第十七話 再戦、ヨトゥンヘイムの地へ
ミズガルズ軍の本部に伝令がやってきたのは、まだ街が寝静まった静かな早朝だった。
それはアースガルズが動き出したという知らせだった。
その騒ぎに俺たちは叩き起こされる。
それから各中隊の部隊長が集められた緊急会議が行われることになった。
「遂にこの日が来たか……」
会議室は重苦しい空気に包まれていた。
誰もが覚悟していたとはいえ、戦闘を実際に望む者は誰もいなかった。
相手はロキ率いる大国アースガルズ。
ミズガルズの不利は目に見えている。
「ロキの軍勢はミズガルズとアースガルズの国境付近で留まっているらしい。街に攻め込むのも時間の問題だな」
「戦闘は避けられないですね」
「まったく、勘弁してくれ」
他の部隊長たちも浮かない表情をしていた。
彼らは、訳ありで入隊した俺とは違う正規の軍人たちで、ビフレストの守りを主に担当する。
彼らにしても数多くの戦場を経験したベテランであるが、アースガルズとの全面戦争となれば愚痴も言いたくなるだろう。
「だが悲観していても仕方がないだろう。開戦まで時間は限られているのだ。各自、緊急時の対応について、すでに頭に叩き込んでいるな?」
そこで支部の責任者である大将の発言によって周囲の声が静まる。
そして対アースガルズに向けた具体的な話し合いが始まった。
しかし元々ロキ軍の侵攻を想定してこういうときの対応は事前に検討されていたことだ。
今回の話し合いも確認作業に近いためそれほど話すこともないだろう。
その俺の予想通り、一時間も経たずに会議は終わった。
俺は部屋を最後に出ると、いつもより少しだけ速度を上げて廊下を歩く。
すると廊下の途中で、前方に人影を見つけた。
「大変なことになったのぅ」
そこで待っていたのはフォルセティさんだった。
「ええ、できることならもう少し待っていてほしかったですが、こればっかりは仕方ないですね」
「お主たちは当初の作戦通り、ヨトゥンヘイムへと向かうのじゃろ?」
「はい、今からすぐに向かいます」
元々俺たちがヨトゥンヘイムへ侵攻しようとした矢先の出来事だった。
俺たちのやることは何も変わらない。
余裕がなくなっただけのことだ。
そうなると俺たちはヨトゥンヘイムをただ奪うだけでなく、いかに早く奪うことができるかが重要になってくる。
ヨトゥンヘイムを奪えば、アースガルズもミズガルズにだけ目を向ければいいわけにはいかなくなるからだ。
「うむ、期待しとるぞ。この国の行く末はお主たちの働きに懸かっておるのじゃからな」
フォルセティさんの顔から笑みが消え、真面目な表情でそう言った。
責任重大だがそれは決して大袈裟な話ではない。
ヨトゥンヘイムはアースガルズにとってもミズガルズにとっても地理的に重要な位置にあるからだ。
「俺たちも残ってロキ軍の相手をしなくて大丈夫でしょうか?」
「心配しなくとも、お主が思っているほどミズガルズの兵も弱くはない。多少持ち堪えるくらいはできるわい」
フォルセティさんはそう言うが、アースガルズが全力を出せばミズガルズの戦力では長期間は持ち堪えられないだろう。
しかも、ヨトゥンヘイムへの移動だけでも一ヵ月近く時間が掛かる。
どれだけ急いだとしてもアースガルズとミズガルズの開戦までには間に合わない。
それでも、俺はフォルセティさんの言葉を信じて強く頷いた。
「分かりました……それでは、行ってきます」
「頼んだぞ、お主たちならきっと大丈夫じゃろう」
そして俺はフォルセティさんと握手を交わすと、急いでヨトゥンヘイムへと向かった。
――
俺たちは馬で広い森の中を駆け抜けていた。
無数の馬の蹄の音が響き、空へとカラスが飛び立つ。
すぐにミズガルズを発ち、真っ直ぐヨトゥンヘイムを目指した俺たちだが、出発してからすでに三週間以上が経過していた。
しかし想定の範囲内だ。
時間のロスを減らすために人がギリギリ通れるくらいの険しい道を通ることもあった。
その甲斐あってこのペースなら予定よりも早く目的地に着けそうだ。
「ユージ隊長、もう少しでヨトゥンヘイム領内に入ります」
馬に乗ったブリュンヒルデが俺の隣で言った。
今、俺たちは機械都市スヴァルトアールヴヘイムの領内にいる。
ミズガルズからヨトゥンヘイムへ向かうには、ニダヴェリールとスヴァルトアールヴヘイムという二つの国を経由する必要がある。
本来はアースガルズを突っ切れば一番早いのだが、それはできないため回り込む形を取らざるを得なかったのだ。
「ああ、ここまでは概ね順調だな」
モンスターとの戦闘で足止めを食ったことも何度かあったが、大勢には影響のないものばかりだった。
道に迷うこともなくスムーズに進めたのは、これらの国は俺たちが旅をしてきてこれまで訪れた場所でもあり、その地理が頭に入っていることも大きかった。
「今頃ミズガルズは大丈夫かな……」
不安そうな声でフィーアが呟く。
アースガルズとの戦闘が始まったことは噂で聞いていた。
大軍を相手にミズガルズ軍が持ち堪えることができるのか俺も気掛かりではある。
だが、俺たちも人の心配をしている暇はない。
フォルセティさんたちを信じて前に進むしかないのだ。
「心配すんな。さっさとヨトゥンヘイムを奪ってミズガルズに勝利報告をしようぜ」
俺の後方にいるアキラが明るい声で言うと、アキラの率いる部隊の兵士たちがそれにワイワイと賛同する。
「兄貴の言うとおりですぜ! やってやりましょう!」
「俺たちは兄貴に付いていきます!」
アキラは部下たちになぜか兄貴と呼ばれて慕われていた。
慕われるのは良いことだが、厳つい男ばかりなので少々暑苦しい。
「焦りは禁物だぞ。各自、侵入前に装備をしっかり確認しておけ」
そこでカイが真面目で堅実なカイらしい意見を言う。
俺もその意見に賛成だ。
今回の任務は特に慎重を要するだけに、警戒し過ぎて悪いことはない。
「アキラ、派手に暴れ過ぎるなよ? 宮殿に侵入する前に騒ぎになったら面倒なことになる」
「分かってるっての。暴れるのは宮殿の中に入ってから、だろ?」
「ああ、くれぐれも慎重にな」
まもなくして森を抜けると、ヨトゥンヘイムの領土へと入った。
そのまま俺たちは馬を走らせ、王都スリュムヘイムを目指す。
スリュムヘイムに入る前に、途中で小さな村に立ち寄る。
そこで俺たちは八つの小隊に分かれた。
ここからはカイたちとは別行動を取る予定になっており、ここに残っているのは俺が直接指揮を執る僅か十八名の小隊のみとなる。
この作戦に参加している部隊の人数は、ヨトゥンヘイムにいるロキ軍と比べると圧倒的に少ない。
正面から戦いを挑むのは得策ではないし、元々それは想定していない。
一度、各小隊に分かれて別々にヨトゥンヘイムへと侵入する。
そしてスリュムヘイムの内部にて合流し、奇襲をかけて一気に制圧する作戦だ。
俺たち恰好も極力武装はせずに普通の旅人を装っている。
前提として、ヨトゥンヘイムの国民と戦うことはしない。
奪った後のことを考えれば無意味に血を流すことはミズガルズも望んでいないことだ。
今のヨトゥンヘイムを治めている女王スカジのいる宮殿を制圧し、事実上ミズガルズの支配下に置いてから国民にその事実を告げる。
多少の混乱は想定されるが、これがもっともベストだと判断した。
敵はあくまでアースガルズだ。
俺たちの部隊は馬に乗ったまま正面から街へと乗り込む。
近付いてくるスリュムヘイムを囲む城壁。
門の前まで行くとそこに門番がいた。
俺たちは馬から降りると、門番にこの街へ入りたいことを告げ、通行料を支払う。
前国王と軍隊が支配していたときより通行料は安くなっていた。
街の人たちの表情も以前に比べて明るいような気がする。
「意外にすんなりと通過できましたね」
ブリュンヒルデの言葉に俺は頷く。
「ああ、だが問題は宮殿の方だ。こっちは今みたいにはいかないぞ」
元々観光都市であるため街へ入ることはそこまで厳しくない。
旅行者も珍しくないためこの大人数でも怪しまれることはなかった。
だが、宮殿への侵入となれば話は別だ。
部外者が簡単に出入りできるはずがない。
「ユージ隊長、作戦の実行は当初の予定どおりでよろしいですか? それとも一度休息を取って日を改めますか?」
小隊の副長を務めるキースが俺に尋ねる。
まだ二十代と部隊の中では若いが、その頭の回転の速さと剣術の腕前は傭兵の中でも一目置かれていた。
それを見込んで俺も副長に抜擢したのだ。
「いや、作戦は予定どおり行う。あまり悠長なことも言っていられないしな」
移動による疲労はそれほどなかった。わざわざ作戦結構を延ばす必要もないだろう。
「分かりました。それでは決行に向けて準備を進めます」
キースは俺に恭しく頭を下げると、俺たちから離れて雑踏の中へと姿を消した。
これからキースは宮殿へ向かい、周囲の現地確認を行う。
以前に革命軍に参加した際に宮殿の造りは頭に入れていたし、今回も事前に情報を得てその設計や周囲の状況は把握していたが、突入前に最終確認をしておきたかったからだ。
「さて、俺たちは他の部隊と合流するか。ブリュンヒルデ、例の合流場所はもう準備ができているか?」
「はっ、先に街へ向かった者たちですでに確保してあります」
キースが現地の確認に行っている間、俺はカイたちと合流し、作戦の最終調整を行う。
この街にはずっと前から偵察部隊を送り込んでいた。
宮殿の警備や周囲の地理についても彼らからミズガルズの軍へと報告され、俺たちと情報を共有している。
これから合流する場所もあらかじめ偵察部隊が確保してくれていた。
「それじゃあすぐに向かうぞ」
そして俺たちはその合流場所へと向かった。




