第九話 文武両道の女、不破誇
『多分、この辺りにいるはずでしゅ……』
ダーツェは、宝石が一瞬だけ輝いた。その地点に舞い戻ってきた。試しにもう一度宝石を出してみるがしかし、光る気配はない。適合者たる人間が、もうどこか別の場所に移動してしまったのか。それとも、光るには何らかの条件があるのか。
今回、彼女はその宝石を勝手に持ち出してきてしまっている。故に、その宝石にとんでもない力があるという事、そしてその力を行使した場合のデメリットは知っているが、それ以外てんでわからなかった。
ここは、一度連絡を取ってみるのも手なのかもしれない。そう考えたダーツェだったが、しかし、この一瞬の判断があの運命的な出会いにつながる。
『え?』
地上から、何か黒い物体が飛ばされた。この時、彼女が取れる行動は二つ。避けるか、それともそのまま静観しているか。
天使である彼女は、たとえ現世の存在から攻撃されたとしても何のダメージも追うことはない。彼女を狙った攻撃であっても偶然出会ったとしても、身体をすり抜けてしまうのが関の山。だから、別に彼女自身が避ける必要はない。
ハズだ。
彼女は感じた。その、汚れの蓄積した布のような重い黒を。
もしかしたら、これはまずいかもしれない。
そう、頭が判断した瞬間だった。
『ッ!!』
彼女は、その攻撃を紙一重で避ける。攻撃を認識してから、一秒にも満たない時間の中での判断。しかし、その判断が正しかった事を知る。
『この、風は!?』
突風。でも、自分はこの世界の魂と同じく自然現象には影響されないはず。それなのに、どうして。
だが、今はその風に耐えなければ。彼女は、台風のような暴風をその身に受けながら必死にこらえていた。こらえて、こらえて、こらえて。しかし、ついには耐えきれなくなった。
『あ、宝石が!?』
いや、正確に言うと彼女の持つ≪二つの宝石≫の方が耐えきれなかったというべきか。
突風が、二つの宝石を救いあげるかのように彼女の手から離し、そのまま地面に真っ逆さまに落ちていったのだ。あたかも、地獄に落ちる罪人かのように。
『待つでしゅ!!』
天使は、それを追いかける。しかし、宝石に気を取られた彼女は、失念していた。自分を襲っている暴風のことを。
『うわぁぁぁぁ!!』
宝石を追いかけようとした彼女は、突風により飛ぶバランスを失い、こちらもまた地面に真っ逆さまに落ちていくことになる。それでも、何とか宝石が落ちた場所に落ちようとするのは、彼女の天使としての意地なのかそれとも、運命のいたずらなのか。
しかし、落下していく中で彼女は一つ知った。
『この世界に天使を認識できる人間が、天使を攻撃できる人間がいるでしゅか?』
この世界、現世と呼ばれる世界はもしかしたら相当危険な存在なのかもしれない。
果たして、そんな彼女を撃ち落とした存在は、ただニヤリと笑うと、その場から立ち去るのであった。
もう、そこには誰もいなかった。
緊張の一瞬だ。まさか、これほど重い空気に包まれるなんて、思ってもみなかった。
まるで、時間を何十倍にでも詰めたかのような緊迫感に、息をするのも、正座する足の痛みも忘れてしまいそう。
隣にいるライクも、表情を変えることなく凛とした顔をしているが、しかしそれもまた逆に彼女の緊張を増加させる要因にしかならない。
遠くにある丸いもの。この空気の中ではその距離すらも把握することができはしない。
でも、一番緊張しているはずの彼女、ホコリは顔色、そして姿勢を一切ただすことなく正座している。
美しい。まるで、芸術家の描いた絵のように美しい光景だ。その姿を見ているだけで、ほれぼれとしてしまう。
だが、そんな中でも彼女は、ホコリはただ一か所だけを見ている。自分が、これから突き刺すことになる、その場所を。ただ、一点を。
「……」
その時だ。ホコリは動いた。一度、軽くお辞儀をした彼女は、左足を前にして立ち上がった。その姿も何とも静かで、そして迫力を感じさせた。
一歩、二歩、三歩と、香しい匂いに満ちた木の床を歩くホコリ。そして、もう一度、今度は九十度身体を右に回転させて正座をすると、右手に持った武器を置く。
そして、置いた武器のうちの一本を、左手に持った鋭い棒と弦で形作られた武器にセットし、もう一度立ち上がり、構えた。
左手を前に、右手を後ろに。左手の位置を変えないように、右手で持つ弦と矢を離さないように、ゆっくりと引き絞る。
ギュ、という木が悲鳴を上げる声が聞こえて来た。ソレは、遠くから聞こえて来た車の音、小鳥たちのさえずり、髪をなでる風の音よりも大きなもの。大きく、そして、強く、それでいて可憐で、その姿は、女神にも幻視できるほど。
ずっと、その姿を見ていたい。そう感じるほどの強さはしかし、ついに終わりを迎えることになる。
「ッ!」
一射。音が、閃光のように見えた気がした。そんな衝撃がララに届いた瞬間。ホコリの持っていた矢は見事に的の中心部に当たったのだ。
「す、すごい……」
ララは感嘆の声を上げる。だが、そんな彼女に対して、ホコリはフッ、と笑うだけ。まるで、そんなこと当たり前であるかのように。
瞬間、巻き起こった拍手が弓道場を包み込んだ。
「さすがです先輩!」
「良い見本になったかしら?」
「もちろんです! 今日は来てくれてありがとうございました!」
と、二年生らしい少女が言うと、ホコリは頭を下げてから見学をしている自分たちの方に来た。
「どうだったかしら?」
「えっと、す、すごかったです……」
ただ、それだけしか感想が出ない自分の語彙力のなさが恨めしかった。でも、本当にそれしか声に出すことができなかったのだ。
昼食を食べた後、彼女たちは一度自分たちのクラスに帰った。考えてみれば、夏休みが開けてすぐであるというのに始業式がなかったり、午後からも授業があったりとおかしなところがあったが、ライクが言うにはそれがこの学校の普通だそうだ。
午後からの授業といっても、自習に相当する物であって、その時間に何をやってもかまわない。帰りのホームルームの時間には学校に来ていること、という条件だけ付けてそれぞれに別れて言ったクラスメイト達を見て困惑しきりだったララは、約束通りこの学校を見学しようとライクに誘われ、そして彼女、ホコリとも合流しようとした。でも、その直前少し前まで所属していた弓道部から、後輩から手本を見せてもらいたいという申し出があったのだ。
この時点で驚きなのは、この学校に弓道部、そして弓道場があるという事だ。
ララの記憶では、弓道部という物はどこの学校にでもあるモノではない。かなり歴史の古い学校くらいしかないものだと思っていたから。こんな創立二十年の比較的若い学校にあるなんて思わなかった。
そしてホコリの腕前も、素人目に見てもかなりの物だったような気がする。
「フフん、なんてったってホコリンは、高校の弓道全国大会、選抜も一昨年優勝の実力者だからね」
「え!?」
ライクが、まるで自分の事であるかのように言った。誇らしげだ。
だが、確かに上手とは思ったが、まさか全国大会でも優勝しているなんて思いもよらなかった。
その情報だけでもララにとっては驚きに値する物。でも、彼女が恐ろしいところはそれだけではない。
「それだけじゃないのよ」
「え?」
そういいながら現れたのはリリ、である。リリは言う。
「柔道、剣道、空手、合気道。おまけにボクシングやプロレスに至るまで、あらゆる格闘技にも精通しているのよ。あとは確か」
「フェンシング、テコンドーも少し……とにかく日程がかぶってなかったら大会に出て、今のところ全部負けなしで優勝しているわ」
と、リリの言葉を引き継ぐようにホコリが言った。
正直、驚きを超えて呆れてしまった。まさか、彼女がそれほどスポーツが得意だったなんて、それも数多くの分野で優勝を果たしているとは。
というか、さっきまで弓道の道着を身に着けていたはずなのにいつの間に着替えたのだこの人は。
「さて、それじゃ学校案内を再開しましょうか」
「そうだね。次はどこ行こうか?」
正直、もうこれだけでおなかいっぱいなのだが、しかしまだこの学校には回るところがあるというのだろうか。ララは、楽しみに、しかしどこか恐ろし気に次に彼女たちから出る言葉を待つ。
そして、握りこぶしを下ろして手を叩いたライクは言う。
「よし! 校舎裏に行こう!」
「え? 校舎裏、ですか?」
ララは少し、というかかなり不思議だった。どうしてほかにもいろいろと見て回れそうな場所があるというのに、いきなり校舎裏に行くのだろうか。
「もしかして、この子に≪アレ≫を見せるの?」
「そっ!」
「まだ早くないかしら?」
「大丈夫大丈夫! ララちゃんならきっと、ね!」
いや、≪ね≫。と言われても、校舎裏に何があるかによるのだが。
「それに、ララちゃんも、自分を助けてくれたお礼を言わないといけないでしょ?」
「え?」
助けてくれたお礼、それは今朝のあの騒ぎの事なのだろうか。でも、当事者の三人ならここにいるはずなのに、後誰がいるのだろう。
「おかしいとは思わなかった?」
「え?」
「あんな、学生が誰も通らない場所で、二人がいきなり助けに来るなんて。二人があなたの危機を知れるなんて」
「あ……」
言われてみれば確かに。どうして二人は自分がピンチであると知ることができたのだろうか。
あの場所は不良がたむろして言える場所だから学生が通学路にするわけないし、それに一般人が通ったような気配もなかった。自分が、ああして怖い男の人たちに囲まれているなんて、誰も知らなかったはずなのに、どうして彼女たちは知ることができたのだろう。
「これから行く場所には、貴方の危機を救ってくれた恩人がいるのよ」
「そう! だから行くの。それが、仁義ってものでしょ?」
「は、はい!」
ライクのいう通りだ。どこで自分のことを知ったかなんてどうでもいい。今の自分がいるのは、助けてくれた二人を、この学校に呼びに来てくれた≪ヒト≫のおかげでもある。そんなヒトにお礼を言わないなんて、そんな事してはならない。
ララは、ライクに手を引かれて向かうのであった。自分を助けてくれた≪ヒト≫がいる。その場所へと。
そんな≪ヒト≫、もういないとも知らずに。




