第一話 シーナの誘惑
門を潜ると、最初に気付いたのは人の多さだった。
人々が右へ左へと行きかう広場。
そこに並んだ露店。
人々の笑い声が聞こえてくる。
まるでお祭りでもあるみたいだがこれがこの街での日常だった。
旅を始めてから二週間、俺たちはミズガルズの隣の国にある商業大国『ニダヴェリール』にある国、『イェロヴェリル』へと足を運んでいた。
いきなり何の準備もなしにアースガルズへ侵入するのは危険すぎるため、今は焦らずにレベル上げをしようというのが俺やカイの考えであった。
他のみんなもそれに賛成してくれた。
そこでアースガルズとはミズガルズを挟んで反対側にあるこの国を選んだのだ。
ここはカイが俺たちと出会う前に何度か訪れている場所であり、比較的治安も良いので旅の最初の休憩地点としては悪くないところだと思う。
しばらくここに腰を落ち着けるのも良いかもしれない。
「随分と活気がある街ですね」
歩きながら街の景色を眺めていたユキが感嘆の声を上げる。
「ニダヴェリールは一般的に物作りが盛んな国だからな。その中心地であるイェロヴェリルはこの国で最も経済的に安定している場所だ。当然、人も集まる」
先頭を歩くカイは慣れた様子で人ごみを避けながら進んでいく。
「久しぶりに人間の文明に触れたって感じがするよ」
「ずっと森の中や山道を歩いてばかりだったからね」
フィーアの感想に、レンが苦笑する。
フィーアもユキもよく頑張っていた。
最初は慣れない長旅に苦労することもあったが、ここまでは順調に旅をしてこられた。
途中でモンスターとの戦闘もあったが、二人ともモンスターを倒すことにも成功している。
二人とも見るからに今までと心構えが違っていた。
ここから先は自分たちもレベルアップが必要であることを自覚しているからだろう。
とはいえ、二人ともあまり好戦的な性格ではないため基本的には後方支援を担当してもらい、他のメンバーでメインの戦闘を行っていた。
主戦力に四人もいれば余裕もあるし、むしろ好んで戦いたがる奴ばかりなので後方支援の方が貴重なくらいだった。
フィーアたちのやり取りが聞こえたのか、前を歩くカイが後ろを振り返る。
「とりあえず宿でも探すか。ずっと野宿ばかりで疲れも溜まっているだろう」
懐には余裕が十分あるし、まずは一休みしようという案に俺も賛成だった。
食料やアイテムの調達はその後でも問題ないだろう。
この街の地理も頭に入れておきたいし、やることはたくさんある。
そのためにも体力の回復は必要だ。
宿はすぐに見つかった。
旅行者や商人が多く訪れることもあり、宿泊施設も充実しているのだ。
部屋へと案内された俺は、中へ入ると荷物を置き一息付く。
「ふぅ、さすがに疲れたな」
そして備え付けのベッドに腰を下ろす。
それなりに値の張る宿を選んだこともあり、ベッドもなかなか質が良いものだった。
部屋を見渡せば壁や床も綺麗な方であるし、設備も充実していた。
こういう宿に泊まる人々もそれなりに身分のしっかりした人であるだろうし、荷物を盗難される心配もしなくて済みそうだ。
「良い部屋ですね」
「ああ、そうだな……って、シーナっ?」
シーナがしれっと俺の隣に座っていた。
いつの間に。
「なんでここにシーナがいるんだ? 俺が部屋を間違えたのか?」
「いえ、ユージはこの201室で合っています」
「じゃあどうしているんだよ?」
「せっかくですので私もユージと一緒の部屋に泊まります」
シーナは淡々とした口調で平然と言った。
当然俺はそれを拒否する。
「いやいや、せっかくじゃないからな。シーナの部屋もちゃんと取ってあるんだから自分の部屋にいてくれ」
「じゃあせめて寝る時だけでも、駄目ですか?」
「うっ……」
まっすぐな瞳で俺を見つめるシーナ。
俺は駄目だと言おうとするが、そこで僅かな躊躇いが生まれる。
理性と本能が争っていた。
そもそもどうして俺は拒む必要があるのだろうか。
俺もシーナも同意しているなら問題ないのではないか。
いやいや、恋人でもないのに男女が同じ部屋で寝ること自体駄目だろう。
だけど、文字通り一緒に寝るくらいなら良いんじゃないか。
などと一人で悩んでいると、シーナがぽつりと呟く声がした。
「最近はユージと二人きりになれなくて少し、不満でした」
確かに何かとフィーアやユキが俺の側にいるため村にいるときも二人きりになることは少なかった。
それに旅に出るようになってからはみんなで行動しているため余計に二人きりになる機会はなくなっていた。
しかしシーナがそんなことを思っているとは全然思わなかった。
「……おっぱい、今なら揉んでも良いですよ?」
「ど、どうした急にっ?」
「以前、ユージに言いました。ユージになら揉まれても構わないと」
いつぞやカイとダンジョンでしていた会話をシーナは覚えていたらしい。
「だ、だからって実際に揉むわけにはいかないだろ。いや、興味がないわけじゃないし、むしろ揉みたいけども!」
「では、キスだけでも構いません」
それくらいなら良いんじゃないだろうか。
そんな気持ちが俺の中に芽生える。
いや全然良くないのは分かっているし、胸を揉むより駄目な気もするのだが、いつになく積極的なシーナに俺の理性は限界を迎えていた。
そこでシーナは体を横に移動させて俺に接近する。
シーナの肩が俺に触れた。
シーナの体温を感じ、俺はさらに動揺する。
それに女の子特有の良い香りがした。
上目使いのシーナと視線が合う。
やばいと、俺は直感する。
不意にその小さな体を抱きしめたくなった。
俺はシーナと向かい合うように体を動かす。
俺を見つめるシーナは相変わらず無表情だった。
しかし、その瞳が僅かに揺れていた。
俺はごくりと唾を呑みこむと、シーナの体へと両手を回し……
そこで扉がノックする音が聞こえた。俺は驚いてシーナから素早く離れる。
「ユージくーん、いるー?」
扉の向こうからフィーアの声がした。
少々名残惜しい気もするがナイスタイミングだ。
「ああ、いるぞ」
そこでシーナは扉を開けて顔を覗かせる。
「あれ? シーナちゃんもいたんだ」
シーナはこくりと頷く。
まるで何事もなかったかのように平然としていた。
いつもどおりといえばいつもどおりなのだが俺だけ動揺しているのが少し悔しい。
「これから街に買い物に行こうと思うんだけど一緒にどうかな?」
「ああ、良いぞ」
「私もご一緒してよろしいですか?」
「うん、もちろん。あとユキちゃんとレンさんも一緒に行くって」
「カイは行かないのか?」
「うん。『俺がいても邪魔になるだけだろう』とか言ってたけど、どういう意味かな?」
カイの奴、変な気を遣いやがって。
俺は一瞬だけ顔をしかめると、それを見たフィーアが不思議そうに小首を傾げた。
そこで俺は気にするなと首を振る。
「さあな。とりあえず準備するから待っててくれ」
「分かった。じゃあ準備できたら呼んでね」
フィーアはそう言うと、廊下へ出て扉を閉めた。
遠ざかる足音が聞こえ、隣の部屋の扉が閉まる音がした。
自分の部屋へ戻ったらしい。
それを見届けると、シーナはいつもの眠たげな半眼で扉を見つめたまま言った。
「残念です。なかなか抜け駆けは出来ませんね……」
とても反応に困る台詞だ。
俺は何も言わずにそんなシーナの横顔をただ見ていた。
そこでシーナは立ち上がると、そのまま俺の部屋を出ていこうとする。
が、途中で振り返って俺の顔をじっと見つめると、シーナはいつもどおり淡々とした口調で言った。
「ですが、ユージの一番は私がもらいます」
そして今度こそ部屋から出て行った。
その一瞬の出来事に俺はその後ろ姿を茫然と見送ることしかできなかった。
俺は無意識にぽりぽりと頬をかくと一つ息を吐く。
まったく、何の一番なんだか。




