れ押してみる。だけど、明かりが点かない。ハッと、清香は気づく。
誰も住んでいなかったので、電気やガスが止めてあるのだ。
「えー、そこからなのかー」
家具をのそまま使っていいと言われていてので、何もしなくても住める状態なのかと思い込んでいた。でも、人が住んでいなかったのだからよく考えたら当たり前だ。清香は、壁に手を添えながら廊下を歩いて行く。とにかく、リビングの方に行こうと動き出す。
先ほど入った星志君の部屋の間取りを思い出しながら、リビングの扉だと思われる場所まで進んだ。思った通り扉があり、中に入ると廊下と違って明るい空間が出現した。
星志君の部屋と全く同じ作りだったけれど、置いてある家具の趣味が違う。星志君の部屋は、黒と白のモノトーンでまとめていたけれど、こちらは観葉植物が多く置いてある。
すでに枯れてしまっている物もあり、空室になってから時間が経っているみたいだった。
「星志君の部屋はシックで格好いい部屋だったけど、こっちはグリーンが多くて落ち着く感じだ。こんな素敵な部屋に住めるなんて夢みたい」
清香は、部屋の素晴らしさにうっとりしながら佇む。すると、左隣からなんとなくだけれど音楽が聞こえる気がする。大きな音と言うよりは、抑え込めなかった音が漏れているようなそんな感じ。
「ん? お隣さんって、もしかしている?」
音楽を聴いていたから、インターホンの音が聞こえなかったのかもしれない。もう一度留守か確認した方がいいと判断して、お隣さんに行ってみることにした。
研修期間は一週間しかないのだ。早く挨拶をして、できれば信用を勝ち取りたい。何と言っても清香は生活が懸かっている。必死になるのも仕方がない。
回れ右をして玄関に戻り靴を履く。しっかりと鍵をかけてから、左隣の102号室の前に立った。インターホンを押して、暫く待つも全く応答がない。
清香は、内心ごめんなさいと謝りながら何度も何度もインターホンを押した。
「うるさんいんだけど!」
突然、玄関の扉が開いて怒った顔の男性が顔を出した。
「ご、ごめんなさい。あの……私、いちさんから依頼されて来ました土田清香と申します。今日から、家政婦としてよろしくお願いします」
清香は、さっきの星志君みたいに、すぐに扉を閉められたら困るから早口で必要なことをしゃべり切る。
「家政婦? 若い子は雇わないことになったんだけど……」
出てきた男性は、疑心暗鬼の顔で清香を見る。初めてきちんと男性の顔を見ると、とても綺麗な顔をしていてちょっと驚く。鼻筋が通り目元がきりっとしている。髪は、ブリーチで色を抜いたのか綺麗な白。肌もわたしなんかよりもずっと白くて綺麗で、お人形さんみたいだった。
「えっと、急遽決まりまして……。あっ、これが証拠です」
清香は、肩に掛けていたトートバックから自分のスマホを取り出して、いちさんからのメールを掲げた。男性は、清香が掲げたスマホを除きこむ。
「嘘じゃなさそうだね」
「はい。もちろんです!」
まだちょっと、疑わしそうな顔はしているけれど何とか信じてくれたようだ。
「あの、いきなりで申し訳ないですが、今日何か仕事ありますか? なければ、明日から本格的に働こうと思います」
清香がそう言うと、男性はちょっと考えている。
「僕のところは、主に洗濯とご飯なんだけど……。そういえば、今日何も食べてないんだけど何か作れる?」
玄関の枠にもたれながら話す男性は、線が細くてどこかもろさを感じる。
「え? 食べてないんですか? もうお昼過ぎてるのに……。私で良ければ何か作ります。冷蔵庫に何か入っていますか?」
清香は、折れてしまいそうな男性が心配になってお節介かと思ったが聞いてしまう。
「最近、買い物も行ってないからな……。清香って言ったっけ? 上がって確認して。作業に戻るから」
「あっ、すみません。お仕事中でしたか……。もちろんです。それと、お名前だけ教えて頂いてもいいですか?」
清香は、またしても名前で呼ばれてドキッとしてしまう。自分の場合は、相当親しい間柄でないと名前で呼ぶ習慣がないので、いちいちドキドキしてしまう。
しかも、星志君とはまた違った格好良さで、声も素敵だし、普段ならお近づきになる機会なんてないだろう相手。でも、だからこそ心のトキメキは駄目なのだと自分を叱責だ。
「小林奏」
「小林様ですね。よろしくお願いします」
清香は、バッと勢いよく頭を下げた。
「奏で」
「はい」っと清香が、頭を上げた時には、もう奏さんはそこにはいなかった……。
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