第七話 史上最恐の理事長
ララは、地獄の門とも、天国への門とも思われる扉の前に立った。
人によっては、自分のしたことを褒められるためにくぐる扉。でも、人によってはしでかした罪を罰せられるための扉。天国の門とも、地獄の門とも評するのは、至極当たり前のことだったのかもしれない。
そう考えながら、ララは湖に張られた薄氷を叩くかのように慎重にその扉をたたいた。
理事長室へと続く扉を。
「入り給え」
扉の向こうからとても重い声が聞こえて来た。扉という壁があるというのに、何とも緊張感を高めさせられる声であろうか。まるで、巨大な化け物が住んでいるかのよう。そう、彼女は感じた。
「し、失礼します……」
ララは、恐る恐る扉を開いた。その瞬間、扉のすぐ横にいたライクに目配せをすると、ライクは、ただ笑っているだけ。
その微笑みが、何故だか勇気づけられるような気がしてならなかった。
「きょ、今日転校してきた城道楽楽です! 放送があってきたんです、けど……」
部屋に入ったララ。その目に映ったのは、窓の目の前にある巨大な椅子に座って見定めているかのように自分のことを見ている、顔にいくつもの傷を持った男性。
威圧感が半端ではない。今にも食い殺されてしまいそうなほどのオーラが、ララのことを襲う。その目を見ているだけでも、今朝あったあの恐怖感が蘇ってきて仕方がない。
「あ、あの……」
「そう緊張しなくてもいいわ。別に、とって食おうってわけじゃないんだから」
「え?」
ララは、まるで狐につままれたような感覚に陥った。今の声、どこからどう聞いても女性の物だった。意外だった、目の前にいるとてもこわもての男性からそんな声が聞こえてくるなんて。
と思った彼女は実は勘違いをしている。むろん、そんなかわいらしい声を出せる男性なんて限られている。そして、彼女の目の前にいる男性は、そんな声色を表現できるような人間ではないから。
「今朝ぶりね、ララさん」
「あ、貴方は!」
そういいながら男性の椅子の影から現れたのは女性、それもララがこの学校の中で数少ない、面識のある女性だった。
ライク、ホコリとともに自分のことを助けてくれた女性。そして、自分をこの学校までバイクで送り届けてくれた女性。確かリリ、だったか。
リリは、気持ちの悪い笑顔を浮かべながらララに近づくと言う。
「今朝のことはもうおじいさまの耳に入れたから安心して」
「え? おじい様?」
「その通り……」
と、ここでようやく男性が口を開いた。その声は、紛れもなく扉の向こうから聞こえてきていた、身体が飲み込まれてしまいそうな声で、聴くだけでも少しだけ和らいだ雰囲気を一気に搾り上げて鈍重な重石に変えるくらいだ。
「リリは、この私。神江任三郎の孫娘にして生徒会長なのだよ」
「生徒会長、それに理事長のお孫さんだったんですか?」
「えぇ、そうよ」
これは驚きだ。この似ても似つかないような二人に、血縁関係があるなんて。それに、自分を助けてくれたリリが生徒会長だったことも、流石に二人の血縁関係のことには勝らなかったとしても驚きには違いない。
「話を戻そう。今朝の一件に対いては、リリのいうようにすでにワシの耳に入っている。君が通った道は、近隣の不良、そして裏社会に精通しているような人間が入りびたるような危険な地域だ。今後は決して通らないよう、くれぐれも注意してくれ給え」
「あ……はい」
あの道が、そんなに危険なところだったなんて、知らなかったとはいえとんでもないことをしていた物だ。ララは背筋が凍る思いとともに、そんなところに助けに来てくれたリリやライク、ホコリへの感謝の気持ちがさらに強まっていく。
「そんな危険なところまで、来てくれて、ありがとうございます。生徒会長」
「リリでいいわ。それに……」
「え?」
そういうと、リリはララの胸に指を置く。
何か、暖かいものが胸に宿るような、そんな感覚がした。
リリはその指をゆっくりとララの額にまでその身体をなぞるように持ち上げると、母親が子供に話しかけるかのような声色で言った。
「困っている人がいたら助けるのは当たり前。それは、あの子たちも思っていることだわ」
「あの子……たち?」
「ライクとふわりんの事よ」
なるほど、困っている人がいたら助けるのが当たり前。確かにそうなのかもしれない。でも言葉として表すことができたとしてもそれを実際に行動に映せる人間が一体どのくらいいることだろう。
一体どれだけの人間が、不良や裏社会で生きるような人間がいる場所にまで来て、その力をふるうことができることだろう。
どれだけ綺麗事を押し通すことだろう。
けど、それだけの極限状態の中でも彼女たちは自分たちの綺麗事を押しとおした。自分のことを救ってくれた恩人に、頭が下がる思いだ。
自分も、彼女たちのようになりたいと願っても、どこまで近づけることができるかわからない。でも、いつかは彼女たちのようになりたいという目標にできる人たち。
私は、とてもいい人たちに巡り合えたのだ。ただそれだけを誇りにしてもいいくらい。
「君を襲った者たちの所在はすでにライク君やフワ君から聞き、警察にも通報済みだ。今回は君に危害が加えられなかったことによって罪に問われることはないだろうが、君のことは私や彼女たち、そしてこの学校が守る。安心して学校生活を送ってもらいたい」
「はい、ありがとうございます!」
その後は、今日は夏休み明け最初の登校日であるという事もあり、午後からはほとんど自習で授業がないから、リリやライクたちにこの学校の中を案内してもらう方がいい。という話をしてもらって、理事長室から出たララ。
「どうだった? この学校の理事長は?」
理事長室の前で待っていたライクは、開口一番に彼女に聞いた。ララは満面の笑みを浮かべて言う。
「あ、はい……少し怖かったですけど、いい人だと、思いました」
「そっ」
「?」
なんでだろう。その時のライクの表情がどうにも心に残った。なんだか、感慨深そうに、一言だけつぶやいたような。そんな気がしてならない。
「ライク、私はもう少しおじい様と話をしてから行くから、先に例の場所に行ってて」
「了解、行こ。ララ」
「あ、はい!」
と、扉の向こうから顔だけ出したリリに促され、二人は昼ごはんを食べるためにその場から離れるのであった。
キィ、という甲高い音とともに閉じられる扉。リリは、その扉に厳重なカギを駆けると、真っ暗闇の中にいる任三郎の方を向いた。
「で、どう思いました?」
それは、先ほどまでの彼女とはまた少し違った冷ややかな声。
ララと話していた時のソレが、クールだと表現するのならば、この時の彼女の声は、まさしく鉄の女。まるで、感情という物をどこかに置き忘れてしまったかのような少女に、任三郎は言う。
「上出来……良い者を見つけてきたものだな……」
「でしょ? テレビを見てた時に見つけたのよ……あの子だったらいい依り代になると……」
そう誇らしげに言いながら、リリは任三郎の前にある机の上に腰掛けると、任三郎は聞く。
「それで、もう≪種≫は仕込んだのだろうな?」
「もちろん。それも二つ……ね」
「フフフッ、その種がどのような花を咲かせるのか……」
「ホント……あの子から生まれる物語……楽しみね」
混沌渦巻く邪悪の気配。しかし、その気配を察することができる人間は誰もいない。
世界は、思いもよらぬところでまじりあい、予想外の物語を形作っていく。それが必然であるのか、偶然であるのか。それを決めることのできる人間は、はたしているのだろうか。
答えはまだ、誰も知らない。