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不本意な召喚

 森林のざわめきをBGMに、横髪の跳ね具合が印象的な少年が、息を呑んだ。身を包んでいる黒いハイネックコートや灰色の髪は、暴風に意のままに操られて、少年の視界を妨げている。しかし、今の少年に、それらを鬱陶しがる余裕はない。ただ、緊張した面持ちで、魔法陣の描かれた地面を見遣っている。


「ついに、この時が来たんだ」


 失敗は許され――いいや、許さない。

 伝った汗が一滴、魔法陣の縁に落ち、染み込んでいった。

 それを合図に、少年は深く息を吸い、呪文を唱え始める。




「危ない!」


 怯える子猫を視界に捉えたセーラー服の少女は、駆ける。セミロングの黒髪を振り乱しながら、考えもなしに無我夢中で飛び出したのだ。

 胸に子猫を抱き、救出の成功に安堵の息を吐こうとしたとき、非情にもクラクションが鳴り響いた。


 少女はようやく、自分の立ち位置を理解し、死の気配を感じ取った。何も考えず、飛び込んだ先は車の行き交う道路。白線と白線の間に突っ立っている少女の目の前には、ダンプカー。


 世界がスローモーションに切り替わる。時空が歪んでいるようだ、と少女は思った。スローモーションを利用すれば、子猫だけでも逃がすことは出来ないかと行動に出るも、自身の体の動きもスローだということに気づき、失敗に終わった。


 けたたましい音が少女を包む。運転手の絶望しきった顔を見て、「そんな気分なのは私の方よ」と呟き、目を閉じた。直後、華奢な体が宙に浮かぶ。子猫は重力に逆らえず、逆さまに落ちる少女の腕から離れ、歩道に無事着地した。ニャア、と寂しげな声で一鳴きして――。


 確かに轢かれた筈なのに、以降、少女の行方を知る目撃者は居なかった。




 目を覚ました場所は、鬱蒼と茂る森だった。湿気を多く含む土に、人が踏みいることを許そうとしない木々の感覚の狭さ。花は極彩色に揺れている。伐採の行き届いていない草木を見回して、気だるげに身を起こしたのは、ダンプカーに轢かれた少女だった。


「ここは――樹海ルベッレかな。って、あれ? 私、樹海ルベッレなんて単語も場所も知らない筈なのに」


 自然と口に出した場所の名前に、少女は戸惑う。首を傾けて、情報の出所を探ろうとするが、いっこうに浮かばない。


「いやいや、重要なのはそこじゃなくて、どうして、こんなとこにいるのかって話。確か、私は子猫を助けようとして」


 一連の流れを思いだすと、少女は青ざめ、口元を押さえた。


「死んだんだ、ろうな。ってことは、ここは天国?」


「天国なんかじゃない、お前は僕に呼ばれてこっちの世界に来たんだ。ああ……、失敗だ」


「えっ!?」


 語尾の弱い、気の抜けた声を背後から投げ掛けられた。突然の声に驚き、咄嗟に振り向くと、跳ねた横髪が印象的な少年が不満そうな表情で近づいてくる。中性的な顔立ち、実年齢より少々幼くを感じさせるだろう丸い目。それらを要因に、少年は、まるで玩具を取り上げられ、拗ねた子供のように見えた。


「正確には、お前じゃなくて残された方に用があったんだけどな。この落とし前、どうつけようか」


 少年が、嫌みったらしくため息をつく。あからさま過ぎるその態度に、少女は眉を吊り上げて問いただす。


「世界って、用って何?」


「そんなことくらい、わかるだろってのわぁっ」


 少女は、呆れた様子で受け流そうとする少年の胸ぐらを掴んだ。動きこそ勢いはあったが、事態を把握しきれていない少女の目には不安の色が見え、すごみはない。


「わかった、話すから」


 少女が今にも泣き出しそうだと判断した少年は、手を離すよう促した。


「いいか? ここは、お前らの居た世界じゃない。ワンランク上の別世界だ。お前らをこの空間に引き上げる際に」


「君の設定とか話す必要はないから、どうなったのか教えてよ」


「はぁ? せってー? 人を痛い奴に仕立てあげようとするなよ。ここじゃお前の常識はほぼ通用しない。信じがたいだろうけど、思春期独特の思想だと思ったなら勘違いにも程があるぞ」


 違うの、とでも言いたげに、少女は首を傾げる。来ていきなり状況を把握しろ、とは酷な話であるが、少年の知識では理解出来ることが当たり前だった。


「お前、摂理を受けてないのか?」


 少女は再び首を傾げた。


「っつーことは、本当に一から説明しなきゃいけないのか。……、申し訳ないけど急な用事を思い出した。じゃ――ぐぇ」


「何も知らない人を森に置き去りにするのかこのゲス野郎」


 慌てて立ち去ろうとする無慈悲な少年の襟首を掴んで停止させた少女は、ドスの効いた声で少年を罵り、“本人としては”軽く脛を蹴った。


「――――ッ」


 声にならない悲鳴をあげ、脛を押さえる少年を見下ろし、「それで、」と続きを促した。


「こっちに来た奴は、どんな奴であろうと他の世界に関するものが断絶され、新たにこちらの世界の知識が植え付けられる。それが摂理だ」


「断絶って、例えば?」


「記憶とか。さすがに服とかはないみたいだけどな」


 全身を舐め回すように見詰める少年と、照れを含んだその言葉の意味を知るのに数秒かかった。

 慌ててスカートを押さえたが、もう遅い。顔を真っ赤にした少女は、思いっきり少年の脛を蹴った。少年が激痛に顔をしかめたのは、言うまでもないだろう。少年は、悶えて、地面に拳を突き当てた。新たに増える痛みに涙を浮かべる。


「ってぇな! この暴力女!」


「うっさいゲス男!」


「知るか、もう僕は行くからな」


 再び立ち去ろうとしたところで、普段より体が軽いことを疑問に感じた。慣れた感覚の消えた腰に手を宛てると、やっとウエストポーチが無くなっていることに気づく。得意気な顔をする少女が目に入り、舌打ちをする。


「立派な犯罪だぞ」


「のたれ死ぬよりよっぽどマシだよ。摂理とやらの知識を使えば法だって掻い潜れるし」


「性格悪いな」


「どっこいどっこい、またはそれ以上だと思うけど? 殺人犯さん」


「……ちゃんと、摂理受けてんじゃんか」


「記憶が混乱してただけよ」


 少年は面倒くさそうで、どこか後ろめたそうな表情を浮かべ、髪をかきむしる。一方少女は腕を組み、胸を張った。破れたセーラー服から露出した白い肌に、打撲の痕が痛々しくも映える。


「一緒に、来るか」


「……当たり前でしょ、不本意とは言え、私を呼び出したのは君な訳だし」


 少女は無遠慮で強気な笑みを浮かべた。


「ふてぶてしい奴だな」


「人を置いていくような、ゲス野郎には言われたくないね」


 「ごもっともだ」と苦笑して、歩き出そうする少年は思い出したように少女に問う。


「そういえば、紹介はまだだったな。僕はレリベディア。お前の名前は?」


「私の名前? えっと」


「知らない人に教えちゃいけない、みたいな理由だったらついていく時点でアウトだからな」

「そんなんじゃないってば。ちょっと待って、思い出すから」


「は? 思い出す?」


 聞きながら怪訝そうに眉をひそめた。一方少女は頭をこつこつと、ノックをするように叩いている。そして、しばらく思索するように視線を宙に投げ、どこか吹っ切れた様子で「わかんない」とだけ答えた。


「わかん、ない?」


「名前だけ忘れちゃったみたいなんだ。その他の事なら思い出せるのにね」


 首を傾げ、唸る少女の姿を見て、今度は少年、レリベディアが思索にふけることとなった。

 されていないようで、されている摂理。少女は元の世界の記憶も、摂理によって埋め込まれたこの世界の知識も持っていると言える。


「二つの世界のことを仕舞い込んだとき、容量オーバーして名前が抜け落ちた、っていうのか?」


「いや、当方に聞かれてもわかりかねます」


 顔の前で手を振り、動作でもわからないことを伝えた。真面目な表情を浮かべているが、声のトーンは低くなく、あまり気にしていないことが窺えた。


「まだ記憶が混乱してるのかも知れないし、すっかり忘れたのかも知れない。まあ名前なんてそんなものだよね」


 さっぱり気にしていないようだった。レリベディアは飄々とした態度をとる少女を呆れた様子で見て、軽くため息をついた。


「名前がないのは不便だ、なんか即席でつけろ」


「そんなこと言われたって、すぐ思い付かないし。あ、君がつけてよ」


 名案だと言わんばかりに迫る少女を押し退け、言った。


「ねぇ、僕アヴストなんだけど。アヴストの特有スキル、わかる?」

「名前をつけた者は何だって使い魔になるってスキルでしょ、わかるわかる」


「……本当に分かってるのか?」


 少女の言動に疑問を感じ、頭を抱えそうになった。


 アヴストは、特有スキル有限マーカーを保有できる。生物問わず、名前をつければ儀式をせずとも使い魔に出来るというスキルだ。


「そもそも、使い魔にするために私を召喚したんでしょう。なら問題は無いじゃない」


「いや、でも人間を使い魔にするっていうのは……、人道に反するっていうか」


「置き去りにしようとした人が人道とか言えんの?」


「お前、根に持つタイプだろ」


「ふふ、ご名答。さ、私に名前をつけてよ?」


 不敵な笑みを浮かべる少女に、諦めたような表情をするレリベディア。水分を多く含み、肌にまとわりついてくる空気を静かに吸って、レリベディアは巡らせた想いを吐き出すように言葉を発した。


「ヒイロ」


「ひいろ?」


「お前を見てると、何だか赤色を連想するんだ」


「見る準備はできてる?」


「は、はぁ? お前の、その、下着がどうこうじゃなくて」


 レリベディアは、先ほどの出来事を思い出し、顔を赤く染めながら「そもそも事故だろ、二重の意味で」と言い訳をし、目を泳がせた。


「殴られたいんだね、良い度胸だ。よし」


 男勝りで少々暴力的な少女が、拳を振りかぶる。危険な状況だと感じたレリベディアは冷静さを取り戻し、攻撃に備えるために目を閉じて、念じた。


「痛っ」


 レリベディアに当たるはずだった拳が弾かれ、唖然とする少女と、小さく「暴力反対」とどこか得意気な顔で呟き、訴えかけるレリベディアの間に、青色の魔法陣が現れていた。


「ま、魔法?」


 信じがたいという思いと純粋な好奇心がない交ぜになった表情を浮かべる少女は、恐る恐る魔法陣に触れた。


 再び、バチンッと弾かれる手と弾いた魔法陣を見比べて、嬉しそうな声色を出す。


「本当に、魔法って存在するんだ……!」


 子供のように爛々とさせた瞳で、魔法陣が光を散らしながら消える様子を眺める少女。光の粒子を掴もうと奮闘している一方、レリベディアはそんな少女を不思議そうに見ていた。


 レリベディアと世界にとって魔法は特別珍しいものではなく、出現した魔法の種類だって初歩的なものだ。技術に対して以外で感動していることに首を傾げているのであった。


「お前の世界には、魔法は無いのか?」


「無いよ、当たり前でしょ。どうしてそんなことを聞くの?」


「別に。他の世界のことは全く知らないから興味を持っただけ」


「ふぅん、そっか。魔法のない世界なんて退屈かもしれないね」

 少女は興味無さそうにレリベディアの話を流す。


「それで、結局お前はどうするんだ」


「私?」


「……ヒイロ」


「あっ」


 ぶっきらぼうに、レリベディアが提案した名前を呼ぶと、少女は質問の意図を察して声をあげた。

 そして、少女はレリベディアに向かい合い、強気な笑顔を浮かべて言った。


「いいよ、問題なし」


 程無くして、少女、ヒイロの首筋に緑色の光が現れ、紋章が刻まれる。

 「まるで、刺青みたい」と、紋章をなぞるように撫でた。


「よろしくね、レリベディア」


「ああ、不本意だけどな」


「お互い様だよ」



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