004 油断は禁物
「ごっ、ごめんなさい」
清香は、星志君の近さに直視できず手で自分の顔を覆ってしまう。
「もう、なんなんだよ」
呆れた声を出しながら、星志君が体勢を戻す。
「何か、尖がった物を踏んでしまって……」
星志君がベッドから降りてくれたので、清香も起き上がり自分の足裏を見る。まだ、踏んだ方の足はじんじんしていて痛い。
「ああ、悪い。ピアスが落ちていたみたいだ」
黒い床の色と同化してしまいそうな、紫色の尖っているスクエア型のピアスを拾い上げる。それを見た清香は、あれを踏んだら痛いよと足裏をさする。
「すみません……。ゆがんだり壊れたりしていませんか?」
清香は、高価そうなピアスを壊していたらどうしようと懸念が襲う。
「まあいいよ。壊れていても何かプレゼントすれば許してくれるから」
星志君は、そう言うとピアスをズボンのポケットに入れて歩いて行ってしまう。清香はベッドから立ち上がると、急いで声をかけた。
「待って下さい。弁償するなら私もお金出します」
自分の持っているお金で足りると思えないけれど、分割にしてもらって払うしかない。
「あーいいって。プレゼントする理由ができて丁度いいから」
「本当にすみません」
断られてしまったのを、しつこくするのも悪いとその場は引き下がる。弁償しない代わりに、何かで埋め合わせをしようと硬く誓う。
「引き続き、掃除よろしく」
淡々とした口調でそれだけ言うと、星志君は部屋を出ていった。清香は、床に目を向けるともう油断はしないと心を新たにする。用心深く掃除機をかけ、ベッドのシーツも取り換えやり残しがないことを確認すると部屋を退出した。
一階に降りようと階段に足を下ろすところで停止する。掃除機と洗濯物のシーツ、両方を持って階段を降りるのは先ほどのこともあるし止めた方がいいと判断して、掃除機を一度床に置いた。
一階に降りると、星志君はソファーに座ってテレビを見ている。それを横目に、洗面所まで行きドラム式の洗濯機にシーツを放り込む。もう一度、二階まで戻って掃除機を取り、さっき仕舞われていたクローゼットの中に戻した。
周囲を見回して問題ないことを確認すると、清香は星志君のところに行って声をかけた。
「星志君、お掃除終わりました。シーツは、洗濯機に入れましたけど洗いますか?」
星志君は、見ていたテレビを一度止めて清香を見る。
「これから彼女来るから、洗うのは明日でいいよ。明日は何時に来られる?」
「えーっと。基本的には、何時でも大丈夫ですが……」
パン屋の仕事が無くなってしまったので、特に予定はない。もう一つのバイトは、登録制のバイトなので予定を入れなければ大丈夫だ。
今清香は、大学の夏休み中なのであと一ヵ月くらい学校はお休み。夏休みの間に稼ごうと思っていた清香は、パン屋のバイトをみっちり入れていた。
「そしたら、10時くらいに来て」
「かしこまりました。では、今日は失礼させていただきます」
清香が頭を下げて挨拶をすると「ピンポーン」とインターホンが鳴った。
「出て」
「あっ、はい」
清香は、言われるまま玄関へと向かい扉を開けた。
「星志ーお待たせ」
扉を開けるなり、清香に抱き着こうとする女性に一歩退く。
「あのっ、星志君はお部屋です」
出て来たのが、清香だと気づいた女性は瞬時に態度を変えた。
「ちょっと、あんた誰? 星志は私の彼氏なんだけど!」
「かっ家政婦なんです」
清香は、女性と距離を取って説明する。よくよく見る女性は、清香よりも年上で甘い香水の匂いが香る。赤い口紅が印象的な大人の女性だった。
「本当なんでしょうね?」
疑わしそうな眼差して、清香を見る。
「星志君に、聞いていただければわかりますので。リビングにいらっしゃいます」
清香がそう答えると、疑惑の眼差しの彼女は高いハイヒールを脱ぎ一人で廊下を歩いて行った。その後を、清香も追いかける
。
「ちょっと星志ー、本当にこの人、家政婦なの? 実は浮気してんじゃないでしょうね?」
女性は、ソファーに座っていた星志君に詰め寄り追及している。だけど、星志君は全く焦った風もなく平然としている。
「当たり前だろ。やっと新しい人雇ったらしくてさ。それに、俺がこんな田舎娘を相手にすると思う?」
星志君は、喋らなければ誠実そうな見た目なのに話す言葉はきつく鋭い。清香の胸には、グサッと鋭い痛みが走るが気にならない顔をする。星志君が言うのも仕方がない。だって本当のことなのだ。
「もう、やだー。そんなこと言ったら、かわいそうよ」
女性の方は、かわいそうと言いながらも顔は笑っている。「ほら、こっち座って」と星志君が、女性の手を取って引き寄せると自分の隣に座らせた。その距離は近く一寸の隙間もない。
「もう。星志ったら。まだ家政婦さんいるのに」
そう言う女性は、まんざらでもなく嬉しそう。お暇するタイミングを見失った清香は、ボケーっと突っ立っていた。すると、清香の目の前で二人はいちゃつき始め、しまいにはキスまでしだす。
「んっ……うん……っちゅ」
清香は、バッと後ろを向いて持ってきたはずのトートバッグを探し手に取る。後ろを向いたまま「失礼します」と声をかけて、足早に部屋から出た。
玄関を出る前に、入って来たままの位置にある女性のハイヒールを綺麗に揃えた。邪魔にならぬようにと、そっと玄関を出て扉を閉める。
「見せつける必要あった?」
顔を赤くした清香から、納得がいかない気持ちが零れた。