012 本採用のために
切れてしまったスマホを片手に途方に暮れる。家政婦として本採用されるまでのハードルが、一気に上がってしまった。こんなことなら、合鍵を貰う方が全然ましだ。
何をどうすればいいのかさっぱりわからない。廊下をトボトボと歩きリビングに戻る。とりあえず、先ほどの洗濯の続きをしようとランドリー室に向かった。洗濯機に残りの洗濯ものを入れて、スタートボタンを押したところで考え込んだ。
とにかく、新道さんの言付けを伝えなければいけない。だけど、伝えてすぐに曲ができればなんの問題もない。そうじゃないから、新道さんは困っている。
奏さんに作ってもらえるように、なんと声を掛けるべきなのか考えるけれど、全くの専門外なのでさっぱりわからない。清香は、大学に行って、バイトをして、家事をして、勉強をしたら、もうそれで一日が終わってしまうのでエンタメには物凄く疎い。
テレビは見ないし、SNSもほとんど見ない。何が流行っているのかもさっぱりわからない。そんな自分が、作曲家さんに何を言えるというのだろうか……。
いちさんの命令が無謀過ぎてちょっとイラっとしてしまう。でも、このままでいいとは思えないから悩みどころだ。仕方ない、当たって砕けろだ。
清香は、ごちゃごちゃ考えるのを止めて階段を上る。二階につくと、さっきまで聞こえていた音が聞こえず静まり返っている。もしかして、寝ていたりしないよね? と不安になる。清香は、思い切ってドアをノックした。
「なに?」
ちょっとどころじゃなく、不機嫌な声が扉の向こうから聞こえる。怒られるのを覚悟の上で声を出した。
「あのっ、新道さんからの伝言をお預かりしました」と言って、奏さんの部屋の扉を開ける。奏さんは、机に向かって何かを読んでいてこっちを向くこともしない。
何か返事があるかと思って待っていたけれど、何もリアクションがなく清香は怖気ずく。部屋の雰囲気がピリピリしていて、なかなか言い出せない。
「なんなの?」
清香が、躊躇っていると明らかに機嫌の悪い声で奏さんが言う。
「えっと、あの……。し、新道さんが、あと二日しか待てないって言っていました……」
清香の声はどんどん小さくなっていく。
「あっ。そう……」
「それと、電話は出て下さいとのことです……」
「…………」
奏さんからの返事はない。パラパラと何かを捲る音が聞こえ、それをずっと見ているみたいだ。
「あのっ! 私がお手伝いできることありますか? 何か、参考にしたいものとかあれば、見つけてくるとか……」
清香は、自分でも何を言っているのかわかっていなかったけれど、何かを言わなくちゃと思ったのだ。
「清香ができることなんてある訳ないだろ!」
「でも、何か……。そもそも何につまずいているんですか?」
清香は、純粋な疑問を口にする。作らなきゃいけない物を作れないって一体なんなんだろう? 引き受けた仕事ができないっていう感覚が、清香にはわからなかったのだ。
回転椅子がクルっと回って、奏さんが清香を見るのだけどその目が怖い。逃げたい衝動にかられたけれど、拳を握りしめてその場で踏見とどまる。
「えっと……きょ、曲ってどうやって作っているんですか?」
奏さんの目が怖くて、どもってしまうも清香もここで引くわけにいかない。自分の仕事がかかっているし、何よりほっとけなかったから。
「はぁー」と奏さんが盛大な溜息を吐いた。清香のお節介を諦めてくれたみたいだ。
「どうせ、全くできる気がしないからいいか……」
やれやれといった雰囲気で、奏さんは話出す。自分の専門分野だからなのか、昨日から口数が少ないと思っていた奏さんだったけれど、物凄い勢いで喋り出した。
その勢いに押された清香は、奏さんの部屋の空いているスペースに腰を降ろして、黙って話を聞いていた。
奏さんの曲の作り方は、クライアントから受け取った希望を元に作り出す。その曲にまつわる、土台はきちんと読み込むそうだ。
今回はドラマなので、すでにできているところまでの台本は読んでいる。さっき、目を通していたのも台本らしい。また、曲を歌う歌手のことや、ドラマに出る役者さんのこともわかる範囲で色々調べる。
最後は、曲の専門的なことをつらつらと話していたけれど、全く意味がわからなかったので申し訳ないけれど、それは「うんうん」と適当に流して聞いていた。
「それで、何で今回はできないんですか?」
「ドラマの内容がいまいちわからない。台本も読んだけど、ラストとの主役の心情とか解釈とかが難しい……」
「聞けばいいのでは?」
清香は、何をそんなに悩むことがあるのか? と不思議だ。
「納期過ぎてて、今更聞けない」
「いやいやいや、そこは聞きましょう? 何言っているんですか?」
清香は、奏さんの言葉に呆れてしまう。この大人は何を言っているのか?
「そもそも、納期の期限過ぎるって連絡はしたんですか?」
「してない。他の仕事が押していて、それどころじゃなかった」
「いやいやいや、しなきゃ駄目でしょう?」
清香は、奏さんの言葉に目が点だ。仕事をする上で、報連相は基本中の基本ではないのか? 仕事を受けたのに、平気で納期を過ぎる神経が理解できない。
もしかしたら、他にも同じように連絡してない案件があるんじゃないだろうか? と心配にもなってくる。
「わかりました。私が新道さんに連絡します。聞きたいこと全部メモして下さい」
清香は、スクッと立ち上がると奏さんに圧をかけるかの如く真顔で言い切る。
「だって今更聞いたら印象悪くない?」
「いいえ。このまま作れない方が問題です! さっさと、質問事項メモって下さい!」
清香が、強気で奏さんに押し切る。さっきとは形勢が逆転したように、奏さんがちょっと清香を怖がっている。
「わかったよ……。怒られても知らないよ……」
そう言って、奏さんは渋々ボールペンを持つと何かの裏紙にメモを取り出した。




