第二章その6
見知らぬ男に手を引かれ、ナユタは夜の街を歩く。
自分の手を握る少し骨張った男の手は、強引ではあっても少しも乱暴ではなく、むしろ包み込むような優しさを持っていた。
「あ、あの! ど、どこまで行くんですか?」
ナユタが思い切って声をかけると、男はようやく気付いたように足を止め、ナユタの手を放す。
「ああ、すまない」
「あ、いや……」
何故か頬が熱くなって、正面から目を合わせられなくなる。
上目遣いで見上げると、男は髭面のせいでそう見えるだけで、実際にはそれほど年は取っていないのかも知れない。
それでも自分よりは一回りくらい年上だろうと、ナユタは思った。
筋肉質の身体は痩せすぎという事も太りすぎという事もなく、均整が取れていた。
肉体労働で自然に鍛えられたのではなく、何かの訓練で鍛え上げたのではないかと、ナユタは漠然と思った。
「あ、私、仕事に戻らないと……」
ナユタは振り返るが、少し遠くからでも酒場での喧噪が伝わってきた。
「今夜はもう仕事にならないんじゃないか?」
「う、うん……」
とても戻れる状態じゃないのは遠目にも明らかだった。
「どうしよう……?」
「ん? 家に帰ればいいんじゃないか?」
「家はないの。故郷の村が野盗に襲われてこの街に来て、あの酒場で住み込みで働かせてもらっていたから……」
アリスやルイスはまだ酒場にいるのだろうか?
すでにそこから出ているのだとしたら、合流するのは難しい。
「そうか……苦労しているんだな……」
男はしみじみとつぶやく。
いや、故郷のみんなは避難して無事なはずなんだけど……。
「名前はなんていうんだ?」
「え……? ナユタだけど……」
「ナユタか。珍しい名前だが、いい響きだな」
「はあ……」
「じゃあナユタ。俺の家に来るか?」
「え……? な、何? イヤラシイ事をするつもりじゃないでしょうね……?」
ナユタは自分の身体を庇うように、ぎゅっと肩を抱いてじと目で睨み付ける。
見ず知らずの男の所に転がり込むほど無警戒なつもりはないが……ここ最近の事を考えると、我ながら説得力はない。
「はは、警戒するのも無理はないか。一人暮らしじゃないし、寝室も別に用意させるから安心していいと思うぞ」
「家族がいるなら迷惑じゃ……」
「いいからいいから。遠慮するな」
男はナユタの手を掴むと、強引に引っ張っていく。
「え? あ……」
振り解いて逃げるべき状況なのだが、不思議と抵抗する気になれなくて、されるがままに男の後ろを歩いて行く。
ごめんなさい、父さん! でもナユタは誰にでも付いていくふしだらな娘に育ったつもりはなくて……!
いざとなったら男の手に噛み付いてでも……!
「着いたぞ」
ナユタの内心の葛藤を余所に、男はぶっきらぼうに告げる。
「へ?」
ナユタは間の抜けた声を上げる。
そこには家とか館といった物ではなく、高い城壁がそびえ立っていた。
「着いたって? どこに?」
「俺の家だ。この時間に門から入る訳にはいかないから、こっそり抜け道を通る」
「門? 抜け道?」
「ああ、言ってなかったか。俺、この街の領主だから」
「え? 領主……?」
「ああ、そうだ。領主だ」
「領主って? この街で一番偉い人って事?」
「まあ一応、そういう事になるな」
「はあ……」
訳が解らず、目を丸くして聞いていたナユタだったが、ようやくその意味を理解する。
「領主……? えええええぇぇぇぇっっっっっ!!!!! ……むぐっ」
「バカッ! 声がでかい!」
思わず上がった驚きの声を、男はナユタの口を塞いで封じ込める。
「でかい声を上げて見付かったらどうする?」
「………」
ナユタは目を白黒させて、こくこくと首を縦に振る。
「で、見付かったらどうなさるおつもりですか?」
低い女性の声が割って入ってきた。
男とナユタが恐る恐る声の方に目を向けると、メイド服に身を包んだ妙齢の女性が身体の前で手を組んで立っていた。
「お帰りなさいませ、ダルトン様。お早いお帰りで」
「ドロシー、わざわざ出迎えてくれなくても良かったんだけどな」
「いえ、これもメイド長たる者の務めですから」
そんな二人のやり取りから、領主である事は証明されたらしい。
「………」
ナユタは自分の身に訪れた夢のような出来事を受け止めきれずに、ただ呆然と立ち尽くしていた。