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学園

プロローグ


風景がすべてを与えてくれた。


 町はずれの大きな川の河川敷。週末、遠出ができないときはそこにやってきて、人気のない場所でその景色を眺めた。


「実は時間などは存在せず、すべてが同時にそこにあるの……」

自分にそう言い聞かせて、分厚い眼鏡を外して目をつぶる。視覚ではなくべつの感覚で周囲を見る。


そうすると、自分の周囲にまったく違う風景が浮かびあがってくるのだ。

季節は半袖でも少し寒く、雲たちは地平線の彼方に退いていて、風は大河を前にしてもなお乾燥していた。

「次の連休はどこに行こうかしら」

行く場所はだいたい決まっているのだ。船で大河を上るか下るかして、そこに点在する遺跡群へ。


「白竜が住まう塔。鳳凰の大岩。虹色トンネル。黒い大鎌の沼。古代テクノロジーの廃墟」

人工の堤防のうえに座り、数え上げていく。

彼女の心は瞬時にそこへ移動し、赤や青や黄色、時に眩しく時に完全に漆黒となり、黄金や白銀に輝くこともあるそれらの景色が、周囲にぱっと広がる。

しかしそれらは、実際に視覚で見えるものではなく、彼女が目をつぶると見えてくるものだ。だから、目を開くと、一瞬にして消える。


「そういえば、わたし、美術部に入ろうとしてたわね」

高校に入学した当初、様々な、言葉で説明しづらい期待を抱えつつ見学した美術部。

しかし、残念ながら、そこでは彼女が期待したような、空想上の景色が描かれることはないと知った。

「ふふ。それがよかったのかな」

そのあと破れかぶれになって入った冒険部が、意外とよかったのだ。

「美術部に落胆したんじゃなくて、自分に落胆したの。入学当時、描けるほどの景色が、自分の中に無かったんだわ」

それはなるべく認めたくない、しかし、深層に眠る認識だった。


でも、今はそんなことはどうでもよかった。冒険部に入って、遺跡を訪れることで、意識の中に景色がコレクションされていった。

「お母さんも手伝ってくれたし」

左手に障害を持った母は、しかしそれでも冒険部で使う装備を縫ってくれた。そうやってできた布の鞄や服のところどころを自分で縫い直して補強して、部活に出かけた。

「本当は買ってほしかったんだけど……」

卒業していった上級生が残してくれた装備もあった。だから、そんなに不満はなかった。


「そうだ」

そこでいつもその話を思い出す。誕生日はいつも母親の手作りのプレゼントだった。

「昔は、とても貧しかった」

いや、今でも貧困に苦しんでいる。しかし、小学校の途中の学年あたりで、自分が貧しい家庭にいることにやっと気づいたのだ。

「ふつうはみんな買ってもらうんだから」

今ではもうそんなに腹が立つわけではないが、当時、それに気づいたとき、もらったプレゼントを一度ゴミ箱に捨てたものだ。厚紙や余った布で作られたそれは、簡単にくしゃくしゃになった。


あとで思い返してゴミ箱から拾いなおしたのだが。


「ふふ。友達もみんな服が汚れていたし」

風が吹いて草がそよぎ、そこでなぜか可笑しくなって笑った。学校ではみんな一緒になって遊ぶのだが、放課後は自分と同じように服が汚い子としか遊ばなかった。そして、思えばいつもお腹を空かせていた。

そういったことが、成長するにつれ、大人になるにつれ、客観的に理解できてきた。もう、バーゼルフォン支援資金を母親が毎月貰っていることも誰にも話さない。多少勉強ができたとはいえ、必要以上に学費の高い高校に入ってしまったことも、気にしないようにした。


当時、具体的な学費も知らないでそこを受験したいと母に告げたとき、母は一瞬だけ顔を曇らせたが、そのあとすぐに同意して、励ましてくれた。学園に入って、他の生徒と自分を比較して、愕然とした。


そしてあるとき、悟った。


「そんなものは、実は存在しないんだ」

そう思い込むようになってきた。

貧困とは、相対的なものであって、幻想であって、むしろ自己満足であって、実は存在しない。

「ほんとうに、次はどこに行こうかしら」

気に入った場所に加えて、行っていない遺跡群がまだ無数にある。


悲しい幻想を捨てて、想像の中の華やかで美しい幻想を求める。その逃避行が正しい行いであるのかどうかは自分ではわからない。

「それでも……」

彼女の景色を求める冒険は続く。

 それは、夏も終わりのある穏やかな朝だった。


セミの鳴く声もほとんど聞こえなくなった、校庭を歩く三人。

「良さそうな学校だね。校庭も綺麗だし、なにより校舎が大きい」

先頭を元気に歩く赤毛の男の子、クルト。


その彼が言うように、四階建ての南北に建てられた校舎。さらに北の端には、塔のように高くそびえたつ建物。別棟のようだ。

「生徒数が多いのはかえって好都合かもしれないね」

と話すのは、女子生徒の制服を来た女の子、二コラ。だが、あまりに筋肉質すぎてスカートが似合っていないようにも見える。髪もひっつめて後ろでまとめていて、いかにも強そうな風貌だ。


「そうねえ」

一番後ろを歩くのは、なんとなく目が泳いでいて心ここにあらずのマルヴィナ。夏休みを休み過ぎたのかもしれない。

「あ、あれが担任の先生じゃないかな?」

クルトが、建物の入口に誰かいるのを見つけた。

「やあおはよう君たち。九月からの三年十九組の編入生だね?」

「そうです、おれはクルト」

「わたしは十九組の担任、ピエールだ、よろしく」

順々に挨拶して握手する。

ピエールは痩せた長身に黒い肌、白い髪に口ひげ。そしてフチなし眼鏡でフォーマルな装い、いかにも頭がよさそうな先生だ。


マルヴィナが握手しながらピエールと目を合わせたとき、どこかで見たような気がしてその瞳を少し覗き込んでしまった。ピエールはすっとその視線を外す。

「では、下駄箱で履き替えたら教室まで案内しよう」

そういって、三人を下駄箱まで案内した。

履き替えてから、歩き出す。

「三年生の教室は三階にある。この建物には階段だけでなく昇降機も付いているんだけど、生徒は基本的に階段を使うようになっていてね」

申し訳ない、とピエール。


そのとき、二コラが何かに気づいた。

「あれ? マルヴィナ、靴のままじゃないか」

「え? うそ?」

下を見ると、たしかにまだ外靴のままだ。

「さっき履き替えなかったの?」

とクルトも怪訝そうな顔。

慌ててもう一度下駄箱に戻って上靴に履き替える。やはり、マルヴィナは少し舞い上がってしまっているようだ。

「しっかりしてくれよ、学園生活の初日なんだぜ?」

クルトが元気づけるようにマルヴィナの肩を叩く。しかし、階段を三階まであがると、教室が廊下の左右にずらりと並んでいた。やや圧倒される。


「低層棟の各階には、教室が左右、つまり東西に十ずつ並んでいるんだよ」

ピエールが説明する。

十九組と表示された教室のドアを開けて、ピエールから順に中へ入っていく。生徒たちが気づいて、自分の席にそれぞれ座った。

「よし、じゃあこれから編入生を紹介する」

教壇に立ったピエールはそう言うと、黒板に三人分の名前を書き出した。

「一人ずつ自己紹介してくれるかな」

と言われて、まず正面に立ったのは、

「おれの名前はクルト。好きな言葉は火に油を注ぐ、趣味は星を眺めること、みんな、よろしく!」

元気のいい自己紹介に、自然と拍手が沸いた。


「僕は二コラ。好きな言葉は木を見て森を見ず、趣味は……えーっと、冒険かな? よろしく」

教室がややざわついた。主に女子がひそひそと話している。

「わ、わたしはマルヴィナ・メイヤー。好きな言葉は焼け石に水。今回は皇帝としてここに来ました」

マルヴィナの自己紹介を聞いて、キョトンとしている生徒、クスクス笑いだす生徒、ひそひそと話す生徒。マルヴィナは、何か変なことを自分が言ってしまったことに気づいた。

「はい、ありがとう。マルヴィナさんは面白い冗談だね。だけど、名前は言い間違えたのかな、君はマルヴィナ・ヨナークだよ」

ピエールにそうフォローされて、マルヴィナが慌てて名前を言い直した。黒板にも、マルヴィナ・ヨナークと書いてある。教室にも笑いが起きる。


「じゃあ、三人はその窓際の後ろの席に座ってくれ」

顔を真っ赤にしたマルヴィナと、クルトと二コラが自分たちの席へ歩いていった。


 一時限目、最初の授業はそのまま担任のピエールによる理科の授業だった。


クルトや二コラがピエールから質問される場面もあったが、マルヴィナは質問されることなく、無難に過ぎた。

しかし、二限目からいきなり難関が訪れた。体育だ。


「体育は隣の二十組と合同でやるみたいだけど、男子はこの十九組で着替えて、女子は二十組で着替えるみたいだ」

と誰に聞いたのかクルトが教えてくれた。

マルヴィナはさっそく二コラといっしょに体操服を持って隣の教室で着替える。

「サイズは……大丈夫ね」

上下えんじ色の半袖と短パン。二コラは腕の部分がきつそうだ。


「ちょっとサイズがあれだけど……。運動靴に履き替えてグランドに集合だな」

要領がよくわからないので、休み時間中に早めに移動した。

すでにクルトも集合場所に来ていた。二コラの体操着姿を見て冷やかす。

「はは、二コラは体を鍛えすぎなんだよ」

体操服は男女同じようなデザインだ。始業のチャイムが鳴る少し前に体育の先生がやってきた。

「よーし、本題に入る前に、いつも通り行進から始めるからなー」

と、十九組と二十組の生徒を整列させる。男女合同で背の順に並んでいく。


「こいつ、やたら号令訓練が好きなんだよな……」

クルトの横に立っていた、体操服をやや着崩した不良風の男の子が、ボソッと言った。初めて見るのでおそらく二十組の生徒だ。

その彼の言葉通り、準備体操のあとにやたらと気合いの入った授業が始まった。

「気を付けー! 休め、気をつけー! 回れー右! まわれーみぎい! ひだりむけーひだりい! 前へーすすめ!」

どんどん声が大きくなっていく。

「左右合わせろー」

その筋肉質で短髪の体育の先生が、行進を横から見ながらチェックする。


「ゆびさきのばせー」

一通り終わったところで、

「よーし、ぜんたーい、とまれ! みぎむけーみぎ! せいとん、せいれーつやすめ。じゃあ、今日は走り高跳びをやります。すぐ準備してください。わかれ!」

全員で先生のほうに敬礼し、解散した。

「なんか、軍隊っぽいね」

体育倉庫に向かいながら、マルヴィナが二コラに言った。

「ああ、僕らは砦でたまにやってたから慣れてるけど、ローレシア大陸のふつうの学校に通ってたら少し面食らうだろうな」

そう言いつつ、ほかの生徒の真似をしながら体育倉庫から必要なものを出してくる。走り高跳びのバーとマットが四セット設置された。


ひととおり準備が出来たところで、

「よし、じゃあ先生が見本を見せるからな。一回しかやらないからようく見とけよ」

そう言うと、少し離れた位置から助走をつけて、高跳びのマットとバーへ斜めに走り込んでいく。

「とうっ!」

さすがに身体能力が高いのか、綺麗なフォームでバーを飛び越える。そして、また戻ってくると、気分が良くなったのか、もう一度助走を付けて走り出した。

「とうぁっ!」

エネルギーが余っているのか、そのまま何度も何度も跳躍を繰り返す。なかなか見本が終わらないので、生徒たちはその体育教師を放っておいて、空いている残りの三つを使ってそれぞれ順番を作り、助走と跳躍を開始した。


マルヴィナとクルトと二コラも、そのうちのひとつに並んで跳躍を待つ。

「よし、じゃあ、行ってくるぜ!」

最初に、クルトの順が回ってきて、助走を始めた。バーの前でややカーブして回り込んで、そしてジャンプして背を逸らす。綺麗な背面跳びで、余裕でバーを飛び越した。マットから跳ね起きながら人さし指を天に向けるクルト。

「さすがだな」

それを見て、二コラが助走を開始する。二コラは、バーに対して正面から突っ込んでいく。同じ跳び方が嫌なのか、そのまま前に跳躍してバーを飛び越した。マットにくるんと着地して、すぐに起き上がる。

「ほどほどにしとけよ!」

列に並びなおしたクルトから声が飛んでくる。


「わ、わたしの番だわ……」

意を決したように、マルヴィナが走り出した。しかし、バーの直前で歩幅のリズムが合わなくなったのか、失速してしまう。そのまま、よくわからない跳び方で、もつれこんだ。

「わ、ふわぁっ」

変な声をあげながら、バーに絡まってマットに沈んだ。

「あれえ? おかしいな……」

少し赤面しながら立ち上がる。


「ドンマイドンマイ! まだ体が温まってないね!」

クルトがそれを見てフォローした。

その後、またクルトが華麗な跳躍を見せて、二コラが独特の跳び方を披露した。

そしてマルヴィナの番。

「わ、わっ、ふぅわっ」

何度やっても、なぜか変な跳び方でバーにもつれ込んでしまう。

「わちゃあ」

クルトが見ちゃいられないと額を手で叩き、二コラが苦笑する。

しかし、同じ組にマルヴィナとはまた別の感じで、バーにもつれ込んでしまう女の子がいた。


「あれえ、おかしいなあ……」

マルヴィナとその子が跳ぶときだけ、バーの位置を思いっきり下げるのだが、ふたりともどうも助走の最後のバーの直前でギクシャクした動きになる。

そのあとも、ふたりとも、

毎回違うフォームでバーもろともマットに飛び込むことを繰り返していた。

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