第八話 友達と本命と愛人と
また一人、犠牲者が出てしまった。これでもう何人目なのか、数えてすらもいない。
このまま加速度的に犠牲者が増えていくと、この世界が人間の魂で埋まってしまう。その前には、早く適合者を見つけなければならない。
しかし、いくら飛び回ってもその気配がない。反応がないのだ。彼女が持つ、長細い宝石に。
もしも、適合者たる人間がいれば、宝石が光輝き、その者のいる場所まで導いてくれると言われている。
けど、今のところそんな気配一切ない。初めて現世に降りて来た彼女にとって、この世界は天界よりも広大で、またそこに住む人間の数も比例するかのように膨大。
こんな世界で、いるかどうかわからない適合者を探し当てられる確率なんてかなり低い。文字通り砂漠から一粒の砂を見つけるがごとく。あるいは、クモの中に紛れ込んだ綿菓子を見つけるがごとく難しいこと。
それでも見つけ出さなければ。咎人が、この世界を食い尽くす前に。
「え?」
その時だ。かすかに、手に持った宝石が反応したように光った。光は、すぐに消えたのだがしかし、暖かい光が見えたのは確かだ。
まさか、いるのだろうか。この近くに適合者が。この宝石を使い、≪転生≫を果たす者たちが。
ダーツェは、その宝石が光った辺りを重点的に捜索していくこととなる。その地点は、私立神江女子高等学校からほど近い場所にあった。
「ん?」
屋上で一人待つホコリは、かすかに感じた違和感に空を見上げた。しかし、そこにはいつもと変わらない突き抜けるような青空と、うっとうしいほどに浮かんでいるクモしか見えない。気のせいか、あるいはいつもの≪彼ら≫のイタズラか。
なんにせよ、すぐに自分に危害が加えられなかったところから見て、そんなに大したことじゃないのであろう。まぁ、もし自分にちょっかいを出してきたところで、殲滅対象に早変わりするだけだが。
興味を失ったホコリは、一度だけ大きな背伸びをすると、ベンチから立ち上がった。と、その時だ。
「ほこりん! おまたせ!」
「お、お邪魔します……」
室内から屋上に続くドアが開き、中からライク、そしてララの二人が現れたのは。
「遅いわよ、二人とも。私を餓死させるつもり?」
そう彼女が待っていたのはこの二人だったのだ。彼女とライクは、常日頃からこの屋上でお昼ご飯を食べることを日課にしており、今日もいつも通りこの場所でお弁当を食べることを約束していたそうだ。
しかし、今回ライクからララも一緒で構わないかという申し出があり、二人きりの大切な時間を割かれることに少しだけ抵抗はあった物の、彼女のことは自分も気になっていた故、この申し出を受け入れた。
「すごい……私、学校の屋上なんて初めて来ました……」
ララは、屋上に見える緑色の絨毯をその目に焼き付かせながらそう言った。
彼女のいう通り、転落の危険や、自殺防止のために屋上までの扉が封鎖されているという事は多々ある。
この学校のように常時解放されており、さらに庭園のように手入れが行き届いているのはかなり珍しい。
今ララが足を踏みしめているのも、人工芝の上で、とてもフカフカしてここで寝ころんだらとても気持ちいがいいのだろう。
「生徒会長のツルの一声でね。屋上を開放して生徒が集まれる場所、休憩できるスポットを作ろうってことでね」
「あの生徒会長が作ったんですか……」
理事長の孫である生徒会長であるのならば、それくらいたやすいことなのか。ある意味職権乱用をしているような気もするのだが、でもそれが生徒にとって良い結果をもたらすものであるのならば、そう言った乱用でも悪くないような気がしてくる。
「そういえば、その生徒会長はどこ?」
「理事長と話があるから遅れるって」
「そう、まぁいつもの事ね」
「もしかして、会長もここに来ることになっているんですか?」
「えぇ、私たちはあの子とほとんど毎日のように屋上でお弁当を食べているから」
「そうなんですか……」
今朝の一騒動を見た時から思っていたのだが、やはりこの二人と生徒会長は仲がいい様子だ。そんなところに自分のような普通の人間が、それも今日転校してきたばかりのような自分がいていいのだろうか。
不安を吐露したララに、ライクは八重歯を見せながら言う。
「そんなこと気にしないの。それに、ご飯は大勢で食べた方がおいしいでしょ?」
「え? それは確かにそうですけど」
「ならいいじゃんそれで」
いいの、だろうか。ララは自分に自信を持てない女の子だ。でも、どういうわけかライクほどの懐の深い人間に言われてしまうとそれでいいのかもしれないと思うようになってしまう。やはり、それは彼女の人柄がなせる業なのだろうか。
「それで、ララちゃんの今日のお弁当は何なの?」
「あ、はい。えっと……」
屋上庭園の真ん中。そこにあるベンチに座った三人。ライクからそう聞かれたララは急いで鞄の中からお弁当箱を取り出すと、ゆっくりとフタを開けた。
城道楽楽。今日のお弁当。白く輝く冷めたご飯に、その上に乗っかる少し焦げた目玉焼き。それから抵当食品の唐揚げと一口パスタ。手作りの甘めの卵焼きはララの手作りだ。
ララのお弁当は、彼女自身が早起きをして自分で作った物。仕事に向かう母を少しでも楽させるようにと思って自分で用意したものだ。
その半分が冷凍食品だったり、失敗寸前だったりするのはご愛嬌という事で、ララはさっそくお弁当箱に箸を伸ばそうとした。
「その卵焼きって、手作り?」
直前、ライクから質問されたララは、一度箸を止めると言った。
「はい。私の、手作りです」
「そうなんだ。一個もらってもいい? 私のお弁当の中身どれでも一つ上げるから」
「え? いいんですか?」
これはうれしい。必要以上に甘くなってしまった卵焼きを消費できることじゃない。友達と、お弁当箱の中身を交換するという学生らしいことができるのがだ。
ララは、前の学校の時にはほとんど友達がいなかった。いじめられていたわけじゃないと思いたいのだが、しかしあの学校から離れれば分かるという物。自分は、あの時、きっと、いじめられていたのだ。身体的ではなく、精神的に。
一切証拠が残らない。故、自分も一切気が付くことなく、着実にいじめられていたのだ。きっとそう思う。だって、前の学校ではこんなに楽しい学校生活、お弁当の中身を交換するという学校あるあるすら無縁だったから。
私はなんて幸せ者なのだろうか。そう考えながら、ララは交換できるメニューを探すためにライクのお弁当箱を覗き込んだ。
すると、その先には信じられないような光景が広がっていた。
「な、なんですかこの豪華なおかず!?」
「私の手作り。一応これでも、料理は得意あからね」
自分弁当箱とはまるで月と鼈のようだ。それほどまでにキレイに彩られたライクのお弁当。正直どれが何なのかもわからないくらいにおいしそうなメニューばかりで、自分の価値観ではわからないような美しい色彩の宝庫がそこには眠っていた。
例えば卵焼き。ここまで黄色く、そして整った巻き方をしている物は見たことがない。なんだか見ているだけでも心がキラキラと輝いてきそうで、宝石のようにも思えてしまう。
「おいしそう……」
でしょ? と言わんばかりに笑みを浮かべるライク。決定的だった。ララは、自分の卵焼きとライクの卵焼きを交換する。
そして、それと同時に。
「ララ、私のもどうぞ」
「え? いいんですか?」
と、今度はホコリからの申し出。うれしいのはうれしい。でも、いくら何でもこれは少しおかしくないだろうか。
冷静に考えて眠ると、自分と彼女たちは今日あったばかりでソレまで一切の接点はなかった。それに、自分からしてみれば彼女たちが恩人でも、彼女たちにとっては自分はただの一転校生に過ぎない。どうしてここまで自分に良くしてくれるのだろうか。
「ま、まさか私をぶくぶくと太らせるつもりじゃ……」
「「違う違う」」
珍しいダブルツッコミを受けてしまった。
「私たちは、というか、ライクがただあなたのことが気になっているだけよ」
「ライクさんが?」
「そう」
ホコリ曰く、夏休み中のとある日に、夏休み開けに転校してくる予定であるララのことを話したところ、ライクがこれまでにないほどの異様な反応を見せたという。驚きというか、戸惑いというか。
ホコリは、ライクにどうかしたのかと聞いた。でも、彼女は何も教えてくれなかった。結局、どうしてそんな反応をしたのか分かることもなく、ライクは言った。
『この子と……友達になりたい』
と。
「私と……ですか?」
「そう!」
意味が分からなかった。もちろん、ララはライクとは今朝が初対面で、それまで一切の面識はない。幼いころにあったという可能性はあるのだが、しかし自分にはそんな記憶はなかった。
でも、ホコリが言うにはライクがそこまで動揺するようなことはなかったというし、自分とライクの間には何らかの接点があったと考えるのが普通だ。ララは、必死に記憶を思い起こしてみる。でも、やっぱり思い出すことができない。どうしてだろう。
「あ、あの……私とライクさんって、どこかで……」
「あったことない。今朝が初対面よ」
「そう、ですよね? だったらどうして?」
自分が知らなかったわけじゃない。まったくの初対面。なのに、彼女は自分のことをとても気にかけてくれる。一体なぜなのか。
ライクは、遠い空を見上げる。その表情はララには見えなかった。でも、しばらくしてからララにその顔を向けたライクは言う。
「別に? ただ、ララちゃんが可愛いから!」
「は、はい?」
刹那、ララは背筋にゾワリとした感触を得る。背中に直接氷を入れられたかのような。そんな冷ややかな気持ちだ。
そして、ライクはララの胸に指先を当てる。奇しくもそこは、先ほどリリに触れられた場所と同じであった。
「だからさ、あたしの愛人第二号にならない?」
「あ、愛人……」
まさか、ララはホコリに助けを求めるかのように顔を向けた。しかし、助け先はただため息をつくだけ。まるで何度も同じ光景を見ているかのよう。
これは、冗談なのか。それとも、本当にそうなのか、分からない。でもララはややのけぞりながら言った。
「だ、ダメですダメです! 私その、ノーマルというか。そもそも男の人とも恋愛をしたこともないというか。というか愛人二号って何ですか!?」
「あ、一号は私ね」
「ほこりん先輩!?」
「え? あなたもその愛称使うの?」
どこかショックそうな表情を浮かべたホコリ。というか、やっぱりこれは冗談じゃない。ライクはいわゆるそう言った思考を持った人間だったのか。
いや、それ自体は自分は忌避しているわけじゃない。誰が誰と恋をしようと、それは人間の自由だ。でも、実際にソレを提案された人間はどうしたらいいのか。
受け入れる。それとも、拒否する。でも拒絶するのは嫌だ。そんなことをしてしまうと、世界中にいるそう言った思考の持ち主を軽蔑してしまうみたいで。
だったら、ここは受け入れるべきなのか。でも、自分は先ほども言った通りそんな思考を持たない人間。そんな人間が彼女たちの世界に生半可に足を踏み入れていいものなのか。
待てよ、そういえば先ほど彼女は愛人二号といった。一号はホコリだとするのならば、だ。
「あの、本命は誰なんですか?」
本命、つまり実際に付き合っている人間がいるという事だ。それがいったい誰なのかをまず知らなければ。『まず』という時点で何かおかしいような気もするのだが、混乱している彼女にできることは今はそれくらいしかなかった。
「え? そんなの……」
「ライク、ホコリ、ララちゃん」
その時だった。屋上に続くドアから現れた者。それは、先ほども話に出て来た生徒会長。神江吏理であった。
もしかして、これはなんの証拠もない直感だった。でも、そうと浮かんでしまえばこれほどまでに適切な相手はいないであろう。ララは恐る恐る聞いてみた。
「も、もしかして本命って……」
「そ、リリの事。因みに、リリにとってはあたしは愛人……らしいよ」
爆弾発言の連続でついて行けないララ。でも、なぜかは分からないが彼女のその話について行くことにする。
「……あの、なんっとなく分かった気がするんですけど、リリさんの本命って……」
「私よ」
「やっぱり……」
手を挙げたホコリに、ララはあきれるしかなかった。訳が分からない。それが彼女の頭の中を占める言葉であった。
というか、このパターンから察するに。もしかすると。
「まさかとは思うんですけど、ホコリン先輩の本命は、ライクさんですか?」
「お察しの通りよ」
果たして、本命と愛人ってなんだったっけ。そう思わせるような三角関係に、頭が痛くなるララ。というか、これって三角関係になるのだろうか。ただの中のいい友達三人組というだけになってくる。
「まぁ、要するに……」
そして、ライクがまるでいたずら小僧のような笑みを浮かべながら言った。
「あたしの本命がリリで愛人第一号がほこりん。リリの本命がほこりんで、愛人があたし。ほこりんの本命があたしで、あいじんがリリ。そしてあなたはあたしの愛人第二号ってこと。それでいい?」
「あぁ、はい。わかりまし……たッ!」
このとき彼女は重大なミスに気が付いてしまった。
ライクの、この関係性を総括する言葉に、理解したという同意をしたララ。でも、最後の最後に付け加えられた言葉を、疲れていた彼女の頭はうっかり聞き逃してしまった。
「よっし決まり! ララちゃんはあたしの愛人第二号だ!」
「えぇ!?」
結果こうなる。いや、どうしてこうなった、そういわざるを得ない。
「あ、あのちょっと待って!」
「あらいいわね。なら、私も愛人第二号もらっちゃおうかしら」
「ほこりん先輩!?」
「面白そうなことしてるわね。それじゃ私も」
「えぇ!?」
今一度言おう。どうしてこうなった。ライクの愛人第二号宣言に乗っかって、ホコリとリリも己のことを愛人第二号と宣言。本気なのか、悪ふざけなのか。できれば後者であってほしい。そう願いながら、ララは乾いた笑いをするしかなかった。
こうして、転校初日に友達と、そして愛人を三人も作ることになってしまったララ。もし自分が男だったら、あるいはライクたちと同じ思考を持っていたのならばハーレムといってもいいのに。そう思いながら、卵焼きを食べるララ。その味は、とても甘ったるかった。