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マリダナの盗人

「レリベディアは何のために私を召喚したの?」


「近く、アヴストの試験がフィーカッタの首都クーダで行われるんだ。それを参加するに当たって、条件があって」


「それが使い魔?」


「ああ」


 レリベディアは、相づちを打ちながら、早足で森を突き進む。

 ただでさえ感覚が狭いというのに、木々は不規則に生え、直進することを許さない。レリベディアは、寸でのところで避け、避けた先にある木をまた避ける。繰り返される行動に、ヒイロは目が回りそうになった。木の葉を踏む音が耳に痛い。


「ねぇ、大丈夫?」


 隘路を迷いのない確かな足取りで歩むレリベディアの両手は、ウエストポーチから取り出した真新しい地図によって塞がれている。

 目線も地図に向かっているため、ヒイロはレリベディアが転ばないかハラハラしていた。いくら正面からの衝突を避けようと、木の根までは注意を払えないらしく、危うく足をとられかけていたところだ。


「ああ」


 気遣いの言葉は上の空な状態で聞き流された。

 本当かな、と訝しげにレリベディアを見るヒイロだったが、当の本人は気づかず歩みを進める。

 歩幅の広いレリベディアについていくのが精一杯なヒイロは、小走りで追い付こうとするが、距離は広がっていく一方だ。


「短足が憎い」


「なんか言ったか?」


「何も! それより」


 もう少し歩みを遅く出来ないかと声をかけようとしたところで、木の根に引っ掛かり、豪快に地面とキスをした。


「……痛い」


 起き上がって、セーラー服や皮膚についた土を叩く。一番ダメージを受けただろう顎を擦る姿は、まるで無精髭を撫でる中年の男性のようだ。ヒイロの顎を覆った湿気を含んだ土は、乾燥したハンカチでは拭ききれず、少し跡が残った。


「君も転ばないように気を付けなさいよ、レリベディ――、あれ?」


 主の影が、跡形もなく消えていた。


「結局置いていかれた!」


 ヒイロの怒号は、森林に吸収され、彼らに届くことはなかった。





「フィーカッタへ行くには、マリダナを抜けていくのが手っ取り早い。だから、目先の目標はマリダナだ」


「アヴスト試験を受ける気なのか?」


「ああ、さっきも言っただろ。話聞いとけよ」


「はーん、アヴストなんてしみったれた職に就こうと思う奴が、コイツの他にも居たんだなァ。どんなクズだ?」


「おい、いい加減に――って、あ?」



 青筋を浮かべ、背後を振り返ると、そこにはヒイロの姿はなかった。代わりに、青髪の細長い比較的若そうに見える男と、細身の青年を乱暴に担ぐ顎髭を蓄えた中年男が立っていた。細身の青年は重傷を負っており、遠慮のない担ぎ方からして中年男が攻撃したことが考えられた。


 警戒した面持ちで、ウエストポーチに地図をしまう。ポーチに手をかけたまま、飛び退き、中年男たちを見据えた。


「お前誰だよ、っていうか、僕の使い魔はどうした?」


「使い魔? はは、こりゃ傑作だ。アヴストが使い魔だなんてな。笑えるだろ、なぁ?」


 担がれ、意識を失っている細身の青年に同意を求めるよう、男の体を叩く。男は苦しそうに呻くだけで、否定も肯定もしない。


 中年男は、「おっと、お前もアヴストだったか、情けないな」と鼻で笑い、無慈悲にも担いだ際、青年に宛てていた腕を下ろした。支えを失った青年は、重力に従い、落ちる。


 メキリと鈍い音がした。酷く低い呻き声を出したあと、青年は動かなくなった。


「……!」


 悲惨な光景に、言葉をなくした。レリベディアは、静かに喉を鳴らし、渇きを潤わそうとする。


 冷や汗を伝わせながら、改めて中年男を見遣った。

 紅葉色のワイシャツ、黒いネクタイ、樹海に溶け込むような深緑色の軍服を着用している。


 レリベディアの二倍の身長から漂う威圧感をひしひしと感じて、後ずさりかけたが、踏みとどまった。中年男は嘲笑を浮かべており、レリベディアは気に入らず舌打ちをする。

 乱雑に切られた藍色の短髪の前髪に一房、白いメッシュを入れているのに気づく。


 白いメッシュに心当たりがあった。樹海ルベッレに入る前、宿屋のおばさんに注意をされたのだ。


 白いメッシュの男には気を付けて、


「噂のアヴスト狩り、シェルベリデか」


 ――半人前のアヴストなんて、すぐに倒されてしまうわよ。


 おばさんの話を思いだし、レリベディアは歯を食いしばった。


「ほう、世界のゴミでも俺について知識があるとは。有名になった、とでも言うべきか? そりゃああれだけ狩りゃあ名も上がるか、はは」


「この……!」


 呪文を唱えようとした口を、慌ててつぐむ。アヴスト狩りとして名高いのならば、アヴストに対して攻略法を持っているはずだ。使い魔がいない以上、今突撃するのは得策ではない。

 一体どこをほっつき歩いてるんだよ、暴力女! 行方知れずのヒイロに心中で悪態をついた。


「ふぅん、的確な状況判断だ。アヴストを目指す愚かな小僧にしてはなかなか……。褒めてやる、こちらに来い」


 シェルベリデが手招きをしてレリベディアを呼ぶ。シェルベリデの指先からは、一見してわかるくらい、火花が激しく散っていた。

 あからさま過ぎる挑発に乗るほど、レリベディアは馬鹿でも自信家でもない。シェルベリデを睨み付けたまま、思考する。


 シェルベリデが着用している軍服は、マリダナ正規軍のものだ。

 マリダナ正規軍といえば、その働きぶりと、蒼生に寄せられる信頼から正義軍と呼ばれている。蒼生を第一に考え、国の安寧を守るために尽くす。

 常に秩序を維持できるよう徹するその姿は、理想の軍だと噂されていた。


「その軍服で、アヴスト狩りなんてしていいの?」


 軍部がアヴスト狩りに手を出していると知られれば、非難は避けられないだろう。


「心配するようなことじゃない。お前は、今、ここで狩られる運命だからな」


「ふーん」


 マリダナ正規軍も落ちたもんだな、と平静を装ったが、心中は憤慨の一言につきた。

 狩られる前に手立てはないだろうかと、レリベディアは細身の青年を一瞥した。攻撃パターンを把握するためだ。


 頬と掌に火傷の痕。ずたずたに引き裂かれた紺色の着衣は土色に汚れている。着衣から垣間見える腹部には切り傷が数ヵ所、足には打撲傷が見られ、青アザとなっていた。


 打撲傷は兎も角、火傷は魔法によるもの以外あり得ない。青年の怪我から、シェルベリデは近距離遠距離関係なく、アクションを起こせるのだろうと推測した。


 推測は出来たが――ならば、これからどうするべきか。頭を悩ませるだけだった。


「お兄さんは、よっぽどアヴストを嫌ってるみたいだな」


「中途半端に甘んじる虫が嫌いなだけだ」


 中途半端――、誇りと共にコンプレックスを刺激するその一言に、思考で鎮火していた憤慨の炎が再び焚き付けられる。


「まあ、確かにアヴストは中途半端を生業としているけど……、だからといって本職に負けるとは限らない」


 シェルベリデを睨み付け、吐き捨てるように言った。じくじくと胸が痛む。職業上、蔑んだ目には慣れていたが、シェルベリデの視線にはどこか耐えがたいものがあった。


「コリートならば?」


 浮かべつづける嘲笑でレリベディアを見下しながら言った。コリート――アヴストとは対極的に見えるが、正統な進化の結果とも言われる職業。レリベディアの眉根が寄せられた。少々、瞳から不安の色が漏れる。


「コリートにだって、負けやしない」


「言い切ったな? 愚か者め」


「はは、もしかして、お兄さんって具人?」


 具象的を意味するコリートと愚人を組み合わせた言葉、具人。

 コリートの侮蔑用語を口に出すと、確かにシェルベリデの眉がつり上がった。唇は固く閉ざされ、徐々に顔が赤みを帯びていく。レリベディアは、ハズレクジを引いたような様子で、頬には冷や汗が伝う。ウエストポーチからナイフを取り出すが、持つ手は震えており、心情穏やかならぬことを窺えた。


「来い、アヴスト。俺を侮辱したことを後悔させてやる」


「そっちこそ……!」


 精一杯の虚勢を張り、ナイフを投じた。



 平行を保ったままのナイフは、銀色の閃光を一直線に描き、シェルベリデを串刺しにせんばかりに向かっていく。


 ナイフを取り囲むように、突如、水の渦が発生した。レリベディアの簡易魔法を発動したのだ。樹海は突然の風圧に耐えかね、ざわめきをより一層大きくさせる。もぎ取られた葉は渦巻く水に飲まれ、散り散りになりつつ、渦に新たな色を付け加えた。


 簡易魔法により、ナイフは速度、威力共に上昇して飛び込んでいく。

 シェルベリデにナイフが接触した刹那、耳をつんざくような爆音、爆風が樹海をどよめかせた。

「簡易魔法を得意とするなど、ゴミにもほどがあるな。神の御加護は、そうあまっちょろいもんじゃない」


 猛煙の向こうから、鮮明ではない人影が映った。レリベディアが目を凝らし、正体を掴もうとしている最中にそれは、まるで、爆風を利用し、滑走しているのかと錯覚してしまうようなスピードで近づいてくる。


 猛煙から抜け出して、飛び込んできたのは、人間の右掌だった。うっすらと蒼い炎が燃え盛っているのが窺える。それは迷うことなく、レリベディアの首を掴みかかろうと迫ってくる。


「くっ、そォッ!」


 首に高熱を感じた。触れていないのに、熱気だけで皮膚が爛れるのではないかと根拠のない恐怖に襲われる。即座に、有限マーカーで刀を呼び出し抜刀し、掴む腕を薙ぎ払った。怯んだ隙に、飛び退き距離を取る。酷く汗をかいただけで、喉自体に損傷はない。レリベディアは安堵の息を漏らした。滑る首に手を宛て確認が済んだあと、刀を握り直す。吹き出した汗で刀が滑り、うまく握ることが出来ない。思わず苦笑を浮かべた。


「豪語したわりには、随分となっていないように見えるが、どうだ? アヴスト」


 憤慨に余裕と嘲りの色が混じる。力量をみて、容易く勝てる相手であると断定したのだろう。その挑発にレリベディアは平常を装い、軽口を叩き返す。


「よく言うよ、まだ始まったばかりだっていうのに。能ある鷹は爪を隠すって言葉知らない? 僕、それなんだけど。しかしコリートってのはアヴストの喉も焼ききれない程度の存在なのかよ。笑っちゃうな」


「戯言を……。弱い犬ほどよく吠える。俺からしたらこっちの方がお前にぴったりだと窺えるが? しかしコリートと知った上で仕掛けてきたのは小僧、お前が初めてだ。名乗る義務を与えんでもない」


「すっげぇ偉そうだから言わない」


 ひしし、悪戯を働く子供のような笑顔を浮かべ、さらに言った。


「それに僕は、コリートが嫌いなんだ」


「だろうな。アヴストは総じて俺達を憎む」


「別に、憎んじゃいないさ。そりゃあ、あんたらのせいでアヴストは追いやられたけど。嫌う理由はそこじゃないし、僕としては力に溺れた末路が気になるよ」


「ふん、可笑しなやつだ」


「さて、僕は使い魔を探しに行く用があるから急がなくちゃいけない。とっとと再開しよう。中途半端でも、完全に勝てることを証明してやる」


「はっ、勝てやしない」


 シェルベリデは、そう吐き捨てると指を弾いた。すると、彼らを取り囲んでいた木々が揺れ動き――。


「……本気かよ」


 無限マーカーが発動する。「今の音、何――って、木が飛んでるように見えるのは気のせいかな」


 ヒイロが爆音の根源を見遣ると、一本の大樹がヒイロを目掛けて、突撃してくるのが見えた。あまりに非現実的な光景に目を見開き、凝らす。

 台風によって木が飛ぶのはニュースやら新聞やらで目にしたことはあったが、実際に視界に入れるのは初めてだった。ヒイロは、危機が迫る状態を信じきれず、錯覚ではないかと目を擦り、凝視し直す。

 しかし、残念なことに状況は変わらなかった。夢や錯覚ではなく、現実。やっと実感を得たのは、大樹が真横に突き刺さり、土を抉ってからだった。


「な……、なな!」

 咄嗟に腕を交差させ、爆風から身を守る。驚愕を隠しきれず、悲鳴らしい悲鳴もあげられぬまま、ヒイロはぺたりと膝を折った。腕の力を最大限に使い、座ったまま器用に後じさる。真っ青になり、信じられないといった表情で木を見張る。


 再び、小さめの衝突音。続いて短い呻き声が聞こえた。それは大樹の枝に細身の男が衝突して出来たもののようだった。枝に腹を押し付けるように下がっている細身の男の額には生傷があり、滴る血が地面に鉄臭い染みを作り始めている。意識も生気も見受けられない。

 ヒイロはポカンと開けていた口を閉じ、震える足や手で四つん這いの体勢をつくり、恐る恐る細身の男に近づいた。


 生唾を飲み込む。青い顔には赤い鮮血が何本も筋を作っている。白目を剥いたその姿は、ホラー映画に出てきそうで、ヒイロは、喉の奥で悲鳴をあげた。

 思わず、直視しないように目を背ける。


「…………」


 そして、救いを求めるように男の首に触れると、なんと脈があった。


「生きて、る?」


 上擦った声で男に話かけるが、返答はない。しかし鮮血は流れ続け、血だまりを生成していく。今脈があろうとも、血の不足が原因で、間も無く死に至るだろう。


 再び顔に青みがかかる。慌てて制服のスカーフをほどき、止血した。止血する際、腕に伝った血の感触に、背筋に駆けるものがあった。


「でも、どうしよう。レリベディアを探すのに、男の人を担ぎながらなんて無理だよ。だからといってここに置き去りにする選択肢は、なし」


 ふと、大樹の飛んできた方向を見た。煙がたっており、焚き火または戦闘があったことが窺える。

 いくら樹海ルベッレの木々の影によって道が暗かろうと、日は高く上っている。日差しが木々の隙間を縫い、地面を照らしているこの時間帯に焚き火は考えにくい。


「あっちに行けば、レリベディアが居るかな。なら頑張らなくもない、よっと」


 さして遠くもない距離だと踏んだヒイロは、男を大樹から下ろすと、肩を組んだ。「骨が折れるのと後ろ髪を引かれるの、言葉的に選ぶなら後者だよね。しかし後味はすっごい悪いんだろうなあ」

 独りごちながら男の足を引きずって、黒煙の立ち上る方へと歩き出した。


「あ゛、」


「小賢しい手で煩わせおって、これだから出来損ないは」


「う、るさい」


 黒煙の先には当然、戦闘の痕が残っていた。一点のみ見事なまでに枯渇した樹海には、見渡すまでもなく目に飛び込んでくるものがある。煤にまみれた髪、萎びた横髪、ズタズタのハイネックコート。


 砂塵舞う平地に横たわり、浅い呼吸を繰り返すレリベディアの姿だった。

 鼓動が加速する。脈打つ心臓に歯止めがきかない。


「レリベディ、ア……?」


 震える声で名を呼ぶと、レリベディアは切れた唇で必死に開口しようとし、


「ヒ、」

「そうか、お前がレリベディアか」


 遮られる。ヒイロは遮られたことによって初めて、その存在に気づいた。

 男は感慨深いといった表情を浮かべ顎を撫でたかと思うと一変し、侮蔑の眼差しでレリベディアを見遣った。


「まさか、俺たちの希望がアヴストに成り下がっていようとはな」


「どうい、う……」


「最早どうでもいいことだ」


 そう男が言い捨てると、レリベディアの左腕を思いきり踏みつけた。

 ヒイロは、早鐘のように鼓動を刻む心臓に急かされ、細身の男を下ろすと慌ただしくレリベディアの横たわる場所まで駆け寄った。レリベディアを抱き起こし、警戒と恐怖が混ざる面持ちで男を睨み付ける。


「使い魔か」

 藍色の双眸がヒイロを貫いた。


「あなたは誰?」


「質問に答える気はない」


 ヒイロは負けじと藍色を睨み続け、男の殺気に怯むこと無く発言する。


「質問じゃないわ、命令だよ。あなたは誰? 私の主人を傷つけた落とし前、つけてもらわなくちゃいけないもの。早く、名乗って」


「そんなひ弱な体でどうする? 知識は豊富なようだが、魔力の通っていない異物に何ができる、と……?」


 言葉が途切れ、男が目を見開く。ヒイロの周囲を囲むようにナイフが現れたからだ。今にも放たれそうなナイフの鋭い先端が男を威嚇し、緊張が走る。男の目からはヒイロが魔法を使った様子が見受けられなかった。

 男は考察する。

 無意識に魔法を使ったと言うのか――、あの異物が? 有り余る知識を溶かし、ただ名を聞くためだけに起動したのか? 信じられない……、だが、面白い。


「俺の名はシェルベリデ、――シェルベリデ=イフラムだ。精々、証明して見せるといい」


 不気味な微笑みを浮かべると、シェルベリデは去っていった。姿が見えなくなったのを確認し、レリベディアは体を起こす。そして安堵の息を漏らしながら、ナイフを霧散させるヒイロの右頬をつねった。


「お前、なんでちゃんとついてこないんだよ!」


「置いていくのがいけないんでしょ? 怒鳴れるほど元気なら何よりだよ」

「あほか、元気なわけないだろ。使い魔なんだから、ちゃんと務めを果たせよ」


「君は相当、自己中心的な性格をしているようだね」


「話をそらすな」


 口を尖らすレリベディアに、苦笑する。馬鹿にされたと思ったレリベディアは、さらに文句を垂れてやろうとヒイロの顔を見て、絶句した。ヒイロが涙を流していたのだ。


「それでも、大事に至ってなくてよかった」


「お、おい。泣くほどじゃないだろ」


 見るからに狼狽えているレリベディアを一瞥すると、今度は失笑した。


「笑うなよ、真顔でいろ」


「今この状況で真顔はちょっと――いろいろありすぎて」


「真顔になってるぞ」


「いちいち人の顔を見ないでよろしい」


 わざと火傷している首や頬を手のひらで包み込み、そっぽを向かせた。当然、怪我の具合は良くないため、レリベディアの患部には激痛が走った。堪えきれず目に涙を浮かべるレリベディアに「変な顔」と一言述べ、再度苦笑をした。


「お兄さんよりも軽傷みたいね、あくまで"よりも"、だけど」


「お兄さん?」


 こくん、と頷いたヒイロの指の先には、細身の男が横たえていた。ヒイロが頭部に巻いたスカーフが赤く染まりきっているのを見て、レリベディアはうわと小さく悲鳴を上げた。

 しかしまじまじと見て、それがシェルベリデに担がれていた細身の青年なことに気づくと、バツの悪そうな顔をした。


「これ、さっきは火傷だけで済んでたぞ。まあ骨折もしてたけど、血は流してなかった」


「会ったことあるの? 私を置いてった先で?」


「根に持つね、お前。もしかしたら、僕の簡易魔法に巻き込まれたのかも。無限マーカーの餌食にされたっていう線も濃厚だけど」


「じゃあ、レリベディアが誤って止めを刺しかけたせいってこと? なら責任をとらなくちゃいけないわね。とりあえずマリダナまで運びましょうか」


「なんで。僕は悪くないし。連れてきたのはシェルベリデだ。最初に骨折させたのもあいつだし」


「子供みたいなこと言わないの」


「子供じゃない!」 母親が諭すようにヒイロが宥めると、レリベディアはまるで反抗期の子供かのような態度をとった。あまりの素直な反応にヒイロは口を緩ませた。


「そんなこと言ったって、女の子に抱えられて喚いてるなんて端から見たら子供にしか見えないよ」


 うっ、と口ごもる。口は達者でも相変わらず体の節々はじくじくと痛むばかりで、このままではしばらく安静を強いられることだろう。羞恥心に襲われたレリベディアが離れようと必死にもがく。ヒイロはもがいた拍子に腕を掴み、患部を強く握った。


「ひっ」


 情けない声と共に、もがく力が薄れていく。瞳が再び涙に覆われた。


「マリダナへ向かうよりも前に、レリベディアの治療が先決だね。さすがに二人も背負っていけないもの。それに、腫れが酷いし、泣いちゃってるし?」


 挑発を含んだヒイロの言葉にレリベディアが反論しようとしたが、直前に止まった。先ほどの子供扱いの流れを読み取ったのだ。萎びたレリベディアの姿を見て、口を尖らせて残念そうにしたが、気を取り直して患部を慈しむように撫でながら言った。


「それで、白魔法って、どうやって使ったらいいの?」


「摂理で分かるだろ」


「実体験したことがないから分かんないよ」


 レリベディアは、飄々とした態度で肩をすくめるヒイロをひと睨みした。


「僕にだって、無い。白魔法は基本禁止されてるし」


 その理由は、治癒魔法を含む白魔法がこの世界で最も穢らわしい魔法とされているからだった。一度負った傷を魔法で癒すなど神の意向に背く、との教えで疎遠に拍車をかける形となっている。


 なにより、白魔法は術者の知識を溶かすだけでなく、周囲の魔力や養分をも吸収して初めて発揮される。人間の身勝手で、自然が枯渇するなど外道の極みという認識だった。 一方で、通常の魔法での自然破壊は暗黙の了解で認知されている。どうにも腑に落ちない認識だとヒイロは思った。


 ただ、白魔法には例外があり、使い魔が使用するのは良しとされる。元の世界の記憶を捨て、摂理によって得られた知識を無限に近い頻度で使用できる使い魔は、通常の二倍の知識を溶かして、――。


 知識の風呂敷を広げて具体的な方法を考えていると、レリベディアが眉根を寄せ、冷や汗を垂らしている姿が視界に入った。


「もしかして、白魔法を使い続けたら、私に反乱を起こされるんじゃないかって、心配してる?」

 使い魔は魔力や養分の代わりに、通常の二倍の知識を溶かし、契約時主人に施された紋章の力と共に白魔法を使用することが可能だった。そのため、非難はされないもののリスクが伴う。紋章が薄くなればなるほど、力が弱まり、使い魔に自由が与えられていく。

 結果、使い魔に反抗され命を落とす術者が少なくはない。


「ん、別に。お前が使い魔になりたいって言ってきたんだしな」


 しかしレリベディアは反乱を心配しているわけでは無く、ただ痛みに汗を浮かばせているだけのようだった。ヒイロはつまらなそうに眉毛を下げ、口を尖らせる。


「そういえばそうでした。労働基準法に背くような苦労は強要されてないし、例え弱まっても反抗する気は起きないだろうと思うし?」


「なんで語尾にクエスチョンマークをつけるんだよ」


「そりゃあ、私、根に持つタイプだし。なんてね、冗談だよ御主人。私の知識は、この世界にいる限り、あなたの為だけに使うって誓うよ」


「それは、なんか、……照れる」


「あは、照れるとこじゃないよ? 当たり前じゃん。名前も貰ったことだしね」


 ヒイロ、と小さな唇から紡がれた音を、レリベディアは実感無さげな面持ちで聞き入る。


「由縁がどうであれ、存在が認められるのは嬉しい。例え下着の色だったとしても」


「いや、パンツはみてないから、みて、ないから……。それに破けてるのが悪い」


「君が呼んだからでしょうが、この死神野郎。……ねぇ、思ったんだけど、私に回復を促す白魔法系のスキルって備わっているの?」


 傾げられる首と共に揺れた黒髪がレリベディアの頬を撫でる。こそばゆいと感じながらもどこか心地よいと微睡みそうになった。しかし、今、意識を手放したら魔力を放出しつくして死ぬことを確信したレリベディアはなんとか持ち直す。



「大丈夫だ。質の面では失敗してないって断言できる」


「ふむ、なら後は摂理がなんとかしてくれるかな。……成功するかは保証しないけど。じっとしててね」


 そういって、ヒイロは思い浮かべた。金箔がついた色とりどりの背表紙が並ぶ巨大な書斎を。天に届きそうな程にそびえる焦げ茶色の書棚から、白い黄ばんだ背表紙の本を取り出す。頁を捲れば、紙がいかに傷んでいるかが分かる。


 全ては白魔術を使うにあたっての、ヒイロの想像に過ぎない。魔法の精度はどこまで細かく、具体的に想像出来るかによって決まる。


 けど、想像力が乏しい私に、果たして務まるのかしら。と、抽象的な想像に不安が募るがここは必死に払いのけて集中する。


 摂理に与えられた白魔法の知識を、傷んだ頁から破ろうとし――、やめた。いくら想像上とは言え、やはり本に乱暴に扱うのは忍びない。


「まずったかな……」


 ぽそり、と後悔を漏らした。


 それに、今から失う知識をまた使用したい時が、いずれ必ず来る。そんな確信が横切ったため、試しに頁を追加する様子を浮かべてみたが、うまくいかない。


 破るだけじゃ消化していくばかりで、知識を増やすことが難しくなる。想像に依存する魔法で想像出来ないことができた。このままじゃ使い魔の務めを果たすのは難しい。とヒイロは逡巡する。


「本より、やっぱりルーズリーフの方が思い浮かべやすい……?」


 古い本の代わりに思い浮かんだのはルーズリーフだった。ルーズリーフなら取り外しも可能であるし、学生の身であったヒイロに馴染みが深い。何せ、数時間前まで目にしていたものだ。 魔法を使用するときの大切なイメージだというのに、いまいち格好はつかないが要はいかに素早く的確に知識を出すことができるか、だ。ルーズリーフが適しているのなら、それに順応するまで。


 考えを巡らせていると突然、なあ、とレリベディアがヒイロの行動を制した。


「精度をあげてる時に申し訳ないんだけど。もうピークは過ぎたんだ。別に、今白魔法を使わなくたって、マリダナについてから教会に立ち寄ればいい気がしてきた」


 無駄に知識を溶かす必要もないし、と申し訳なさそうに付け足した。


「過ぎたんじゃなくて、麻痺だよ。話している間にも魔力は放出しているんだから今治療しないと疲労が酷くなるし、さっきの態度はなんだったのよ。それに、マリダナは中立国家だってこと忘れてる?」


 痛みで取り乱していたことを思い出し、レリベディアは苦い顔をする。


「争った跡が見え見えの外国人を何人も匿ってくれると思う? 使い魔のいないお兄さんは神父を言いくるめれば休ませてもらえるかもしれないけど、レリベディアには回復する手段があるの。入国をスムーズにするためよ、さあ始めましょう」


「わ、わかった。お前に、全部任せる」


 レリベディアは、己の考えの至らなさを恥じた。それを隠すように返事と許可を直ぐに返す。


 任されたヒイロと言えば、魔法が滞りなく使用出来るように詠唱を頭の中で復唱していた。レリベディアの小さな見栄など眼中に入っていなかったということだ。

 そして、溶かす知識をセレクトする。真っ先に浮かんだのは樹海ルベッレに纏わるお伽噺。ルベッレという名前の元となった精霊、ルベレイと人間の間に起こったことを記した物語だった。


「異界の地より授けられた知識をほふり、紋章の拘束を解く。僕なる我は、主に恩恵を与えるものなり。故に、今摂理の鎖を引きちぎりて、万物の力を味方とす……!」


 ライムグリーンの光がレリベディアとヒイロを包み込んだ。春の日差しが照っているような心地よい暖かさと、柔らかな風がレリベディアの顔を、首を、腕を撫で付ける。

 ルベレイは、治癒を得意とする精霊だ。

 神や魔王、もちろん精霊も存在していた頃の話。信仰深く哀れな人間は、頼みもしない宗教争いで戦火を交えていた。


 どの神が強いだの、どの神を信じれば救われるだの、結局は自身の利己に従って絶えることなく続くそれに、神々は始めこそ止めに入ろうとしたが、信仰する神にすら耳を貸さなくなった人間に呆れ、途方に暮れてしまった。

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