表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/25

陽炎 六

 準決勝も難はなかった。今日は決勝だ。これに勝てば取りあえず甲子園への道が、あぜ道から砂利道くらいにはなるのだろう。夏の本戦に向けて勢いがつくというものだ。でも、未だ細くて長い道のりに変わりはない。油断は大敵だ。俺は両手で自分の頬をはたき、気合いを込めた。

「よしっ、気合い入ってるな。でも一度だけ深呼吸しろ」

 三木杉監督だった。力が入るとかえって空回りするものだ、といって催促するように勧めていた。

 日本晴れ。天晴れ。

 そんな言葉が似合う快晴の空。決勝戦にふさわしい空だった。白い鳩が似合う、そう思った。

 いつものように俺はマウンドに立っていた。大きな責任を背負って。背中の番号が俺の意地の証。宿命をも感じさせる猛き背番号。それが背番号・1だ。このこんもりとした場所は俺だけが立つことを許された聖なる地。そして、汚れなき白球は俺の魂、俺自身とも言える。

「今日も頼むな」

 マウンド上の俺はそう言って白球に口づけをする。そうする事によりこの白球に気持ちが乗り移り、気合いが余計に入るからだ。

 けたたましいサイレン。俺の血を滾らせる。熱く、より熱く。サイレンが鳴り終わる頃には、スタンドからため息が零れるのだ。俺の第1球に対してのものだ。

 ヤマは今日も快い音をさせていた。

 打者はバットを振ることも忘れ、ただ3球、棒立ちになってしまう。

 甲子園に行くのだ。俺たちはきっと。神より与えられた権利。それを俺たちは懸命に努力し、全うにこなすだけ。そして、俺たちはそこに辿りつき感謝するのだ。栄光に触れた事を・・・。それまでの少しだけの辛抱なのだ。もの事には過程というものがあって、それを省くと色々と邪魔や障害が生じるものだ。だから神は俺に『こなせ』と言ってくる。誰ひとりが文句のつけようもないほどに『圧倒的にこなせ』と。

 今日も俺の球は、神がかっていた。誰も太刀打ちできないほど。踏み入ったのだ領域に。選ばれし者のみが許される聖域に。

 完全試合。

 終わってみれば、そうなっていた。でも当の俺は別に特別な感情はなかった。今日の俺に付け入れる奴などいるはずがないから、当然だった。

 湧きあがる歓声。地鳴りのように震えるスタンド。全道大会進出は、我が校にとって3年ぶりになるそうだ。だから、このような騒ぎになる。

 インタビューのマイク。別に話したいことはなかった。フラッシュの光が少しだけ眩しく感じていた俺がただひとつだけ言い放った。

「次は円山で・・・」

 俺はそう言って軽く会釈をしてから、その場を立ち去った。当然その言葉が次の日の一面を飾ったのだった。

 盛り上がる校舎。緊急朝会が召集され野球部員一同は、体育館のステージ上に一列に並ばされた。壮行式と題された館内は、全校生徒が割れんばかりの拍手で俺たちを迎えてくれた。

 校歌が始まった。でも俺は歌わなかった。「ここでは・・・歌わない」とぽつりと呟いた。隣りにいたヤマが「うん?」と耳を寄せてきたが、俺は首を小さく振って返した。ヤマはヤマらしく、主将は主将らしく大きな声で歌っていた。

 校長の祝辞の後、主将のヤマが選手を代表して挨拶の場に立った。俺が先日見つめていた演説台の前、緊張の色を隠せないヤマは節々に噛んでいたが、それが逆に張り詰めていた館内の空気を和ましていた。

 主将はやっぱりヤマで正解だと思った。

 監督が最後に決意表明みたいな感じで締めくくろうとした時、館内から突如、俺の名がコールされたのだった。俺は手刀を何度も振ったが、ヤマが「ちょっとだけならいいだろ」と俺の背中を押した。押された俺はよろける様にステージの中央に踊り出てしまった。

 体育館の中が俺の名前で充満していた。恥ずかしながらも、高揚する気分を感じていた。

「コンチハ、槇原デス」

 会場は一気に静まりかえった。

「ゴ声援、アリガトウゴザイマシタ。コレカラモ応援ヨロシク」と簡単措辞に済ませ、俺は浅く頭を下げた。館内からはブーイングの嵐。俺は少し動揺を覚えていたのだが、背後に誰かの気配を感じた俺は振り向いて見るとそこにはヤマが立っていたのだった。「いつもようにやれよ」と言ってヤマはもう一度だけ俺の背中を押してくれた。

 響き渡るマイクの共鳴音。俺はマイクを抜いてそれを消した。無心だった。胸の中は結構平穏に戻っていたのだ。息を吸った。そして鼻からゆっくりと抜いた。

「俺は・・・」

 まっすぐに視線を正した。

「・・・これで終わらない」

 もう一度息を吸った。

「これが・・・俺たちの夢ではない。ただの通過点でしかないから。浮かれるのはやめてくれ。まだ俺たちは終わっちゃいないんだ。俺たちは・・・始まったばかりだから」

 胸が熱かった。目頭も熱くなっていた。甲子園への想い。今、誓った。みんなの前で誓ったのだ。これで何が何でも行かなければならなくなってしまった。後戻りは許されない。許されるのは・・・頂点へと続く階段を昇ることだけだった。

 体育館は波を打ったように静まりかえっていた。俺がマイクを戻す音がやけに大きく響いていた。俺が深く頭を下げると、後ろに並んだ仲間たちも深く腰を曲げたのだった。

 どっと、まさにどっとだった。溢れんばかりの拍手。歓声、それに泣き声まで聞こえた。一体となったのだ。ステージ上の俺たちとそれを見守る生徒たち。シンクロした瞬間だった。

 俺は、ぐっときていた。込み上げるものを抑えるように鼻を啜った。その時ヤマの左手は、ずっと俺の背中を優しく支えてくれていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ