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陽炎 八

 いつもは軽快なはずの俺のペダル捌きも、今日のこの瞬間だけは重たく感じていた。折角の快晴、折角の休日。俺の気分だけは晴れていない。

「この借りはデカいゾ」

 俺は今多分、とても悪どい表情をしているだろう、と漕ぎながらそう思っていた。

 待ち合わせの駅前に着いた。よりによって俺が一番乗りだった。なんか、やるせない想いがしたがそこはグッと堪えた。

 自転車にロックを掛け、大きな樹木を取り囲むように円く配置された石造りのベンチに腰を降ろした。街は平日ということもあり人通りはまばらだが、それでも昼過ぎだからか、行き交う人たちの表情は何となく明るく見えた。

「遅せえな」

 気が付くと高速で貧乏ゆすりをしていた。貧乏ゆすりもこれだけ高速ならば、何らかのトレーニングになるんじゃないかとふと思い、一人でニヤけてしまった。恥ずかしさ紛れにポケットに手を突っこみ携帯を取りだし、イヤホンを左の耳に入れた。滑らせるように画面に触れ、俺はまたお気に入りのヒムロックの曲を選んでいた。そして俺はそっと瞳を閉じてその歌声に酔いしれて行った。

 サマーゲームという爽快でかっこいい、これからの季節にはぴったりの曲だ。自然と俺の右足はリズムを刻んでいる。さっきの貧乏ゆすりとの区別はよくわからないが。

 爽やかな風が爽やかな曲と共に吹き抜けた。俺は無意識に風の吹いてきた方向に視線を飛ばした。すると、ずっと向こうから人ごみを掻き分けて歩いてくるガニ股のヤマと手を繋いだ里村の姿を発見した。そのガニ股のヤマは俺を見つけてすぐに大きく右手を伸ばし「マキーーー」と手を振っていた。

 俺は二人の繋がれた手と手から思わず視線を逸らしてしまっていた。

 俺に向かって駆けだすヤマ。その後ろを恥ずかしそうに引っ張られる里村。黒くて長い髪が振り乱れていたのが印象的だった。

「おーー、悪いな待たせちまって。里村の家に行くの初めてだったから、迷っちゃってさ」

 まだ苗字で呼ぶ辺りがつき合って間もない初々しさを感じさせた。俺はまだ並んだ二人を直視できていない。

「お~い、聞いてるか。マキ~」

 妙に浮かれた声を出すヤマ。俺はうざったそうに耳からイヤホンをズポっと抜いた。

「遅せえよ、お前ら」

 俺は認めるしかなかった。二人の間柄を。邪魔をするなにものでもない。無視する理由もない。俺がヤマを避ける理由が見当たらない。だって俺は「応援する」と言ったのだから。そう思ったら自然と眺めることが出来ていた。

 里村はまだ恥ずかしそうに俯いている。

「どこに連れていってくれるんだよ、俺はキューピットなんだから丁重に扱えよな」

 ぷっと同時吹き出した二人。

「キュ、キューピットって柄かよ。しかも何でマキを接待しなくちゃいけないんだよ。今日はデートなの、デート。俺と里村のな」

 何気ない友達の会話のつもりらしいが、俺はその時浅くだが傷を負ったような心境になっていた。

「お、おう。そうだよな。それなら早く行けよ。俺はそんなに暇じゃねえんだよ」

 ヤマは里村に見えない方の手で、悪い悪い、と片眼を瞑り手刀を立てていた。

 太陽は天高く昇り、俺たちを照らしている。いや、厳密に言うと前の二人をか。俺は今日、二人の影のような存在だから。

 前を歩く二人。子供のように繋いだ手を大きく振っている。それを目にした俺はまた空を見上げた。

 ヤマと・・・里村。

 二人は・・・つき合っているんだ。後ろ姿の二人はまさしくそう見える。二人の間を吹き抜けてきた風がシャンプーのほのかな香りを運んできた。それは間違いなく里村の香り。少し強めの風によって乱される髪を幾度か直す仕草をする里村。俺はその仕草を視野の範囲内ぎりぎりで見ていた。その幾度かのうちの何度かは俺の事を気に掛けているように見えてならなかった。気のせいだろうけど・・・。

 ヤマはそんな事に気づくはずもなく、里村の方を見てニコニコして歩いている。里村の方ばかり見ているので、すれ違う人たちと何回かぶつかりそうになっていた。ヤマはその度に、まいったなあ、といった表情で空いている左手で頭を掻いていた。今日のヤマは始終そんな感じだ。その殆どが引きつり笑いだったのを俺は見逃していない。

「どこまで行くんだよ」

 いつまでも楽しそうに歩く二人の背中に、俺はちょっとだけ不満をぶつけてみた。

 ヤマは笑顔で振り返り「もう少しだからご辛抱を・・・キューピット様」とおちょくるような言い方をしたのだった。俺は呆れて言葉を失っていた。

 映画館の前に着いた。チケットを買うヤマ。俺はヤマに向かって掌を拡げた。

「なにっ?」

 あどけない表情で首を傾けたヤマ。

「・・・」

 俺は嫌な予感を覚えたのでヤマの腕を引き、里村から少し距離を置いた。

「まさか、お前・・・俺の分は」

 ヤマは眉をしかめた。

「まさか・・・自腹じゃねえよな」

 ヤマは俺の口元に指を1本立てて「予算が無いんだよ。彼女の分で精一杯なんだよ。わかってくれよ」と縋るような瞳を見せた。

 俺は心の中で(このやろう)と叫んでいた。

 ヤマは俺の手を振り解き里村の元へと戻ってゆく。その途中で半身だけ振り返り「この埋め合わせは今度、必ず」と申し訳なさそうな顔を作ったのだった。

 映画館なんて久し振りだった。しかも一人?で観るなんて初めてのような気がした。嬉しいような淋しいような複雑な心境だった。

 二人は中段の中央辺りに陣取った。なかなかの好位置を獲得したものだ。俺は気を遣い、ずっと奥の隅の席に座ることにした。ここならお互い気にならない距離だろう、と思った。

 一斉に照明が落とされた。映画が始まる。今日は純粋に映画を楽しもうと思った・・・自腹だし。

「ん?なんだこれ・・・」

 俺は目を疑った。壁一面のドデカいスクリーン。そこに映し出された・・・全裸の金髪美女。しかも騎乗位。美女は大袈裟な声を張り上げて、張りのある巨乳を揺らしている。

 俺はヤマのいる方を、キッと睨んだ。里村は今どういう心境なのか。そしてヤマはどういう神経をしているのかを疑った。

(初めてのデートなんだぞ。ったく)

 場内は上映が開始してから暗闇に包まれている。だから、ここからでは二人の表情や様子は確認できない。俺は首を正面に戻し、そして頷いた。

(これでいいのだ)

 だって、その為にここに座ったのだから。干渉することのできないこの場所へと。

 スクリーンでは金髪美女が、騎乗位の体勢から金髪男の胸へとナイフを突き刺すシーンが映っている。

「サスペンスか・・・なんちゅうー・・・センス」

 俺は開いた口を戻す気になれないでいた。

 この映画は昔上映されたもののリメイク版だと後ほど見たパンフレットに書いてあった。上映前に購入してたんだから、ちゃんと事前に読んでおくべきだったと反省していた。

 もう一度、二人のいる方に目を向けた。

(今も手を繋いでいるのか)

 気になった。

 かぶりを振った。

(何を話しているのか)

 想像していた。瞼を降ろしていた。いちゃついてる二人が浮かんできた。俺の顔全体が歪んでいった。

 

 向かいあっている二人・・・ヤマは里村の肩に手をのせ・・・引き寄せるようにその距離を縮めた・・・やがて二人は目を閉じた・・・僅かずつだが二人の距離が近づいていく・・・吐息が感じられるほどまで近づいた・・・里村は顔を赤くしている・・・ヤマが口を尖らせながら蠢かした・・・鼻息も荒い・・・やめろっ、俺がどこか遠くでそれを拒むように叫んでいる・・・でも二人にはそんな叫びなど聞こえてはいない・・・その時突然里村が目を開けた・・・彼女の視線が慌てる俺を捕らえている・・・その瞳はどこか悲しげにも見えた・・・ヤマの手に力が入った・・・さらに引き寄せられた里村・・・彼女はすべてを拒むことなく受け入れていた・・・ヤマと里村は口づけをかわした・・・俺の前で・・・俺のいる目の前で・・・唇を離したヤマが俺に向かって、こう言った・・・悪いなマキ・・・と。


「ヤ、ヤ・・・ヤマ」

 がばっと起き上がった。呼吸は大きく乱れ、額にはひどく汗をかいている。

「どうしたんだよ。うなされてたぞマキ」

 ヤマの顔がそこにあった。里村とキスをしたヤマがそこに・・・でも、どうやら今はひとりらしい。ヤマをどかせてスクリーンを見ると、すでに上映が終了していた。

「寝てたのか?ずっと」ヤマはうすら笑いを浮かべて言った。「どこまで覚えてんの?」

 俺はぼやけている脳を活性させるように、頭を小突いた。

「き・・・」キスと言いかけた口を一旦閉じて、首を傾げながら「騎乗位?」と言った。

「お前それって、ほとんど観てないのと一緒だぞ」

 ヤマは腹を抱えてゲラゲラと笑った。

「それよりも・・・里村は」

 俺はゲラゲラ笑うヤマをよそに、明るくなった場内をきょろきょろと見廻した。

「トイレだよ。受付カウンターの前で待っててだとさ」

 ヤマの態度が幾分、最初の頃よりも余裕が出ているように見えた。

「そ、そうか・・・トイレか」

 俺は、里村が今この場にいなくて、何故かホッとしていたのだった。今ここに二人が並んでいたならば、俺は多分冷静さに欠けた発言をしていたに違いないから。

「行こうぜ」

 ヤマは、よっこらしょ、といった感じで立上り受付のある方向に踵を返した。

「ヤマっ」

「んっ?」

 俺は歩き出したヤマの背中を呼び止めた。ヤマの表情はこれまでに無いくらいに生き生きとしていたので、俺は少し躊躇いを覚えながらこう言った。

「もう・・・いいだろ、俺」

 ヤマは少しだけ間を置いてから「飯くらいおごらせてくれよな。カッコつかないだろーが」と俺に向けて親指を立てて言った。

 里村は受付の前で、ショーケースを覗きこむようにしゃがんでいた。

 駆け寄るヤマ。

 それに気付いた里村。ヤマに向いている視線。一瞬だけ俺を見つめる里村の瞳。交錯する想い。抑止し続ける俺の理性。

 ヤマは里村に向かって「さあ・・・」と言い、俺に向かって「・・・行くか」と言った。ヤマはヤマなりに気を遣っているんだな、と思った。素直に協力してやってもいいか、と思っていた。

 前を歩く二人・ヤマと里村。風に乗って聞こえる二人の会話の内容は、さっきの映画の話題だった。俺はほとんど夢の中だったから話を振られてもわからないので、明後日の方向を見ながら、二人の後をふらふらと追っていた。

 駅前に戻っていた。駅前ビルの大時計が6時を少し廻っていた。ヤマも同じくそれを見上げて、自分の腕時計も確認した後、俺の方に振り向いた。

「もう少しだから我慢しなさいよ、マキ」

 まるで子供でも扱っているかのような言い方だった。隣りでそれを聞いていた里村は半身振り向き、クスクス、と笑った。俺を突然の羞恥心が襲っていた。

「槇原くん・・・」

 里村が今日初めて俺の名を呼んだ。んっ?と返した俺に里村は、

「もうすこしだからガマンしろよ、マキ」と指を差してそう言った。

 俺はその一言でノックアウトされてしまった。

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