第三話 未踏襲エリア
途中で何度も枝分かれする通路を進み、度々出てくるモンスターを倒しつつ、俺たちは未踏襲エリアまで到着した。
この先にはまだ進んだことはない。
視線の先は暗闇に包まれている。
ここから先には未知のお宝が眠っている可能性がある。
しかし、今以上に敵も強くなってくる。
さすがに俺も気を引き締めて進まなければならない。
「さて、ついに来たか。ユージ、シーナ、油断するなよ?」
未踏襲エリアはダンジョン奥にある地下へ続く階段を下った先に広がっていた。
一階部分だけでも相当な広さがあり攻略に時間を要したが、地下へ続く階段を発見したときは驚いた。
まさか地下まであるなんてどれだけ巨大なダンジョンなんだろう。
そして、出てくるモンスターも一階にいた奴らよりも数段レベルが高かった。
そのためこの階を進むには念入りに準備をして挑もうと俺たちは決めていた。
「ああ、だけど今日は本当に少しだけだぞ? なるべく戦闘は避けて簡単な探索がメインだ」
「そう何度も念を押さなくとも分かってる」
カイは真面目な表情で頷く。
堅物で嘘は言わない男なのでその言葉は信じていいだろう。
「しかしそろそろ昼時だな。少し休憩してくか」
ここにくるまで三時間くらい戦闘も交えながらぶっ通しで歩いてきた。
それほど疲れてはいないがこの先は万全を期して挑む必要があるだろう。
俺たちは階段を上って再び一階へと戻り、近くの石に腰かけて休憩と昼食を取ることにした。
俺が腰に付けた袋の中からおにぎりを取り出すと、すぐ隣に座ったシーナが俺の手元をじっと見ながら尋ねた。
「ユージ、今日もフィーアの手作りですか?」
「ああ、そうだけど?」
俺がダンジョンに潜る際、フィーアはいつも昼食を作ってくれていた。
本当にできた女の子だ。
「……そうですか」
シーナはそれだけ言うと、まだ何か言いたそうに俺の顔をじっと見つめていた。
「ん? どうしたんだ?」
「実は、今日は私もユージにこれを作ってきました」
シーナがそっと俺の手に小さな袋に入ったそれを差し出す。
結んであった紐を解き、中を開けてみると、それはクッキーだった。
「お、サンキュー。良いのか?」
「はい。本当はお弁当を作りたかったのですが……」
「戦闘になれば激しく動くからあんまり凝った物も持って来れないしな」
ダンジョン内ではモンスターとの急な戦闘が日常茶飯事だ。
そのため食料も形の崩れない固形の物が重宝される。
フィーアも同様の理由で、俺に持たせてくれる昼食は、おにぎりやサンドイッチといった形の崩れない軽食がメインだ。
「はい、おにぎりではフィーアと同じになってしまいますから、私はおやつにと思ってクッキーにしました」
「ありがとう、シーナ。嬉しいよ」
「戦闘中も割れてしまわないように気を付けたつもりなのですが、もし粉々になっていたらすみません」
「いや、見たところ粉々どころかひびひとつ入ってなさそうだ」
「そうですか。良かったです」
シーナはほんの僅かだけ口元を綻ばせる。
「まあ、たとえ粉々になっていたとしてもシーナの作ったものなら欠片一つ残さずに食べるけどな……じゃあさっそく、食べさせてもらうよ」
俺は袋の中からクッキーを一つ摘まんで口に入れる。
うん、歯応えも甘さもちょうどいい。
いくつ食べても飽きなさそうだ。
「うん、美味しいよ。シーナって料理も上手いんだな」
「ありがとうございます」
「はは、それは俺の台詞だよ。ありがとうシーナ」
「いえ、ユージが喜んでくれるのなら私も嬉しいです……」
俺が笑うと、シーナの顔が僅かに赤くなった。
こういう姿を見る度に、シーナもなかなか表に出さないだけでちゃんと多様な感情を持つ普通の女の子なのだと実感する。
そして、そんなシーナの魅力を知る度に、俺はシーナのことを仲間としてだけでなく、一人の女の子としてさらに意識してしまうのだ。
またシーナと視線が重なった。
お互いにじっと見つめ合う。
そこでこほんと咳払いが聞こえて、俺は我に返った。
「二人ともいちゃつくのは帰ってからにしろ。時間が勿体ない」
気付けば俺たちのすぐ側で昼食を取っていたカイが、俺たちを冷めた表情で見ていた。
俺はきまりが悪くなり顔をしかめる。
「べ、別にいちゃついてねーよ!」
「恥ずかしがることはない。どうせおっぱいくらいは揉んだことがあるんだろ?」
思わず噴き出した。
「ねーよ! つか真顔でそんなことを言うな!」
「なぜだ? 俺は割と不純異性行為には寛大な方だ。別に重婚が禁止されているわけでもないし、オスがメスに欲情するのも生物として正常な反応だ。いまさら何を恥ずかしがることがある?」
「……カイ、やっぱお前アホだろ」
時折カイはとんでもないことを平然と口にする。
これが本人はいたって真面目で、別にからかっているわけではないので余計にタチが悪い。
単に羞恥心がないのと、若干空気が読めないだけなのだ。
「二人とも、少々デリカシーが欠けていると思います」
今度はシーナにジト目で注意されてしまった。
しかし、若干シーナも顔が赤い、ような気がする。
「待てシーナ、俺は何も言ってないぞっ?」
「お前も普段からおっぱいおっぱい言っているんだから同類だろ」
「おいこら、俺を変態キャラに仕立て上げようとするな」
「仕立てるも何も事実を言ったまでだ、ムッツリめ。今さら常識人ぶるな」
「二人とも喧嘩はいけません」
俺とカイのじゃれ合いをシーナが諌める。
それはこの数週間見慣れた光景だった。
俺はこの日常が案外嫌いじゃない。
きっとカイもシーナも似たようなことを思っていると思う。
だからこそカイだって俺たちを旅に誘ったのだろう。
それを素直に口にするつもりは俺もカイも当然ないけどな。
シーナはふと立ち上がって、カイに俺と同じ袋を渡した。
「カイの分も作ってきました。どうですか?」
「ああ、それでは頂こう。まったく、ユージの奴は幸せ者だな」
カイは意味ありげに俺を見る。
まあ、さすがに俺だってシーナの本命がどっちなのか分からないほど鈍くはない。
それを意識すると顔が熱くなった。
それにしてもシーナはカイの分も作ってきたのか。
なんて配慮のできる子だ。
強くて可愛くて、若干無愛想なところはあるがちゃんと周囲への気遣いもできる。
惚れてしまうどころかむしろもう惚れてるまである。
俺だってシーナのおっぱいが揉めるなら揉んでみたい。
シーナは小柄だが胸はそれなりに大きい方だと思う。
俺はついシーナの胸をじっと眺めていた。
「……ユージ」
そこでふいにシーナに名前を呼ばれ、俺ははっとして視線を上に向ける。
こちらをじっと見ていたシーナと目が合った。
やばい、胸を凝視していたことがバレてるっ?
「は、はい、なんでしょう?」
恐る恐る尋ねると、シーナはカイには聞こえないように小声で――
「私はユージになら、揉まれても構いませんよ?」
なんて、首を小さく傾げながら俺に囁いた。
その凶悪な言葉と仕草に、俺は完全にノックアウトされてしまった。
シーナ、君は死神なんかじゃなくむしろ天使だ。
――
昼食を食べ終わると、俺たち三人はついに地下へと続く階段を下った。
階段を下りると、近くの窪みに火を付けた松明を置く。
周囲が明るく照らされ、内部の様子が肉眼で分かるようになった。
そこは広場のようになっており、奥にはいくつかの枝分かれした通路があった。
一階でもそうであったようにダンジョンの中は迷宮になっている。
だから予想はしていたが、どうやらここを作った奴は俺たちに簡単に攻略させるつもりはないらしい。
「まったく、ここを作った奴はかなり性格が悪いみたいだな」
カイも同じことを思っていたらしく隣でぼやく。
俺も重い気分で頷いた。
「ああ、今日一日じゃそれほど進めないかもしれないな……」
俺たちは愚痴をこぼしつつ、通路の一つを選んで先へと進む。
コツコツとダンジョン内に響く足音。
それに混じって時折聞こえる何かの吠えるような声。
モンスターに注意しつつも先を急ぐように、俺たちは大胆かつ慎重に歩を進める。
「しかしこのダンジョンは一体誰が何のために造ったものなんだろうな。こんな地下にまで空間を造るとなると個人じゃとてもできないだろ」
「さあな、財宝でも隠してあるのか、王族の墓なのか、あるいは化け物を閉じ込めておくための迷宮だったりしてな」
俺が何気なく言うと、カイは真面目な顔でそう言って、肩をすくめた。
「まあ、考えても無駄だろう。俺は他の国でいくつかのダンジョンに足を運んだことがあるが、どこも自然にできたにしては精密な造りで、そのくせ人工物にしては原始的で科学的な雰囲気を感じさせないところばかりだった。俺もダンジョンの成り立ちについて色々考えていた時期もあるが、結局、解明は断念して攻略にのみ終始することにした経緯がある」
「カイも俺と同じ疑問を持っていたのか」
しかも俺以上に真剣に考えているように思える。
真面目なカイらしい。
しかし、そのカイが諦めるほどダンジョンの存在は常識外れだということだ。
そこでカイは唐突に言った。
「ユージ、この世界はまやかしでできている、そう思わないか?」
「え?」
「お前は自分の身に覚えのない、誰かの記憶を見たことがある、なんてことはないか?」
そのカイの言葉に、俺はずばり思い当たることがあるので驚いてしまった。
どうしてカイがそれを知っているんだ。
「ああ……たまにそういう夢を見ることがある。やけにリアルで懐かしい夢だった。俺はそれが自分の前世の記憶だと考えていたんだけど……」
「……前世の記憶か。ふむ、案外そうなのかもしれないな」
カイは一人納得するように頷く。
「カイ、お前もそんな夢を見たことがあるのか?」
「ああ、俺もお前と似たような夢を何度も見る。リアルでいて懐かしい夢だ……シーナはどうだ?」
「私もそういう夢を見たことがあります」
つまりここにいる三人全員が似たような夢を見た経験があるということか。
一体どういうことなんだろう。
「俺はその記憶がただの夢だとは思っていない。俺たちが同じ夢を見ていることにはきっと何か理由がある。そして、その記憶は俺たちがここにいる理由にも関係しているんじゃないだろうか」
「カイ、いくらなんでもそれは考えすぎじゃないのか?」
リアルで懐かしい夢を見たことがあるというだけでそれが共通の夢なのかどうかも分からないのだ。
俺はそれを前世の記憶だと思っているが、それだって考えすぎで、本当にただの夢なのかもしれない。
とにかくカイの考えは飛躍し過ぎている。
打倒魔王といいカイの話はいつも壮大で非現実的だ。
「確かにそうなのかもしれない。しかしなんにせよこの世界には謎が多すぎる。この世界では当たり前だと思っている現象が実は当たり前ではないなんてこともあるかもしれない」
いつもならカイの妄想と切り捨てるところだ。
だが、その言葉に俺は思い当たる節がいくつかあった。
モンスターを倒すと手に入る経験値とお金。
ステータスとレベル。
特殊な能力やアイテム。
ここには原理の不明な現象が当たり前のように起こる。
そしてそれは誰もがそういうものだと受け入れられていた。
異世界。
そんな単語が頭の中に浮かんだ。
今ここにいる俺と前世の俺がいた世界は違う世界なんじゃないか。
俺はカイの言葉を頭の中で繰り返す。
分からない。
どこまでが当たり前で、どこまでがおかしいのか。
その境目とは一体どこなのか。
しかし、そこで思考は途切れる。
「っ、来ます!」
シーナの警告とほぼ同時に、目の前にモンスターが現れた。
俺たちは咄嗟に武器を構える。
まったく、空気を読まないモンスターたちだ。
俺は奴らの数を確認する。
全部で三体。
俺の目を通して、モンスターの頭上にステータスが表示されている。
【トロール】レベル30
【トロール2】レベル30
【スライム】レベル35
やはり一階の奴らよりレベルが高い。
倒せない相手ではないが、この奥に進むにはこのレベルのモンスターを何体も倒していかないと考えるとなかなか厄介だ。
しかも、もしかするとこの奥にはさらに高レベルのモンスターがいるかもしれないのだ。
しかも、それもあくまで可能性の話であり、現状ではすべて想像でしか判断できない。
まずは、この階がどれほどの広さなのか、どんな敵が出てくるか、そしてさらに下の階層が存在するのか、この辺を把握しておきたい。
「ユージ、予定通り戦闘は避ける方向で行くぞ?」
「ああ、二人とも準備は良いか?」
まともにやり合っていては面倒だ。
カイとシーナが頷くのを確認すると、俺は剣を地面に思い切り振り下ろす。
刃が石でできた地面を砕く。
そして石の破片が前方へ飛び散った。
モンスターたちは石の破片の雨をまともに受けてその場で怯む。
「今だ!」
その瞬間に俺たち三人は一斉にダッシュした。
そのまま近くの脇道へ入ると戦闘から離脱する。
だがまだ安心はできない。
俺たちはしばらく走り続ける。
暗闇で躓きそうになるが、それでも全力で走った。
そして追ってこないことを確認すると、俺たちはようやく立ち止まった。
「……うまく逃げ切れたな」
「しかし、毎度毎度逃げていても埒が明かないだろ。落ち着いて探索もできないし、この階に腰を据えてしばらくレベル上げに切り替えた方が良いんじゃないか?」
「……いや、その前にもう少し奥まで進もう。アイテムを使う前にせめてこの階の構造を少しでも把握しておきたい」
最悪『ノルンの羽根』で脱出できるのだ。
次回の探索に繋げるために内部の作りを今のうちにできるだけ知っておきたい。
「シーナ、疲れてないか?」
「はい、私は大丈夫です」
シーナは涼しい表情で頷いた。
本当に疲れていないのか、それとも俺に気を使っているのか、そこまでは判別できなかった。
しかし、シーナの言葉を信じるならここで引き返す理由はない。
「カイ、駄目か?」
「……仕方ないな。それじゃあ後三時間だけだぞ」
「ああ、それでいい」
俺が頷くと、カイは苦笑した。
「まったく、早く帰りたいと言っていたのは誰だったか。この冒険オタクめ」
カイとシーナの了承をもらい、俺たちはダンジョンの探索を続けた。
歩きながらダンジョン内の大体の地図を描き、モンスターと遭遇しては逃げ続け、宝箱があれば開いてみた。
宝箱の中は大抵が回復アイテムや少額お金で、俺たちの望んでいるようなレアアイテムではなかった。
やはり一筋縄ではいかない。
とにかく効率的に攻略しようと努力したが、ダンジョンの中は入り組んでおり、なかなか奥まで辿り着くことはできなかった。
一階でさえ経験値稼ぎの時間を考慮したとしても攻略するのに時間を要したんだ。
すんなりと全容を解明できるなど思ってはいなかったが、それでも今の俺たちなら一日あれば何とかなるのではないかという考えはあった。
だが、それは虫のいい考えだったと俺は思い知らされる。
歩けど歩けど終わりが見えない。疲労ばかりが蓄積されていく。
結局、途中で時間切れとなり、俺たちは探索を断念した。