017 定食屋
清香は、荷物の片づけを諦めトートバッグを持つと玄関に戻る。本当は、旅行カバンに詰めた荷物を持ったら、アレースに戻りたかったのに……。今日は、こっちに戻って来ないと駄目そうだと溜息を零す。
涼太には、自分のことはほっといて欲しい。だけど、それを言っても聞いてくれないので、気が進まないのを押し殺して玄関扉を開けた。
「早かったな」
「うん。トートバッグ取って来ただけだから」
「どこに行く?」と聞きながら、涼太はアパートの廊下を歩きだす。本当は外食している場合じゃないのだけど、仕方がないからどこがいいかと考える。アパートのある駅から離れて、大学の方に行った方がいいかもしれない。
「大学の方に行く? そっちの方が安くて美味しいお店たくさんあるから」
「そうだな。そうするか」
涼太が、快諾してくれたので駅へと向かう。駅までは、アパートから歩いて十分くらいだ。こうやって涼太の隣を歩いていると昔を思い出す。
小学生の時も、中学年まではずっと一緒に登下校をしていた。高学年になると、男女で一緒に歩くだけで、友達にからかわれるから一緒に帰らなくなったけど。物心ついた時から涼太とは一緒にいるから、清香にとっては家族のような存在だ。友達とも親友とも違う、家族。
「なあ」
「ん?」
隣を歩く涼太が、清香に声をかける。それは、いつもと同じ気安さだ。
「来月、清香の誕生日だろ? 何か欲しい物ある?」
「あーそうだ。記念すべき二十歳。実感わかないけど」
すっかり忘れていた、自分の誕生日。世間では、二十歳と言ったら大人の仲間入りとして盛大に祝われるおめでたい日だ。清香は、誰かに祝ってもらえるなんて期待はしていない。その分、早く大人になりたいと思っていたから、やっとだという感情の方が先にくる。
最近の慌ただしさで、すっかり忘れていた。
「何か、欲しい物ないのかよ?」
「ん-。欲しい物は、人にもらえるものじゃないしな……」
「なんだよそれ」
涼太は、煮え切らない清香が面白くないらしく不満げな顔だ。
「ねえ、それよりさ。涼太こそ、いつまでも私の心配なんかしないで好きなことしなよ。なんで、東京の大学来たの?」
「また、その話かよ……。別に心配している訳じゃねーし。夏休みで会うことないから、顔見に来ただけじゃんよ。嫌なの?」
「嫌とかじゃないけどさ……。東京来てまで、幼馴染を気にしなくていいって言ってんの」
涼太は、「はぁー」と盛大な溜息をついている。清香にしてみたら、溜息つきたいのはこっちだよと言いたい。
「清香さ、彼氏欲しいとか思わないの?」
涼太が唐突に聞いてくる。今までの話の流れで、なんでその質問になるのかよくわからない。
「いたら楽しいだろうなと思うけど、そんな余裕ないでしょ。私は、自分のことだけで精一杯よ? 涼太は、今いるの? 中高は、色んな子と付き合っていたよね」
清香は、中学、高校時代の涼太を思い出す。いつも可愛い子が隣にいた。彼女がいるのにも関わらず清香にも絡んでくるから、よく女の子から嫌味を言われたものだ。
でも、清香は何もやましいことはしていないし、いつの時代も自分のことで精一杯だったから、そんな女の子たちに構っている余裕なんてなかったけど。
「そっ、そうだったか?」
涼太の横顔を見ると、なんでか焦っている。
「そうだったか? って……。よくそんなこと言えるね……。私、全部は把握してないし、数えたこともないから知らないけど、かなりの数じゃない?」
「まー、俺も、普通に青春? は、してみたかったし……。でも、今、彼女はいない!」
「ふーん。そうなんだ」
別に、誤魔化す必要なんてないのに。さっさと彼女作って、清香のことは忘れてくれていいと思ってしまうのが本音だ。
「そうなんだって……。あのさ……俺に彼女がいて、嫌だなとかちょっとでも思ったこととかないの?」
涼太が、視線を彷徨えつつ訊ねる。
「ないよ。なんで嫌だと思うの?」
清香は、迷うそぶりもなくきっぱりと言い切る。歴代の彼女たちに、誤解されるようなことがあったのだろうか? それなら申し訳ない。
「はぁー」とまたしても、涼太が大きな溜息を吐いて手で顔を覆っている。かと思ったら、突然、涼太に手を繋がれた。
「は? なんで、手なんて繋ぐの?」
「昔は、いつも繋いでたじゃん」
「それ、いつの話よ?」
清香が、涼太の手から自分の手を振り払おうとするが、しっかりと掴まれて離してくれない。
「たまにはいいじゃん。俺、お盆は福岡帰るから会えなくなるし」
良くはないんだがと思うが、ここで言い争うのも馬鹿らしくて大人しく繋いだままにした。もうすぐ駅だからいいかと思うことにして。涼太と手を繋いで帰る雰囲気が、一緒に帰っていた学校帰りと重なる。夏真っ盛りの夕方は、日が暮れるのにはまだ早く、空は明るい。蝉の鳴き声が良く響き、今は夏なんだなとふと青い空を見上げた。
駅から電車にのって、大学がある明大前駅まで来ると涼太おススメだという定食屋さんに入る。おススメだと言われるだけあって、量が多くて価格が安い。
今日は、遠慮せずに涼太に奢ってもらうつもりでいた清香は、アジフライ定食を頼んだ。揚げたばかりのアジフライが、サクサクで美味しくてご飯が良く進む。おかわりも自由で、一杯だけ自分でよそいにいった。
「涼太、ここ美味しいね。いいお店、教えてくれてありがとう」
「なんだよ。げんきんだな。さっきまで、ぶすっとしていたくせに」
「やっぱりさ、美味しいものって正義だよね」
清香は、にこにこしながら食べ進める。自分で揚げ物はやらないので、久しぶりのサクサクとした触感に、食べ応え充分なげ物が溜まらない。とても美味しい定食に箸がどんどん進む。
「すがすがしいほどの食べっぷりだよな……。清香らしくていいけど」
先に食べ終わっている涼太は、ちょっと呆れた顔をしつつもどこか嬉しそうに清香を見ている。そんなことには臆面も気づかない清香は、ひたすらキャベツ、アジフライ、ご飯と食べ進めるのみ。定食の美味しさに満足していたら、清香のスマホが鳴りメッセージが届いたのがわかる。
清香は、箸をおくと自分のカバンに入れていたスマホを取り出して待受け画面を覗く。
「清香がスマホを気にするなんて、珍しくない?」
「そう?」
確かに今までだったら、流していたかもしれないけれど……。今は、仕事の連絡ということもあるので、見ない訳にはいかない。
涼太にそれを知られる訳にはいかなくて、それとなく彼には見えないようにササっと内容を確認した。
画面を見ると、星志君から夜ごはんを軽く食べたいとある。帰りは遅いから急いでないけど、いける? と書いてあった。
スマホの時計を見ると六時半。ここで食事を終えて、普通に南青山に帰れば大丈夫だけれど……。問題は、目の前に座る涼太だ。清香は、何事もなかったようにそっとスマホをトートバックにしまう。
「誰だった?」
涼太が当たり前のように聞いてくる。清香は、一瞬の熟考のすえ嘘をつく。
「パン屋のバイトのシフトのことだった」
「そっか。忙しいの?」
「夏休みだから、できるだけシフト入りたくて。涼太は、バイトは?」
涼太も、アルバイトはしている。でも、涼太の場合は、完全に自分の小遣い稼ぎだ。涼太のところは、学費もこちらの住んでいる家賃も仕送りもしてもらっているのでお金の心配はない。
「夏休みは少し増やしたけど、お盆休みは全部休み取っちゃったから、後半は多めに入ってる」
「そっか。お互い、稼ぎ時だもんね。そろそろ、帰ろうか?」
清香は、自然な流れで帰宅を促す。涼太は、清香が食べ終わったのを確認すると、席を立ってお会計を済ませてくれた。
「涼太、今日はありがとう。ご馳走様。すっごく美味しかったー」
お店の外に出た清香は、後から出て来た涼太に声をかける。久しぶりに人が作ったご飯を食べられて本当に幸せだ。
「清香が喜んでくれたなら、良かったよ。また一緒に来よう」
涼太も、にこにこして喜んでいる。そして、駅に足を向けるとまた清香の手を繋いだ。清香は、なんでなんだ? と疑問に思いつつも抵抗はしない。そういう気分なのだろうで済ませる。
「この後、たまには俺んち来たりする?」
涼太が、清香の顔を見ながら訊ねた。ちょっと期待しているような、緊張感のある顔だった。
「今日はやめとく。明日、バイト早いから。ごめんね」
清香は、何の遠慮もなくきっぱりと断る。自分の家に誘う涼太が珍しかったけれど、今日は突然過ぎるし何より仕事の方が気になってしまう。
「まー仕方ないか……。今度は、ちゃんと約束して誘うわ。たまには、一緒に映画見たりしよう。清香の部屋、テレビないから映画とか見てないだろ?」
涼太なりに、気をつかってくれているのかとちょっと嬉しい。実家にいるときは、映画を見るのが好きだったから、よく涼太のお家に行って見せてもらったのだ。実家は、清香のチャンネル優先権がなかったから。
「ありがとう。でも、今はスマホで見られるから」
「大画面で見た方が、楽しいだろ」
「まーそうだけど……」
「とにかく、また連絡するからちゃんと返事返せよ」
「うん」
そして、駅までの帰り道、また手をつないで二人並んで歩く。もう、外は暗くなっていたけれど、店を出れば夏らしい暑さに包まれていた。




