私が赦せなかったこと、赦したこと
先に断言します。現実社会での犯罪行為などの責任能力の話は今回の話に絡めないで下さい。揉める原因になるので。
「アルべリア・シュタインバッハ公爵令嬢! あなたは我が妃に相応しくない! よって婚約破棄させてもらう!」
私の好きな人が厳しい瞳を私に向ける。そんな瞳で見ないで、まるで敵を見るようだわ。
「私の何が相応しくないのでしょうか?」
ここが私と婚約者である王太子ディルベルク様、その殿下に娼婦のようにしなだれかかるステラ男爵令嬢とディルベルク様の側近しかいないのが幸いでした。そう言えば一人足りない気がしますが、今は関係ありませんね。
話があると呼び出されたこの部屋で婚約破棄されたので、一応人目につかないように気を使ってもらえたということでしょうか?
「我が愛しきステラへの数々の嫌がらせに暴言、それくらいならばまだ貴族のよくある話で済んだが、暴漢を雇って襲わせるなど貴族のすることではない! 恥を知れ、この性根の腐った毒花よ!」
ディルベルク様はそう言って美しい顔を歪ませた。銀の髪は月の光のようだと称えられ、蒼海を思わせる蒼い瞳は力強さを秘めていたのに今は憎しみに染まった瞳で私を見ている。国内のどの男性よりも美しいと言われたディルベルク様の怒りの表情は怒りで歪んでいても美しかった。
「嫌がらせも暴言も、ましてや暴漢など記憶にございません。私はただ貴族としてのマナーをそこのステラ男爵令嬢に説いたことしかありません」
婚約者がいる男性に必要以上に迫るのは非常識だとかそういう話だけです。それが暴言なら今現在のディルベルク様の言葉は何になるのでしょうか?
「いくらあなたが国一番の美貌を持っていようとその性根の腐り方で全てを台無しにしていると何故分からん!? 心のありようはステラに遠く及ばんな。その偽物のような金の髪も紛い物でしかない蒼の瞳も貴様にお似合いだ!」
私はあなたが黄金を閉じ込めたようだと褒めてくれた金の髪が自慢でした。蒼穹を思わせる水色の瞳はあなたの物だと言ってくれた瞳が誇りでした。例え国一番の美貌と呼ばれてもあなたが見てくれなければ何も嬉しくないのです。
それくらい愛していました。
でもあなたが褒めてくれたこの美貌をあなたが貶すのですね?
「かしこまりました。婚約解消お受けします。あとは陛下と私の父とでお話でよろしいでしょうか?」
「解消だと! ならんこれは婚約破―――」
殿下がそこまで言いかけた時、閉じられていたドアが勢いよく開き誰かが入ってきた。
「失礼します、殿下。陛下がお呼びです」
入ってきたのはディルベルク様の側近の一人でこの場にいなかった侯爵子息のディアス様でした。短い黒い髪に黒の瞳は東方の姫君が母親だから受け継いだモノだとか。魔術師として殿下の側近になっており、女性からの人気も高い殿方でしたわね確か。
「ディアス! 今は大事な話の最中だ!」
「しかし、殿下、陛下の呼び出しより大事でしょうか? それは」
陛下の呼び出し以上に大事なことなどあるはずありません。ディルベルク様もそれは重々承知のようで悔しそうに顔を歪ませると私を睨みつけました。
「いいか! 必ずその罪を償わせてやる!」
ディルベルク様はそう言ってそのまま出て行ってしまいました。
「大丈夫ですか……と聞いたところで大丈夫ではないですよね。送りますので今日の所はお屋敷に帰られた方がいいかと」
そうですわね、今は正直何も考えられません。
ディルベルク様に言われた言葉が胸を抉って耳から離れないのです。
―――偽物のような金の髪も紛い物でしかない蒼の瞳も貴様にお似合いだ
どうしてあなたがそんなことを言うのですか?
もう……会いたくありません……
愛していただけその言葉が私の心を大きく傷つけました。
それから私は屋敷の自室に閉じこもり泣いて過ごしました。外に出られるようになったのはあの日から一週間後でした。
「おお、良かった、出てきてくれたのだね」
「凄くつらかったのよね、無理はしないでいいわ」
お父様とお母様に凄く心配をおかけしてしまったようです。食事も部屋で取っていましたから顔を合わせてもいませんでしたものね。この一週間顔を合わせたのは専属侍女のセイラだけでしたから。
「もう大丈夫です。お父様」
「そうか……それでだな」
ええ、分かっていました。婚約は破棄されたのですね。せめて解消してくれればまだ傷も浅いのに……。
「それなのだがな」
お父様から聞いた話は衝撃的でした。殿下が失われた魅了魔法に支配されていたというのです。
「あの魅了魔法ですか? 伝説と言われた?」
「ああ、そうなのだ。もっともこれは発覚したことすら奇跡のようなものだが」
魅了魔法は、昔、大国を揺るがし滅びまで追い込んだ伝説上の魔法だと言われておりました。ところがあの男爵令嬢はそれを先天的にしかも無意識に使っていたというのです。
魅了魔法は目が合えば最初は好意を抱き、近くにいればいるほど効果が強くなっていくものらしく、やがて術者の言うことなら言いなりになってしまうのだそうです。抵抗するには専用の術式が必要らしくそれも失われていたそうです。殿下と側近達も言いなりに近いところまで支配されていたらしく、解除できていなければ国が滅んだかもしれなかったのです。
「しかし、何故分かったのですか?」
「ディアス殿が気が付いてくれたのだ」
ディアス様は魔術師として類まれな才能と母親から受け継いだ呪術の知識でかろうじて違和感に気が付けたそうで、専用の術式に非常に近い呪術で抵抗したそうです。本人も危険を感じた瞬間ダメもとで試してみた結果たまた上手くいっただけで運が良かったと話していたそうです。
そして陛下に報告をして調査が開始された結果、奇跡的に国内の遺跡に古代の知識が眠る遺跡がありそこで魅了魔法の詳細が分かったそうです。あとから分かったことなのだそうですが、魅了魔法は先天的にしか発生せず、過去の先人達は私達のためにあちらこちらに対抗策を示した遺跡を残してくれていたそうです。
今まで見つからなかったのは国が遺跡保護と魔物が住み着いていることがあるために立ち入り禁止にしていたことが原因のようです。今後は遺跡調査を国家主導で行うらしく、古代の物が好きなお兄様が狂喜乱舞していたとか。
「そしてようやく全ての準備が整って殿下とあの男爵令嬢を確保しようとしたときに、あの婚約騒動が起きたのだ」
なるほど、つまり間に合わなかったのですね。
どうやら魅了魔法のことは極一部だけしか知らされていなかったらしく、お父様も知らなかったようです。それもそうでしょう、そんな魔法の存在を制御できる準備が整うまでに外部に話すことは出来ません。秘密は知る者が少ないほど有効なのですから。
ちなみに私に被せられたいじめや暴言等の嫌疑は全てステラ男爵令嬢の自作自演だそうです。暴漢すら自作自演だというのですから恐ろしいことを考えるのですね。
「それでお父様、婚約のことですが……」
「実はだな……」
「大変すまなかった。謝っても赦されることではないが、せめて謝罪したい」
殿下はそう言って私に頭を下げました。
「頭をお上げください。王族たるもの簡単に頭を下げてはいけません」
「しかし、私があなたを傷付けてしまったことは確かだ」
そんなことを言ってももう終わったことです。
「それで、今日は?」
「……もう一度私にあなたに愛を囁くチャンスをもらえないだろうか?」
……もう一度ですか。
殿下に言われた言葉が胸を抉ったままなのです。
偽物のような金の髪しか持っていません、私は。
紛い物でしかない蒼の瞳は取り換えることが出来ないのです。
「申し訳ございません、それはお許しください」
「理由を聞いてもいいだろうか?」
ああ、あなたの顔は綺麗なままですね。私はこんなにくすんだ色と瞳なのに。
「殿下に言われた言葉が今も胸を抉るのです。殿下とお会いすれば胸が痛いのです」
「っ! ……それを癒す手伝いをすることは許してもらえないだろうか? 私はもう魅了魔法などに支配されない」
もうそういうことではないのです。私の愛の花は枯れました。もう一度植えることが出来るなら植えたいのですが、花を育てる水が心の中に無いのです。全て傷口から零れて行ってしまうのです。
「申し訳ございません」
私が頭を下げると殿下はそうかと静かに答えました。そしてそのままお帰りになられました。
赦せなかったのです……あなたが褒めてくれたから美しさを保つ努力をしました。
それをあなたが否定した……それが赦せなかったのです。
こうして私は殿下と婚約を解消しました。
それから三ヶ月後、私は街へと出かけました。最近、ちょくちょくディアス様が気にしてくださって今日もお出かけに同行してくださいました。本人いわく護衛らしいのですが。
「ディアス様、あれは?」
しばらく買い物をしていたのですが、市場の方で何か騒ぎが起きているようです。
「お嬢様、ここから離れましょう」
専属侍女のセイラがそう言いますが衛兵がまだ来る様子はありません。それにちらほらと私刑にかけてしまえとか聞こえてきます。
「私刑などかけてしまえばやったほうも罪に問われてしまいます。止めなければいけません!」
「私は反対ですが、行くのですね?」
ディアス様が確認してきますが見過ごすことなどできません。私は急いで様子を見に来ました。
そこには大勢の市民に殴られている男性がいました。何度も殴られたのでしょうか、このままでは死んでしまいます。
「お止めなさい! 私刑は法で禁止されています! あなたがたまで罪に問われるのですよ!?」
私の声に殴っていた皆さんが手を止めました。大勢の瞳がこちらを見てきますが恐れている場合ではありません。
「いったい何があったのですか?」
「こいつは詐欺師なんですよ」
私にそう言ったのは同じ年くらいの女性でした。エプロンを付けていて聞けばそこのパン屋の娘なのだそうです。しかし、詐欺師とは穏やかではありませんがでは何故衛兵に突き出さないのでしょうか?
「こいつが罪に問われないからだよ!」
どういうことでしょうか? 罪に問われないとは?
詳しく聞いてみると意外なことが分かりました。この男性はステラ男爵令嬢に魅了魔法で支配されている間にここの皆さんを詐欺にかけて騙そうとしていたらしいのです。なんでもお金を欲しがったステラ男爵令嬢に唆されて行ってしまったらしく、罪を犯してしまいました。
しかし、運のいいことにお金を回収する前にステラ男爵令嬢が拘束され、そのまま彼も捕まったので被害は出なかったそうです。魅了魔法のせいということもあり、被害もないので罪には問われなかったのだそうです。
「でしたら、みなさんはもうこの男性を私刑にかけなくてもよろしいのではないのでしょうか?」
私がそう言うとパン屋の娘は鼻で笑いました。
「はん、そんなこと出来ませんよ。こいつはどんな理由であれ騙そうとしたんですよ? 魅了魔法だかなんだか知らないけれどそんなもん理由になりませんよ。こいつが裁かれない理由にね!」
「しかし、それは彼の意志ではありませんでした。それでも彼は赦されてはいけないのでしょうか!?」
私がそう訴えると一人の男性が呟きました。
「王子様ですら魅了魔法のせいで婚約者から赦してもらえなかったんだ。こちらが無罪放免な理由なんかないですよ」
……え?
「そうですよ! あたしらの怒りはこいつを赦せないって言っているんです! このまま殺しちまってもいいくらいだ!」
再び殴り始めようとした彼らに私は咄嗟に言ってしまいました。
「アルべリア・シュタインバッハの名において命じます! いますぐ彼を離し解散しなさい!」
貴族としての命令なので彼らは逆らえばこの場で私の護衛に斬られても文句が言えません。すぐに彼らは男性を解放しました。男性は怪我はしていますが命に別状はないようです……良かった。
「自分は赦さなかったのにあたしらには赦せと言うのですね……」
ホッとしている私にパン屋の娘がそう呟きました。
その一言が私の胸に刺さりました。私が何も言えないでいるとセイラが怒り始めたのですが、ディアス様がそれを止めていました。
「彼を衛兵に任せてここを離れましょう」
気が付けば衛兵がこちらに駆け寄って来ます。そうですね、このまま衛兵に任せてここを離れるとしましょうか。
「私は間違っていたのでしょうか?」
馬車の中で私がそう呟くとディアス様が私の方を見てきました。
「間違ってはいません。ただ、押し付けただけです」
「どういうことでしょうか?」
「私刑は罪に問われるから止めるのは正しいですよ。だけど赦しは押し付けたということです」
ディアス様はそう言って少しだけ厳しい目で見てました。
「あなたは殿下を赦しませんでした。それは決して悪いことではありません。赦すかどうかは被害者が決めることです。同様に彼らがあの男性を赦すかどうかは彼らが決めることでした」
何も言えません。私が行ったことは傲慢なことだったのですね。
「彼らが赦せないのは当然ですね。私も殿下を赦せませんでした」
「一つ聞いてもいいですか? どうしてお赦しにならなかったのですか?」
私は一瞬言い淀みましたが意を決して話すことにしました。
「殿下が褒めてくれたから美容に気を付けていました。ですが殿下は、殿下が褒めてくれた金の髪に蒼水色の瞳を、偽物のような金の髪と紛い物でしかない蒼の瞳と呼んだことがどうしても赦せなかったのです」
「そうだったのですか……今となっては遅いかもしれませんが、それらの呼び方はあの男爵令嬢が殿下に吹き込んで言わせたそうです。殿下はその発言を深く悔やんでおいででした」
そんな! どうしてあのとき殿下は言ってくださらなかったのですか!!
「傷ついたあなたに言い訳じみたことを言いたくなかったのでしょう。あなたの傷を癒す権利を得て初めてお話になられるつもりだったのでしょう」
私は……なんという……選択をしたのでしょう。
「しかし、あなたは悪くありません。悪いのはあの男爵令嬢であって、それ以外は誰も悪くありません。運が悪かっただけです」
そんな言葉で済ませていいはずがありません! 私は殿下に会わせて欲しいと訴えました。ディアス様は私に根負けしたのかディルベルク様の所まで連れて行ってくれました。
「ディルベルク様!」
「アルべリア嬢、どうしてここに?」
ディルベルク様は執務室でお仕事中でしたが。申し訳ないことをしましたが今はここで引くことは出来ません。
「私、全てを聞きました……」
私はディルベルク様の思いを聞いたことも赦せなかった理由も聞きました。彼らに赦せと言っておきながら私が赦さないのは間違っているのだから。
「ですから、もう一度婚約していただけないでしょうか?」
どれくらいディルベルク様は黙っていたのでしょうか、やがてようやく口を開いてくださいました。
「……申し訳ないが、お断りします」
どうしてですか? もう愛してくださらないのですか?
「あなたは市民に赦せと強いたから自分も赦すと言いました。ならばそこまでで十分でしょう。婚約までする必要は無いと思います」
「そ、それはちゃんと分かる形で―――」
「私はあなたを愛しています。しかしあなたは義務感で婚約の話をされました。それではいつか破綻するでしょう。幸いなことに我々の婚約は政略ではありません。結ばなくても大きな問題は無いでしょう。愛されていないのに、義務感に付け込んで婚約できるほど恥知らずではないつもりです」
あぁ、何ということでしょう。私は何と惨いことをディルベルク様に言わせてしまったのでしょう。
私はそのまま執務室を後にしました。馬車に戻るとディアス様が待っていてくれました。
「お屋敷まで送りましょう」
馬車は屋敷への道を進んでいきます。
「……どうしてディアス様は私の側にいてくださったのですか?」
私はディアス様から愛を囁かれたこともありません。なのによく側にいてくれました。
「私は殿下の側近です。殿下の大事な方に何かあってもいけませんし、余計な虫も不要です。もし可能性があるならあなた方の恋を応援したかったのです」
そういうことだったのですね。
「……ありがとうございました、今まで」
私はもうこれ以上何も言うことはありませんでした。
馬車は進みます。もう戻ることのない道をただまっすぐに。
誰も悪くなかったのです彼女以外。
ただ、運が悪かっただけなのでしょう。
きっと……そうだと思いたいのです。
あぁ、私の髪はこれからも偽物の金で、紛い物でしかない蒼の瞳のままなのでしょう。
ならば、もう一度ディルベルク様と知り合いから始めましょう。
もう一度褒めてもらいたいから。
男爵令嬢以外は誰も悪くないのに不幸な人ばっかり。なんて酷い話を書く作者がいるのやら。