026 メイク、服装、髪型
成瀬さんは、何事もなかったかのようにソファー前に置いてある、テーブルの上の雑誌を手に取る。ページをぺらぺらと捲り楽しそうだ。
その横顔を清香は、何の気なしに見ていた。成瀬さんは、最初に会った時から愛想が良くて、いつもにこにこしているから怒ることがあるのかと疑問だ。
白衣を着ていた時も、普段と変わらずに柔らかい雰囲気で、自分が患者さんだったらきっと頼りきってしまいそう。
「ねえ、清香ちゃんは、どうな感じがいいの?」
成瀬さんが、雑誌から顔を上げて清香に訊ねる。彼が見ていた雑誌を横から覗くと、女性の髪形がたくさん載っていた。
「何も考えてなかったです」
清香は、素直に本当のことを言った。朝から、お化粧、洋服と、トントン拍子に解決していって、自分でも追い付いていないのだ。
「そっか。今は、結構長いけど、短くしたくないとかあるの?」
「いえ、特にそんなことはないんですけど……。短いと、髪型アレンジしなきゃとか、寝癖ついちゃうなとか、そんなものぐさな理由ってだけです……」
清香は自分で言ってて、恥ずかしくなってくる。そんなことばかり思っていたら、いつまでも田舎娘から脱却なんてできる訳ないのだ。
「なるほど。じゃー、別に短くしたくない訳じゃないと」
「はい。ただ、ずっと長くしていたので……。私、短いの似合いますかね?」
もうずっと長いこと伸ばしているので、短い髪の自分を思い描けない。
「可愛いと思うよ。僕の意見だけじゃ不安だろうから、美容師さんにも相談しようね」
成瀬さんは、清香と目を合わせてにこりと笑う。清香は、頬をほんのり赤く染めつつ「はい」と小さく返事をするので精一杯。
今日はもう、一生分くらい「可愛い」って言ってもらった気がする。なんだか、もう充分だなと満足した気持ちになっていた。
「お待たせしました。ご案内しますね」
美容師さんがやってきて、清香たち二人をカッティングチェアーに案内してくれる。隣同士だと気になってしまうからという事で、少し離れた席に着く。
「美容師の脇坂です。よろしくお願いします。今日は、短くするってことでいいのかな? なんか、成瀬さんのリクエストももらったけど」
脇坂さんは、大きな鏡越しに清香を見ながら話してくれる。
「成瀬さんの、リクエストですか?」
「あれ? 聞いてない? 肩ぐらいで、緩くパーマかけて欲しいみたいよ」
「パーマですか?」
清香は、全く考えていなかった提案にびっくりしてしまう。パーマをかけるなんて考えは全く浮かばなかった。
「僕も、可愛いと思うよ。結構なイメチェンになっちゃうから、無理にとは言わないけど」
清香は、鏡に映る自分を見ながら考える。パーマをかけた時の自分を、上手く想像できなくて悩む。でも、折角お二人にお勧めされているのだし……。自分じゃ思い切った選択はできそうにないし……。
「あのっ、じゃあ、それでお願いしてもいいですか?」
「もちろんだよ。可愛くなるように頑張るねー」
脇坂さんが、鏡越しににこっと微笑んでくれた。今日は、清香にとってご褒美みたいな一日だ。パーマだなんて未知の世界でちょっと不安だったけれど、段々とワクワクした気持ちになってくる。
東京に来ることになった清香は、家族から抜け出して自分自身も変わりたいと希望を持っていた。それが、東京にいざ来てみると余裕なんて全くなくて、地味で田舎臭さが抜けなくて、そんな自分から目を逸らしていた。
みんながチャンスをくれた今、変わらなかったらもう二度と変われない気がする。
髪を一度洗った後は、先にカットをされる。みるみる内に短くなっていく髪に、ワクワクとドキドキとちょっとの不安が入り混じる。
カットが終わると、カーラーで一本一本丁寧に巻かれ、最後に機械につながれる。初めての体験に、ずっと美容師さんの作業を見ていた。
「では、これでちょっと置きますね。雑誌見て、待ってて下さい」
脇坂さんは、タブレットを清香の前にあるテーブルに置くとどこかに行ってしまった。清香は、鏡の中の自分を見て、これがどうなるのだろう? と楽しみでしょうがない。
自分の気持ちを落ちつかせるためにも、タブレットを取り雑誌を見ることにした。
髪の様子を見に来た脇坂さんは、問題ないことを確認するとカーラ―から機械を外す。続いて、カーラ―も取っていく。全部取り除かれた清香の髪は、クルクルになっていた。
もう一度シャンプー台で髪を洗いながし、仕上げカットをして最後にドライヤーで髪を乾かす。すると、肩にかからないくらいの長さで、ふるゆわパーマがかかっていた。
「はい。終了です。お疲れ様でした。どうかな? 凄く可愛いけど」
清香は、鏡に映っているのが自分じゃないみたいで面食らう。自分で、自分のことを可愛いだなんておこがましいけれど……。自分の人生史上、一番可愛いのはたしか。
「凄い」
清香は、顔がにやけてしまうのを止められなおい。お化粧は星志君がしてくれたから、いつもよりも華やかな顔になっているし。
奏さんがプレゼントしてくれた服で、女性らしい可愛さが加わっている。そして、成瀬さんが提案してくれた髪型で田舎臭さが抜けて都会っぽく洗礼された。
「気に入ってくれたかな?」
「はい。ありがとうございました」
清香は、キラキラな顔でお礼をいう。いつまでも、鏡を見ていたいくらい嬉しい。
「じゃあ、成瀬さんに見せに行きましょう」
「あっ。はい」
途端に清香は 緊張してしまう。成瀬さんが清香を見て、どんな反応をしてくれるだろうか? 段々と鼓動が早くなる。
「成瀬さん、お待たせしましたー」
脇坂さんが、清香の前を歩いていたので前方で成瀬さんに声をかけているのが聞こえる。清香は、はやる気持ちを抑えてゆっくりと脇坂さんの横に立った。
ソファーに座っていた成瀬さんは、ゆっくりと読んでいた雑誌から顔を上げて清香を見る。成瀬さんの顔が期待通りだと満面の笑みを零す。
「いいじゃん。すごく可愛い」
「……ありがとうございます」
清香は、褒められて恥ずかしくなってしまいちょっと顔を俯ける。
「よし、じゃあ、折角だから美味しいものでも食べてから帰ろう」
成瀬さんが、ソファーから立ち上がって清香を出口に促す。
「えっ、あのっ。代金は? って私、お金持って来てないです!」
清香は、自分が何も持って来てないことを思い出す。突然、奏さんに車に乗せられてきたから何も持っていないのだ。
「あっはっはっは。もう、払ったから大丈夫だよ」
「え? そんな悪いです! お家に帰ったら払いますから」
「この前のお弁当のお礼だよ。じゃー、ありがとねー。また来るわ」
成瀬さんは、脇坂さんにお礼を言うとそのままお店を出てしまう。
「成瀬さん! だってあれは、私が勝手にしたのに」
「だからだよ。野菜がたくさん入ってて、おにぎりも体に良さそうな具だったし。清香ちゃんが、心配してくれているんだなーって思ったら嬉しくてさ」
成瀬さんが、横を歩く清香の手をギュッと握りフワッと笑った。そんな笑顔を見せられたら、清香はもう何も言えない。そんなに喜んでもらえるなんて思っていなくて、自分の方が嬉しくて幸せな気持ちになる。
「じゃー、また作ります! 今度はスープジャーも買って、スープも付けますね!」
清香は、じんわりと滲む涙を押し殺し笑顔でそう言うのが精一杯だった。




