023 奏さんの反応
お化粧を施してもらった後、星志君はすぐに出かけるということだったので簡単に食べられるおにぎりを作る。余計なお世話だったかなと思ったけれど、星志君が嬉しそうに貰ってくれたので作って良かったとホッとする。
星志くんと知り合ってから、十日間くらいのはずなのに最初の頃のトゲトゲが無くなって嬉しい。自然と、顔も綻び笑顔になる。
「何、そんなに、にやけているんだよ」
怪しげな顔で星志君に視線を送られる。
「私、にやけていました? だって、星志君の刺々しさが無くなったから嬉しくて」
「刺々しいって言うな。普通、あんな風にいきなり現れたら不振に思うだろ」
「いや、本当にその通りなんですが……。私も、必死だったもので……」
星志君の言い分に、清香も苦笑いだ。言われてみたら確かに、自分も不審人物だったなと反省だ。
「清香って社会人なのか?」
「えっと、一応大学生なんですよ。バイト先のパン屋さんが突然、倒産してしまって……途方に暮れていたら、いちさんが助けてくれたんです」
「へー。大学生なのか。じゃあ、俺行くから。メイクで分からないことあったら、いつでも聞けよ。せっかく俺が教えたのに、さっきみたいなできは許さないからな」
「はい! しっかりメモったので大丈夫だと思います」
清香は、ピシッと姿勢を正して星志君に言い切る。練習しないと駄目だと思うけど、正解が何かわかったからなんとかなるだろうと思っている。
「じゃーまた明日」
「はい。いってらっしゃいませ」
星志君が玄関で靴を履き、扉を開けると颯爽と出て行ってしまった。清香は一人でリビングに戻ると、洗面台まで行ってもう一度鏡をよく見る。いつもの冴えない顔が、ちゃんと明るく華やかになっている。
「お化粧って凄いんだな」
清香は、感心の余り独り言が零れた。
さっき、星志君に作ったおにぎりの余りを自分で食べて、今度は奏さん宅に向かう。毎日のお昼ご飯の準備だ。インターホンを押して鍵を開けて中に入ると、珍しく人の気配がした。
リビングの扉を開けると、奏さんが白いラグにゴロンと横になって音楽を聴いていた。
「おはようございます。今日は、もう起きていたんですね。急いでご飯作りますね」
「うん」
奏さんは、もう当たり前のように清香を受け入れてくれて、こちらを見ることなくマイペースに過ごしている。変に気を遣ってくれるよりも、これくらいでいてくれた方が清香も楽なのでありがたい。
早速、キッチンに入ってお昼の準備を始める。今日は、パスタにしようと材料を揃えていたので、作業台の上に品物を出して料理に取り掛かる。手を動かし始めると、周りは気にならなくなりひたすら頭の中の作業工程をこなす。
「ねえ、今日いつもと違くない?」
「ん?」
野菜を切っていた手を止めて、顔を上げるとキッチンの入り口付近に立っている奏さんが目に入る。
最初は、何のことだろうと思ったけれどちょっと考えて思いつく。そうだった、さっき星志君にお化粧してもらったんだ。
「そうなんです。この前、奏さんが言ってくれたからかもなんですが……。星志君がお化粧してくれたんです。星志君ってお化粧できるんですって。凄いですよね」
清香は、ニコニコしてしゃべる。奏さんが気づいてくれたことも嬉しかった。すると、奏さんがツカツカと傍に寄って、スッと手を清香の顔に添えた。何事? っと驚く清香を無視して、奏さんがじーっと見てくる。
「ふーん。あいつ、なかなかやるじゃん」
気が済んだのか、手を放して何事もなかったかのようにリビングに戻っていく。
「えっ? 今のは、なんなのでしょう?」
清香は、奏さんの行動の意味が分からずに頭の中は疑問で一杯。だから奏さんに問いただそうしたのだけど、パスタを茹でていた鍋が噴きこぼれそうになっていることに気付いて慌てふためく。
急いで走り、火を弱めたので危機一髪だった。奏さんのキッチンは、とにかく綺麗なので汚すことは許されない。
別に、奏さんに怒られた訳ではないが……。これだけ部屋を綺麗にしていて、キッチンもピッカピッカなのだ。流石に、清香が汚すことは躊躇われる。
「良かった。吹きこぼれる一歩手前だった」
安心感から、さっきの出来事は頭から吹っ飛び料理の続きに戻る。野菜を切りながら、何か忘れている気がしたけれど思い出せない清香だった。
「奏さん、お昼できました! 今日は、野菜たっぷりミニストローネとなすのトマトスパゲッティです」
清香が、ダイニングテーブルに料理を並べ終わると奏さんに声をかけた。奏さんは、ゆっくりとラグから立ち上がってダイニングテーブルにやってきた。
「美味しそう」
「今、お水持ってくるので食べて下さい」
清香がキッチンに戻ると、奏さんが食べ始めたのがわかる。奏さんは、黙々と食べ進めてくれるので部屋が静かだ。
清香は、水を持って行った後は後片づけを始める。今日は、自分でもテンションが高いとは思っていた。無事に引っ越しも終わったし、星志君にお化粧してもらって嬉しかったし、きっとウキウキしてはしゃぎすぎていた。
「清香」
珍しく、まだ食べ終わっていない奏さんから呼ばれる。
「はい?」
清香は、洗い物をしていた手を止めて奏さんの方に向いた。
「ちょっと、恥ずかしいんだけど」
奏さんが、頬を微かに赤く染めて照れくさそうにしている。
「え? 私、何かしました?」
「無意識? 鼻歌歌っているんだけど……。この前作った曲……」
清香は、言われてハッとする。確かに、フフンとリズミカルに歌っていたかもしれない。プロで、しかも曲を作った本人の前で歌っているなんて穴があったら入りたい。
「す、すみませんっ! 私ごときが大切な曲を歌ってしまって」
「いやっ。そういんじゃないんだけど……」
奏さんは、言いたいことが通じてない清香に諦めたのか、表情を戻して食事に戻る。清香は、かぁーと赤くなる顔を止めることができずに、暫く火照ったままでお皿を一心に洗っていた。
「終わった?」
片づけが終わった清香が、キッチンから出て来ると奏さんが声をかけてくれた。どこかに出かけるのか、今日の奏さんはちゃんと着替えもしている。
「はい。今日は、洗濯とか夜ごはんどうしますか?」
「洗濯は、さっきやったからいい」
「じゃあ、また夕方に夜ごはん作りに来ますね」
清香は、エプロンを外して帰ろうとする。
「これから時間ある?」
「はい。何もなければ、成瀬さん宅の片づけをと思っていたくらいです」
「じゃーいいな。ちょっと付き合って」
何だろう? と奏さんの後に着いて行くと、そのまま外に出てしまう。どこかに行くのか? と疑問に思っていたら「こっち」と手招きされた。奏さんは、玄関前の駐車場に止まる車に乗り込もうとしている。
助手席の窓が開けられて「清香も乗って」と言われてしまう。
「あのっ。私、何も持って来てないんですけど……」
「そのままでいいよ。早く」
奏さんが急かすから、言われるままに仕方なく車のドアを開けて助手席に乗り込む。乗ったはいいけれど、乗り慣れない車に居心地が悪い。流石と言うべきか、奏さんの車の中も綺麗で汚してしまわないか心配になる。
「シートベルト」
「はっ、はい」
清香がシートベルトをすると、奏さんは車のエンジンをかけて駐車場から発進させる。一体どこに連れて行かれるのか、頭の中は疑問で一杯だった。




