第十六話 毒
きっと、私の事なんて誰も分かってくれない。だって、私が彼女たちの事を分からないのだもの。
彼女たちの語った、エンジェルとトガニン、そして天と呼称される世界の話。
どれもこれもがあまりにも現実離れしすぎていて、すべてを理解することができなかった。いや、現実の話ではないから当然の事なのかもしれないが。
ともかく、はっきりと分かったことがある。
それは―――。
死んだ先には、あの世と呼称される世界が存在していて、天国と地獄があると言う事。死んだ魂は、そのどちらかの世界に行くことになると言う事。
人間の想像力という物は現実に影響を与えていたのかと、少し感心しそうになってしまう。それとも、最初にソレを提唱した人間が、その天国と地獄を見て来て蘇ったとか、そんな可能性もある。
不思議なことに、調は彼女たちの言葉がすんなりと体の中に入ってきていた。本人にはそんな自覚あまりない様子だが。
しかし、だ。もし天国があるとして、地獄があるのだとして、ソレを知って、自分は一体どうするべきなのか。
どうするべきと考えているのか。
「……」
スゥ、耳に聞こえるその音を感じながら、彼女は立ち上がり、台所に向かった。そして―――。
「私には、あの人の気持ちが分かりません」
「……」
一方、同じころ。彼女の家からライクの家へと帰還途中だった二人と一体の天使は、公園のベンチに座って考えて居た。
気持ちの分かる、分からない問題について。彼女の痛みについて。
「さっきの場所、凄い騒音だった。車の音、クラクションの音、ガヤガヤと騒ぐ喧噪も、高架下で耳にする新幹線や電車の音……でも……」
と、言いながら鳴は空を見上げた。そこには、一機の飛行機が青空の中に溶け込むかのように飛んでいて、尻尾の方からは徐々に幅広になっていく飛行機雲があった。
ここからじゃ、その飛行機のエンジン音も聞こえることはない。でも彼女だったら、その飛行機のエンジン音を少しでも聞くことができるのだろうか。
でも、もしすこしでも聞こえることができるとしたら。
「私にとっては、全部が耳馴染みのある音で、ストレス何て何もなくて、ただただ聞き流していて……」
あの人には、それができない。できていない。それが理解することができなかった。自分が、音になれてしまったがために。
人間は産まれた時から、いや生まれる前から様々な音を耳にする生物だ。
お腹の中にいる頃から、母の声、心臓の音、外からかけられる声、色々な音を耳にして、人間は産まれて来る。それからもたくさんの音を聞いて、たくさんの人の声を聴いて、たくさん笑って、泣いて、怒って、そして死んで行く。
その間に一体何度自分のすぐそばを車が通っていくだろう。
一体何度踏切で電車を見送った事だろう。
一体何度挨拶をして、返されて、おしゃべりをして、無駄に音を出し続けていたのだろう。
それが、誰かにとっての苦痛だと、知らずに。
「私には、理解することができない……何も、調さんの事も、それに……」
ライクたちの、事も。
それはミズキも同意見だった。DGエンジェルズ、それは極めて奇跡的な形で存在しているチームである。
ララという女の子をよみがえらせる。ただ、それだけを目標にしているために一つ間違えれば崩壊してしまいかねないチーム。
もし、あの三人が、いやララがいなかったら今頃どうなっていたことかと、想像するのも恐ろしい。ララという存在。ララという少女をよみがえらせる。ただ、それだけのために魂の死すらも恐れることのない二人の少女が戦っている。ソレを考えるだけでも唇を噛みしめたくなる。
そして、何よりも問題なのは―――。
『あの子たち……ライクやホコリに毒されている……』
それが、伝染性の物であると言う事、か。ミズキは鳴と牟六を見ながらそう考えていた。
そもそもの話だ。彼女たち、というか例の不良グループのリーダーはライクであった。その成り立ちや存在意義が何であったにせよ、ライクには非常に大きなカリスマ性があり、そのおかげでたくさんの人間がついて来ていることは確か。
しかし、そのカリスマ性が故に、彼女と似た行動をとろうとする人間がいる。それが牟六、だ。
彼女が調に語った言葉、それはともすれば彼女の命にも影響が与えられる言葉となりえる物。彼女自身だってソレを自覚していた。なのに、口からその言葉が出てしまったのは、やっぱりライクと言う存在が大きすぎた結果なのかもしれない。
ライクという人間と、似た行動をとることによって、彼女のようになれるかもしれないと言う期待を込めたのかもしれない。
そんなことしたら、いけないことであると言うのに。彼女の真似事をしたところで、彼女になることなんて到底無理なのに。
皮肉な物だと、ミズキは思う。牟六と鳴、どちらも誰かを理解したい、誰かの意思を共有したいと願っているのにその結果が、誰かの破滅という未来に続いているのだから。
本当に、皮肉なことであり、そしてなおかつ、その皮肉に巻き込まれた少女たちに同情を禁じ得ない。
人の意思と言う物は人それぞれにある。ミズキもそれは理解している。理解しているからこそ、腹立たしい。ライクと言う少女の危険な思想が、他人に伝播していくというのにソレを止められないなんて。
ライクの思想が全ておかしいと言っているわけではない。命はたった一つしかない大切なもの、というのも分かるし、ソレを取り戻そうとするのはおかしいという言葉にも、一定の理解を得られる。
だが、それ以上に彼女には、たぶん彼女も気がついていない危険な香りが漂っている。そう感じられるのだ。
自分の命に固執していないからこそ出る、他人を死へと赴く言葉を紡ぐ、という危険な香りが。
『調……』
そして、その毒はとても危うい女性にも回ってしまった。
できるのならば、彼女を天に連れていく、というのは避けたいところなのだが、しかし自分の考えて居ることが正しければ、きっと―――。
果たして、それがミズキの考えて居たことと同じであったかどうかは定かではない。であるが、彼女、調の行おうとしていることはいたって単純な事であった。
その手に、鋭くとがった包丁を持ち、自分の首筋に突き立てようとする調。
あともう少し、あともう少しだけソレを進めれば、自分は喉を掻っ切ることができる。楽になることができる。この苦しみから、逃げることができる。
死という安らぎへと、逃げることができる。
そう、彼女はもう耐えることができなかったのだ。
彼女はもう、生という物を諦めていたのだ。
毎日毎日頭の中に入って来る音という音の不協和音。
頭の中で響いて、自分をおかしくしてしまうのではないかと思うくらいに強く頭を締め付けて来るソレに対して、彼女はもう早く死にたいとすら思っていた。
でも、怖かった。
死ぬのがじゃない、
天国があるのかそうでないのか、それがはっきりとしないままに死ぬのが、怖かったのだ。
人間の死後、魂はどうなるのか、ソレを考えることのなかった人間なんていないであろう。
死後の世界という物に向かうのか、それとも輪廻転生、他の存在として生まれ変わるのか、それとも、本当にその人の意思という物が消え去ってしまうのか。
でも、事ここに至って彼女は知ってしまった。死後の世界の存在を、天国と地獄の存在を。死んでも、自分の意識や記憶は、そのまま残り続けるという、その絶望を。
もう、彼女に生きる希望何て一つもなかった。
彼女にできることはただ一つ。
このくそったれな人生への意趣返しとして、自分で死を選ぶと言う事。
自分で自分の人生に幕を降ろして、そして―――。
そして―――。
そして―――。
そし―――。
て―――。
“やめといたほうがいいよ。死ぬって言うのは、とっても痛いから”
「!?」
躊躇っていた女性、その耳に聞こえた。一人の少女の声。いや違う。一人の、先ほどの時と同じ、彼女たちが言うには幽霊の声、という物が聞こえたのだ。
“って、当たり前の事言ったかな?”
「だ……れ?」
“……”
幽霊は、数秒の沈黙をした後に言った。
“死神、かな?”
「死、神?」
その言葉を呟いた瞬間、調は手に持った包丁を落としてしまった。いや、落とされたと言った方がいいだろう。
死神という言葉を呟いた瞬間に、何かの力が作用したらしく、手に持った包丁が叩き落されたのである。そう、ポルターガイスト現象だ。というより、もはやここまでくるとどちらかというと超能力に近いのかもしれないが。
そして、少女の霊はソレを見届けた後に、こう言ったのである。
“ねぇ、半分死んでみる気……ある?”
と。
調は、もはや考えるのを止め、ただただ背筋が凍るのを感じるだけであった。




