第六話 堕ちてきたモノ
『またね、お母さん……か』
その言葉に、嘘偽りなんてなかった。カナは、そう信じていた。そう、人はいつか死ぬ。死んで、向こうの世界に行くのだ。だから、きっとまた会えると。そう信じて自分はさよならは言わなかった。
多分、その頃にはもう自分は天使としての役割を終えて、天国で友達みんなと仲良く暮らしている頃だろうか。
カナは、最後に母に振った手を見つめると、その手をぎゅっと抱きしめた。
『≪夢枕≫に立ってきたんでしゅか?』
と、そんな彼女に、先輩天使(で、ありながら見習いのため階級的にはカナたちよりも下になってしまった)ダーツェが声をかける。
夢枕とは、死んだ人間が生きている人間の夢の中に出て来て話をするという現象。元来これは、死んだ人間に対しての後悔やもう一度会いたいという思いが作り出したただの夢だと、そう思われていた。
だが、実際には本当に夢枕という物は存在している。幽霊は、自分が生前親しかった人間の夢の中に出て来て、その人と会話をすることができるのだ。
と言っても、そんなことができるのは、生前から霊力という物が高い人間か、あるいは生きている人間の方が霊力が高いかのどちらかに限られてくるのだが。
とにかく、である。カナは天使になったことによってある程度以上の霊力を手に入れることができた。だから、会いに行ったのである。彼女の、母に。こんな幼くして死んだ親不孝者の自分が、会いに。
『うん、でももうこれでお母さん≪たち≫の夢に出るのは最後、これからは……ちゃんと天使として頑張らないと』
そう言うと、カナは眼下で笑顔を向けている母親を見て言った。
『お母さんに、お仕事頑張って、って、言われたから』
『ライクしゃんやホコリしゃんもそうでしゅが……』
『?』
ダーツェは、何やら呆れるかのように手を上に向けて首を振ると言った。
『どうしてこうも、精神が図太い人間ばかりがこの町に集まるのでしゅかね?』
『図太い……の、かな私って?』
自分はそんなつもりないのだが。そう考えるカナ、しかしだ。
『いや、かなり図太いと思うわよ』
『あ、ミズキさん!』
と、白馬に引かれている馬車を操りながら、ミズキが現れてそう、言ってのけた。
『いくらあの子に恩義があるとはいえ、もしかしたら二度と天国にも行けないかもしれない天使の仕事に就いたり、そもそも自分が死んだことに対してあんまりショック受けてなかったりしてたし、貴方、気が付いてた?』
『え? あぁ、そう言えば……』
言われてみれば、自分は、己が死んだことに対してあまりショックは受けていなかったような気がする。むしろ、その後の三途の川へと向かう途中が怖すぎたり、命の危険にあった友達をララが救ってくれたことに感謝したりと、そう言った方面での事ばかりを考えていた。
なるほど、確かに自分は彼女の言う通りに図太い人間なのかもしれない。しかし、だ。小学生にしてそのメンタルの持ち主だったのならば、大人になったら一体どれくらい豪胆な人物になることができたのだろうか。ある意味、その姿を見ることができなかったのはミズキとしては残念である。
いや、もしもあの河川敷でララやトガニンと会っていなかったら、自分の相棒たるカナと接するタイミングなんて、なかったはず。だから、例え彼女が無事に大人になっていたとしても、自分は彼女の事なんて見知らぬ人として、その時も川の中でずっと待っていたことだろう。
次の生贄となる人間を。
『さて、ララちゃんたちが待ってるわよ。行きましょう』
『はい!』
と大きな声で答えたカナは、ミズキと共に向かう。ララたち、自分たちがこれからも仕えることとなるエンジェル達の下に。
『行ってきます。お母さん……』
そう一言、母に添えてから。
“私が天にいる間にそんなことがあったんですか……”
“賽の河原に閻魔大王、それに豪華客船ねぇ……随分と楽しい旅行してきたみたいねララちゃん”
“本当、トガニンを一人≪私刑≫した私たちとは大違いだわ”
“す、すみません……”
一方で、ララ達エンジェルの三人は互いに情報を交換し合っていた。自分がこの世界にいない間に、あるいは彼女が向こうの世界に行っている時に起こった出来事について。
ライクとホコリは、ララが自分たちがトガニンと命がけ(仮)で戦っていた時に豪華客船による優雅な船旅をしていたことに対していじってくるのだが、しかしララがその客船に乗っていたのはたった半日足らずで、更にはそのほとんどを客室の中で過ごしていたので対していい旅だったとは言えないだろう。
けど、それはララだけがいえる事。天使となった少女たちにとっては良い船旅だったと言っても過言ではなかった。そのよい船旅を心から楽しむことができなかったララが悪いのである。まぁそれはともかくだ。
“あの、お母さんを助けてくれて、ありがとうございます!”
と、ララは改めて礼を言った。彼女たちに、母を、助けてくれたことを。
“まぁ、成り行きでそうなっただけ。たまたまよ”
“そうそう。今度は、ララちゃんが助けてあげなよ、お母さんを”
“……はい!”
そうだ、今度は自分が母を助けるのだ。トガニンの魔の手から。この世界に降り立った怪物たちの手から、必ず。ララは誓う様に空に目線を向けた。
その、瞬間だった。
“え?”
“ララちゃん?”
“どうした、の……って、あれって、まさか……”
ララが疑問符の声を上げたのと同時に、二人もまた何かを見つけたのかと空を見上げた。
すると、そこにいたのは。
“あれは、トガニン……!?”
そう、トガニンの姿。青く澄んだ空を埋め尽くすように黒い塊が宙に浮かび、漆黒の絵の具のように、この世界にドロドロと落ちてくる怪物たちの姿である。
そのトガニンの多くは雨のように空から落ちている途中でどこかに飛んでいき、自分たちがいる街に降り立ったのはごくわずかと言ってもいいだろう。
そして、そのトガニンの雨が終わるのはすぐの事。もしかしたら一分もなかったのかもしれない。空は、まるでそんな出来事起こっていないかのように数舜の内に元の青空を取り戻していた。
あれは、いったい。
『とうとう、本格的に降りて来たんでしゅね、トガニンが』
“ダーツェ、ミズキにかなちゃんも”
その時、カナの家から三人の天使が帰ってきた。三人は、馬車から降りるとすぐさまダーツェが言う。
『これまで、トガニンは散発的にこの現世の世界に降りて来ていました。でしゅが、ララしゃんたちエンジェルがその散発的に降りて来たトガニンと戦い、天への道標を何度も作ったことによって、地獄と現世の道が広がって、残り百四体のトガニンが全てこの現世の世界に降りて来たんでしゅ』
ダーツェが言うには、元々天とこの現世の道はかなり狭いもので、一度に一体、こちらに来れるかどうかというくらいのものだったという。
しかし、ララたちエンジェルがこれまでに≪三体≫のトガニンに死刑を執行したことによって天への道標がそのたびに開かれた。
そのことによって天から現世へと降りてくるための道も広がって、一気に全ての地獄から脱走したトガニンが降りて来てしまったそうだ。
“それじゃ、私たちのせいでトガニンが現世に降りて来てしまったんですか? ……なんて、言いっこなしよララちゃん”
“え”
どうして自分が言おうとしたことが分かったのか。いや、自分たちはまだ出会って数日しかいないのだがともに戦った戦友である。そんな事、すぐにお見通しなのだろう。
“戦っていればいずれはそうなっていたこと。そう言う事でしょ? ダーツェ”
『そうでしゅ。むしろこうなることは自然だった、そう言ってもいいでしゅ』
“ね、だからあなたが気に病むことじゃないの”
“そうそう、逆に、これからが本番なんだって、思えばいいじゃん”
“ライクさん、ホコリン先輩……はい!”
ララは、力強く返答した。そう、ここからが本番。ここからが、自分たちの出発点。ここからが、自分たちのエンジェルとしての戦いの第一歩なのだ。
いつまで続くか分からないような戦いの、第一歩。
まぁ、その足もないのが、残念であるが。
『あ、そうそう忘れるところだったわ』
“ミズキさん?”
ミズキはそう言うと、馬車の背部にある格納スペースに向かいながら言う。
『実は、閻魔大王から渡してもらいたいものがあるって、言われてたのよね』
“渡してもらいたいもの?”
実は、ミズキたち天使、そしてララが天からこの現世へと飛び立とうとしたその直前だった。新しく天使となった魂の中でも一番(実年齢で)年上の天使であったミズキに、閻魔大王の使者を名乗る人物からとある物をエンジェルに渡してもらいたいと、そう言伝を頼まれていたのである。
『そう、これよ』
といってミズキが格納スペースから出した物に、エンジェル達は驚愕した。
そう、彼女が持ち出した物、それは―――。




