011 奏さんのお仕事事情
昨日と同じように、一番手前の部屋から音が漏れていた。清香は、トントンとノックをする。「なに?」という、奏さんのちょっと不機嫌な返事に怖気ずくも、頑張れ自分と奮い立たせドアを開けた。
大きな仕事机に座る奏さんが、回転椅子をくるりと回して清香の方を向く。
「あ、あの……ドラマ制作会社の新道さんという方がいらっしゃっていますが……どうしますか?」
清香は、恐る恐る奏さんの顔を見る。奏さんの、ちょっと不機嫌だった顔が明らかに顔をゆがめた。そして「はぁー」と大きな溜息を吐き、清香から視線をずらす。
「いないって言って」
奏さんは、回転椅子を回転させて作業に戻ってしまう。その背中は、もう一度声をかけられる雰囲気ではなかった。清香は、「かしこまりました」と言って部屋の扉を閉める。
階段を降りながら、ドラマ制作会社の人が一体どんな用事なんだろう……。いるのに、いないって言わなければいけないのは、ちょっと気が引ける。でも、家主のお願いなので、その通りにするしかないけれど……。
清香は、玄関に向かい扉を開けた。いきなり扉が開いたからびっくりしたようで、新道さんは清香の顔をまじまじと見ていた。
「すみません。今、奏さんいないくて……」
清香は嘘が下手過ぎて、新道さんの目が見れない。
「あの、君はカナデの彼女?」
とんでもないことを言われた清香は、びっくりして慌てる。
「ち、違います。昨日から採用された家政婦です」
「家政婦さん……やけに若いけど……。まあ、それはいいか。ねえ、君、カナデの様子どう?」
「様子といいますと?」
新道さんが何を言いたいのか分からずに、質問を質問で返してしまう。そもそも、この人は何をしに来たのだろうか? 勝手に家主の情報を流すわけにはいかないと気を引き締める。
「すみません。プライベートなことはお答えできません」
「プライベートって言うかさ……。仕事の話よ。曲はできているのか? って聞いてんの」
「曲?」
清香は何のことか全く分からなくて、首を傾げる。
「あーもう。君、何も知らないの?」
「はい……」
清香は素直にうなずくしかできない。だって、昨日初めて会ったばかりなのに、そんなこと知るはずもない。ただでさえ、奏さんって謎めいているのに。
「彼は、カタカナでカナデっていう作曲家なの。僕は、カナデにドラマの主題歌をお願いしている制作会社の者」
そう言って、新道さんは清香に名刺をくれた。名刺なんてもらったことがなくて、ちょっと手が震える。両手でもらい受けたけれど、これでいいんだっけってちょっと不安。
「作曲家……。だから、いつも音が流れているんですね……」
清香は、全く関係のないことを呟く。
「カナデ、作ってはいるのか……。やっぱり、できないのかな? もう、納期本当にヤバいところまで来ているんだよ」
新道さんは、本当に困っているようで眉を寄せている。新道さんの困り具合もわかるけれど、清香にはどうすることもできない。
「君さ、悪いんだけど、あと二日しか待てないの伝えてもらっていい? それでできないなら、他にふるって言って。今から間に合うかわからないけど、それ以上待てない。後、電話には出ろって」
新道さんは、真面目な顔で重々しいことを言う。それってかなり重大事項なのでは……。しかも、電話って新道さんからだったのか……。色々なことが繋がって清香は納得してしまう。奏さんの謎が解き明かされて嬉しいけれど、これってかなり大変な事態な気がする。
「はい。わかりました……。あと二日ですね?」
間違えたら怖いので、確認のため口にした。
「そう二日。無駄足になるかもと思ったけど、来て良かったわ。君、出てくれてありがとう。名前は?」
「えっと、土田清香です」
「清香ちゃんか。じゃーよろしくね」
新道さんは、言いたいことが言えてスッキリしたのか最後は笑って去っていった。残された清香は、玄関の扉を閉めて廊下の奥を見やる。
「えっ、これって責任重大なのでは?」
窮地に立たされたような責任が、どっと清香に押し寄せた。玄関の廊下に佇み、新道さんの伝言をどのように伝えるのか考えあぐねる。
さっき心のシャッターを下ろされた、奏さんの背中を思い出して身震いする。果たして、今部屋をノックして応答してくれるだろうか……。こんな状況が始めて過ぎて、清香は頭を抱える。昨日から、やたらと思いがけないアクシデントばかりで脳みそが擦り切れそうだ。
――――『ティロリロリン。ティロリロリン』
そこに、清香のスマホが鳴った。何となく、いちさんからの気してスマホまで走って行く。
『もしもし、いちさん?』
『あ? 何だよ。悪いかよ』
『悪くないし! グッとタイミングだよ、いちさん!』
清香は、いちさんの声を聞いて一気にテンションが上がる。誰にも相談できないと諦めていたところに、この電話だ。嬉しくないはずがない。
『また何かあったのかよ?』
『それがね……』
清香は、今さっきあったことを息せき切って喋り出す。いちさんは、そんな清香にどうじることなく「ああ」とか「ふーん」とか、やる気のない相槌を打ちながら聞いてくれた。
『どうしたらいい?』
『はぁー? そんなの知らねえし』
『そんなこと言わないでよ。だって新道さん凄く困っていたの』
『カナデのやつ。相変わらずだねー』
いちさんは、たばこを吸っているのか息をふーと吐いている。なんのアドバイスもくれないいちさんに、ケチっと言いそうになる。
『どうにかしたいなら、発破かけるしかないんじゃなーい』
いちさんは、相変わらず適当なことばかりだ。
『発破って。私、作曲のことなんてよくわからいし……。素人が口出ししたら怒るよ』
『じゃー、どうにもならないんじゃねーの。新道とやらの伝言だけ伝えて終わりだな』
『それで、やる気になってくれるかな? そもそも、なんでお仕事なのに期日守らないんだろう……』
『さぁーねー。カナデは繊細だし難しいんだよねー』
また、いちさんはふーっと息を吐いている。清香と電話している時は、たばこ休憩なのかよくあることだ。
『奏さんって、どうやって曲を作るんだろう?』
『本人に聞けよ。あっ、そうだ。納期通り、曲を作れたら本採用ってことにしてやってもいいよ?』
『えっ? そっちの方がハードル高くない?』
『そうだな。その方が面白いな。じゃー、そういうことで』
電話が、そこでプツっと切れる。
「噓でしょー!!」
清香は、切れた電話に向かって叫ぶ。余計なことを言ってしまったと、後悔するのだった。




