呪いで石化した聖女が見る世界は輝いている
呪いで石化して100年。長いようで短かった……わけはなく、先の見えない苦しみとはこういうことかとイヤというほど味わった100年だった。
――誰か私を壊してくれないかなあ
私を呪った王子妃は「あなたの呪いが解けたとしてもみすぼらしい老婆になるだけですわ。きっと醜いのでしょうね」と嘲笑うだけで呪いを解く方法は知らないようだった。亡くなったと噂で聞いた時は恨むべき相手なのに少し寂しさを感じたものだ。
――なんだかんだと天寿を全うして羨ましい。石にされて100年も経てば生きて動いているだけでみな尊く思える。
100年と3年前、仕事帰りに突然召喚されてこの世界に来た。アニメや小説で見たファンタジーな世界。私は召喚された際に瘴気を浄化する能力を手にしており、言われるがままに穢れた土地や人を浄化した。そして神より遣わされた聖女と呼ばれ傅かれて調子にのった結果、恨まれて石にされた。
――100年も経ったんだなあ……
雨ざらしの広場で100年。英雄やら偉い人の石像と並んで100年。他はちゃんとしたポーズのなか、私はドアを開けた瞬間に石にされたから、きっと間抜けなポーズだろう。これで意識だけがある状態なら悲惨だったと思う。幸い目が見え耳が聞こえるから100年ものあいだ石の状態でも正気を保てた。
というか、日数を数えていたわけではないので本当に100年かどうかは分からない。広場の景色はほとんど変わらず、私はほぼ定点カメラみたいなもの。ただ最近平和の式典のようなものが広場で催され、王太子のスピーチによると100年経ったそうだ。
なにやら花や食べ物なんかを恭しく供えられたから、壊されることもなさそう。
――あーあ。真実は闇のままなんだろうな。私はそんなことされるような人間じゃないのに。
私が石化した理由、それは女同士の争いによるもの。
100年前、第二王子の寵妃となった私が立場を弁えず王子との子を欲したのが発端。この国でそれはタブーだった。正妃と婚姻して3年以内は側妃が先に懐妊してはいけないらしい。ある日胃腸炎で数日寝込んだだけなのに懐妊したと勘違いされ、呪いで石にされた。
王子妃が私たちを憎み、呪術師に依頼した。はじめは王子もろとも石にするつもりだったらしいけど、王子が「国民から崇拝されている聖女(私)を手にいれ兄の継承権を奪うつもりで近づいただけで好きでもなんでもない!」と必死に弁解し石化を免れた。大体男は許されるものだ。それでも彼は大事なものを潰された。 その上、謀反を企てた疑いで流刑となった。
王子妃は呪具で私を石化してすぐに気が触れた。捕らえられた呪術師が呪具をそういう仕様にしたと話していた。人を呪わば穴二つということなのだろう。
王子妃は実家の離れに軟禁され、晩年は調子の良い日は外出できるようにもなり、その時は決まって私のところに来て好き勝手喋っていた。
真実は男の取り合いのようなものだったのに、聖女は玉座をめぐる争いに巻き込まれ王子を庇って石化したということになっている。
しかも無理に呪いを解こうものなら王子妃のようになるらしく、呪いは放置されたまま。結局厄介払いのように城から遠く離れた広場に置かれ、100年経った。
――いいけどさ。神殿の奥に祀られるより退屈しないし。でもそろそろなんとかしてほしいんですけど。
♢
今日は久しぶりの晴天。広場はいつもより人が行き交っている。定点カメラのような存在の私にとっては、たくさんの人を眺められるので気分がいい。
と、どこかから商人風の男が二人歩いてきて私の前で立ち止まり空を見上げた。
「ようやく晴れたなあ」
「嵐のせいで王都に商品が届けられなくてまいったよ」
男のうちの一人がいま今気づいたのか、私の方を見て「おっと、聖女様の石像の前だったか」と手を合わせた。そして「なんかあったらまたこの国を守ってくださいね」と願われる。もう一人の男も続けて手を合わせた。
――瘴気の出始めはいつもこんな感じだから不安になるよね……でも今の私じゃ役に立てないから頼むなら他を当たった方がいいよ。
「神頼みなら神殿じゃないか?」
別の声が背後から。私が言いたかったことを言ってくれたのでどんな人か見たかったけれど、振り向けないし視線を動かすこともできないからどういった人物かわからない。
「そうだけど、まぁ気休めみたいなもんだ」
「あっちは寄付と称して金をむしり取られるしな」
二人は笑いながら去っていった。
しばらくして目の前に現れたのはローブを着た男。
「ユリノさん、お久しぶりです」
黒髪金眼で暗い雰囲気の青年。私はこの顔を知っている。というか忘れたくても忘れられない顔。
――私をこんな姿にした呪術師……だよね。100年前と見た目が変わってないのはどういうこと? 別人?
「僕はルワイトと申します。100年前に1度だけお会いしただけですが覚えていますか? 長命な種族なので見た目は変わっていないはず」
――あ、やっぱり本人だ。そうか、こっちはそういう種族もいるんだった。それよりなんで握手?
ドアを開けた姿勢で石化したから、右手は前に伸びていて手の先は自分からも見える。ルワイトは私の手を握っていた。
「今日は呪いを解きにきました」
♢
広場には大勢の人がいて、石像に話しかけているルワイトを何人かはチラチラと見ていた。そんな視線など気にする様子もなく「その前に少し僕の話を聞いてもらえますか」とこちらは何やら面倒くさいことになっている。
「僕は呪具を作成した罪で、あそこに見える塔の最上階にあなたと同じ100年間幽閉されていました。処刑されなかったのは僕が死ねば発動する呪いがあると思われていたからです」
そう言ってルワイトは遠くに見える塔を指さした。
――そっか、呪具を作った本人は私が目が見えて耳が聞こえるの知ってるんだ。
「僕はあなたのことが憎かった。穢れはこの国に苦しみや痛みをわからせる絶好の機会だった。それで少しは恨みが晴れると思っていたのに……あなたが突然現れ、命令されるがまま浄化をし穢れを消してしまった」
それからルワイトはおのれのことを語り始めた。ルワイトの種族は長命で珍しい能力を授かる者が多く、魔の血が混ざっていると差別や迫害をされていたという。だから瘴気が発生したときに真っ先に疑われた。瘴気の発生源が近くの森だったからでもある。そして大人達の多くが処刑され、ルワイトも家族や友人を失った。残されたルワイトは復讐心に囚われ、その匂いを嗅ぎつけた邪神に唆され片目の視力と引き換えに邪悪な力を手にした。
「あなたは何も奪われることなく全てを手にしていた。王子妃からの依頼を僕は喜んで引き受けたのは、あなたに地獄の苦しみを味わわせたかったからです」
――あー……憎まれてるね、これは。
召喚されたら何故か浄化能力が備わっていて、常に守られていたから危険な目に遭ったこともない。あげくは恋愛にうつつを抜かしていた。
「石化して絶望し、希望をなくしていく様を見届けるつもりだったのに……」
ルワイトはそこで言葉を止め背を向けた。
「角のパン屋の3代目が産まれたとか、英雄の像の肩にばかり鳥が止まるとか、たわいもないことで喜んだり腹をたてたり、毎日のちょっとした変化を楽しむあなたの声を何年も聞いているうちに、いつのまにかあなたの目にうつるこの世界を僕も楽しむようになった」
――えっと……話の流れが思ったのと違うものになったけど、そんなことより、私が思っていたことが聞かれてたってこと……だよね。もしかして今も?
「左腕がないので以前ほどはっきりと聞き取れませんが聞こえています」
ルワイトはローブの片方を少しずらし、私の方を向いた。確かに左腕がなかった。
「塔から出られたのは腕と引き換えです。左腕に異能が宿っていましたから、腕がなくなれば僕には何もできません。あと僕にできることはあなたの呪いを解除して死ぬことだけです」
ルワイトはそう言って微笑んで見せた。暗い雰囲気が消えて覚悟を決めたかのような表情。
――ちょっ……ちょっと待って。 呪いを解除して死ぬだけって……。目の前で死なれたら寝覚めが悪いじゃない! なんとかなる方法があるかもしれないしもう少し調べてみたら? なんか辛い事ばかりだっただろうし色々と楽しいことを経験してからでも遅くないって。私はまだ石のままでもいいからさ。って本当に私の声が聞こえてる!? これだけ言っても表情ひとつ変えないけど聞こえてないんじゃないの? ルワイト! はやまるな! ルワイト!!
私は必死にルワイトに訴えたが、ルワイトは何も言わず眉間に皺を寄せ俯いてしまった。覚悟をしてもやはり死ぬと思うと迷いもでるだろう。
――急いで結論をださなくていいから。ルワイト、はやまるな! ルワイト!
「……った、から」
――え!? なんて言った? ルワイト! ねえ!
「……わ……わかった、から、待ってほしい……せっかくおさまりかけたのに……くっ……くくっ…はやまるなって……」
顔を上げたルワイトは、肩を震わせながら笑っていた。
――こっちは真面目に心配してたのになんで笑ってるの!?
「くくっ……ごめん。そんな風に心配されると思わなくて。それにすぐ死ぬわけではなく数年後の話だから。でもありがとう。ユリノさんはやはり優しいですね。僕を責めることもしない」
――責めるって……確かにルワイトさんの呪具のせいでこうなったから、はじめは恨んだし、気が狂いそうだったし、ずっとこのままかもしれないって怖かったけど……でも諦めることを覚えたら楽になっただけで、優しいとかそんなんじゃないと思う。
ルワイトは頷きながら私の話を聞いていたけれど、突然「あ!」と大きな声をだした。
「すみません。今日は一旦帰らせてもらいます! 僕の心の準備が中途半端だったので出直します!」
――えっ……あ、はい。
私がルワイトの急な変化に戸惑っているうちに、彼は「明日の朝9時に必ず来ます!」と言って、私の視界からあっさりいなくなった。
――明日、か。明日を待つなんてどのくらいぶりだろう。
その日の夜は100年の間で一番長く感じた。
長い月日をかけ、考えることをやめ心の底に沈めたものが浮いてくるたびに、期待しないよう否定することの繰り返し。
聖女の力はきっと消えている。
それなら石のままがいい。
皆から失望されないし
ルワイトも生きられる。
♢
翌朝、約束通りの時間にルワイトは現れた。
「おはようございます」
――おはよう。
「不安ではなかったですか? 僕が来ないんじゃないかと」
――その不安はなかった。
昨晩考えすぎたからか、朝からなんだかぼんやりしていて、返事がそっけないものになってしまう。ルワイトは私の返答を聞いて目を丸くした。
「なぜ僕を疑わないのですか? 呪いを解かずに逃げたかもしれないのに」
――なんで…かな?
「僕が聞いているんです!」
――逃げても……よかったから?
ルワイトが先ほどよりさらに目を見開いた。それから「なんですかそれ」と小さく呟いた。
――石のままでもいいかなって。
「そんなわけない。ユリノさんは呪いが解けたあとを恐れてるだけです。心配しなくていい。あなたはあなたのままで生きていけます」
ルワイトが強く私の手を握っていることは手の震えを見ればわかった。その態度に心が波立つ。
――それこそ、そんなわけない。私はここで“梶ゆりの”として生きていないし、私を必要とされたこともない。聖女の私は私じゃないのに、私のままで生きられるって? 勝手なこと言わないで。
真剣な眼差しを受けて逸らしたいのにそれができず、思わず本音をもらしてしまった。
それを聞いてもルワイトは穏やかな表情だった。私は気まずくなり「ごめん、八つ当たり」と付け加える。
「僕にはユリノさんの見ている世界が輝いて見えます。陽の光、雨の雫、季節の移り変わり、人の生き様、それを眺めるあなたの優しさ。そんなあなたの心を僕は好きになりました。聖女としてではなく、カジユリノさんをです。僕はユリノさんを必要としています」
その言葉と同時に、パンッと石の割れるような音がした。一瞬石化が解けたのかと思ったけど右腕はまだ石だし、何より身体が動かない。それから愛の告白とも受けとれる言葉を思い返し、顔が熱くなる。
――ちょっと待って。熱い?
「呪いは解きました。あと少しの勇気があれば身体も動きます」
――あと少しの勇気……って言われても。ああ、まだ石のままでいたいって気持ちがあるのかな。でも聖女でない私を好きとか、私の見る世界が輝いて見えるなんて言われたら、また生きてみるのもいいかもしれない。
「今なら声を出せます。“私は生きる”と言えば完全に呪いは解けます。ただその前にあなたの意思を確認します。聖女としてのあなたはどうしたいですか」
――どうしたいって、私がどうにかできるものなの? やめられるならやめたいし、誰かに譲れるものなら譲りたい。もう聖女として生きるのはイヤ。
「はい。それなら聖女をやめましょう。あなたは自分で思う以上に聖女の仕事をしましたから、やめても大丈夫なんですよ」
――えっ……そんな簡単にやめられるの?
なんだか拍子抜けして、鼻で笑ってしまう。息が鼻から抜けて、呪いが解けているのがやっと実感できた。
「聖女様は呪いが解けて安らかに眠りについた、という台本もできていますから、安心してください」
――台本?
「今の王が僕を解放しました。僕は王からの誠意ある謝罪を受け入れた。そしてあなたの呪いを解き、あなたの望むようにして欲しいと頼まれました。昨日は、もし死にたいと望まれたら手を下すほどの覚悟ができていなかったので一旦逃げてしまいました」
――殺す覚悟なんていらないよ! それはともかく……聖女がいなくなって瘴気がまたでたらどうするの? また最近怪しい気配があるのに……
「その話はまたあとで。もうそれも大丈夫ですから」
――そう…なの? もういいの?
私は深呼吸をして瞬きをする。
でもほんの少し勇気が足りていないのか、口がひらかない。
「そういえばあなたは石化してしばらくの間、愛する者の口づけで元に戻るかもと考えていましたね」
――あ、うん。そんなお伽話があちらの世界であっただけ……ってなんでそんな甘い顔してるの。
「一方的な愛でもいいですか」
ルワイトは一歩近づき、私の手を握る。手の温かさを感じ、急速に全身に血がめぐっていくのがわかる。気恥ずかしさから慌てて左手でルワイトの肩をつかみ、思わず
「私は生きる!! から、そういうことはまた後でっ!」
と叫んでいた。
♢
その後、私はルワイトの故郷で再建のお手伝いをしている。生き残ったけれど散り散りになっていた村人たちも少しずつ戻ってきていて、村は明るい雰囲気になってきた。
聖女は呪いが解けて力も失ったと皆に伝えられた。でも生きて動いている私は元聖女だと気づかれることがほとんどない。本人は地味顔だから、きっと皆の中では美化されているのかもしれない。
気になっていた穢れの話。あれは元々邪神が引き起こしたものだった。精霊の木に人の血を吸わせることで瘴気が発生し、それが邪神の力を強くするものだったらしい。驚いたことに私の浄化能力が邪神の力をも弱め、力を取り戻した精霊によって邪神は封じられた。
「ほんと、私って凄かったんだね」
その話を聞いたとき、聖女の力の強さに驚いたものだ。
「だから僕は毎日精霊から恨み言を言われているよ。100年ものあいだ女神を石にした悪魔だって」
「感謝は充分されたし、女神と呼ぶのだけはやめてほしいって言ってるのに……」
「君は僕の女神だよ」
「ルワイトまで!」
ルワイトは呪いを解けば数年後には死ぬと言ったけれど、長命の種族の数年は私の寿命と変わらず、私たちは一緒に年をとることができるとわかるのはそれから3年後。