紫光のエルサリオン ~救いし者よ、優しくあれ~
自身とは異なる、優しい緑のその光に
生まれて初めて、憧憬の意を知った――
時刻は昼過ぎ――暖かな日差しが、浅い森の木々を照らし、その陽光が葉の隙間から静かな木漏れ日を落としている――。
さわさわと吹く涼しげな風に、青々とした緑葉が揺れる中、一つの大樹の下で、一つの光が、自身の色よりもなお鮮やかな黄金色を輝かせた。
肩口で揺れるそれは、綺麗な金の髪だ。ゆったりとしたテンポで届くそよ風に合わせ、小さく煌いている。
次に目を引くのは、その鮮やかな髪からのぞく、長い耳。
端正な顔に、小柄な身体を包む青いローブ。
十四歳程度に見えるそのエルフ族の少年は、いつかの日に、Agradia、と名を告げた、見た目の幼さに似合わぬ実力を秘めた者である。
本来は紫と淡く光る青の色を宿す不揃いの瞳の両方が閉じられているのは、今は彼が眠りの中にいるからだ。
美貌のエルフが大樹に寄りかかり、様々な色の光球たる下級精霊に囲まれている様は、なんとも幻想的なもので――しかし、その時間は、絵として残すには少々短いものだった。
ふるり、とまぶたが震えるのにともない、その二色の瞳が姿を現す。
「ん――っと!」
青のローブに包まれた身体を、空へと突き出した両腕と共に伸ばす様に、最早先ほどの神秘さは微塵も無く。
よく言えば、実に自然的。思わず語るならば、台無し、である。
最も、彼の眠りを見守っていた者たちの誰も、そのようなことを思いもしないのだが。
「おう、おはよ。てかなんかミョーにあったけぇと思ったら、みんな来てたんだな」
そう精霊たちへと語りかけ、ニッと笑む様は、普段の彼には少々似合わない程の無邪気さを宿していた。
一つの水の精霊がそれに気付き、不思議そうに彼の眼前でゆらゆらと揺れる。それに、あぁ、と言葉をこぼした彼は、ふいにその二種の瞳を細め、穏やかな微笑みを浮かべた。
それは、嬉しさと、ほんの少しの気恥ずかしさ。
「いや、まぁ。ちょっと……昔の記憶を、な」
そう言って晴れ渡る蒼穹へと移された視線は、天よりもなお遠いところを見るように、彼方へとそそがれた。
――どこか眩しそうに、懐かしさを秘めて。
「ん?」
早めの昼寝をおえて、スッキリとした表情で森の中を進むアグラディアは、ふと感じた気配に立ち止まる。いまだに彼についてきていた幾つかの精霊たちが、そろってどうしたの? と彼に問いかけた。
「いや……誰かいるっぽい?」
小さく眉を寄せながら小首をかしげたアグラディアは、そのままそっと両の瞳を閉じた。
「〈――〉」
無詠唱での探索魔法を発動した彼は、すぐにその瞳を驚きに見開く。
「子供じゃねぇか!?」
その驚愕を現した叫びに、周囲をただよっていた精霊たちがそれぞれ別々の方向を行ったり来たりしはじめる。彼らも驚いているのだ。
「……悪い。――しかし、なんだってこんな村とか街からかけ離れた森に、ガキが一人で来てるんだ?」
四方に飛び交う精霊たちに若干気まずそうに謝りつつも、アグラディアは疑問を紡ぐ。
それもそうだろう。この森は、すでに人里からいくぶん離れ、最も近い村の男たちでも狩におもむくには少々遠すぎる場所にあるのだ。幸いにして精霊たちの恩恵を受け、凶暴な魔物のたぐいはいないものの、野生の動物たちは極普通に存在している。むしろ狩られることがない分、近辺の森よりもその生息数は多いくらいだというのに。
「ったく、危なっかしい」
自らも他人のことをそうそう言えない程度には若々しい外見であることを記憶の彼方へと放り投げているアグラディアは、幼さの残る美貌を盛大に歪めつつそう悪態をつく。しかし、一方でそれはどこか心配げな色を含んでいた。
「……一応、見に行ってみるか」
見てみぬふりってのも、性にあわねぇしな――そう言いながら歩き出したアグラディアに、精霊たちが心配そうについてくる。
迷い無く進む彼の足取りの先に、地面とは異なる茶色が見えたのは、それからまもなくのことだった。
「……毛玉?」
「うわぁ!?」
呆れたような少年の声と、驚きに満ちた幼く高い声が周囲に響く。
精霊たちを引き連れて目的の場所に到着したアグラディアの瞳には、角度的に見事に茶色い髪の頭しか見えない、幼い少年の姿があった。
草だらけのその場にしゃがみ込む少年は、一見して六か七歳。クリーム色の簡素な服をまとうその四肢は、健康的に焼けてはいるものの、細く頼りない。
一体どうやってこんなろくに体力も無いであろう子供が、遠いこの森にたどり着いたのか。再度小首をかしげたアグラディアに、おずおずと振り返った少年が視線を合わせた。意外にも力強い輝きを宿すその琥珀色の瞳は、アグラディアの二色の瞳にわずかな驚きと安堵をうかばせた後、彼の黄金色の髪からのぞく長い耳へと移動し、次は疑問に瞬く。
「……エルフを見るのは初めてか?」
それに苦笑しながら問いかけたアグラディアの言葉に、幼い少年は大きくうなずいた。
「うん、はじめて! にいちゃんみたいなのがエルフなんだな!!」
琥珀の瞳を輝かせ、飛び跳ねる勢いで立ち上がった少年に対し、アグラディアは再度苦笑をこぼす。
「いや、あんまり俺を見本にしない方がいいとは思うが……っと、そんなことより」
さりげなく目の前の少年がけがをしていないか確認していたアグラディアは、特に問題が無いことを読み取り、本題の疑問をたずねた。
「お前、なんでこんな村とか街とかから離れてる森に来たんだ? 山菜取りにしちゃあちと遠すぎると思うんだが」
こてん、と頭を傾けての問いに、少年はわずかに迷うようにその琥珀の視線をさまよわせた後、いささか気落ちしたような表情で、答えた。
「やくそう、を、とりにきたんだ」
「薬草?」
「うん!」
さきほどの勢いを取り戻してコクン、とうなずく幼い少年に、次はアグラディアがその瞳を瞬かせる。
「あーっと、一応聞くが、どんな草だ?」
自らへとたずねてくる木々や草花の声を代弁してそう問うたアグラディアは、しかし、次の瞬間に思わずその太陽色の頭を抱えた。
「えっと、ちょっと大きな葉っぱがついてる草で、さむいときには黄色い花がさいてるんだって!」
「…………そうか」
おおいに、おおまかすぎる答えである。
(この説明で分かるヤツがいたら、俺は真面目に尊敬するぞ)
元来理解能力の高いアグラディアが、そう心の中で思わず呟くほどには、なんとも子供らしい発言であった。
「あー、なんだ。つまるところ、お前はその薬草を探しに、わざわざこの森まで来たってことなんだな?」
幼い少年に負けず劣らず華奢な右手を頭に当てながら、いっそうの呆れ顔で再度そう尋ねるアグラディアに、少年は満面の笑顔でうなずいた。
「うん! そう!」
「――――」
すばらしく〝イイ〟笑顔に、木々たちが茂らせる葉をすかして空を見上げるアグラディア。
わずかな沈黙の後、小さな笑みがその美貌に広がった。
「ったく」
三度目の苦笑を、穏やかな微笑みが塗り替える。
「そんな情報だけじゃ、どんだけ森の中をうろついたってみつからねぇよ」
「! で、でもっ!」
「まぁ聞け」
焦った幼い少年の声をさえぎって、アグラディアは言葉を続けた。
「幸いにして、俺はエルフだ。エルフが草や花のお友達ってのは、お前も知ってるだろ? だからさ――」
わずかに周囲に散りながらも、いまだその場に留まっていた色とりどりの下級精霊たちが、その淡い輝きを少しだけ強める。同時に告げられた言葉が、実に優しく、その場に響いた。
「俺も手伝う。――その方が早いだろ?」
幼い少年の琥珀の瞳が、金と見まがうほどに煌いたのは、二人とこの場にある植物たち、精霊たちだけの、秘密である。
「お。あっちにも似たような草があるってさ」
「ほんと!?」
アグラディアが少年に協力を申し出てから、早数時間。それらしい草の情報を片っ端から植物や精霊たちの協力の下集め、めぼしいものがあり次第そこへ行っているものの、未だにお目当ての薬草は見つかっていない。
密かに胸中で、今日中には見つからないかもしれない、とアグラディアは思う。しかし、移動しては違う物だったと肩を落とす少年は、それでもその琥珀の瞳から、力強い輝きを失ってはいなかった。
(ここで見捨てちまったら、種族どうこうじゃなく知性ある生き物としてダメだよな……)
次々と送られてくる植物、精霊たちの情報を聞きながら、表面上はいたって冷静を装いつつそう考えるアグラディアは、どうしても見つかりそうにないなら、少年を待機させて自分ひとりで探しに行こうと決める。
――と、その時だった。
「ん?」
アグラディアの耳、エルフ特有のその長い耳のそばを横切った緑の下級精霊が、彼に見つけたよ、と囁いたのだ。
「マジか」
「へ?」
思わず口元を震わせてそう呟いたアグラディアを、少年が不思議そうに見上げる。それに、ニッと笑みを浮かべたアグラディアは、素早く少年の手を掴んで駆け出した。
「わっ! にいちゃん!?」
「見つけたってよ!」
「え! ほんと!?」
「おう!」
まさしく見た目どおりの幼さを見せてそんなやり取りをしつつ、二人が走った先には、果たして――
「大正解だ」
「うわぁ!!」
少年のお目当ての薬草が、開けた地面いっぱいに広がっていた。
その琥珀の瞳を輝かせて飛び喜ぶ少年に、二色の優しげな視線を送るアグラディア。
……最も、揃ってひとしきり喜んだ後、少年が遠慮の欠片もなく薬草を引き抜くのには、流石の彼も顔を引きつらせざるを得なかったが。
「ま、待て待て! もっと優しく抜いてやってくれ!」
「え? うん、わかった」
その会話をした後もなお、エルフである彼の耳には、少なくない植物たちの悲鳴が届いていた……。
「おぉふ……耳に痛い結末だったぜ……」
そう小声で呟きつつ額をぬぐう彼の手には、わずかばかりの冷や汗が見て取れた。
しかし、その事実も、ましてエルフ族の特性などを詳しく心得ているわけでもない少年はと言えば、その幼い外見に見合った微笑ましい満面の笑みで、アグラディアへとお礼を言う。
「にいちゃん! ありがとな!!」
「おう。どういたしまして」
それにさらっと返すあたりに、彼の順応力の高さが見て取れた。
さて、時はすでに夕暮れ。
ここに来て、アグラディアは少年と出会ったときから気になっていたことを、そういえば、と問いかけた。
「その薬草だが、結局一体何に使うんだ?」
やっと見つけたその薬草を手に笑う少年は、一瞬きょとん、と疑問を顔に浮かべた後、すぐさま答えを返した。
「あ、えっと、じつは昨日、おれのにいちゃんが猟からけがして帰ってきて……」
「あぁ。じゃあその怪我を治すためにってことか」
「うん! これでにいちゃん良くなるとおもうんだ!」
無邪気に、それでいて嬉しそうにそう笑って言う少年に、なるほど、とアグラディアは呟く。
つまるところ、少年は怪我をした兄のためを思い、このような遠い森に、危険だと分かっていても薬草を探しに来たのだ。
良い子じゃねぇか、と思ったのは、アグラディアだけではない。
二人と共に見つかった喜びを分かち合っていた精霊たちも、つい先ほどまで同種を引き抜かれた哀しみにくれていたまわりの植物たちも、一様にそう言葉を交わしていた。
アグラディアは、その端正な顔にもう一度、優しげな微笑みを浮かべた。
そっと少年が持つ薬草へと掲げた彼の右手が、淡い白光を放つ。
「じゃあ、これは〝おまけ〟だ」
「わ!?」
驚く少年の眼前で、薬草すべてが暗くなってきた森の中、淡い光を吸収する。それは、治癒を早める効果のある魔法だった。
これは一体なんだと目を見開く少年に、怪我がもっと速く治るような魔法をかけた、と告げたアグラディアは、再度驚く少年に笑いつつ、朱に染まる空を見上げる。
今から急いで森を出て街道を歩いたとしても、間違いなく、少年の住んでいる村に少年がつく頃には真夜中だろう。下手をすれば夜が明けている。
いくら自身にとっては脅威になりえない事態であったとしても、その危険性が分からないほど、アグラディアは落ちぶれていない。
とすれば、と一つうなった彼の脳裏に、名案が閃いた。同時に、ようやく驚きから戻ってきた少年が、再び喜びを示す。
「にいちゃん、ありがとう!!」
「おう。兄貴も早く治ると良いな」
「うん!」
「で、だ」
そこで、一旦言葉を区切ったアグラディアは、次いでイタズラっ子のような笑みを浮かべた。
「もう一つ、お前に贈り物をしてやる」
「へ? なに?」
「風の飛行魔法で家まで送ってってやるよ」
ニヤリ。そう笑ったアグラディアに、疑問を示して小首をかしげる少年。それにかまわず、アグラディアは魔法を紡いだ。
「〈空中遊戯〉!」
途端、少年とアグラディアの周りに風が巻き起こり、二人は一気に空へと浮かび上がった。
「うわぁ!?」
と驚く少年を抱え、その陽光に金の髪を煌かせて、アグラディアは告げる。
「まぁいわゆる、空を飛ぶ魔法――ってやつだな!」
「すっ、すごぉい!!」
歓声を上げる少年に、いつになく上機嫌なアグラディア。
二人は一息に空を駆け、あっという間に少年の村へとたどり着いたのだった。
自らのお礼の言葉もそこそこに聞き流し、再び空へと飛び去ってしまった、兄と同じくらいに見えたエルフのにいちゃん。彼が飛び去るのをしっかりと見届けた少年は、意気揚々と家の扉を空けた。
「ただいまー!」
「! おまえ、今までどこ行ってたんだよ!!」
「にいちゃん!」
少年が部屋に入ってきたのを見た、彼と良く似た顔の少年が、開口一番にそう怒鳴る。嬉しそうに、その少年――自身の兄へと駆け寄った少年を抱きとめた手は、怒れる声に反して、優しかった。
「ったく! 母さんや父さんがどれだけ心配したと……」
「わるいことしたのはわかってるよ! それより、これ!!」
そう小言を並べる兄にお構いなく、両手いっぱいの薬草を、兄の目の前へと差し出す少年。それに、少年と良く似た琥珀色の瞳を見開いた兄は、ようやく納得したように口をつぐんだ。
この小さくも兄思いの弟は、自分のために、両親に怒られることを覚悟して、今日一日を潰したのだ、と。
少年よりも大きな視線が映したのは、自身の足。包帯が巻かれたそれを見て、兄はひっそりと、もうすぐこの部屋へとやってくるだろう両親の怒りからかばってやろう、と決意する。
――最も、この後の弟の爆弾発言には、ただただ呆けるしかなかったが。
「エルフのにいちゃんに、たすけてもらったんだ!」
一般的に、あまり他種族とかかわりを持たないイメージの強いその有名な種族の名は、これから先、兄弟にとっては少し異なったイメージであり続けてゆくこととなる。
一瞬金と見違えてしまったほどに明るい、若葉のような長髪。白を基調とし、黄緑と深緑で彩った服とマントの旅装束は、その鮮やかな髪と、それとは対照的な深い英知を宿す緑の瞳に、良く似合っていた。
それは、優しい緑の雰囲気を放つ、同族――エルフの青年だった。
精霊も少なくない森の中だ。同族に会うこと事態は、さして珍しくはない。
彼は、そう思った。
同時に、そう思いつつも、驚きを含んだ疑問と、何より不快感を抱いている自分に気づく。
驚きを含んだ疑問は、気配察知能力の高い自身が目の前に現れるまでその存在に気づけなかったことに対するもの。
不快感は、ひとえに彼の生い立ちから生まれた、同族嫌悪から、である。
と、そこまで無意識のうちに胸中で考えていた彼は、目の前の美しい同族が、ふとその中性的な美貌と、深い緑の瞳を驚きに染めたことから、思考の中断を余儀なくされる。
彼は、あぁ、またか、と思った。
一瞬前、顔を合わせた直後に思い、今もまだ胸の奥にくすぶっていた、不快感さえも押し退けるほどのより好き感情。それが、あたかも幻であったかのように冷めていくのが分かり、同時に彼の顔も感情を消し去る。
――しかし、完全に感情を落としたその端正な顔は、次の瞬間、驚きに染まることとなった。
彼の眼前に立つ同族の青年。その綺麗な顔が、唐突に今までの驚きを微笑みに塗り替え、彼に向かってこう告げたのだ。
「綺麗な色ですね」
――と。
「…………!?」
それは、最早声も出ないほどの、驚愕であった。
自分と言う存在を最も如実に現しているその紫色の瞳を見開くほどの驚愕の中で、彼は先の出来事を思い返す。
目の前の同族は、一体何と言った? と。
綺麗とは何だ、と。
――果たして、その答えは意外なほど素早く、彼にもたらされた。
「固有魔力ですよね。驚きました……まさか、こんなに綺麗な色をしているなんて」
そう言葉を紡いだのは、当然、彼の目の前にいる同族の青年だ。
同族の目から見ても美しいと呼べる美貌の青年は、先ほど唐突に浮かべた微笑みを更に深めて、彼にそう語ったのだ。
ほんわか、と例えるべき、その柔らかな雰囲気。そして何よりも、にこにことした、邪気の欠片も見受けられない、その笑顔。
彼は、ここに来て、ようやく一つの事実を悟った。
この異質で異端な〝自分〟と言う存在を、否定しない同族がいる――その、事実を。
ふと思い出す、遠き過去。
今日の昼に夢で見ていたその過去に思いをはせていたアグラディアは、すっかり月と星々が支配した夜空を見上げ、ふっと笑んだ。
彼の周りを、銀に輝く風の精霊がくるりくるりと飛び交って遊ぶ。
さながら星々の乱舞と例えるべきその中心で、アグラディアはそっと、言葉を零した。
「俺はあの人の〝輝き〟に、まだ見ぬ世界の姿を見たんだ――」
後に自らが師匠と呼ぶこととなる、かの偉大な同族との出逢いは、今も確かに、彼の中で輝いていた――。