031 看病
朝、目を覚ますと枕もとにペットボトルとスマホが置かれていた。スマホを手に取り、電源を入れるとメッセージが入っている。
起きたら、連絡下さいと成瀬さんからのメッセージだった。ベッドから起き上がるが、まだ体が重く喉が痛い。起きたら、治っていないかと淡い期待を抱いていたのだけど……。そんなに甘くなかったようだ。
奏さんは、体温計も枕もとに置いてくれたようで自分で熱を測ってみる。ピピピッと鳴ったので、体温計の数字を見ると37.8と出た。昨日の夜よりも下がっているけれど、まだまだ高い。
仕方がないと、成瀬さんに起きましたとメッセージを送った。ついでに時間を確認すると八時前だった。朝早い時間に申し訳ないと思っていたら、すぐにメッセージが戻って来ていまから行きますと書かれていた。
しばらく待っていると、部屋の扉をノックする音が聞こえる。
「はい」
「成瀬だけど、入っていい?」
「大丈夫です」
清香が返事をすると、成瀬さんが顔を出す。
「どう? 具合は」
「朝早くからすみません。お仕事大丈夫でした?」
「僕のことはいいの。清香ちゃんは、どう?」
いつも笑顔の成瀬さんが、今日は真剣な顔をしている。それだけで、もう大人しく看病してもらおうと諦める。
「えっと、喉が痛いのと体がだるいです。さっき熱測ったら、37.8度でした」
「昨日の夜は、39度だったんだよね? 朝は、少し下がったのか。ちょっと胸の音聞くよ?」
成瀬さんは、カバンから聴診器を出して耳にかける。清香は、大人しくベッドに腰かけて聴診器を胸に当ててもらう。後ろも向いてと言われて、背中も聴診器が当てられる。
「はい、じゃー次は口開けて」
成瀬さんは、聴診器の次は小さなライトと舌を抑える棒みたいのをカバンから出す。清香は、自分の家でお医者様に診察してもらえるのなんて、物凄い贅沢だなと思いながら口を開ける。
「うん。喉が赤いね」
成瀬さんは、補聴器やライトをカバンにしまう。
「夜また、熱が上がるかもしれないけど……。喉風邪かなー。今日は日曜日だし、とりあえず僕が持ってきた市販薬を飲んどいて。明日も熱が下がらないようなら、病院かなー」
「はい。ありがとうございます」
「大学が始まって、ちょっと疲れちゃった?」
成瀬さんが、清香の顔色を伺いながら訊ねる。
「自分では、そんなに無理してるつもりなかったんですけど……。大学もお仕事も楽しかったし……」
「ここに来てから、一日ゆっくりすることなかったんじゃない?」
「んー。確かに……」
「今日は日曜日だし、ゆっくりしなさい。朝ご飯、食べられそうなもの作ってくるから」
成瀬さんが立ちあがって、部屋を出て行こうとする。
「えっ。そんな大丈夫です。成瀬さんだって疲れてるのに。私、自分で適当に何か作って食べますから」
「全く。こういう時は、甘えていいの。ちょっと待ってて」
成瀬さんが、清香の頭をポンポンと叩いてから部屋を出て行った。昨日から、奏さんも成瀬さんも清香を子ども扱いして甘やかす。
実家にいる時でも、こんなに甘やかしてもらうことなんてなかったのに……。
清香の家は、商売をしていて家族経営ということもあり、父親だけでなく母親も忙しい人だった。清香が体調を崩しても、手が回らないから早くよくなってと突き放されるようなことが日常茶飯事。
だから、優しくされることに慣れていなくて、鼻の奥がツーンと痛み目頭が熱くなる。
「駄目だ。体だけじゃくて、心までよわよわになってる……」
清香は、ベッドに入ってガバッと布団の中に潜り込んだ。30分くらいたった頃、ノックの音が鳴り響く。
「俺、入っていい?」
今度は、星志君の声だった。清香は「はい」と返事をすると、扉が開き星志君が入って来た。
「成瀬さんと交代な。あの人も休ませないとかわいそうだから」
「迷惑かけてすみません……。それと昨日も、部屋に運んでくれてありがとうございました」
清香は、横になったまま首だけ縦に動かす。
「具合が悪い時はしょうがないだろ。昨日のことも、気にしなくていいから。ほら、おかゆだって。食べられる?」
「はい」
星志君が、おかゆをよそったお皿をお盆に乗せて清香に渡してくれる。お皿を見ると、卵粥だった。
「わぁー美味しそう。成瀬さんって料理もできるんですね」
清香は、スプーンですくってフーフー息を吹きかけておかゆを冷ますと口に入れた。ちゃんと出汁が入っていて、美味しい。
昨日の夜は、ほとんど何も食べなかったのでお腹が空いていたのかパクパクと食べ進める。
「昨日は、悪かったな……」
床に腰を降ろした星志君が、ポツリと気まずそうな声をもらす。清香は、言われてそう言えばそうだったと昨日のことを思い出す。
あの時は、慣れない熱に感情がコントロールできなくて、清香自身もよくわからないことを言ってしまっていた。
「えっと、その……。私こそ、意味わからないことを口ばしってしまいまして……。すみせんでした」
「いや、清香が言ったことが正しいよ。俺も言い過ぎたって反省して、すぐに謝りに行った」
星志君が謝ったと聞いて、ちゃんと約束を守ってくれたことが嬉しかった。
「良かった! じゃあ、仲直りしたんですね」
清香は、おかゆを食べながらにっこり笑顔を零す。あんな風に別れてしまうなんて、やっぱり悲しいから。
「いや。それでもやっぱり、別れてきた。二度目は、ちゃんと冷静に話し合ったから」
「そう、なんですか……」
別れたと聞いて、もうなんて言っていいのかわからない。星志君的には、失恋をしたという訳だし……。でも、清香なんかが慰めるのも違うと言うか……。
「言っとくけど、別に落ち込んでねーから。あいつには悪いけど、最近マジで気持ちがなくなってたって言うか……。俺さ、今は仕事だけを頑張るわ。メンバーで一番人気ないって言われて、何も言えなかったしさ……」
星志君が、心なしかしょぼくれているような気がする。でも、きっと星志君なら大丈夫。
「でも、私、青推しですよ? この前の生放送見て、格好良いって思いましたよ。ほら」
清香は、自分の部屋にある机を指し示す。そこには、アイドル小林星志のテーマカラーである青いペンライト、缶バッチ、フェイスタオルが飾られている。
「お前、何買ってんだよ……」
「だって、成瀬さんが教えてくれたんです。グループで一番好きな人を推しって言って、その推しのカラーで応援するんだよって」
「何で、テレビ見てんだよ……。俺、これから仕事だから。後は、もう大丈夫だな? 夜、成瀬さんが顔出すって言ってたから。もう後は寝とけよ」
星志君は、いきなりスクッと床から立ち上がって顔も見せずに颯爽と部屋から去ろうとする。
「うん。星志君、ありがとうね。お仕事頑張ってね」
「清香も、早く元気になれよ」
星志君は、背を向けたままそう言うと部屋から出て行った。清香は、みんなが心配してこうやって看病してもらって自分はなんて果報者だと思う。
「ふふ。おかゆ美味しい」
人から作ってもらったご飯が久しぶりで、それが本当に嬉しかった。




