第一章 少女二人
「みんな! もう少しよ! がんばって!」
少女は振り返って声を上げるが、後ろを付いてくる五人の少年達から答える声はなく、肩を落とす。
しかし今は全員が無事に揃っているだけで、ひとまず満足しなければならない。
少女は汗で額に貼り付いた前髪を無造作にかき上げる。
腰まで届く髪を首の後ろで三つ編みにしたその少女は、それなりに整った顔立ちをしているが垢抜けたところはなく、年相応に愛らしい田舎娘といった感じだ。
先頭を行く少女も後を付いてくる少年達も、身に付けている物は共通している。
粗末な革製の防具に、錆が浮いて刃こぼれした剣。
正規軍の兵士ではなく、小さな村の自警団だから仕方がない。
今は戦乱の世の中である。
領主なんてあてにできない。
生き残るために自ら武装して、自ら身を守らなければならない。
日頃の備えが役に立ち、村が野盗に襲われても、ほとんどの住民を無事に避難させる事に成功した。
問題は、最後まで村に残り、野盗の相手をしてから村を離れた自分達がどうやって追っ手を振り切り、先に逃げたみんなの元に逃げるか、だが……。
「ナ、ナユタ……少し、休もう……」
五人の少年の一人、ピーターが荒い息の中から声を絞り出す。
「ダメよ。今、少しでも休んだら、追い付かれるかも知れない」
ナユタと呼ばれた少女は、普段はしっかりしつつも優しいところのある少女だった。
村長の娘というだけで自警団のまとめ役をやっているわけではない。
しかし今は状況が状況である。
いつものように甘い事は言っていられない。
「そんな事言ったって……」
「もう歩けないよ……」
「ほら、きっと野盗だってもう諦めて追ってきていないって……!」
「そうだよ。少しくらい休んだって大丈夫だって……!」
「………」
口々に飛び出す弱気な言葉に、ナユタは泣きたい気持ちになってくる。
自分も含めてみんな限界まで疲れ切っているし、怪我だってしているのは知っている。
しかしナユタだって好きで厳しい事を言っている訳ではない。
いつ追い付かれるとも解らないし、この先で待ち伏せされている可能性だってある。
はっきり言ってしまえば、絶望的な状況なのだ。
ナユタが思わず、声を荒げてきつい言葉を言ってしまいそうになった、まさにその時だった。
「お困りのようですね?」
「きゃっ!」
突然の声に、ナユタは驚いて飛び上がる。
五人の少年も慌てて剣を構えてナユタを庇うのは、面目躍如といったところか。
しかし剣を向けられた方は、意に介した様子はない。
一人は赤いローブを着た、赤い髪と赤い瞳の若い男だ。
酷薄な笑みを浮かべ、ナユタらを見ている。
そしてもう一人、白いローブを着た、腰まで届く艶やかな黒髪が目を引く神秘的な少女がいる。
深淵のような黒い瞳が、悲しい色をまとってナユタを見ている。
「おっと、落ち着いて下さい。僕らは敵ではありません。あなた方を助けに来たんです」
若い男は警戒心を解くように、両手を広げて見せる。
二人とも武器は持っていないようだ。
だからといって、この状況下で何の脈絡もなく現れた、いかにも怪しげな風体の二人を前に、いきなり警戒心を解けというのは難しい注文だ。
「あなた達、何者なの?」
「申し遅れました。彼女はアリスで、僕はルイス。ただの通りすがりの……そう、軍師と、その従者といったところでしょうか」
「軍師……?」
ますます怪しさが募っていく。
「悪いけど、あなた達と遊んでいるヒマはないの」
「ええ、知ってますよ。追われているんですよね?」
「………」
「だからといってこのまま進むと、待ち伏せに遭いますよ?」
「………」
「もしよろしければ、助けて差し上げましょうか?」
「助ける? どうやって?」
「まあアリスは軍師ですから、この窮地を脱する策を提案させていただきます」
「そんな都合のいい策が……」
「その代わり、報酬としていただきたい物があります」
ルイスは指をぴっと立てて言う。
「この作戦で最も活躍した者に与える褒美を決める権利です」
「褒美にあげる物なんて何もないわよ?」
ナユタは自分の身体を見下ろし、それから五人の仲間を振り返る。
金目の物なんて誰も持っていないのは、誰の目から見ても明白だ。
「それくらい見れば解るでしょ?」
「ええ。それを解った上で提案しているんです」
「………」
「おい、ナユタ」
ピーターが声をかけてくる。
「こいつら怪しいぞ。下手に口車に乗らない方がいいんじゃないか?」
「そうだよ。怪しい誘いに乗ったら、どうなるか解った物じゃない」
「俺達だけで何とか逃げ延びるしかない」
「いざとなったら、ナユタは俺達が守るから」
五人は口々にそう言い募る。
頼もしい口ぶりだが、さっきまで音を上げそうになっていた事を忘れてはいけない。
「まあ、普通に考えたらそうでしょうね」
例えば畑を耕している時にこの二人が現れて、儲け話があるんですが……なんて言われても誘いには乗らないだろう。
しかし……。
「いいわ。その提案、乗るわ」
ナユタははっきりとそう答えた。
「ナユタ! 何考えているんだよ!」
「勝手に決めるなよ!」
「俺達の意見も聞いてくれよ!」
五人は非難の声を上げるが、ナユタは黙殺してアリスとルイスに向き直る。
「で、どうすればいいの?」
「おや、僕達を信用していただけるのですか?」
人を食ったように笑うルイス。
「信用したわけじゃない。でもあなた達に賭けた方がまだマシ……そう思っただけよ」
神の思し召しか悪魔の企みか?
二人はどうしてだか、この絶体絶命の窮地に現れた。
どうやってこの場所まで来たかも解らない。
自信満々の物言いを裏付ける根拠も解らない。
何を企んでいるのかも解らない。
しかし何の策もない事が確かな自分達の判断よりは、根拠らしき物があるだけマシに思えた。
「どうせ他に方法はないもの。ダメで元々よ」
ナユタは肩をすくめる。
「……では作戦を伝える」
そう言ってアリスが前に進み出てきた。
とある方向を、ほっそりした指が真っ直ぐに指し示す。
「こっちの方向に真っ直ぐ進むと、包囲の薄い一角がある。あなた達六人が助かる唯一の道は、そこを全速力で駆け抜ける事」
消え入りそうな、しかししっかりとした芯を持った声で告げられると、うっかり信じてしまいそうな説得力がある。
「え? それだけ……? それで大丈夫……なのよね?」
ナユタが後ろを振り返ると、五人の仲間もぽかんと口を開けている。
「そしてこの作戦で最も活躍した人には……」
アリスの指が、今度はナユタを指し示す。
「あなた」
「は?」
「この作戦で最も活躍した人には、褒美としてあなたが与えられる」
「え? あ、どういう事?」
戸惑うナユタの後ろで、五人が盛り上がっている。
「褒美がナユタってどういう意味なんだ?」
「一晩好きにしていいって事じゃね?」
「嫁にもらえるって事じゃないか?」
「………」
五人は顔を見合わせると。
『負けてたまるか~~~~~っっっっっ!!!!』
先を争って走り出した。
「ええっっっ??? ちょっと待って! 私は何も承知してない……」
置き去りにされたナユタの声は、誰にも届く事はなかった。
「みんなさっきまで死にそうだったのに、このやる気は何なのよ……」
「……私達も行きましょう」
「う、うん……」
肩を叩くアリスに生返事を返して、ナユタはとぼとぼと歩き出す。
先を行く五人に追い付けそうな気がしない……。