020 成瀬さんのお仕事
二人に夕飯を作った夜、片づけを終えて103号室の自分の部屋に帰って来た。リビングでくつろいでいた清香のスマホに、成瀬さんからの連絡が入る。
成瀬さんからの連絡は、朝ご飯を作った日以来だ。ちょっと心配していたから、連絡が来て安心する。内容を見ると、職場に着替えを届けて欲しいと言うことだった。
清香は、もちろん大丈夫だと返事を送る。するとすぐに、詳細の書かれたメッセージが送られて来た。
『聖花大学病院に十時。1階のロビー』
清香は、すぐに「了解です」と返事を送った。星志君も奏さんも、特殊なお仕事だったので、成瀬さんがどんなお仕事をしているのかちょっと興味はあった。だけどまさか、お医者様だったなんてびっくりだ。忙しそうな感じに納得するが、一方で心配になってしまう。
清香は、病院の場所を調べてそれほど遠くないことを知る。駅の近くなので、通勤には便利そうだ。
明日は、星志くんは朝から彼女とどこかに行くらしく、朝ご飯はいらないと言われたた。奏さんは、いつも通りお昼ご飯を作りに行けばいい。午前中の時間を上手く使おうと今日はもう早く眠りについた。
朝、早く起きた清香は、成瀬さんにお昼を持って行こうとお弁当を作る。ほとんど家に帰って来ないので、成瀬さんがいつも何を食べているのか気になってしまったのだ。
部屋もお世辞にも綺麗とは言い難かったので、自分で自炊していると思えない。いらないと言われたら自分で食べればいいし、ついでなので奏さんの分も作る。たまにはお弁当も喜んでくれるかもしれないと思ったのだ。
作った料理を、100均のプラスチックのパックに入れる。できるだけ、彩りよく色のついた野菜を多く入れた。おにぎりも二つばかり握ってできあがりだ。
本当は、温かいスープなどもあれば良かったのだけど、液体を入れられる容器がなく諦める。今度、探しておこうと頭の隅にメモを取った。
お弁当を作り終えると、成瀬さんの部屋に行ってお願いされた着替えを一揃え出して紙袋に詰めていく。着替えの場所も、メッセージに書かれていたので迷うことなく準備は終わる。
それほど、時間がかかることなく自室に戻ってきた清香は、まだ時間に余裕があったので引っ越しの見積もり予約をネットで頼むことにした。調べたら、思ったよりも単身者の引っ越しは高くなかったので無理なくできそうだ。
荷物も少ないから、できれば値引いてもらえるように頑張ろう。
自分の用事を終えると、出かけるのに丁度いい時間になる。清香は、作ったお弁当を忘れずに持って駅へと向かった。電車に乗ってついた病院は、駅から徒歩5分の場所にありとても立派な建物だった。大学病院に来るのが初めてだったし、ちょっと気後れしてしまう。病院の出入り口は、おじいちゃんやおばあちゃんなどがせわしなく出入りしている。今日は土曜日だからか人の出入りが多い。
清香も、入り口に向かって院内に入る。入ってすぐに受付カウンターがあって、数人の患者さんが並んでいたりする。周りをキョロキョロと見渡してロビーらしきものを探す。
入って見える場所には見当たらす、周囲を見渡しながら中に進む。すると、突き当りを曲がったところに、ロビーらしき場所を見つけた。その場所は、診察を終えた患者さんたちが、椅子に座って会計を待っているところだった。
清香は、人の邪魔にならないように隅の方で立ち止まる。見回してみるけれど、成瀬さんらしき人は見当たらない。
着きましたとメッセージを送ろうとスマホを出して、アプリを立ち上げていた。視界の端に、白衣を着た男性がロビーの奥から歩いて来るのが見えた。スマホから顔を上げて、白衣の男性に目をやると、部屋にいる時とは違う成瀬さんだった。
お仕事中の成瀬さんは、しゃっきりしていて白衣がとても似合っている。どっからどう見ても、お医者様だった。
成瀬さんは、清香に気付いたらしく手を上げてこちらに来てくれた。
「わざわざごめんねー。場所すぐにわかった?」
清香に話しかけてくれる成瀬さんは、アレースで見た時の優しい笑顔で気安い感じがそのままだ。
「はい。駅からも近かったし、すぐにわかりました。これ、着替えです」
清香は、手に持っていた紙袋を胸の高さまで上げて成瀬さんに渡す。
「ありがとう。いい加減、着替えが足りなくて。悪いんだけど、これは洗っといてくれる?」
成瀬さんが、清香の持って来た紙袋を受け取ると自分が持っていた袋を清香に手渡した。多分、帰っていなかった分の洋服が入っているのだとわかる。
「了解です。成瀬さんってお医者様だったんですね。私、何も聞いてなかったからびっくりしちゃいました。なんか、家にいる時と雰囲気違いますね」
清香は、寝起きで髪に寝癖を付けていた成瀬さんを思い出してちょっと笑う。
「あー。いちのやつ、何も話してないの? あいつも適当だからなー。ってか、清香ちゃんちょっと酷くない?」
「ふふふ。だって、この前は寝癖ついていたし、寝ぼけていたし………」
「こらこら、こんなところで暴露しない」
成瀬さんが、まいったなと言うように苦笑いだ。
「すみません」
清香はふふっと笑いながら謝る。成瀬さんも、仕方がないなと笑ってくれた。
「あのっ。ずっと聞きたいと思ってて。成瀬さんのお部屋、片づけてもいいですか?」
「あっ、いいの? 頼むつもりではいたんだけどね。中々帰れなくてさ。良ければお願いするよ」
「触っちゃいけない所とかありますか? 自室は入らないで欲しいとか」
「そうだねー」
成瀬さんがちょっと考える。
「一階は別に特に問題ないけど、俺の部屋だけちょっとそのままでもいいかな? 布団干したりとかは全然かまわないんだけど」
「了解です。じゃー自室は、帰って来ている時に、成瀬さん監修のもと片づけますね」
「はは。どうしても片づけたいんだ」
成瀬さんが、可笑しそうに笑う。
「だって、床が見えていませんでしたよ……」
「うん。まーね」
清香の返答に、気まずそうな顔をする。そこで、清香はお弁当のことを思い出す。
「そうだ。成瀬さん、お弁当作って来たんですけど食べますか? 必要なければ持って帰ります」
「えっ。本当? すごい嬉しいよ。いつもコンビニだから」
喜んでくれた成瀬さんに、清香は嬉しくて笑顔になる。お弁当を入れていた小さめの手提げ鞄ごと成瀬さんに渡す。
「食べられない物が入っていたら、無理して食べなくていいですからね?」
「いや、そんなに嫌いな物ないから大丈夫だと思う。清香ちゃんのご飯、美味しかったから楽しみだな」
お弁当の入った鞄を見ながら、成瀬さんが嬉しそうに微笑むから清香まで嬉しくなる。自分のしたことで、こんなに喜んでもらえると思わなかったから心が温かくなる。成瀬さんに、受け入れてもらえていることがこの上なく嬉しい。
「作って来て良かったです。あのっ、お家にもちゃんと帰って来てくださいね。ちゃんと寝て下さい」
「ありがとう。清香ちゃんが待っててくれるなら、ちゃんと帰るよ」
成瀬さんが、嬉しそうに優しい笑顔で清香の頭をポンポンと撫でる。それが、成瀬さんとの距離が急に近くなったように感じて頬が熱い。清香の存在を受け入れてくれる事実が幸せだ。
「じゃあ、お部屋綺麗にしておくので、早く帰って来て下さいね」
清香は自分が言った言葉が恥ずかしくてはにかみ気味だ。成瀬さんとのやりとりに、ほのぼのとしていたけれど、突然スマホの着信音が鳴り響く。
「あっ。ごめん。戻らないと。本当にありがとうね。気を付けて帰ってね」
成瀬さんが、スマホの画面を見ながら清香にそう告げる。
「はい。成瀬さんもお仕事頑張って下さい」
「またね」
成瀬さんは、手を振って慌ただしく来た方向に戻って行く。最後に、清香は成瀬さんの去って行く顔を見て疲れているように感じた。
目の下にクマができていたし、血色がいいとも言えない。お医者様って大変だなと、去って行く後ろ姿を目で追いながら思わずにはいられなかった。




