第七話 休息
さて、俺たちと一緒にユキも村へ付いてきたのはいいが、問題はユキがどこで暮らすかだ。
この村には宿のようなものは存在しない。
こんな田舎に頻繁に来客が訪れるわけではないのでそれは仕方がないことだ。
それに宿があったとしても金銭的に長期間住むことはできないのだからいずれは噴き上がる問題だった。
そこで検討した結果、フィーアの家で暮らすことになった。
最初は俺の家という考えもあった。俺は物心付いた頃から一人暮らしなので他人に迷惑がかかる心配はない。
部屋にも空きがあるし、フィーアの家からも近いので特に不便はなかった。
だが、やはり男女二人きりで同じ屋根の下で暮らすのは色々と問題があるだろうということで却下されてしまった。
俺としてはほっとしたような残念なような複雑な気持ちだ。
そしてユキが村に来てから三日が経過した。
最初は慣れない環境に戸惑うこともあったみたいだが、今ではそれも落ち着いて、ユキもここでの生活に慣れてきたように思える。
普段はフィーアと一緒に内職をしたり、俺が狩りに出ている間に俺の洗濯物を洗ってくれたり掃除をしてくれたりと献身的に働いてくれていた。
二人には頭が上がらない。
今日も俺の家にフィーアとユキがやってきていた。
俺は午前中で狩りを済ませ、午後はフィーアたちと家でのんびりと過ごすことにしていた。
「どうぞ、ユージさん、フィーアさん」
ユキが俺とフィーアにコーヒーの入ったカップを差し出す。
コーヒーの良い香りがカップの中から漂う。
俺はいつも街へ買い物に行ったついでにコーヒー豆を買い溜めしていた。
「ああ、サンキュー」
「ありがとう、ユキちゃん」
俺はカップを手に取ると、何度か息を吹きかけて冷ますと口へと運ぶ。
うん、美味い。
それから俺たち三人が他愛無い会話をしていると、そこで誰かが玄関の扉を叩く音がした。
俺が返事をすると、扉が僅かに開いてその人物が顔を覗かせる。
「……失礼します」
やってきたのはシーナだった。
そのまま中に入ると、俺たちにぺこりと頭を下げた。
「ユージ、また来ました」
「ああ、ゆっくりしていってくれ」
「はい、お邪魔します」
今日シーナが来たのはダンジョン攻略に向けた作戦会議――ではなく、ただお茶を飲みに来ただけだ。
シーナは慣れた様子で真っ直ぐ空いた席に向かうとそこに座る。
シーナも頻繁に俺の家にやってくるため、もはや勝手知ったる他人の家という感じだ。
「こんにちは、シーナさん」
「こんにちは」
微笑みを浮かべながら挨拶をするユキ。
対するシーナは無表情でこくりと頷く。
二人はユキが村に来た初日に顔を合わせており、その日のうちにすぐ仲良くなっていた。
なにせ俺の家で一緒に夕飯を作っただけでなく、一緒に入浴までしていた。
俺も参加したかった。
しかもその後フィーアの家で女子会アンドお泊り会を三人でしたらしい。
繰り返すが俺も参加したかった。
「こんにちは、シーナちゃん。昨日珍しいお菓子が手に入ったから、よかったら帰りに持っていってね」
「はい、ありがとうございます」
「そういえば、この前あげた香水の方はどうだった?」
「はい、とても良かったです。ユキがオススメしたとおりでした」
「いえ、私はあれならシーナさんに合うと思っただけです」
「ユキちゃんってそういうの、結構センスあるもんねー」
「そ、そんなことないです……」
ガールズトークに花を咲かせ始める三人。
あれ? なんだこの疎外感。
会話に入れず、仕方ないのでぼんやりと三人のおっぱいでも観察していると、そこで俺はいつの間にか玄関で立っている新たな訪問者に気付いた。
視線を向けると、そいつは呆れるような声で俺に疑問を投げかけた。
「……なあ、この場に俺は必要なのか?」
そこには渋い顔をしたカイが立っていた。
今日は、いつも一緒にダンジョンを探索している仲間たちとの親睦会という名目で集まってもらっているので、シーナだけでなくカイも俺の家に来てもらった。
シーナと違ってカイは滅多に俺の家に来ることはないので珍しい来客だ。
「ああ、当然だろ。なんたって今日の親睦会の主賓なんだからな」
「お前のハーレムの進行具合を確認する会の間違いじゃないか?」
「ひ、人聞きの悪いことを言うなよ。誰がハーレムだ!」
そんなこと言われると三人を意識してしまう。
俺はちらりと、まだ楽しそうに三人で話している少女たちへ視線を移す。
これが俺の自惚れでないなら、彼女たちは俺にある程度の好意を持っている。
そして同じく俺も彼女たちに好意を持っている。
それが分かっていても、その先へ進むとなると話は別だ。
童貞は臆病なのだ。
万が一、俺のこの認識が勘違いだったら……そんなことを考えてしまう。
逆説的にいえばだからこそ俺は童貞なのかもしれないが。
「まあ、親睦会というなら俺も参加するのはやぶさかではない。ほら、手土産だ」
そう言ってカイは俺に、布で包まれた長方形の箱を渡す。
この辺りは生真面目なカイらしいな。
俺がそれを受け取ると、カイは「傾けるなよ」と一言注意し、一瞬だけ視線を奥にいるフィーアたちへと移す。
「ユージ、調子はどうだ? 女にうつつを抜かして野心を忘れてないだろうな?」
「馬鹿を言え。この一週間でフラストレーションが溜まりっぱなしだ」
ダンジョンへ潜らないこの一週間。
早く再びダンジョンへ潜って探索したいという気持ちが募っていた。
狩りや薪割りで体を動かして憂さを晴らしていたが、その程度では筋トレにもならない。
そこで女性陣たちもカイの訪問に気が付いたらしく、ようやくガールズトークを終えて、それぞれカイを出迎える。
「あ、あの、私はユキといいます。ユージさんに助けられて、今はフィーアさんと一緒に住んでいます。よろしくお願いします」
ユキは若干緊張した様子でそう言うと、カイにぺこりと頭を下げた。
カイとユキはこれが初対面となる。
一方、ユキの丁寧な自己紹介を聞いたカイは、にこりともせずにいつもどおりの真面目な顔で淡々と言った。
「ああ、ユージから話は聞いている。俺はカイ。職業は勇者。将来は魔王を倒す男だ」
「ゆ、勇者ですか……カイさんは凄い方なんですね」
ユキは案の定困惑した表情を浮かべながらも相槌を打つ。
馬鹿にしないで真面目に聞いてあげるなんてユキは優しいなぁ。
「ああ、そして俺はユージの力を高く買っている。ぜひこいつに、俺の魔王討伐の旅に同行してくれるよう君からも言ってやってくれ」
「え? ……旅、ですか?」
「おい、あんまりユキを困らせるな」
俺はカイに二つの意味で釘を刺しておく。
魔王討伐はさておき、村を出て旅をするかどうかの返事はまだ保留しているのだ。
今の段階でユキにするような話ではない。
「別に困らせるつもりはなかったんだがな……」
「カイくんは真面目なんだけど天然だもんね」
カイが首を傾げると、フィーアが苦笑した。
俺もフィーアに同感という意思を込めて頷く。
「天然?」
「ううん、気にしないで。カイくんはきっと大物になると思うよ。ね、シーナちゃん?」
「はい、私も同感です」
フィーアに話を振られて、シーナはこくりと頷いた。
「よかったな、カイ。大物になるってよ」
「そうか? なんだか遠回しに馬鹿にされているように思えるんだが」
カイは腑に落ちない表情を浮かべるが、そこでふっと息を吐く。
「ふん、まあいい。いずれお前たちにも俺の偉大さが分かるだろう」
カイは真面目くさった顔でそう言った。
「……やっぱり要注意、かな」
隣にいたフィーアの呟く声が聞こえた。
俺はその意味を尋ねようとしたが、その先にフィーアが俺へ尋ねた。
「ねえ、結局ユージくんは村を出るの?」
「……どうだろうな。もし俺が村を出ることにしたらフィーアは嫌か?」
「ううん、ユージくんと離ればなれになったら嫌だけど、私も一緒に付いていくから問題ないよ」
あっさりとフィーアは答える。
その返事を俺も予想していなかったわけではない。
だがフィーアの気持ちは嬉しいが、旅をするということがどれだけ大変なことかフィーアは分かっているのだろうか。
「本気か? ずっと歩きっぱなしになるかもしれないし、危険なモンスターに襲われるかもしれない。軽い気持ちで付いてきてもつらいだけだぞ?」
「軽くないから平気だよ。ユージくんと会えない方がずっとつらいもん」
フィーアは平然と、当然のようにそう言った。
その返しは完全に予想外で、不意を突かれた俺は何も言えなくなった。
「あの……ユージさんはどこかへ旅立たれてしまうのですか?」
そこで、事情を知らないユキが不安げな様子でフィーアに尋ねた。
「えーと、ユージくんはカイくんの旅に一緒に付いて行こうと考えてるみたいなんだよ」
「俺は世界中の街やダンジョンを回ってみたいんだ」
冒険者の血が騒ぐ。
ずっと思っているだけで行動していなかったのだが、行動するにはカイの提案は良い機会だった。
そのことをユキに話すとユキは感心と不安の混じった複雑そうな表情を浮かべた。
「そうなんですか……」
「ユキちゃんはここに残る? 私の家なら自由に使ってもいいよ」
そうフィーアが尋ねる。
しかし、ユキは首を振ると、真剣な顔で俺を見つめた。
「それなら私もご一緒させてください。私は元々一人で各地を放浪していました。旅には慣れていますしきついのも平気です。それに……私はユージさんと一緒にいたいんです。だから私もユージさんに付いていきます。お願いします」
そう言ってユキは頭を下げる。
その声は切実だった。
「ユージ、私も気持ちは変わりません。私はユージの選択に従います」
ユキに続いて、シーナまでそんなことを言い出した。
俺は頭を抱えたくなった。
お前ら、本当に良いのか?
俺なんかと一緒にいてもろくなことないぞ?
そう言ってやりたかったが、彼女たちの気持ちは本物だ。
決して考えを曲げることはないのだろう。
そして、こうなれば俺も軽い気持ちで返事をすることはできない。
俺の決定で三人の人生さえも左右してしまうのだ。
「やれやれ、これは羨ましい人望だな、ユージ」
「お前、他人事だと思って……」
「いや、俺だって真剣だ。お前の選択次第で一人旅になるか五人旅になるかの重要な瀬戸際なんだぞ。できればその立場を変わってほしいくらいだ」
カイは真剣にそんなことを言い出した。
しかし、そのブレなさは羨ましい。
きっとカイなら「俺に付いてこい」と即決できるのだろう。
一方で俺はまだ選択できない。
世界を回ってみたい気持ちもあるが、この村にも愛着があった。
それにフィーアたちをなるべく危険な目に合わせたくなかった。
「まったく、お前ら……とりあえずその件は保留だ。もう少し考えさせてくれ」
「ふむ、決断できない男は女にモテないというが、どうやらそんなこともないらしいな」
カイの皮肉が胸に突き刺さる。
それでも俺の気持ちを察してくれているのか、それ以上カイもこの件に関しては何も言ってこなかった。
それからカイも交えた五人で雑談をしながらまったりとした時間を過ごす。
カイの持ってきた土産のショートケーキもテーブルに広げて各自に配った。
ケーキは嗜好品に当たるため、この村ではまず入手不可能であり、『ビフレスト』のような都会でも売っている店は珍しい。
値段も高価で庶民にはなかなか手の出し辛い一品だ。
ダンジョン探索で得た金があるとはいえカイも太っ腹である。
「ありがとう、カイくん。美味しかったよ」
おかわりしたコーヒーを一口飲んでから、フィーアはカイに言った。
するとカイは相変わらず真面目な表情を崩さずに頷く。
「口に合ったならなによりだ」
「わざわざ街まで行って買ってきたのか?」
「まあな、ちょうど用事があったからそのついでだ」
律儀というかマメというか。
これでもう少し笑顔でも見せれば女の子にモテると思うのだが。
本人にそれを言ったら「女に割く時間があるならその分を自己鍛錬に使った方がマシだ」とばっさり切り捨てられた。
まあ、こういうクールなところが好きという女性もいるのでまったくモテないわけではないみたいなのだが、いかんせんカイ自身が恋愛に興味がないため関係が続かないようだ。
そういうストイックな面は俺も少し尊敬しているけどな。
ケーキを食べ終わり、ユキが入れてくれたおかわりのコーヒーに手を付ける。
そこで角砂糖の入った壺が手元にないことに気付いた。
俺は甘党なのだ。
角砂糖を探す。
どこだろうかと視線を彷徨わせると、フィーアの目の前にあった。
「フィーア、それ――」
「はい、これでしょ」
言い終わるより先に、フィーアが角砂糖の入った小さな壺を手に取り俺に差し出す。
「ああ、サンキュー」
「それとミルクもいるよね?」
「悪いな」
俺はフィーアからミルクの入った瓶を受け取ってコーヒーへ入れる。
そこでカイの感心するような声が聞こえた。
「二人とも、息ぴったりだな」
カイに指摘されて俺はそれを意識する。
俺は当たり前のように思っていたが、言われてみれば確かにそうかもしれない。
何だか気恥ずかしくなった俺は、フィーアへちらりと視線を寄越す。
「当然だよ。なんたって私が一番ユージくんのことを一番知ってるからね」
しかしフィーアは自信満々にそう言い切ったので驚いた。
その自信はどこからくるのか。
そしてその言葉に他の二人がぴくっと反応した、ように見えた。
「それは自惚れというものです。私が一番ユージのことを最も理解しています」
「わ、私はまだユージさんと出会って日は短いですけど……でも、時間なんて関係ないです。ユージさんのことを思う気持ちでは負けるつもりはありません!」
シーナとユキまでなんの張り合いをしているんだ。
困った俺は何気なく同性のカイに助けを求めるように視線を送る。
すると、腕組みしたカイがちょうど真面目な顔で言った。
「甘いな。ユージのことなら俺が一番理解している。なにせ親友だからな」
「いや、なんでカイまで張り合ってるんだよ……」
求めていたのはそんな言葉じゃないんだ。
しかし、俺のツッコミを無視してカイは続ける。
「ユージとはダンジョンで苦楽を共にし、同じ釜の飯を食べた仲、いわば戦友だ。過ごした時間の濃さでは俺に一日の長があると言っても過言ではない」
「か、過言だよ! 同じ釜の飯なら家でユージくんの食事を作ってる私の方が機会は多いはずだもん!」
「時間の濃さというなら私もダンジョンでユージと長い時間を過ごしました」
「皆さん羨ましいです。私だってきっといつか……」
俺以外に誰も止める奴がいないのでもう滅茶苦茶だった。
もう勝手にしてくれ。
俺は投げやりにため息を付いて思考を放棄すると、ふと窓の外を見る。
白い雲がゆったりと流れる穏やかな青い空。
ああ、平和だなー。
再び視線を騒がしい仲間たちへと戻す。
彼らをぼんやりと見つめながら俺は思う。
こんな日も悪くはない。